第149話_冷たい拘置施設で火を煽る

 三人で囲むテーブルは当初の予想とは大きく外れ、いつの間にか穏やかで親しい空気が流れていた。これもアシュリーの人柄によるものなのだろうか。考えるほど改めて、イルムガルドは良い人を連れてきたものだとモカは思う。

「そういえば、モカ?」

「はい」

 しみじみとそんなことを考えて紅茶を傾けていると、不意にアシュリーは何かを思い出した様子で彼女を呼んだ。モカは素直に首を傾けたけれど。

「イルが先日ね、あなたがもうすぐレベッカに病室を追い出されると予想していたのだけど……」

 思わぬ話題が投げ込まれ、咄嗟に取り繕うことができず、モカはぐっと言葉を詰まらせた。その様子を見たヴェナが、どうしてか、ふっと笑う。

「まあ、そうでしょうね」

「えっ」

 そして続いたヴェナの言葉にモカは目を見開き、やや大袈裟な仕草で彼女を振り返った。アシュリーも何度か目を瞬いてヴェナを見つめる。どうやらイルムガルドだけでなく、ヴェナも同様の予想をしていたらしい。

「ええと、つまり本当に、レベッカとは会えていないの? 大丈夫?」

 聞いて良いものかと悩みながら控え目に問うアシュリーに、モカは動揺を抑えつつ、とりあえず頷いた。しかしどちらの問いに頷いたつもりであるのか本人もよく分かっていなかった辺り、あまり冷静でもなかった。

 なお、アシュリーが此処にモカを呼んだのには、ヴェナとの間に立ってもらうという理由だけでなく、この件で本当にモカを心配していたからでもあった。イルムガルドが意地悪に笑っていたことを思えば、そこまで大きな問題ではないのかもしれない。けれど心配な気持ちが拭えなかった。アシュリーにとってレベッカとモカは、このゼロ番街で親しくしてくれる数少ない友人でもあるのだから。

「いえ、確かにレベッカからは、リハビリ期間は会いに来ないでほしいと言われています。でも連絡は毎日取っていますし、ご心配頂くほどのことでは……」

「そうなのね」

 重ねてモカが、今日送られてきた陽気なメッセージの内容を話せば、アシュリーは少し安堵の顔で笑い、ヴェナもレベッカらしいと言って親しみを込めて笑みを浮かべた。

「ですが、何故イルムガルドがそのようなことを?」

「私もよく分からないの、レベッカがリハビリに追い出されるだろうって」

「……それは、一体どういう」

「どうもこうも」

 この時モカはイルムガルドの真意をアシュリーに問い掛けたつもりだったが、口を挟んだのはヴェナだ。しかし、彼女も先程この事態を読んでいたと言わんばかりの物言いだった為、意見が聞けるならば願っても無い。既にモカは藁にも縋る思いだった。一人でずっと悩んでいたのだから。けれどヴェナの表情は残念なことに『親身』には程遠く、何処か呆れた色をしている。

「『レベッカだから』でしょう。あれは性格よ。モカに落ち度は無いわ。……ほとんどね」

「あるにはあるんですね?」

 完全に落ち度が否定されなかったので食い付くと、ヴェナは少し言葉を選ぶように沈黙し、視線を落とした。常に冷静な表情と態度をしていることを思えば、これはヴェナの『困った顔』だったのかもしれない。

「敢えて言うなら、無くもないと思っただけ。無いわ」

「本当ですか」

「ええ」

「その『敢えて』と言うのは?」

 引き下がろうとしないモカに、悩むような顔でヴェナが首を傾ける。自らの口であまり伝えたくない、のだろうか。彼女の口を割らせる――と言うとやや不穏だが――手段をモカは必死に考え巡らせる。その時、同じく考える様子を見せていたアシュリーがふと顔を上げた。

「……もしかして落ち度って、モカが『気付いてない』こと?」

「そうです」

 だから一体、何が。

 モカはそう叫びたいのをぐっと堪える。二人はモカよりも年上であり、礼儀を尽くさなければならない相手だ。と、元々は一番街のお嬢様だった身体に沁みついた教育が彼女を今、抑えていた。

 しかしもうWILLウィルに染まり、レベッカのような礼儀の「れ」の字も知らず全員に親しくフラットに接する人にも毒されたモカは、冷静な顔を保つことなく何処か子供のように不満な顔を見せた。

「分かりません」

 それを見たヴェナがまた淡く笑う。アシュリーも、子供が拗ねてしまったように見えたのか、眉を下げて笑っていた。あまり周りから子供扱いをされないモカにはやや居心地の悪いことだ。

「そんなに深刻に悩むほどのことじゃないわ。もう少し楽に捉えなさい」

「何故、教えて頂けないんですか?」

 気になるのはそこだけだ。分かっていることがあって、匂わせはするのに、どれだけ問い掛けてもヴェナは決定的なことを教えてくれない。何か深い理由があるのだろうか。ヴェナが知るべきではないと考え、その理由が納得できることであれば、自分だって引き下がるのにとモカは思う。

