天上奏楽 

賢者テラ

短編

 これが、愚痴らずにいられますかって。

 高校最後の文化祭だというのに、我がアマチュアロックバンド『アシッド・ロケッツ』は分裂の危機にあった。

 カバーばかりじゃ能がないので、オリジナルの歌を絶対入れたいのだが、楽器はうまくても曲を作れるメンバーがいない。

 辛うじてオレだけが作曲をしていたが、ここ最近インスピレーションが湧かない。何か、頭が煮詰まった感じでお手上げだ。

 そうでなくても、ここ最近我が校で新しく結成した別のバンドが、イベントでの人気をかっさらっていっており、一時期は向かうところ敵なしだったオレらのバンドも、今じゃ二番手に甘んじる現状だ。 



 さっきも、メンバーがマックに集合して、安いバーガーをがっつきながら、あーでもないこーでもない、と文化祭対策を練っていた。

 敵バンドの中にすごいヤツが一人いて、曲を作りまくっている。

 オレの耳からすればそれほど胸を打つような曲でもなく、何かどっかで聴いた事のある感を拭えないものばっかりだ。要は、焼きなおしてオリジナルのように見せかけるのがうまい、とも言えるだろう。

 でも、悔しいが質より量戦術で向こうが勝っている。

 コンサートで歌う曲をすべてオリジナルで埋めている。

 そこへオレたちときたら、オリジナルは一曲か二曲の使いまわしで、あとは有名バンドのカバーだ。

 悔しいが、客の目に斬新に映るのは、やはり敵さんのほうだ。

 よほどうまく料理しないと、カバーでは勝てない。だって、ただのマネのレベルを超えないなら、本家本元のCDなりをを聴いたほうがマシに決まってるから。

『うまいカバーよりそこそこのオリジナル』

 このことわざ(?)は、ある程度真実だ。



 結局、バカ話をしただけで何も実のある話はできなかった。

 バンドメンバーはみんな野郎ばっかりなので、同性ばかりの気安さから無秩序に話が脱線したり、シモネタ系の話になったりした。女の子が一人でもいれば、もうちょっと引き締まったのかもしれない。

 夢を追うことと、現実とのギャップから来る戦いもあった。

 メンバーの半分くらいが、地に足を付けて勉強しろだの言われて塾にも行かされ、十分に練習の時間をとれていない、という現状報告も聞いた。

 そもそも、このバンドは『ぜってープロのバンドになる!』っていう意気込みで結成したものだ。本当に、メンバー同士何があっても音楽一筋に頑張ろう、と堅く誓い合った。

 でも、親から『そんな夢みたいなこと言ってないで、勉強しなさい。別に大学行ってからだって、音楽できるでしょ』 なんて言われると、そうかなぁって思ってしまうやつが出ても、無理はない。

 でも、それは罠だ。大学行ったら、今度は『安定した就職』って言うに決まっている。オレは後からじゃなくって、「今」音楽がしたいんだよ。

 オレには今学校でやってるヘンな勉強が、本当にオレの人生を支えてくれるとはどうしても思えない。そういうお勉強が根っから好きな、それで花開くヤツは極めたらいいと思うけれどさ。オレを、その型に当てはめないでほしい。

 極端な話、健全な心が育っていてあとは字が読めてお金の計算さえできれば、十分生活できる。その基本以外は、その人が何を目指したいかで学校側が学ぶことを変えてくれればいいのにな、と思う今日この頃なのだ。

 


 ……ああっ、何か曲が頭に浮かばねぇかなぁ!



