第2話 蝉


少年は何とも不可思議な子供であった。

年齢も、出身地も、親のことでさえも一貫して『知らない』と首を横に振るだけ。手に入った情報は名前が"ハシラ"であると言うことだけだ。

さらにここら近くに生まれてから今に至るまで住んでいるらしく、現代的な機械には疎いらしい。どうやら先程言っていた『飛び降りのたびに来る人工的な光』とは救急車やパトカーのことを表しているのだろう。


「本当に何も知らねェんだな」

「そうでしょうか、あまり意識したことはありませんが」


ハシラは服が泥で汚れるのを気にせず、最寄りにあった大木に背を預ける。そしてそのまま真下へ流れる様に座り込んでしまった。浴衣は土や泥で、白い紙に墨汁を垂らしたように段々と、しかし着実に汚れてしまう。

ポケットの中で、いつのまにかくしゃくしゃに小さくなっていたハンカチを手渡そうと腕を伸ばした。

だがハシラはそれを拒むように手のひらをこちらに見せ、無言で首を横に振る。


「この土たちは僕という存在のみなもと。だから触れていると落ち着くのです」

「なんだそりゃあ……、お前は土から生まれたとでも言うのか? 」


小馬鹿にする様、鼻息であしらう。しかしハシラは当たり前の事だ、と言わんばかりの無表情で話し続けていた。


「はい、僕はカミサマなので」


ハシラは土をリズミカルにポン、ポンと触りながら答える。世間話のように何食わぬ顔で話している少年に、薄気味悪さを感じた。


「そりゃあ、面白い。俺は死ぬ前に神様に会っちまったって訳だ」

「えぇ、そうですね」


ハシラは煽りとも取れる男の言動にも動揺せず、ハキハキと答える。その悠々自適な態度が気に食わなかった男は、試すようにある質問をした。


「じゃあ、お前はどうやって生まれてきたんだ?親がいなければ生まれてくる事など、出来やしないだろう」


少年は質問という名の挑戦状に、少しだけ顳顬こめかみを動かす。そしてまた、自らの顎を手で押さえ考える素振りを見せた。


しばらくして、ハシラは細長く今にも折れそうな指を上空に向け指し示す。つられて空を見渡すと、先程の真っ暗闇の空とは違い、『満点の星空』とベタな表現では足りないと思う程、それは見事な夜空が視界を覆った。

ちょうど今の位置からだと、周りの雑木林は空を見るのに邪魔にはならず、むしろ星空という一枚の絵画を彩る為のフレームになりつつある。

普段、携帯や仕事ばかりで下を向いていた首が久々に上を向き、キリキリと悲鳴をあげていた。しかしその痛みを気にならない程、その夜空は壮大で、美しいのだ。


「あの数々の星と、僕は同じです」


星は様々な環境の偶然と必然が織りなす『奇跡』。親など存在せず、生まれた時から死ぬまで孤独な一つの生命体。それが星であり、自分でもある。

そう言ってハシラは一呼吸空け、ポツリポツリと話し始めた。

こんな茶番劇、と止める術もあったのだが何故か身体が何かに縛られているかのように動かない。まるでこの少年の虚言話を、本能が『聞け! 』と命令しているようだ。



僕は気付いたら土の中で眠っていました。それこそ意識を覚醒させ、自意識を獲得するまでの長い間丸ごとです。ここらの記憶は茫然としか覚えていませんが、近くにいた幼虫の蝉さんがずっと一緒に居てくれたのは覚えています。


彼とは他愛のない話ばかりをしていました。今日は土が湿っているから、寒いねとか、今日は蒸し暑いね、など本当に退屈な話ばかりでしたが。

ですが、いつも一日の最後には地上の話をしてから眠っていました。地上はどんな所なのだろう、地中にも微かに届く光は何処から出ているのだろう、と語り明かしていました。

彼はいつも言っていました。

地上は良いところだ、なにせ自分の兄弟は誰も地中に戻ってこない。そんなに長居をするなんて、よっぽど素晴らしい場所なのだと。


土の中とはいえ、蝉さんには沢山の敵がいました。中でもモグラさんは厄介でしたね。蝉さんを隙あらば食べようと、毎回毎回意地悪をして来ました。

その度に僕が威嚇して追い払っていたので、彼からは感謝の印に、地上に出るときは連れて行ってやると言ってくれました。


そうして何年か過ぎたある夏の日に、彼は唐突に 今日地上から出て行く、と言い出しました。僕の方が体が大きかった為か、出るのに時間を割いてしまい一日遅くなりましたが無事、二人とも地上へ出ることが叶いました。


しかし僕が地上へ出た時、彼はもう死んでいました。腹わたを食い千切られ、もう瞳には地中の中で見た光は宿していない姿で地面に転がっていたのです。カラスさんに食べられてしまったのか、それとも蜜蜂さんに殺されてしまったのか。今となってはわかりません。

それを目の当たりにし、僕は泣き出しました。蝉さんが死んだからではありません、自分にも等しくこの『死』が訪れるであろうことを、本能的に察知したからです。

僕は泣いて、泣いて、泣き喚いていました。




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