ゆるやかな日常
「タキエルッ……!」
「ようやく出てきましたか。お帰りなさい、マスターさん」
扉を開けると、強い光に照らされるタキエルが笑顔で俺を迎えてくれた。
相変らず身体は重いけど、鬱屈としていた心はパァァっと晴れ上がるような、爽快な気分になる。
滞っていた血液が動き出し、心臓がドクドクと脈を打ち出した。
まぶしい光に瞳孔が引き締まるのを感じる。
「久しぶり、タキエル」
随分と長いこと引き籠もっていた。
一ヶ月か二ヶ月か。覚悟を決めようとして、決めきれず、甘さを捨てようとして捨てきれず、随分と長い間寝込んできた気がする。
それだけ長い時間引き籠もって、ベッドに沈んで。それでも全く晴れてくれなかった心は、タキエルを一目見るだけでこんなにも軽くなる。
あぁ、俺は馬鹿者だ。
どうして、こんな簡単なことにもっと早く気付けなかったのだろう。
こんなことなら、最初っからタキエルに慰めて貰えば良かったかもしれない。
しかし言っても、過ぎたこと。
「一ヶ月ぶりか、二ヶ月ぶりか……一体どれだけの期間、俺は引き籠もってたんだ? ずっと暗い部屋に一人でいたから、日付の感覚がなくなってて」
「え~っと……五日くらい、ですかね?」
「い、五日!?」
「はい。五日です」
そんなバカな。
体感では一、二ヶ月――いや、下手すれば一年とも思えるような長い時間だった。それに、勇者だって拷問に耐えかねて大切だったはずの仲間の記憶を忘れ、挙句の果てに大嫌いなはずのゴブリンメイガス・闇にストックホルム症候群的な恋心を抱いていた。
「で、でも、タキエルの訪れる頻度が段々長くなったような……」
「それはないです。毎朝同じ時間にノックしましたし……純粋に引き籠もっていたせいで、次第に体感時間が長くなっていっただけかと」
「いや、で、でも……」
なおも食い下がる俺にタキエルはポケットから携帯電話を取りだし、日付を見せてくる。
そして、ヨーロッパに行った時の写真を見せられて――その日付は確かに今日の五日前の日程を示していた。
「……ま、マジで?」
「マジです」
……なんだよ、俺。たかだか五日程度の引き籠もりで「あぁ。なんだか随分長い間引き籠もっていた気がする」「長い間ベッドに沈んでも晴れなかった鬱屈とした心がタキエルを一目見ただけで晴れたよ」とか思ってたの?
クソ恥ずかしいやつじゃん!
……顔が火照ってくる。
引き籠もっていた間、動かなかった血液があり得ないほどに回り、青白く変色していたであろう俺の顔は間違いなく紅く染まり始めている。
心臓も無駄にバクバクうるさい。
俺は扉をそっと閉じ、この恥ずかしさを誤魔化すように、本気で一、二ヶ月程引き籠もることを決意したのであった。
コンコンコンコン。
「マスターさん! 出てきてください! 出てきてくださーい!!!」
◇
……と、冗談はさておき。
実際問題、引き籠もっていようが引き籠もっていなかろうが、現状最大の脅威だった勇者を拘束した以上、特に俺がすることもやるべき事もないし、引き籠もっていてもなんの問題もないのだが、一人だとまた気が滅入って元の木阿弥になりそうなのでタキエルを家に招き入れた。
「じゃあ、ゲームでもするか?」
「良いですね! なに賭けますか?」
「そうだなぁ……」
そんなこんなで、アークゴブリン・闇が死に賢者と聖女を無惨に殺し、勇者を捕らえ精神を壊す――そして俺がショックで寝込むという、怒濤の一日も既に五日前の話。あの時の苦痛もトラウマも、忘れはしないが徐々に風化させ、また俺たちのゆるい日常が戻ってくる。
◇
タキエルとゲームをしたりご飯を食べたりパコパコしたり。
そんなこんなで日々を過ごしていたら、あっという間に一ヶ月の時が過ぎた。
アークゴブリン・闇が死んでしまったり、バフォメット・オーガ・赤が死んでしまったり、途中でアクシデントが多々あったものの、世界征服自体は盤石になりつつある。
世界中に散らばる勇者も基本的に引っ捕らえて、仲間を殺し勇者は監禁して拷問をさせて精神を壊しにかける。
その手順は、この世界じゃ珍しくなった純粋な黒髪黒目で『天叢雲剣』の使い手であるあの勇者だけでなく、どの勇者にも共通して有効であるようだった。
そして、その方法の最初の犠牲者であるあの勇者はもう幼児退行まで始めてしまったらしい。
そこまで精神を壊しておけば、万が一拘束を抜け出しても対処が容易くなるだろう。ただ、まだ言葉をしゃべれている辺り、安心も出来ない。
やるなら徹底的に。
最低限、勇者が言語を忘れるまで精神を壊して――出来れば半植物人間状態にまで貶めれば完全に無力化できたと言えるのだろうか?
少なくとも、現状ではまだ勇者は要警戒人物であることには変わりなかった。
だが、それ以上に現状最もこの『奈落の木阿弥』にとって脅威となり得る存在は女神だった。
勇者がアークゴブリン・闇との戦いで見せた女神との融合。
そして、その圧倒的な力。
融合自体はあの勇者以外に使える人間もいないし、女神も今の段階だと直接地球に介入して実力行使をする真似も出来ないようだった。
だけど、あの時の戦いで俺は改めて思い知った。
女神は、本気で大魔王を――俺たちを殺しに掛かってきている。
だからこそ、今後俺たちは自らの身を守るため女神をどうにかしなければ鳴らない時が必ず来る。
それが明日なのか来年なのか十年後なのかは解らないけれど。
それでも来たるべき時に、備えておきたいとは思う。
その為に、とりあえずは一ヶ月ほど前やり残していた世界旅行の続きをしようと思う。
もう勇者だってずっと見張っておかないといけないほど危険ではなくなったし。
まだ、見て回ってない土地があったから。
「タキエル……世界旅行の、続きを見に行かないか?」
まだ寝ているタキエルの部屋に、俺はそう声をかけた。
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