 オレは夜の街を歩きながら、頭をかきむしった。

 夢だけじゃ、ダメなのかなぁ。

 やっぱオレは、夢なんか見てないでどっかの会社に就職してお金を稼いだほうがいい人種の一人なんだろうか。親の言うことが正しいのだろうか——。

 この時。

 オレの中で、何かがささやいた。



 …………。



 何か聴こえる。

 音だ。

 しかも、今まで聴いたこともない——




 何かが、生まれそうだ。

 オレは男だから分からないが、女性が赤ちゃんを産むときってこんな感じなんだろうか。自分の持てるすべての力を注がないと生まれない、っていう妙な確信みたいなものがあった。

 道の真ん中で、立ち止まって目を閉じた。

 勉強のことも、親のことも忘れる。

 学校のことも、バンドのことも忘れる。

 文化祭のことも、敵のバンドのことも忘れる。

 悔しさも嫉妬も、人気もお金も、『自分』に関わる一切を。

 ただ、音楽の根源にだけ思いを馳せた。

 音なんていわば、聴覚に認知される音の連続。音の高さや長さ、質が違うだけ。

 もっと物理的に言えば、振動。信号パターンの羅列。

 それがどうして、人の心を、魂をこんなにも揺さぶるのか。

 音とは何だ。

 音に魂を乗せるとは、何だ。

 人はなぜ音楽に惹かれる?

 人はなぜ音楽をつくる?



 一切の雑念が消し飛び、魂がむきだしになったその時——

 聴こえてくるひとつの旋律があった。

 オレは、そのリズムに合わせて体をゆする。

 歌詞などないので、ハミングでその無形なメロディーを実世界に放つ。



 ……うん。これ、いいじゃん。



 何だか、頭の中でひとつ曲ができてしまった。



 その時だった。

 ひ、火が——

 襲ってきた。

「な、何だよ!」

 空から真っ直ぐに火が落ちてきたかと思うと、オレの周りをグルグル回りだした。

 赤く尾を引くその先頭が一体どこなのか、オレの動体視力では見極められない。

「あ、熱いじゃねぇか!」

 文句を言ったが、聞いてくれるような相手ではないようだ。

 体が、ガクンと腰から折り曲げられる感覚があった。

 ものすごい力だ。

「ひゃうっ」

 見えていた地面が、急に遠ざかった。

 見る見るうちに、それが街全体の屋根になり、区全体になり。

 東京都になり、そして房総半島や神奈川を含む関東全体になり——。



 ……ちょっと待て。これ、空気大丈夫か!?



 いきなり怪現象に巻き込まれたにしては、冷静なことを考えたものである。

 不思議な国のアリスは下へ、下へ……だったがオレは逆だ。

「おいっ 空気、空気! オレを殺す気かぁ!」

 もしかしたら殺す気かもしれないが、一応そう叫んだ。

「あ、そうか」

 声と同時に、またいきなりガクン、と推進力が下へ変わった。

 ジェットコースターで急降下するより、何十倍も恐ろしい。

「こ、こらぁ! 極端すぎるぞ、スピード落としてくれぇ!」

 股間がスースーして、気持ち悪すぎる。



 やっと、空中で静止した。

 地上から見て、飛行機が飛んでいるあたりの高度だ。

「しまった。間違えた」

 オレを抱えている何者かは、ボソッとそう言った。



 ……オレは間違いでこんな目に遭ったのかぁ?



 それじゃあ、オレがかわいそうすぎるじゃないかぁ!

 勇気を出して、オレをこんな目に遭わした謎の存在の顔を見た。

 一応、顔と胴体と腕と足があるから、ほぼ人間には近いつくりをしている。

 しかし。

 その服装といい、髪型といい——

 古典でいう『古事記』とかに出てくる、男のカミサマソックリだった。



「何だ、おぬしは人間か?」

「な、何だ? ってことは、お前は人間じゃないのか?」

「わしは、ナガオシナギノミコト。おぬしは?」

「大塚、良平」

 空を飛んでるし、オレのこと人間呼ばわりするくらいだからこの人は……

「アンタさ、もしかしてカミサマ?」

 それを聞いたナガオシナギノミコトは、プッと噴出した。

「ハッハッハッ、こりゃ傑作じゃ。我らは神などではないわ。昔の人間どもは、我らのことを神様と勘違いして祭ったり拝んだりしとるようじゃが。まぁ、神の使いというのが本当のところじゃ」