 だが、ヴェナが返した言葉はそんなモカの願望とはかけ離れた、無情なものだった。

「……面白いから?」

「面白がらないで下さい。私は真剣なんです」

「そう言われても困ってしまうわ。ずっと面白かったんだから」

「ヴェナさん」

 声が思わず低くなる。考えてみれば、レベッカとモカが恋人になった話を聞いた時も、ヴェナは大いにモカを揶揄っていた。その瞬間だけはカミラとも意気投合しそうになっていたくらいだ。元々、この人はこういう人だ。モカが項垂れたところで、くすくすとアシュリーが笑い声を漏らす。

「ああ、ごめんなさい、ヴェナってこういう性格なのね」

 だから今のはモカを笑ったわけではない、と弁明するように手を振っている。モカは小さく頷いた。不思議と、アシュリーには笑われても怒りや嫌な思いが湧き上がって来ない。これも人柄なのだろうか。それともアシュリーの持つ、優しげで甘ったるい顔立ちのせいか。

 その隣で、ヴェナはちょっとバツの悪い顔をしていた。今日はアシュリーから予想外にも謝罪を受けてしまったとは言え、立場的にはやはりアシュリーに対して、ヴェナは弱い。

「奥様の前ですみません、少し調子に乗りました」

「いいえ、仲良くなれそうだなって思ったの」

 何処か楽しそうにアシュリーが笑うと、ヴェナは少し驚いた様子で目を瞬く。

 アシュリーは誰が見ても底抜けに甘くて優しそうで、実際そういう部分も大いにあるのだけど、……生来、人を揶揄って遊ぶのも好きな人なのだ。この家へ相談に駆け込むレベッカに対しても、少しずつ垣間見せている。

 彼女の言葉の意味が分かってしまったモカは、ゆっくりと眉を寄せた。

「この話題で意気投合されるのは、未来が更に不安です」

 揶揄う側の人が、増えただけだ。そう言って項垂れるモカに、結局、年上の女性二人は笑うだけだった。


 そうしてイルムガルドの家で女性三名が歓談している頃。

 図書館で過ごしているはずのイルムガルドは、別の場所へと立ち寄っていた。アシュリーの言う『動画視聴の予約』まではまだ時間がある。それまでの時間は本を読んで過ごすのだろうと思っていたアシュリーは気にしていなかったが、イルムガルドは元より別の場所へと立ち寄るつもりで、予約時間を遅く設定していた。

「よう、イルムガルド」

 訪れたのは地下の拘置施設。カミラとの面会だ。ガラス越しに目が合うと、カミラは特に変わらない様子で飄々と笑う。イルムガルドは声に応じてのんびりと頷いた。

「お前が一番よく会いに来てくれるよ、そんなに懐いてくれたとは知らなかったな」

「会いに来るだけで騙せるなんて、思ったよりカミラは簡単なんだね」

「おい」

 まさかイルムガルドからそんな返しをされると思わなかったのか、カミラは冗句で返すことも無く眉を寄せた。相手がヴェナであったなら、この程度の冷たい返答でも更に軽薄に応じたのだろうに。

「ああ、だがそんなに足繁く通ってくれて、奥さんに妬かれても困る。浮気を疑われないように頼むよ」

「カミラには妬かないよ。無さ過ぎて」

「お前な……」

 何とか気を取り直して言葉を選んだカミラに対しても、イルムガルドの言いようは淀みなく辛辣だ。もう彼女を揶揄うのを諦めたのか、カミラは一つ息を吐くと、腕を組んでパイプ椅子の背に身体を預けた。ぎしっと響いた椅子の音が消えていくのを待ってから、イルムガルドがまた口を開く。

「髪、結んだんだね」

「ああ、これか」

 以前のカミラは肩よりも少し長い髪を無造作に下ろしただけの髪形をしていた。外や内にぴょんぴょん毛先が跳ねてもあまり気にしておらず、邪魔だろうに結い上げる様子が一度も見られなかった人だ。しかし拘置施設で閉じ込められ、戦場に出るわけでも無い今になって何故か後ろで一つに結んでいる。疑問は尤もだが、イルムガルドが問うほどのことかと、ややカミラは不思議に思って首を傾けた。いや、ただの雑談なのだろう。

「深い意味は無いさ。今までのように毎日風呂に入れるわけじゃないからな、食事にでも入ったら困るだろう」

「ふうん」

 自ら問い掛けておいて、丁寧に答えたカミラにイルムガルドは素っ気なかった。やはりただの雑談でしかなかったのかと、カミラは憤るでもなく少し笑う。

「それで、今日はどうした?」

 面会時間にも限りがある。いい加減、用件を聞き出そうとカミラが促したら、イルムガルドは素直に応じた。

「二つ。一つはテレシア」

 用件が『二つ』と言う意味だろう。言葉を省略しすぎているが、伝わらないこともない。カミラは特に指摘をせずに頷く。

「ああ、どうしてる」

「知らない」

 カミラは思わず口を閉ざし、イルムガルドの顔を驚いた顔で凝視した。その視線を真っ直ぐに受け止めて、短くふんと鼻を鳴らしたイルムガルドは、表情こそ動かさなかったものの、笑ったつもりだったのかもしれない。

