チャットルーム

由希

チャットルーム

 チャットルーム。かつてネット交流の中心だったサービス。

 だがツイッターの進化にSkypeやLINEの普及と、交流ツールが充実した今では殆ど利用者もいなくなった。

 現在は削除が面倒だからとそのままにされたチャットルームが、ネットの海に点在するばかり。これらはサービス提供元がサービスそのものを終了するまで、ずっとそこに在り続ける。

 だがそんなチャットルームの中に、一つ、呪いのチャットルームがあるという――。



『呪いのチャットルーム?』


 ある日の夜。友達の将也まさやが、LINE通話中にそんな話題を切り出した。


『そう。一度入室したら最後、退室したら死んじまうんだってさ』

『俺らが生まれる前のネット怪談に似たようなのあった気がするけど』

『あれは単なるネタじゃん。これはガチガチのガチなんだって』


 そう言って結局ガセだった話を過去何回聞かされたか。そう思いつつも、俺は将也に話の続きを促す事にした。


『で、そのチャットルームがどうしたって?』

『これから二人で入室してみねえ?』

「え?」


 意外な申し出に、思わずリアルに声が出てしまう。まさか本当に、そのチャットルームを見つけたのか?


『入れるのか?』

『アングラ掲示板に、それっぽいチャットルームのURLが貼ってあったんだよ。今お前にも送るわ』


 そう言って、将也は一件のURLを送信してきた。俺はスマホを手にしたままノートパソコンを開き、パソコンからそのURLにアクセスしてみる事にする。

 出てきたのは何の変哲もない、シンプルなデザインのチャットルームだった。ROM禁に設定されているらしく、外から中の様子を覗き見る事は出来ない。


『別に普通のチャットルームじゃん』

『よく見てみろよ。提供元へのリンクがどこにもないだろ?』


 言われてサイトを探してみると、確かに通常ある筈の、サービス提供元へのリンクがどこにもなかった。という事は、個人が一からプログラムを組んだという事か?


『本当に入るのか?』

『何? ビビってんの?』

『ちげーよ馬鹿』


 強がってはみるものの、ここまで信憑性が出てきてしまうと少し尻込みするのも事実だ。もし呪いなんてものが、本当にあるとしたら……。


『まぁいいや、俺はスマホから入るから話の続きはチャットルームでな』


 それだけ言うと、LINEはシンと静かになった。代わりにチャットルームが更新され、『入室者:1』と表示される。


「……クソッ、ビビリだ何だって後でからかわれたくないしな」


 小さく毒吐いて、俺もまた名前を入力して入室のボタンを押す。すると画面が切り替わり、チャットルームの内部を映し出す。


「……中も別に普通だな」


 ディスプレイに映った内部は、これまた普通としか言い様のないチャットルーム。強いて言うなら、ログが午前零時のログ消去のものしかないのが変わった点か。


『お、来たか』

『見た目は全然呪いっぽくないな』

『しかも今日の午前零時きっかりにログ消してるしな。これ手動だとしたらこのチャットルームまだ生きてんじゃねーか?』


 だとしたら拍子抜けだ。誰かが定期的に利用してるんじゃ、呪いも何もありゃしない。


『やっぱり今回もガセだって』

『俺もそんな気がしてきた。今回こそは!って思ったんだけどなぁ』

『本当だったら俺ら死ぬじゃねーか』

『それもそうだな。じゃあ退室するか』

『だな』


 将也に同意し退室ボタンを探す。だが俺は、ここでやっと気が付いた。


 このチャットルームには、退室の為のリンクがどこにもなかった。


「……プッ」


 成る程。退室すれば死ぬ。でも退室する事は出来ないから、決して死ぬ事はない。使い古されてはいるが、よく出来たジョークだ。


『なー、このチャットルーム退室出来なくね?』

『出来ないな』

『なーんだよそれー。もういいわ。LINEに戻るべ』

『おう』


 俺もチャットルームの窓を閉じてパソコンをスリープさせ、スマホに集中する。その日は、それで終わった。



 それから数日後、俺と将也は大学のレポートが終わった打ち上げで二人で居酒屋で飲んでいた。お互い女っ気のないのが悲しかったが、その分気楽に飲めるので、それほど現状を嘆いている訳でもない。


