桜の決心

小さい頃からよくいえば感情表現豊かな、悪くいえば情緒が不安定な子供だった


嫌いな納豆が朝食に出れば激しく泣いて、と思ったら大好物のヨーグルトに笑って、これはブルーベリー味だ苺味を出せ。と激怒する。


そんなわたしを周りの大人は扱いあぐねていた  


桜さんはもっとみんなと同じペースで生活する練習が必要なようです。


小学校一年の時の担任にこう書かれた母は、連絡帳を持って泣いていた


ノイローゼになっていたのだ。


そんな中、唯一周りに起きる迷惑ではなくわたしの心を見てくれたのは、祖母だった。


「この子は感受性が強いだけなんだよ。」


今でもはっきりと覚えている。


わたしが癇癪を起こすとその腕の中にわたしを抱えて話しかけてくれた。


「桜はとっても感情を表現するのが上手ね。どれだけ悲しくても泣けない人もいるのよ。それを長所だと誇りなさい。」


なだめる声も、叱る眼差しも混乱の中にいる私に届いたことはなかったのに。


祖母の言葉だけはすんなりと耳に届いていつのまにか泣き止んでいるのだった。


祖母のことが大好きだった。


放課後にはよく彼女の家に預けられて、彼女との時間を存分に楽しんだ。夏には苺のシャーベット、冬には牛乳寒天を一緒に作るのが恒例だった

「グレープフルーツを入れるとおいしいのよ。」


広い庭と畳の匂いがする大きな家。


祖父を早くに亡くした祖母は

その手入れを全て自分で行っていた


チャキチャキした祖母の人柄がよく現れている空間だった




自分の心を言葉で表現することの大切さを教えてくれたのも祖母だった


「どうして泣いているのか、なぜ悲しいのか

それを表現する言葉は桜を守る鎧になるのよ、それは、硬くても柔らかくてもダメ。言葉を優しく跳ね返す、しなやかな鎧を身につけなさい、桜。」


そんな祖母の病気に気がついたのは

大学2年の冬のことだった


三年前の旅行のことを「もうすぐだ、楽しみね」と発言するのも、わたしの学年を間違えるのも、年相応の老化だと思っていた。


念のため受診した病院で思いがけない診断が出た。


時間旅行症候群。


認知症と間違われやすい奇病。ある一定の区間に繰り返して記憶が自分の過去に戻ってしまう。

記憶だけ過去に戻った患者にとって、現在は体験したことのない場所、人のいる空間であり、恐怖感を強く感じることが多い。記憶は新しいものから少しずつ消えていく。だが、親しい人を判別できたり、まれに現在に戻ってくることもある。治療法はまだ見つかっていない。


ネットで検索すると、だいたいこのような情報が出てくる。


想像通り泣き出す母親と取り乱す父親。


施設という言葉が行き交う話し合い。


私は自分でも驚くほど落ち着いていた。


ばあちゃんと、いや、咲さんと一緒にタイムスリップすることを決心したのだ。 



それからは思ったよりも早く決着がついた。


咲さんと一緒に暮らすことにし、大学に行っている間のヘルパーを選び、タイムスリップしても落ち着けるようなるべく部屋を昔のように保つ。


もちろん母も父も反対した。でもわたしが今1番やりたいことだと反論すると協力してくれた。


行動に移すのは難しいけれど、想像するのは容易だった。


咲さんの目線に立って考えるだけだ。


「素敵な能力を持って生まれてきたね」


ばあちゃん、孫の最後の精一杯能恩返しのつもりなんだ、できてるかは、わからないけど。


たとえあなたの記憶からわたしが消えようとも、もう一度あなたと繋がりたい。


ありがとうと伝えたいんだ。











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