2.護美箱


目覚めなさいおはようございます目覚めなさいおはようございます……No.20351129-AKKI」


  わたし視界めのまえに真っ白な  セカイが広がる。混じり気のない純白は現実味リアリティの欠片もなかった。

 文字通り右も左も分からない、前後不覚の白色。そんな中でどこからともなく声がする。


 だれ。アナタはだれ。ここは。


「私は女神さま。ここがどこかを説明しおしえに来ました」


  おとにならないわたしに、めがみは反応する。


 めがみ。そんなこと。


「あら、疑っているのですね。突然のことで驚いているのでしょうけど、まぁ、女神ホンモノかどうかなんて、そんなのどうでもいいじゃないですか。実際は国の陰謀かもしれないし、悪の秘密結社かもしれない。もしかしたら虚構シュミレーターかも。けれど、アナタNo.20351129-AKKIには関係ない。非表示サイレントになったアナタNo.20351129-AKKIにとって、私はぜんちぜんのうにも等しい存在なのですから」


 めがみが言い終えると、指を鳴らすパチンッ、と。音が響く。白い世界は瞬くまに様相が変化して、 わたしを中心に法廷はいけいが広がった。


「ここは死後の世界に一番近い場所、ようこそ『護美箱ゴミバコ』へ」


 正面の法壇に人影がある。人形のように小さくて、衣服をなにも着ていない。産まれたての赤子という表現がこれほど似合うものも他にないだろう。


 あか、ちゃん?


「これは仮の姿アバターですよ。性別、人種、国籍、職種あらゆる要素を排除した理想形として、護美箱ゴミバコのデータベースから作ったんです」


 データベース?


「データベースはデータベースです。あると非常に便利……例えば、こんなモノとか」


 小指程度の大きさの白と黄色に別れた円筒状のモノが出現する。久しく見てなかったが、それが煙草タバコだと分かった。


 なに。吸って。や。やめ。


 赤ちゃんめがみはそれを口に咥えて、ぷかぷかと蒸し始めていた。


「大丈夫ですよ。煙草なんて未成年あかちゃんが咥えたら美味しい煙が出るだけの御菓子キャンディになるんです。それがこの護美箱セカイの常識なんです」


 そう言って、今度はころりころりっ、と、赤ちゃんめがみ煙草キャンディを転がし始めた。


 頭を抱えたい気持ちを必死に抑えて質問する。


 ゴミ、バコ? セカイ?


「ええ。存在の死、非表示サイレントになって認識されなくなったモノだけが流れつく世界の裏側。現世しげんに戻すか、それともこの隠世ごみしょりじょうで処分されるか、正しく審判ぶんべつする。それが護美箱ゴミバコ


 なにもかも突然で、なにがなんだか分からない。けど、ひとつだけ聴きなれた単語ことばがあった。


 サイ、レント?  わたしはキセイされた? そんなことって。


 ありえない。だって個の自治体クリニスト環境美化キセイをする側だ。排除キセイされるなんて。 わたしは正しいことをしてただけなのに。


 堪えるような笑いくすくす、と声が法廷に響いた。


「ごめんなさいね、おかしくて、つい。だって、クリニストはすでに“非表示サイレント”になっているんですもの。ずっとずっと何年も昔にね」


 あ。え?


「エリートフォンの誕生から程なく、民衆を煽動して不当に感覚共同体センシティブコミュニティを操作しようとする集団が現れた。データベースによれば、それはのちにこう呼ばれるようになった。『規制過激派クリニスト』、と」