「知らないよ。自分で確認して。カミラは生きてるでしょ」

 その言葉にカミラは額を手で押さえて顔を隠し、少し俯いた。

 敵国の巨大施設のど真ん中で。最後、カミラはイルムガルドに願った。テレシアを頼むと。だがどれだけ思い返してもイルムガルドはあの時、頷かなかった。承知しなかった。それでもテレシアを大切にしてくれているイルムガルドなら大丈夫だと、頷いてくれなくとも引き受けてくれるだろうとカミラは楽観的に捉えていたのだ。

 しかしイルムガルドは元よりカミラの命を救うつもりだった。ならばあの時、彼女が同意しなかったのは、真に『拒絶』の意志だったのだ。そんなことは帰ってから自分でやれと、彼女はそういうつもりだったのだろう。

「大体、頼まれたのは後からだから、範囲外」

 報酬の。

 と此処で言えることではないので省略されていたが、カミラには伝わった。「そりゃそうだ」と言いながら、肩を竦める。何の見返りも無く、願いを聞く義理は無いらしい。

「次にヴィェンツェスラヴァのこと」

 思わぬ話題に、カミラが目を細めて首を傾ける。

 予想外と言うには、ヴェナはこの二人に深く関わっている。だがカミラとヴェナの二人に対して縁が深い誰かならともかく、イルムガルドが二人の関係に首を突っ込んでくるとは思えなかった為だろう。

 実際、イルムガルドが続ける話題は二人の『関係』にはまるで関わりなく、更に予想外の方向へと進んだ。

「好きな食べ物、知ってる?」

「は?」

「すきなたべもの」

「言い直さなくても聞こえてるが、何でまたそんなことを……」

 質問が意外過ぎて驚いただけだ。大体、ヴェナについて問うには対象が悪いのではないかとカミラは思った。カミラは付き合いこそ誰よりもヴェナと長いものの、ここ最近は喧嘩ばかり。あとは身体を重ねているだけで、話らしい話をしない。彼女を良く知っているとは言えないのだ。

 しかし、イルムガルドはカミラからの問い返しに答える様子は全く無く、回答を急かすように首を傾けるだけ。溜息を零して、カミラは回答することにした。

「スポンジを使った洋菓子を好んでいたと思う。存外、甘いものは好きだったな、研究の傍らで糖分を取れるような、食べやすい物とかな」

「へえ」

「あとは……」

 食事で言うとチキン系の食べ物が好きだった。コンフィやソテーを上品に食べている姿が似合うが、本人は意外と唐揚げなどジャンクなものも好んでいる。

 飲み物に対する好みはほとんど無いらしい。コーヒーでも紅茶でも、手軽に飲めるなら何でもいいようだ。ただ、あまり安い物を好む子じゃない。カミラと違って味の些細な違いもきちんと分かるし、上質で美味しいものを口にした時はほんの少しではあるが目尻を緩めることもある。

 アルコールに関しては、一人で酒を飲むことは無いが、人から誘われれば付き合うこともあるようだ。赤ワインよりも白ワイン。ウイスキーよりもブランデーを好む。

「こんなものか。最新の情報とは限らないぞ」

「うん。じゃあ、研究以外の趣味は?」

「趣味?」

 結局、イルムガルドからの問いは十数分間も続いた。面会時間の上限をきっちり使って根掘り葉掘りだった。しかも質問の対象はカミラ本人に関することなど全く無く、全てヴェナに関すること。

「で、これは何の為の質問だ」

 ようやくイルムガルドが満足した気配を感じ取って改めてカミラが問う。

「そりゃ勿論」

 言葉を半端に途切れさせると、イルムガルドは立ち上がった。もうこれで面会を終える予定なのだろう。しかしその場から離れるのではなく、彼女は互いの間にある仕切りにぐっと身体を寄せ、顔を近付けた。下手をすれば注意を受けそうなほどの距離だ。そして、微かに口元を歪め、意地悪く笑う。

「――口説く為」

「お前」

 ぎょっとした顔をしたカミラを見据え、イルムガルドは喉の奥でくつりと笑う。再び彼女が上体を起こして仕切りから離れても尚、その目尻はやや下がって、可笑しそうな表情のまま。

「身動き取れないって、不便だね。ばいばい」

「オイ待て、あたしは別に――」

 まるで挑発するような物言いに反論をしようとしたが、イルムガルドは最後まで聞く様子なく、軽く手を振って立ち去って行く

 離れて行くイルムガルドを見て思わず少し浮かしてしまった腰を、どうせすぐに立ち去らなければならないのに、力が抜けた様子でカミラは下ろした。ぎしりと、パイプ椅子が不満を訴えている。

「……あのガキ」

 半ば頭を抱えるように項垂れるカミラは、気を遣った様子の職員に数分そのまま放置された。

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