「じゃ、アンタは天使かよ……」

「ま、そうとも言うな」

 でも、天使と言ったら背中に羽根が生えて、白いワンピースみたいなのを着て、金髪で……というあのイメージがどうしてもある。そこを突いたら、こう返答された。

「バカ。ただでさえ天使には似たような顔が多いのに、地域によって特色でも出さんと区別がつかん。この方が、日本らしいじゃろ?」

「はぁ。なるほどね! ところでさぁ。あんたらが神様じゃないなら、拝んでる人間たちにそう教えてあげなよ。日本には神社とか多いんだぜ……」

 それに対するナガオシナギノミコトの返答は、たった一言。

「面倒くさいからヤダ」



 オレは、なぜ間違って空にさらわれたのかを聞いた。

「ああ。それはお前さんが口ずさんどった音楽じゃ」



 ……ああ、さっき即興で心に浮かんだ、アレ?



「あれはな、人間どもが知るはずのない天上の音楽じゃ。今度の天上演奏会でやる曲のひとつでの、ワシはこれからその練習に行くところだったんじゃ。千里先からお前さんのメロディーを聞きつけての、てっきり天上の関係者だと思って、何をこんなところでグズグズしてるのかとばかりに——」

「……とばかりにさらったわけか」

 千里先からとは、恐ろしい聴力だ。……って、千里って一体何メートル?

「ま。とにかくだ。これも何かの縁。せっかくだから、我らに付き合え」

「付き合えって、何? ちょ、ちょっと待ってくれよ!」

 再び、体に恐ろしいG(重力)がかかった。

「のわ————っ」

 戦闘機並みのスピードで、夜空を飛行しだしたからだ。

「こらーっ オレは人間だってこと忘れてないかあ——っ」

 急に速度が緩んだ。

「ああ、忘れとった」



 急に、風景が変わった。

 明るい。つまり、朝だ。

 さっきまで、東京は夜だったから。

 ?

 ま、まさか地球の反対側!

 下を見ると、地図でしか見たことのない南アメリカの形——

「うわ——っ オレを帰してくれえ! お母ちゃ~ん!」

「何じゃ、大げさな」

 ナガオシナギノミコトは、悠長にあごひげを撫でている。

「あ、面倒なのが来た」



『ターゲット補足・全機散開!』

 映画でしか見たことのないような戦闘機の編隊が、恐ろしい速さで四方からこちらへ向かってくる。

「なっなっなっなっなっ……」

 どう見ても、動きがこちらの背後を取ろうとしている。

 それはつまり——

 撃墜!?

「ああ、油断して集中が途切れたら我々でも時々こういう目に遭う。我らも何とかステルス化を考えないといかんなぁ~」

「何をのん気なっ」

 ……に、人間のレーダーに捕捉される天使なんて、間抜け過ぎる!

 


「ファイア (発射)!」

 轟音とともに、AIM-120B・空対空ミサイルが突き進んでくる。

 数えただけでも、10基余りのホーミングミサイルが——

「避けれるのかよ!?」

 ナガオシナギのミコトは、鼻くそをほじっている。

「ふん。あんなの屁でもないわい」



 その言葉通り、彼はひょいひょいと全弾回避を決めた。

 誘導弾なので、旋回して戻ってくるのもあったが、避けるとミサイルが互いに衝突したり、その爆風に巻き込まれたりして結局驚異はなくなった。

 ……えっと、何か機関銃みたいな音がするんですけど?

「いいっ!?」

 M61バルカン砲の連射音が、耳をつんざく。

 まばゆい弾幕が、突き抜けるような青空を満たす。

「避けろ、避けろ!」

「あんなのが当たっても、わしは痛くもかゆくもないわい」

「オレが痛いしかゆいんだよお! 人間が当たったら死ぬし!」

「そっか」

 ……忘れてたのかよ!

