#〼〼を告発せよ

柳人人人(やなぎ・ひとみ)

1.異世界

 アイスの棒がわたしにしがみついてなかなか離れてくれない。さながら味がしなくなったガムのように、ガシリ、ガシリッと意味もなく、歯形わたしに合わせて変形していく。


【この番組は視聴者28%の不適切描写があります。※レベル:修正共有マナーモード※ で視聴しますか?】


「28%かぁ。じゃあこの話数エピソード中に……やったぁ!」


 天井はいけいに表示された文字列テロップに勝利を確信し、足を空中に投げ出してジタバタする。『はい』『いいえ』『視聴しない』のコマンドから選択するのは、もちろん『いいえ』。視界セカイが自室の天井はいけいから番組ドラマに変わった。


「となりに愛用してるSNSのウィンドウを配置して……最後に音楽プレイヤーで……」


 耳裏に手を回して再生ボタンを押した瞬間、いつものお気に入りの曲ヒップ・ホップが流れだす。


「さて、今日も清掃ボランティアしましょうか!」


 音楽リズムに合わせて軽快に、跳ねるように、激しく、タッピング、タイピング。


 ◯愛佳🧹 @manaka_ai

 犯罪教唆ドラマ、涙が出る #護美を告発せよ


 画像スクショを添付して、投稿と。

『投稿完了』の文字が空中に表示されるや否や、次の文章ツイートを打ちこんでいく。


 ◯愛佳🧹 @manaka_ai

 不謹慎すぎる! 連日死体ニュースが流れてるの知らないとは言わせませんから! 通報しました! #護美を告発せよ


 画像スクショを添付して、投稿と。


 ◯愛佳🧹 @manaka_ai

 知ってますか? 暴力描写がある作品を見る人たちの九割がゲームで暴力を振るうときにも快楽を得てるって科学的に証明されたんです。つまり、見るだけでも凶悪になるんです‼️ 表現の環境汚染を許すな‼️ #拡散希望 #護美を告発せよ


 画像スクショを添付して――。


「……ふふっ」


【この番組は有害指定です。※レベル:非表示共有サイレントモード※ により表示から削除しました。】


 真っ暗な映像に文字テロップだけ表示されるようになった番組スクリーンに、達成感がわたしの内側からくすぐってくる。アイスの棒も、ピンっと天を仰いで御機嫌うちょうてんだ。


 ベッドから起きあがって、アイスの棒をわたしから取りだす。そして、部屋の隅にある護美箱クズカゴを狙いをつける。

 すこし離れた場所から護美箱クズカゴに投げ入れる行為あそび。よっぽどのお嬢様ハコイリでもなければ、ほとんどの人が一度はやった覚えことがあるだろう。外れると悔しくて、入るとどこか――。


「――きもちいい」


 放物線上きれいに弧を描いた木の棒は護美箱クズカゴ見事処分ホールインワン、したはずだった。

 護美箱クズカゴに入った瞬間、今度は護美箱クズカゴから飛び出していった。すでに棄ててあったゴミの山がクッションになって、アイスの棒がリバウンドしてしまったのだ。


「あ〜! せっかく決まったと思ったのにー!」

「おーい、マナカ〜! 晩御飯よー!」


 突然、一階したの母から名前を呼ばれて、膨らませすぎた頬が跳ねた。

 慌てて耳裏に手を回し、視界セカイに映るウィンドウを消していく。早く一階したへ行かなきゃ。


「これって……」


 音楽プレイヤーを停止したところで、手が止まる。


『本日未明、住宅街の通りで身元不明の死体が発見されました。同様の事件が連日発生しており、関連性があるかは捜索中と……』


 先ほど“非表示サイレント”になったはずの番組ウィンドウに、女性キャスターが映っている。臨時ニュースのようだ。


「この世界には護美ゴミが多すぎる」


 言葉の終わりと同時に番組ウィンドウを消した。



 …。



 ◯愛佳🧹 @manaka_ai

 クリニストの皆さんのおかげで世界がまた綺麗になりました。季節の変わり目、とくに春先の暖かくなる時期は変な人やモノがたくさん出てくるので気を付けましょう👮‍♂️ 今日もクリーンな世界を✨ #クリニズム #制欲月間 #護美を告発せよ


