第150話_後始末が続く司令室

 司令室にはまだまだ日常が戻る気配など無く。何処かから足早に帰って来たデイヴィッドは、大きな椅子に腰掛けると疲れた様子で息を吐いた。それに合わせ、側近が熱いコーヒーを机の上にそっと置く。

「ようやく、区切りが付いたな」

 コーヒーをひと口傾けてデイヴィッドが零した言葉に、傍に居た職員らは「ですね」「少しほっとしました」など口々に相槌しているが、ただ一人の女性だけは冷ややかな言葉を返した。

「上層部との会議だけが、ですよ」

「グラシア……相変わらず、嫌なことを言う」

 不満そうな言葉ではあるものの、デイヴィッドは楽しそうに口元を緩める。グラシアと呼ばれた職員はデイヴィッドの側近の一人ではあるものの、最近は司令室に姿を見せていなかった。今日が数か月ぶりの司令室への出勤となる。『相変わらず』とデイヴィッドに言わせるほどこれが彼女の通常運転であるならば、『らしい』言葉を久々に聞けた喜びもあるのかもしれない。

 イルムガルドらが首都に戻って以降、デイヴィッドは連日、上層部との交渉に走り回っていた。敵国ゼッタロニカへの進軍作戦は、結果として最小の被害で目的を達成している。カミラの造反はあったものの、カミラが犠牲となるか否かという瀬戸際であっただけで、我が国の軍隊には何の被害も無い。元より多くの奇跡の子が戦場で亡くなっている中、カミラ一人のことで上層部がとやかく言うことは無かった。良くも悪くも、彼らは奇跡の子の一個人には無関心だ。その中で今回問題となったのは、WILLウィルが奇跡の子らを御しきれなかった事実。それだけだった。

 その結果、『奇跡の子が敵国を一つ落とした』という大きな戦果を出しつつも、WILLウィルには何の勲功も認められなかった。代わりに、お咎めなしとなった。つまりは相殺されたのだ。

 しかしその一方で政府は奇跡の子らの活躍を大々的に報じ、彼らを抜擢した『政府の』手柄とした。当然、カミラの造反が報じられるわけもないので、彼女の罪は内々で処理されることになる。

「ただ、そうするなら重い刑罰が掛けられないですし、カミラの復帰も望まれます。その点だけは幸いでしたね」

「ああ」

 内々に処理するならば、カミラを登録から消すわけにいかない。今まで何度もモニターに現れていたスタートナンバー。しかも今回の戦争勝利に導いたキーパーソンとしてはっきりと公表してしまっている。彼女がモニターに現れなくなれば間違いなく国民らは気付く。

 よってしばらくは過去の映像でお茶を濁すか、今回の作戦を受けて療養していることとして誤魔化し、いつかは彼女をまた戦場へ戻すことで上層部も合意した。

「カミラの部隊編成については」

「そもそもチーム再編の必要があるな。テレシアも、しばらくは復帰させられない」

 今回の件で明らかとなったが、テレシアにはWILLウィルが把握していない能力があった。機械の音を聞き、セキュリティを掻い潜ることすらも出来る、絶大な力だ。未確認だったその能力について改めて研究すべきとの判断で、謹慎が解けてもしばらく戦線復帰は無い見込みになっている。よって彼女らのチームは四人中二人が離脱する。このまま、存続させることは不可能だ。残り二人についてはそれぞれ違うチームへ入れることになるだろう。

「すまんが、検討はジルダ、君に任せる」

 デイヴィッドはそう言って、傍に控えていた側近の女性――ジルダに数枚の書類を手渡した。彼女はグラシアとは対照的に、司令へ柔らかな笑みを向け、大きく頷いた。

「問題ありません。候補を上げたらまたご報告いたします」

「頼む」

 ヴェナ達の件については、謹慎程度の処分になったのと同じ理由により、上層部も新たな罰は望んでいない。それに、イルムガルドやヴェナのように指名の多い子は他の者と違って長く謹慎をさせられない。議論はあったが、近く二人の謹慎は解くことになった。WILLウィルとしてはまだ様子を見たかったのだが、これは上層部が譲らなかった。

「だがゼロ番街からの外出は許可制に変えよう。しばらくは必ず、職員同伴を必須とする。それから。ヴェナの研究内容の確認はまだ終わらないのか?」

「もう半月ほど時間が欲しい、とのことです」

 ヴェナは研究内容を一部偽ったことが処分対象となっている為、今までに行ってきた研究内容、現在中断させているものも含めて全て調査が入っている。しかしそれが思ったように進んでいない。いつまで経っても終わらない『確認』に、デイヴィッドは頭を抱えていた。問われる職員も、自らに落ち度があるわけではないのに申し訳なさそうだ。

「何が理由なんだ?」

「研究内容の難解さ、および、数の多さです。外部から派遣された調査員も驚いていましたよ。弱冠二十歳のたった一人が、兼業でこなす研究量じゃないと」

「……有能なのも、考えものだな」

 天才と呼ばれた研究者。No.11として迎え入れる為にも方々へ気を遣い、研究者としても招くことで何とか丸く収まった程に有能な彼女。それは今まで何度もWILLウィルを救ってくれたはずの才能だったが、今は頭を痛める一因となってしまっている。

「問題は私達がその有能な者の『管理』を怠ったことですね」

「ああ、全くだ。ぐうの音も出ない」

 またピシャリと厳しく言い放ったのはグラシアだった。ひやりと表情を固めた他の職員とは対照的に、デイヴィッドは快活に笑った。内容は笑い事では無いが、彼にとってはその通りであるだけに憤る感情は生まれなかったらしい。