「げ、ヤベ」


 飲みながらスマホを弄っていた将也が、不意に声を上げる。どうしたのかと、俺もスマホに落としていた視線を上げて将也を見た。


「どした?」

「スマホの充電切れそう」

「ゲームのやり過ぎだよ馬鹿」

「うるせ! 頼む、頼む切れるならこの周回終わってからにして……あああああ切れた!」


 大声で喚く将也に、周囲の目がこっちに集まる。流石に迷惑だと俺が文句を言おうとした、その時。


 どろり。


「……あ?」


 将也の両の目から、突然、赤い涙が溢れてきた。いや、涙じゃない。鉄臭くてどこか粘りのあるその液体は――血。


「な、何だよこれ。何だよ、何だよこれ。前が見えねぇ」


 水を掻くように両手をさ迷わせた将也の目から、鼻から、口から、耳から。ありとあらゆる穴から、泉のように血が涌き出てくる。


「ゴポッ……なぁ、俺、どうなってるんだ、誰か、助けて、誰か――」


 その言葉を最後に、将也は全身の毛穴から血を噴き出して倒れた。それに誰かが悲鳴を上げたのを皮切りに、辺りは阿鼻叫喚の騒ぎと化す。


「……どうして……」


 動かなくなった将也を見ながら、俺は、ただ呆然とその場に固まっていた。



 やってきた救急隊員に強引に救急車に乗せられた俺は、感染症を疑われて病院で精密検査を受けた。それほど、将也の死に様は異常だったんだ。

 けれど検査の結果は異常無し。健康体である事が解ると、俺はアッサリと病院から解放された。

 そこからどうやって家まで帰ったのかは覚えてない。気が付けば夜になっていて、俺は真っ暗な自室のベッドに着替えもせずに座っていた。


 将也の死に様が、頭から離れない。


 あんな死に方、一体どうやったらするのだろう。あまりにも現実感のないものを見てしまったせいで、将也がもうこの世にいないのだという事も何だかまだ実感が湧かない。

 直前まで、普通に会話していたのに。まるで呪い殺されでもしたみたいに――。


「……呪い?」


 浮かんだその単語に、俺は慌ててノートパソコンを開く。履歴を辿ってあのチャットルームを開くと、まだ入室中とみなされているらしくディスプレイはチャットルームの中身を映し出した。


 ――入室者、1。


 入室者の欄には、そう表示されていた。その一人というのは、俺で間違いないだろう。


『退室したら死ぬ』


 そんな言葉が、今更になって蘇る。何故だ? 窓を閉じても入室したままになってるのに、どうやって将也は退室した?


「……あ……」


 その時、俺は思い出した。そうだ、あの時将也は。


「……スマホの充電が、切れた……」


 このチャットルームに、あいつはスマホから入っていた。そしてスマホの電源が落ちた途端、死んだ。

 つまり……。


「ノートパソコンの電源が落ちたら、最後……?」


 一気に全身に鳥肌が立った。寒くもないのに、体の震えが止まらない。

 嫌だ、死にたくない。俺はまだ、死にたくない!

 俺は急いで、ノートパソコンを充電器に繋いだ。そしてそのまま、パソコンを閉じてスリープさせる。

 これでいい。後はこのまま、ノートパソコンを放置して触らなければいい。それだけで、俺の命は守られる――。


 そう俺が思った直後遠くで雷の音が鳴り響き、窓の外の明かりが一斉に消えた。


 嘘だろ? 停電……!?

 ま、不味い! 充電中に雷が落ちたりなんかしたら……!


 半ばパニックになりながら開いたノートパソコンは――真っ暗で、何も映してはいなかった。


 おい、待てよおい、違うだろ? 壊れてなんかないだろ?

 祈るように、何度も何度も電源ボタンを連打する。それでもスリープは解除されない。

 頼む、頼む、点いてくれ、お願いだ、頼む――!


 どろり。


 そう必死に祈る俺の目から、真っ赤な何かが溢れ出た。






fin

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チャットルーム 由希 @yukikairi

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