「仕方ない。消えるか」

 次の瞬間、透明人間にでもなったかのようにオレらの姿が消えた。

「これでもう、やつらのレーダーにも映っていないはず」

 ……それを最初っからやれよ!

 レーダーから目標が消え、目視でも捉えられなくなった空軍は、しばらく辺りを旋回した後、引き返していった。




 ……ここは、どこだぁ?



 多分、どこかの雲の上だと思うのだが——

 人が、歩き回っている。

 ナガオシナギノミコトと似たような、古代の日本の神々のような服装をした人間が、15人くらい。女性もいて、やはり古代の姫君のような恰好をしている。

「おっそーい!……って、あんたまさか人間連れてきたの?」

「ああ、ちょっと手違いでな」



 声をかけてきたのは一人の女神様で、名はヤガミアズリノヒメ。

 恰好は日本の女の神様みたいなのに、髪が茶髪だ。でも、美人である。

 その美しい女性の天使は、オレの前まで来てジロジロ見つめやがる。

「あんた、名前は?」

「大塚、良平」

「……ベタな名前ね」

「なっ、何でアンタに言われなきゃならない?」

 天使だからって、皆が人格的に素晴らしいわけでもないようだ。

 立ち振る舞いは、人間とそれ程変わりないようにも見える。

「あの、もしかして、人間がここに来たことってあるんですか?」

 ヤガミアズリノヒメは、クスッと笑って答える。

「このバカなナガオシナギノミコトがしたみたくね、勘違いで連れてきちゃった人間が何人かいたわね。私の覚えている限りでは、バッハとかモーツアルトとか……」

「ここ最近なら、小室哲哉ってのも連れてきちまったじゃないか」

 ナガオシナギノミコトが補足する。



 ……それって、最近になるのか?



「今からね、天使が神様にお捧げする定期演奏会のための練習があるのよ。せっかくだから、聴いていきなさいな。あなたよかったわねぇ。ここに連れてこられた人間で、音楽の才能を開花させなかった人間はいないんだから」



 その直後、指揮者のような女神が登場してきて——

(名をサエキスセリノヒメ、というらしかった)

 出席をとって、天上のオーケストラを仕切り始めた。

 皆、色々な楽器を持っていたが、まったく統一性がなかった。

 グランドピアノがでーんと置いてあって、その周囲にヴァイオリン・フルート・トランペット・ドラム・キーボード。エレキギターまでいる。

 その反対側に、三味線・尺八・琵琶・つづみ・しょう・和太鼓。

「ちょっとぉ、ヘルプで来るはずのギリシャのヴィーナスとアフロディーテ・インドのカリスネアは遅刻ぅ!? プロ意識のかけらもないんだからあああ!」

 サエキスセリノヒメは、指揮棒をガンガンと譜面台に打ち付けて怒りをあらわにしている。ちょっと、敵に回したくないタイプの人だ。

「……アイツは、怒らせると怖いんだ。文字通り雷が落ちる」

 オレの耳元で、ナガオシナギノミコトはそっと教えてくれた。

「あの三人なら、人間どもの韓流ドラマの最終回が見逃せないということで、休むと連絡を受けましたがー」

 ヤガミアズリノヒメが、報告する。

「キイイイイッ! それ私だって見たかったのにいいい」

 サエキスセリノヒメは、地団駄を踏んで悔しがった。



 ……レベル一緒やん。



「DVD出たら、レンタルショップで盗んだる!」



 ……オイオイ。



 とにもかくにも、練習は始まることになった。

 韓流ドラマの誘惑に負けた三人の天使を欠く16人の天使の楽団は——

 指揮棒が思いっきり振られると、それぞれの楽器の音を出した。



 ぐわああああああああん



「あああああああああああああああ」

 オレは、時速150キロの砲丸でも腹に食らったみたいに、ふっ飛ばされた。

 天使の出す楽器の音は、ものすごかった。

 多分、5キロくらいは後に飛ばされたんじゃないだろうか。

 その後、失速してオレは下へ、下へ——


 !!!