 瞬きクリックを二回して、投稿完了、と。

 肉料理ハンバーグをフォークで突きながら、SNSで本日の活動報告ツイートをする。こういうとき目線入力は役に立つ。


 次に食卓へ目をやる。三人分の料理が並んでいて、一つはわたしの分。まだ器によそう必要はなかったのではないかと思う二つ目は職務しごとが忙しい父の分。そして。


「……お母さんはエリートフォン買わないの?」


 食卓に置かれた長方形の薄い板をいじる姿を目の前にしながら、わたしは問う。きょとんっ、と丸くなったひとみが返ってきた。


「スマートフォンなんて使ってるの、今時お母さんくらい。旧時代の遺物カセキだよ。せっかくの料理も冷めちゃうよ」

「便利なのは知ってるけど、そんなこと言われてもね。なんだっけ、センテンシブ、フィ……フィルム?」

感覚共同体センシティブフィルター?」

「そう、それそれ。他人と感覚を共有……ってのができるんでしょ? すごいとは思うけど、きっと迷惑かけちゃう。ほら私、機械音痴に方向音痴だし」

「だからー、そういうのじゃないんだって」


 やっぱりお母さんは遺物カセキだな、とため息を吐く。


「確かに、五感かんかく他人ヒト送受信やりとりする機能アプリもあるよ? でも、それは互いのエリートフォンに直接端子をつなげた場合。安全性の観点から五感かんかくを電波やネットに送信するのは“非表示サイレント”になってるの」

「その非表示っていうのがよく分からないのよ」

「もうっ、何回も説明かいせつしてるじゃん。非表示サイレントは自分の感覚を規制フィルターできるエリートフォンの機能アプリ! その規制フィルター水準レベルを共有できることを感覚共同体センシティブコミュニティって言うの」


 スマートフォンの次世代型モデルとして生まれたエリートフォンは、国内普及率96%のモバイル端末で、今やこの社会じだいの生活必需品デバイスと言っても過言ではない。耳の裏側に付けることで使用者ユーザーの感覚と接続リンクできる。原型プロトタイプとも言える装置が障がい者の補助器具サポーターとして広まって、市民権を得る先駆けとなったのはもう一昔前のことだ。


 雑音おと悪臭におい苦味あじ不細工ひかり――使用者ユーザーの感覚器官に接続リンクするエリートフォンはありとあらゆるものを自分の五感かんかくから排除ブロックできる。そして、先ほどの不適切フカイな描写を含む番組コンテンツのように、“非表示サイレント”にした使用者ユーザーが多ければ多いほど他の使用者ユーザーにも“表示きょうゆう”されなくなる。

 つまり、我々わたしたちのクリック一つが世界の感覚かんきょうすら変えうる――それが感覚共同体センシティブフィルターなのである。


「でも、でもね? 感じ取れなくなったら寂しいものってきっとあると思うし」

「寂しいなんてないよ。だれからも認識されないものは存在しないのと同じだし」

「そう言ってもね、マナカの腕とか……」


 とっさに左腕を隠すように右手で抑える。きめ細やかな凹凸デコボコひとつない感触。ただの真っさらな美肌しろさだ。

 けれど、お母さんには見えているのだ。わたし非表示サイレントにしたソレが。


 だから早くエリートフォンで見せなくさせたいのに、と喉元まで出かけた悪態ことばを呑みこむ。


「お母さんは心配しすぎ。いざとなったら規制機能フィルターアプリ停止OFFにすれば……」

「? どうしたの?」

「あ、ごめん。SNSで気持ち悪い画像が流れてきて」


 わたしは思わず口を覆っていた。


 ◯現代芸術作品集 @policeart

 No.20351129-KKYM タイトル「わたしたち」


 その文言ツイートに添付してある画像は、脚だった。放りだされた一本の脚が、太ももより上が文字通り切り取られて置かれている。脚の赤黒い断面図がこちらを覗いていた。


(すごいリアル……実物ホンモノ、じゃないよね?)


 そのアカウントはシュールレアリズム系の造形芸術を制作しているらしい。


(芸術が言い訳になる時代しゃかいじゃないよ)


 『#護美を告発せよ』とハッシュタグだけを付けて引用リツイートする。


 見たくもないのに――非表示サイレントに設定するためにはしかたないが――またその画像を見てしまう。心に秘めた記憶がざわついてやまない。


 わたしはもう一度左腕を抑えた。


 あれはまだ小学生こどもだったころ。わたし友人ともだちと理科の実験ではしゃいでいた。実験はじゃがいもにヨウ素液をつけるようなもので、危険性はなかったはずだった。けれど、棚の上に置いてあった薬品入りのビンが友人ともだちに落ちてきた。とっさに庇ったが、薬品は友人ともだちの顔の左半分を焼いた。


 その薬品は同級生クラスメイトが作ったもので、「漫画に描いてあって自分でも作れると思った。実際に作れたら怖くなって学校の棚に隠した。」そう供述したのだ。


 エリートフォンの登場で創作表現の環境が良くなったかといえば、そうじゃない。むしろ表現は悪化かげきかした。出版社どくじの自主規制ではなく感覚共同体たすうけつに委ねるべき――読者による自己責任と表現の自由の論調いいわけに、表現の無責任が増えたのだ。