 赤ちゃんめがみがなにを言っているのか分からなかった。じゃあ、 わたしが見ていたのは夢だとでも言いたいのだろうか。


「そこは今から説明しましょう。最初は……エリートフォンには規制水準フィルターレベルがあるのは知っていますか? まぁ、おさらいも兼ねて」


 また指を鳴らすパチンッ、と。音が響くと、目前の法壇に図式スクリーンが表示される。『規制水準フィルターレベルについて』と表題されていた。


「まずは、制限のない健全なコンテンツを指す【無制限モードレベル0】。

 政府管轄の年齢認証が必要となるコンテンツは【制限モードレベル1】。

 視覚なら黒塗り■■■ステッカー〼〼〼〼〼、聴覚なら電子音ピー音など、なにかで隠す【修正モードレベル2】。

 そして【非表示モードレベル3】。文字通り五感すべてから取り除かれる有害指定コンテンツです」


 それは今更説明されるまでもなく知っていた。個の自治体クリニストだからというよりエリートフォン使用者ユーザーなら常識だった。


「なら、知っていますか? 【非表示モードレベル3】のさらに高い規制レベル4があることを」


 一覧の一番下に新しい項目レベル4が現れる。聞いたこともない単語ようごだった。


「そうでしょうね。世間には都市伝説うわさくらいでしか認識されてない。でも、たしかにあるんですよ。【異世界モードレベル4】は」


 異世界なんて御伽噺えほん御遊戯ゲームじゃあるまいし。とっさにそう思った。けど、そうでも言わないとこの白色セカイをどう説明すればいいか分からないのも事実だった。


「大勢にとって非表示サイレントになったものは下層世界アンダーグラウンドに送りこまれるの」


 赤ちゃんめがみは自動音声のように平坦なまま説明いていく。


「そこは光に追放された影たちの楽園むほうちたい。偏見、差別、酒、暴力、セックス、チート行為……いろんな夢を見ることができる都合のいい異世界。そんな世界でもひとつだけルールがある。他人ユーザーに迷惑をかけないこと。【異世界モードレベル4】で不快指数スコアを集めたらどうなるか、分かりますか?」


 分からないことだらけだけど、それは心当たりがある。


 もしかして。それが。いまの わたし? このセカイ?


「ええ、正解です。

 光にも影にも不適切であると追放されてしまう。感覚共同体だれからも非表示で、認識されなくなる。文字通り存在コンテンツとして認められなくなる――つまり、存在なくなるのです」


 もしここに  にくたいがあったら、悪寒で震えていただろう。けれど、そんな  ひょうげんすら今の わたしは奪われているのだ。


 きえる。そんざい。しなくなる。そんな。そんな。


 泣きだしそうな剥き出しの感情を抱きしめることもできない。


「安心してください……とは言えませんけど、そんなアナタNo.20351129-AKKIのために護美箱ここはあるのです。最下層の世界の入口、このコンテンツNo.20351129-AKKIが世界に必要か不要か、文字通り最期の審判をする場所なのですから」


 もどれる。 わたしはまだ。もとのセカイに。もどれる?


「ええ。ですから、聴かせてください。アナタNo.20351129-AKKIがこの世界にどれだけ必要なのかを」


  わたし わたしは。ただ。セカイをよく、したくて。ひとりでも。おおくのヒトを。だから。


  わたしは必死で弁明する。  じぶん規制クリニズムしてきたコンテンツがどれほど悪影響さいていだったか。  じぶん過去ひがいも含めて、詳らかに話す。

 すべて話し終えたとき、「大変努力なさってきたのですね」と赤ちゃんめがみは相槌を打った。


「それで、だれを救ったんですか?」


 ……。え。


アナタNo.20351129-AKKIコンテンツから被害者だれかを守っていたのでしょ? それは被害者だれですか?」


  わたしは救ってきたはずだ。たくさんの人を、守ったはずだ。なのに。  ことばに詰まった。


アナタNo.20351129-AKKIは自分の価値を上げるために他者を下げることしかできないのでしょうか。間違ったり失敗したりしたモノを叩いても、アナタNo.20351129-AKKIが正しくなれるわけではないのに」


 ち。ちがう。 わたしは。 わたしは。


「……このまま話し合っても埒があきませんね。主張は平行線を辿るでしょう。なので、その言葉が真実ほんとうどうか、に決めていただきます」


 みんな。みんなみんな


 赤ちゃんめがみはそれに笑いを含ませるだけで、なにも答えなかった。


 だれか。いる?


 赤ちゃんめがみ以外のナニカを感じる。ナニカ……いや、ダレカがいる。


 視線だれか息遣いだれか気配だれか


 一人じゃない。何人もたくさん何十人もたくさんいる。 こちら視姦ている。


 もしかして。いままでに。キセイサイレントされたモノたち。


 その瞬間とき

  感覚かんしょくが走った。ナニカを触った。見えないのに、動かしていないのに、独りでにさわさわ、と。触っている。


 ちがう。  じぶんじゃない。  じぶん じゃない。


 他人ダレカの感覚が入ってきてる。ナニカを触っている。ほどよく柔らかくて、人肌の温かさの、ナニカ。  ナニカ


 それに気が付いたとき。

  わたしは逃げようとした。走りだそうとした。

 けど、すでに遅すぎた。


 いくつもの見えない  にくたいを触ってくる。掴んで、引っ張って、無造作に、力任せに、 わたしが埋めつくされるくらい幾重にも触っていく。


 イヤ! イヤ! さわらないで!