 下に見えるは、形からしてあのオーストラリア大陸じゃあ~りませんか!



 ……これ、地面に着いたら確実にあの世行きだよな。



 パラシュートもないし。

 そう思った瞬間、おれはフワッと体が浮くのを感じた。

 抱き上げられたのだ。

 美しいヤガミアズリノヒメがオレをのぞき込んでいた。

「ごめん。あんた人間だってこと忘れてた」



 ……ったく、ここの天使はどいつもこいつも!



 「私がアンタを取り込めばいいか——」



「ただいま~」

「おう。あの人間は、無事か?」

 戻ってきたヤガミアズリノヒメに、あのボケ男・ナガオシナギノミコトが尋ねる。

 ……もとはと言えば、全部アンタのせいだっ!

「無事です。大事をとって、あの者は私が体内に取り込みました。これでもう大丈夫でしょう」 

 そうなのだ。

 今、オレはヤガミアズリノヒメと同化しているらしい。

 ちょうど、感覚としては自分が女の体に変わったカンジだ。

 オレは、巫女のような服装の胸元からのぞくものを、思わず食い入るように見た。

「エッチ!!」

 平手打ちがとんだ。しかし、叩いたのは、自分自身の頬。

 叩く側と叩かれる側が同じ体なのだから、仕方がない。

「いったぁ~い! ああっもう!」

 オレは懲りずに、また体に興味を持ってしまった。



 ……これが、おっぱいかぁ。



 思わず、服の上から揉んでみた。

「ゴルアアアアァァァ、気安く触るなぁぁ!」



 演奏は、素晴らしかった。

 この世のものとは思えなかった。てか、この世のものじゃないよな……

 感動の嵐だった。

 ヤガミアズリノヒメー、つまりオレはエレキギター。

 ナガオシナギノミコトは、トランペット。

 人間界のオーケストラ構成からすると型破りすぎるが、ちゃんと演奏になっている。そして、実に美しい。和洋折衷の見事な成功だ。

 知らない曲がほとんどだが、たまにどこかで聴いたようなのもあった。

『世界にひとつだけの花』があるのはまだ違和感はないが、山本リンダの『狙いうち』まであったのは笑った。

 ……ちょっと待て。これ選曲は、誰がするんだ?

 

 

 そうこうしているうちに、いよいよ最後の曲になった。

 最後の曲を聴いて、オレは驚いた。

 そう、それはまさに、オレがここへ来る前に口ずさんだ曲じゃないか!

「もしかしたらあなたには、我々の血が混じってるかもしれない」

 ヤガミアズリノヒメは、そう推理した。

 古代の天使の中には、地上の人間に惚れて天から下ってしまう不届き者もいたらしい。その気になれば、人間と結婚して子を生むことも可能なのだという。

 オレの口ずさんだ曲は、実に4500年前に、天使によって作られたのだそうだ。

 その歌を知る天使が人間と交わり、その遺伝情報の中にこのメロディーに関するものが眠っていた。

 そして、ものすごいあり得ない確率で、オレがそれを持っており——

 たまたま、記憶を目覚めさせたのだろうと。 



 天上演奏会の練習が終わり、オレは地上に帰ることになった。

 帰りの送迎担当は、むさくるしいナガオシナギのミコトじゃなくって、ヤガミアズリノヒメのほうだったので、ちょっとうれしかった。

 帰り際に、指揮者のサエキスセリノヒメに聞いた。

「あの、これ選曲って誰が?」

「ん? 私……だけど、何か?」

「な、何でも」



 ……あんたかい!