 表現の無責任に対抗するために生まれたのが個の自治体クリニストと呼ばれる思想――クリニズムだった。


 私は許せなかった。あのクラスメイトも、そんな子供の手の届く範囲にあった有害図書コンテンツも、手術しても消えなかったわたしキズも、友人ともだちを傷つけた世界も、許せるはずなかった。


「……友人あのこの名前、なんて言ったっけ」


 友人ともだちは結局不登校になり、連絡もしなくなってもう十年以上経っていた。


(どうしてるかな。また元気な顔を見たいな)


 そのとき。

 電子音がピロンッ♪、と鳴った。なにかSNSに通知アクションが入ったようだ。


「……うざっ」


 通知欄には返信リプライが入っていた。


 ◯沙織LOVE @saori_Love

 @manaka_ai

 やっと見つけた。テメェか。クリニズムとか個の自治体だとか知らねぇけど絶対許さねぇからな。これはドラマ楽しみにしてた全員の意見だ。そもそも原作は死体事件が起きる前から連載…


 知らない名前IDだ。

 アカウントページを開く。この手のアンチは無視が一番なのだが、こいつからはある種の香ばしさニオイが……。


(あはっ、発見〜! 炎上させる失言ねんりょう!)


 言葉こえには出さないように舌舐めずりだけして、報告ツイートを作成する。


 ◯愛佳🧹 @manaka_ai

 皆さん、助けてください。 「〼ね」とか「キチ〼イ」とか言ってる変な人(@saori_Love)に絡まれました。恐怖で震えるしかできません。皆さんも気を付けて! #護美を告発せよ


 画像スクショを添付して投稿、と。

 一人は皆のために、皆は一人のために。フォロワーがどんな反応してくれるか楽しみだ。


「あれ?」


 お楽しみデザートは後で――敢えてここでウィンドウを閉じて、まずは目の前の肉料理ハンバーグを食べきろうとした。しかし、フォークで突いた皿に肉料理ハンバーグはすでになかった。


 気付かないうちに食べ終わったのだろうかとも思ったが、悪寒いわかんが背中に張りついて離れなかった。


 なにか視線を感じる。白い皿だけが、自分こちらを見返してくる。


「どうしたの、マナカ?」

「え、あ。その……なんか体調悪いかも」


 気のせいだとしても不気味なことには変わりなかった。わたしは早々に食事ディナーを切りあげて自室へと向かうことにした。


「熱はなさそうだけど、今日はもう寝ようかな。その前に通知ちょっとだけ……」


 SNSを開いて通知欄を確認する。


 ◯沙織LOVE @saori_Love

 @manaka_ai

 無駄だぞ、ま〼か。お前の言葉はだれにも届かない


 ただのムカツク言葉の羅列。見なきゃよかったとも思ったが、動画メディアが付属されていた。


「……ライブ映像?」


 なにかイヤな感じがする。感覚共有いほうどうがではなさそうだけど、と訝しみながらも再生ボタンを押す。


「……え?」


 その映像こうけいは見覚えがあった。けど、ありえない。だって、それは今見ている視野セカイと同じだったから。自分の部屋のライブ映像が流れているのだ。


「な、なんで!?」


 何度見比べても変わらない。家具の配置もなにもかも一緒。いや、一箇所だけ違う。


(目線の位置がわたしより高い!)


 とっさに振り返る。ただの仏頂面のドアがそびえ立っているだけだった。けれど、視線けはいを感じる。


「だれ?! だれかいるの!」


 気のせいじゃない。だれかがこの部屋にいる。こちらを見下ろしている。わたしはソイツの正確な位置を確認するために映像ライブを見直した。


【この映像には ※非表示共有サイレントモード※ が含まれています】


 映像ライブ警告文テロップが表示されていた。そして、ぷつりっ、と。映像メディアが真っ暗になった。


「こんなときに……えっ?」


 その時。

 視界めのまえに名状しがたい変化が起きた。


 端的にその現象を言うなら、


 家具か〼゙いぐるみ、壁紙か〼が〼、すべて溶けていく。いや、


「なに、こr ……!」


 自分〼ぶ〼こえが不自然に途切れる。思わずのどを当てがう。しかし、それは叶わなかった。だって、  じぶん がなかったから。 のどが、 からだが、  じぶん


「   ……?!      、   !   ……!?     っ!        」


   ことばこくうに埋もれる。なにが起こっているかわからない。


                

  だれにも届くことがない さけびだけが  へやに響いて、消える。


   すべてが存在しなくなった  セカイに、文字テロップが表示される。



【アナタは ※レベル:非表示共有サイレントモード※ により表示から削除しました。】



 そして。



   すべて  きえた














 








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