第3話 死
その後、僕は森の中で色々な事を学びました。教えてくれたのは森の長でもあった鹿さんや、熊さん。それにキツネさんも沢山のことを教えてくれました。
食べてはいけないキノコや、森のルール。生き抜く為に必要なこと。挙げたらきりがありません。そしてその中でも特に人間たちは馬鹿である、と動物たちは口を揃えて言っていました。あいつらは頭の悪い間抜けであると。
「……知識も能力も、圧倒的に人間が優っているだろうが」
余りにも滅茶苦茶な言動に、呆れ半分怒り半分で抗議の意を表す。確かにここまでの話も奇妙であり、信じ難くあった。しかし、今回の話だけは明らかに詭弁にも等しい。
ここまで科学や医学を散歩させて来たのは誰であろうか。ここの森を整備しているのも、地球を支配しているのも自分達人間であるはずだ。そんなもの比べる訳も無く、人間が勝っているだろう。
まぁ、落ち着いてください、とハシラはにこやかに微笑み、また話を続け始めた。
「確かに、彼らは森以外の事についてなにも知りません」
動物たちは生き残る為に必要な知識は人間と同様、またはそれ以上に物知りです。しかし彼らは人間特有の学問────いわゆる数学、天文学、言語の知識は皆無と言っていいでしょう。
「空にある星々を蛍と勘違いしていたことは、とても微笑ましかったですよ」
「はっ、そいつはおもしれェ」
ケラケラと喉を震わせて、男は笑った。
確かに獣たちにとっては星の存在を理解できるはずが無い。身近にある蛍と同一視する事もあるはずだ。
「だからこそ、言っていたのでしょうか?崖から飛び降りる人間達は、遠くにいる蛍を捕まえようとしているのだ、と」
少年は、微量に憂いを浮かべた瞳で空を見上げ続けていた。まるでこちらの存在を忘れてしまっているかのような視線に、再びよくわからない苛立ちを感じる。
「ふざけるんじゃねェや。獣如きに俺ら人間の気持ちがわかってたまるかよ」
やっと絞りでた自分の言葉は、我ながら怒りに満ちていた。
ここから飛び降りに来る人間達は、決してそんなふざけた理由で飛び降り自殺をするのでは断じて無い。仕事、人間関係、容姿、恋愛、社会的地位。それらどれかのストレスや悩みを抱え逃げ道も塞がれ、最後の手段として苦しみながら死に救いを求め死んでいくのだ。それを動物たちが馬鹿にしているなんてなんと腹立たしいことか。
「動物たちから見れば、人間のしていることが理解できないのでしょう」
少年は少し語尾を荒くし、眉をひそめた。それが苛立ちなのか、悲しみなのか、今の俺では判別できない。
動物たちは厳しい自然の中、毎日を力強く生き続けています。中には親兄弟を自分が生きるために殺す事だって、珍しい事ではありません。
動物たちは必死な思いをして勝ち取った勝利の報酬────それが『生』なのだと思っているのです。
だから崖から飛び降りる人間の事が、たまらなく滑稽で、馬鹿な奴等だと笑っていたのでしょう。自然界では生き残ることこそが貴方たちの言う正義なのですから。
そう言ってハシラはまた、ぎごちない動きで無理やり笑みを作っていた。視線を空からこちらに移し、貼り付けた仮面の様な嘲笑にも近い笑みをこちらに向けた。
「自らの手で死を選ぶなんて、愚の骨頂ですね」
我慢が出来なかった。
何に対する憤怒なのか、全く理解できぬまま気付いたら条件反射の様に少年の頬を殴りつけていたのだ。乾いた音が静寂の中響き渡る。殴られた後、ハシラの頬の青白い肌が、赤く染まっていくのをただ黙って見ていた。
土の上に倒れこんだ少年は泣き喚く訳でも、怒りを露わにする訳でもなく、しばらくの間無言でいた。そして、ムクリと起き上がり今度は近くにあった切り株に腰をかけた。赤く腫れた頬をそのままに、こちらを覗き込む様な観察眼に近い瞳でこちらを見る。
「すいません、どうやら地雷に踏み込んでしまった様ですね」
「いや……、俺こそ悪かった」
反省しているのかしていないのかわからない口振りで、謝罪を述べる少年。しかしこちらが十割悪いのは火を見るより明らかだ。感情の赴くままに人を、ましてや子供を殴りつけるなど。
「僕も、あまりそんな事を言うつもりはなかったのですが……。気付いたら口から出ていました。すいません」
少年は少し動揺しているのか、今まで以上にぎごちない笑みを浮かべていた。片方の口角は上がりきっているのに対し、もう片方は横にまっすぐ伸びているかのような口角であった。
「お前の言ってる事は最もだ。正論中の正論、むしろ獣たちの言う事はあながち間違いでもない」
むしろおかしいのは、俺たち人間の方であるのかもしれない。そう思える程に、ハシラの意見は正しかった。ましてや動物だけでは無い。当の人間であっても自分の思考や感情が何故そうなるのか、説明出来ない時が多々あるのだ。
神が死んだ夜 りゅう @ryuga911
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