第25話母さんの動画の方針変更

「ショウちゃん、その……」


 間違いが起こりそうになったので、母さんを部屋から追い出した翌日のことだ。母さんの声が部屋の外からドア越しに聞こえてくる。


「母さん。その……とりあえず入ってよ」


「ショウちゃんの部屋に母さんが入っていいの? 母さん、ショウちゃんにやけどさせちゃったのに……」


「それはもういいから、母さん」


 俺の部屋に嬉しそうに入ってくる母さんを見ているとなんだか不思議な気持ちになってくる。子供の頃、学生時代はもちろん、引きこもってからは俺以外は誰一人として入ることがなかった俺の部屋に母さんがいる。人妻の色気をたっぷりと漂わせた母さんが。


「母さん、昨日あれから俺もいろいろ考えたんだけどね」


「うん、なになに、ショウちゃん」


「動画配信では俺はいない方がいいと思うんだ。母さんが女子高校生だった昔やってたみたいに、古典をやって、その解説をやって、最後にパロディで終わらすって言うのがいいと思うんだ」


「え、ショウちゃん。なにか母さんのやり方まずかったの? 母さんのせいでショウちゃんはテレビに出なくなっちゃうの?」


 ネットでの動画配信をテレビといっしょくたにしている母さんの最近のテクノロジーにうとい様子は、二十年前からタイムスリップしてきたと言うにふさわしい感じだ。しかし、俺が表舞台に立たなくなったことを決意した理由は母さんが悪いからではない。いや、正確には母さんに理由があるのだが……


 俺の知らない女子高校生の頃の母さんを知っているじいさんどもが、母さんの動画につけるコメントを見ながらでは俺はとてもじゃないが動画に出られそうにないのだ。そんな女子高校生の頃の母さんを想像させるようなコメントをされては、俺がどうにかなってしまいそうだ。でも、そんなことはとてもじゃないが母さんには言えない。


「いや、そうじゃないんだよ。母さんはアイドル落語家としてこれからやっていくんだからさ……やっぱりそんな母さんに男の影をにおわすのはまずいよ。アイドルは恋愛NGじゃない」


「ショウちゃんがそう言うんだったら、母さんはそれでいいけれど……」


 昨晩のうちに俺が考えておいた適当な言い訳に母さんは納得したみたいだ。実際、昨日に俺が母さんとやった寿限無の解説動画のネットでの評判を確かめて見たところ、俺はいらないと言う意見がかなりの割合を占めた。母さんと同世代……三十七歳の母さんではなく、五十七歳の母さんと同世代のファンからしてみれば、男がいるだけで吐き気がするのだろう。


 そういうことで、動画が全世界に向けて生配信される最中に俺が母さんに何かしでかさないためにも、そして動画を見る母さんのファンに満足してもらうためにも、俺は裏方に徹することにした。引きこもるような俺のメンタルならそっちのほうがいいに決まってる。


「それじゃあ母さん、昨夜に母さんがやった『権助提灯』でいこうか。昨日はああだこうだで俺が母さんから落語してもらっただけになっちゃったじゃない。今日はその続きってことで。あ、でも、母さんがほかのやつをやりたいって言うのなら、俺は別にそれでも……」


「ショウちゃんがそう言うのなら、母さんやりたい話があるの」


 母さんにそう言われて俺は安心した。もともとの古典落語の方はともかく、母さんのパロディの方はネットのおもちゃにされたくない。母さんがろうそくであつがって喜ぶ姿は俺だけのものにしておきたい。


「そうだね。そうしようか、母さん。で、どんな話を母さんはやりたいの?」


「『子別れ』なんだけどね、ショウちゃん」


 『子別れ』……なんだか嫌な響きのタイトルだ。


「そ、それってどんな話なの、母さん」


「それなんだけどね、ショウちゃん。母さんこれから古典のオリジナルの方をやって、その説明をやって、最後にパロディをやるんでしょう。だったら、ショウちゃんの前で『子別れ』やった方がいいんじゃないかなって思うんだけれど……」


 それもそうか。俺はその『子別れ』がどんな話か知らないんだから、母さんに最初から最後までやってもらった方が手っ取り早い。それにしても……母さんが古典をやるのか。昨日母さんを俺の部屋から追い出して、俺もいろいろ調べて見たが……落語には昔から伝えられてきた古典と、現在になって作られた新作があるらしい。


 母さんの作ったパロディは古典が下敷きになっているとは言え、新作になるだろう。では、母さんが昔から伝わってきた古典をやるとなると、それはどんな感じになるのだろうか。わびさびのあるエロスを俺に感じさせるものになるのだろうか……


「そ、そうだね。それがいいよ、母さん」


「じゃあ、始めるね、ショウちゃん。母さん、張り切って準備してきたんだから」


 言われてみると、母さんはきっちり着物を着てきている。相変わらず夫に相手にされない寂しさを感じさせて風情がある。それでは、そんな人妻の母さんの落語を聞くとしよう。

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37歳の引きこもり息子の部屋に20年前の37歳の母親がタイムスリップしてきて将来食うに困らなくしてくれます @rakugohanakosan

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