  さけびは届かない。

 容赦なく が、 ゆびが、 つめが、 が、  やわにくに喰いこむ。


 たすけて。ちぎらな で。たす て。


 キモチワルイ感触ダレカだけが わたし  わたしを浮かび上がらせる。


 ヤダ。ヤ ゙。

 うば ない ゙。

   かんかくを。  

  わた  を。


 ゆるし 。


 ゅ   。

    

    て

      




 ぁ


 すべてをあきらめる。

 その時だった。


  ダレカが感覚の中を分け入っていく。まっすぐで必死で――そんな想いダレカが入ってくる。それは決してイヤな感触ではなく、やさしくて温かい感覚ぬくもり わたしを包みこんできた。


 いきなりのことで反応できなかった。ただ護られるように、その想いぬくもりの中にいた。


「……審判の結果が出たようですね」


 赤ちゃんめがみは出現させた小槌ガベルを鳴らす。


「静粛に! 判決を言い渡します! アナタNo.20351129-AKKIは元のいた世界に戻ってもらいます!」


 もど。れる?


 恐怖で疲弊しきった思考でも反芻するだけの能力は残っていた。


「運が良かったですね。けれど、もう一度護美箱ここに帰ってきたら、その時は今回のようにはいかないでしょう。いつもどこかにだれかの目があることを忘れないでいてください」


 ま。まって!


だれかの温情に、敬意を。二度と出逢わないことを切に願ってますよ」


  わたしの言うことを聞かず勝手に話を進行させられる。


 まってよ。ダレ? ダレなの?

 アナタは。 わたしをたすけてくれたアナタは。


 わたしの問いに、  だれかは答えてくれなかった。


「さようなら、真中マナカさん」


 そう言って、赤ちゃんめがみは指を弾く。放物線状きれいに描いて投げられた煙草キャンディが頭上に近付いてきて――。




「いてっ」


 額になにかが当たって、目が覚める。頭を撫でながら周りを見回すと、自分わたしの部屋だった。どうやら晩御飯の後、具合が急に悪化して寝床ベッドに辿りつくまえに自室の床に倒れこんでしまっていた。


「あれ?」


 床になにか落ちている。拾いあげてみると、アイスの棒だった。これが満杯だった護美箱クズカゴから落ちて、頭に当たったようだ。

 そのアイスの棒と観察にらめっこする。ひしゃげていて、ささくれ立っていて、どうしようもない。けれど、そこにはなにかが書いてあった。かなりの損壊ボロボロだったが、たしかに『あたり』と読めた。


「…………のど、からから」


 妙に渇いた喉を抑える。冷凍庫にまだアイスキャンディがあったはずだ。一階に降りると、キッチンに母がいた。


「あら? どうしたの?」

「ちょっと喉を養いたくてね」


 冷凍庫には予想通り、アイスキャンディが入っていた。もうすこし入っていた気がするが、最後の一本だけだった。


 わたしは手元の『あたり』のアイスの棒とそれを交互に見比べてみる。そして、最後に母のほうを一瞥する。皿洗いの最中バトルちゅうのようで、スマフォにイヤホンを付けて鼻歌を交えていた。


「……ねぇ、お母さん」

「ん、なーに?」

「お母さんは、小学校の頃の私と仲良かった子を覚えてる?」

「えー、だれのこと?」

「ほら、仲良かった子いたじゃん。一緒に登下校したり、お泊まりとかもしてた子、覚えてない?」

「それだけじゃ分からないわよ」

「ほら、ずっと傍にいて……気弱で心配性で鈍臭くて、そのくせ人一倍優しくて、人の嫌がることは絶対にしなかった……そう、絶対しなかった」

「そんなこと言われても…………あ、もしかして、チサちゃんのこと言ってる?」


 ――。ああ。ああ。

 そうだ。


 チサ。チサ。千紗ちゃん。

 名前チサをなんども口にする。

 何年も失くしていたパズルのピースがようやく完成できたような、そんな気分だった。


 あれ。なんでだろう?


 唐突に目の奥が熱くなって、なにかが込みあげてくる。

 心配した母が近寄ってきた。


「ど、どうしたの? なにか変なことあった?」

「本当に、どうしちゃったんだろう。あはは」

「なに、チサちゃんとケンカでもしたの?」

「ううん。ケンカなんてしないよ。友達だもん」

「そう、よね。……だって、今日も遊びに来てたものね」


「………………………………え?」


 一瞬、思考が止まった。


「今、なんて言ったの、お母さん……?」

「チサちゃん、遊びに来てたでしょ? さっきも一緒に食事したじゃない。マナカ、やっぱり調子悪いじゃ……」


 心配する母の声はもう聞こえなかった。すべての感覚いしきが遠く薄くなっていく。

 その中でひとつだけうるさく響く。寝る前に閉じ忘れていたエリートフォンのウィンドウ――そこから流れだす無機質な女性キャスターの声。


『ただいま入ったニュースです。夫妻宅で身元不明の死体が発見されました。夫妻は「身に覚えがない。知らない人物」と供述しており、警察は連日発生している同様の事件と関連性があるか……』



千紗チサ……ちゃん?」



 私の問いに、〼〼だれも答えてくれなかった。

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