 オレは焦って、お礼を言ってその場を離れた。




 日本は、もう朝が近かった。

 ……母ちゃん、きっと心配してるな。

 結局、日本でいえば夜中ずっと帰らなかったことになるからね。

「それじゃお別れね」

 オレの手を引いて飛行を続けてきたヤガミアズリノヒメは、地上に降り立った。

 ちょうどウチの近所だ。幸い、辺りに人影はない。

「楽しかったよ」

 オレは、ヒメにお礼を言った。

 実は、ヒメはオレの好みのタイプだったし、一時とはいえ同じ体を共有した仲だからな。正直、情が移って別れてしまうのが寂しくもあった。

「そうそう。あなたにプレゼント、あげる」

 ヒメはそう言って、小さな玉手箱を取り出した。

「これって、浦島太郎みたく、開けたらおじいさんになるとか?」

「まさか」

 オレの冗談に、ヒメはコロコロと笑う。本当に、カワイイ。

「あなたが人生で一番困った時。一番、私の力を借りたいと思った時。その時にこの箱を開けなさい。

 いい、簡単に開けてはダメよ。効果は、一度きり。やり直しはきかないから、使いどころはよく考えなさい」



 大塚良平に別れを告げたヤガミアズリノヒメは——

 太平洋上空で、ポロッと涙をこぼした。

「……さようなら」

 彼女は、良平に一目惚れしていた。

 しかし、天使の掟ために自分を律した。

『混乱を避けるため、天使と人とが交わることまかりならん』



 その後の大塚良平は、高校の文化祭のステージを成功させただけではなかった。その勢いで、彼はさらにプロの世界に足を踏み入れていった。

 大学には、結局行かなかった。

 良平の曲に注目したスカウトが、彼をデビューさせたからだ。

 音楽事務所は彼を中心として、他からも選りすぐりのメンバーを組み合わせてユニットを結成させた。またたく間に彼らは世間で大ヒットを飛ばした。

 もちろん、世間を熱狂させたデビュー曲は、彼があちらの世界で聴いてきた、天使の奏楽曲をベースにしたものだった。



「良ちゃんお疲れ!」

 ステージ終了後、メンバーの紅一点・山上愛は良平に声をかけてきた。

「ああ、お疲れ。今日も最高だったよ」

 良平は、楽屋に設置されているソファーに身を沈めて、リラックスした。

「ビールでも、飲む?」

「そうだな。頼む」

 愛は、冷蔵庫でガサゴソと缶ビールを物色している。

 その背中を見つめながら、良平はため息をついた。



 実は、良平は愛に想いを寄せていた。

 しかし、音楽に関しては天才的な良平でも、恋はからっきしだった。

 あの、劇的な天使たちのコンサートからもう6年。

 愛は、あのヤガミアズリノヒメに少し似ていた。

 なかなか、好意を打ち明けることができない。

 打ち明けてもしフラれれば、同じユニットのメンバーでこれからも行動を共にする以上は、心理的にキツイ。今後、気まずいことこの上ないだろう。



 ……ああっ、オレはどうしたらいい!?



 この時、良平はヤガミアズリノヒメにもらった玉手箱を思い出した。

 音楽で身を立てる、という願いはもうかなった。

 今の最大の願いは、山上愛のハートを射止めること。

 使うなら、今をおいて他にはない!

 


「あら。それなかなかキレイな箱ね。私に見せてぇ」

 何と、良平の持つ変わった箱に気付いた愛が、茶目っ気を出して飛び掛ってきて、良平から箱を奪い取ってしまったのである。

「ちょ、ちょっと! それは大事なものなんだ、返してくれぇ!」

「やーだ」

 身の軽い愛は、ヒョイヒョイと良平の攻撃を交わす。

「良ちゃんがそんなに焦るなんて、余計に中身が見たくなっちゃったぁ! あっ、開いた! なになに?」

 玉手箱の中には、紙切れが一枚入っていただけだった。

 そこには、こう書かれてあった。



『この箱を開けたあなたへ

 私はあなたが好きです 愛しています 

 ~この箱の持ち主より~』



 愛の目に、じわっと涙がにじんだ。

 一瞬の間があって、愛は良平に抱きついた。



 楽屋の淡い照明が、口づけを交わす二人をいつまでも浮かび上がらせていた。

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天上奏楽  賢者テラ @eyeofgod

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