 デイヴィッドにとって奇跡の子は、我が子のような『守る』対象であり、政府が求める形で『管理』対象として見ることが出来ていない。当然、彼にも政府要人らしい非道さや冷静さはある。だが、情が介入してしまっていることは否めない。もしも彼がそのような感情を一切持っていなかったら、今回のような見落としも見逃しも発生しなかった。しかし彼はもう、その情を失くすことも出来ない。彼にとっての落としどころを、これから探っていくしかないのだ。

「俺がヴェナの研究内容を把握することは出来ない。流石に手が回らないし、頭も付いて行かない」

「存じております」

「だ、誰だって無理ですよ。本職の者も手を焼いているんですから」

 しれっと肯定したグラシアの隣で、ジルダが慌ててフォローを入れている。二人の発言をそれぞれ苦笑いで受け止めた後で、デイヴィッドはゆっくりと頷いた。

「今回入ってもらった外部の研究機関は信頼できるところだ。しばらくは監視として協力してもらえることになった。彼らのサポート要員をWILLウィル職員からも十五名ほど出したい。ジルダ、そちらも候補を出してくれ」

「承知いたしました。明日までにはリストを出します」

 先のチーム再編と合わせて、どうやらジルダは人事に関することを担当している側近のようだ。しかし完全に一任というわけではないのか、グラシアを含む他の側近らも、同じ資料を確認しながら話を聞いていた。

「此処は……司令が以前、在籍されていた研究機関ですか」

「ああ。よく知っているな」

 不意にグラシアが口にした問いに、デイヴィッドは大袈裟に肩を竦める。デイヴィッドは此処の総司令官となる前、とある研究機関に籍を置いていた。彼女はその詳細も知っているらしい。デイヴィッドが今浮かべている苦い笑みを見る限りは、あまり知られて嬉しくないことのようだ。しかしグラシアはそんな彼の表情を気にする様子も無く、一瞥もくれなかった。

「では監視体制が整えば、No.11の研究再開もあるわけですね?」

「……あの才能を摘むわけにはいくまいよ。我々としても明らかな損失になる。今回、ヴェナが意図的に解かなければイルムガルドははずだと結論が出た」

 WILLウィルはヴェナに、有事の際にイルムガルドを拘束する手段を探してほしいと依頼していた。まだ暫定的な一つの手段でしかなかったが、事実ヴェナの氷はイルムガルドを拘束できただろうと、他の研究員も、医療班なども含めて検証した上で判断されている。

 この案はヴェナが現場で常にイルムガルドの傍に居なければならない為、最終案ではない。しかし一つだけでも実績があり、そして彼女の中にはまだ複数の案が存在していると聞いている。当然、誰かに引き継ぐことも手段の一つだが、今ある案のほとんどがヴェナから提案されたものであるらしい。あの頭脳は、味方である限り間違いなく有益なのだ。

「特に、カミラの能力減退だ。あの研究にヴェナは必須だと思っている。ヴェナの研究職の復帰に合わせて、そちらの研究と調査を開始させたい」

 勿論、引き続きイルムガルドの件も進めさせたいのが本音だろうが、カミラの件もあまり時間が残されていないかもしれないと考えれば、後回しには出来ない。どちらも彼らにとっては急務だ。

「……カミラに関することで、ヴェナは協力するでしょうか」

「そこだな。課題は山積みだ。『仕事』となれば、動いてくれると信じているが……ヴェナとはまたしっかり話し合う必要があるだろう」

 カミラとヴェナの不和は明らかだ。そして、ヴェナがWILLウィルに対して不信感を抱いていたことも、彼女の口ではっきりと告げられてしまっている。今後どれだけヴェナは彼らの言葉を聞いてくれるだろうか。そして、カミラを共に助けようと考えてくれるだろうか。デイヴィッドにはまだ妙案が無かった。

「感情で左右されるなら、感情に訴えれば宜しいでしょう」

 だが、グラシアは淡々とそう言った。彼女だけはこの部屋の中で一切、難しい顔を浮かべずに冷静なままだった。

「この研究はNo.9だけの話では無く、奇跡の子ら全員に関わります。No.11は、No.9以外の――特に女子には心優しい。アプローチを変えればどうにでもなりますよ」

 彼女のその発言を聞いてしばらく呆けていたデイヴィッドは、静かに息を吐いた後で肩を竦めた。

「お前が戻ってきてくれて助かる」

「私は司令の命令でしばらく離れていたのですが?」

「ああ、そうだった。そちらの件もご苦労だったな」

 グラシアがしばらく司令室を離れていたのは、デイヴィッドから出された命令に従ってのことだった。側近らはデイヴィッドに深く信頼されているだけに、遠方での単独任務が課せられることもある。彼女が数か月もの間も離れたのはそういう経緯だった。

「それからNo.103についても一点、宜しいですか?」

「イルムガルドがどうした?」

 改まって発言するグラシアに、デイヴィッドも表情を引き締めて居住まいを正した。彼の反応を見守って、グラシアは一つ頷く。

「No.9の面会へ頻繁に訪れていると報告が上がっています。内容は雑談ばかりのようですが」

「ふむ……」

 デイヴィッドは考えるように視線を机の上に落とした。これまで、彼女らが目立って仲良くしていたという報告は一度も聞いていない。だが『いつの間にか』彼女らは接触し、協力関係にあった。イルムガルドのような子が、頻繁に面会に通うという行動にも確かに違和感はある。

「引き続き監視をさせます。個人的な所感ではNo.9や11よりも、この子を注意した方が宜しいかと」

「……敏感な子だ。その疑念、勘付かれないように気を付けろ」

「承知いたしました」

 グラシアは一礼すると、そのまま司令室を退室した。それを追うように、少し急ぎ足でジルダも出てくる。彼女は廊下の左右を見回して、グラシアの背を追った。

「ちょっと、グラシア!」

「何よ、ジルダ」

 追ってくる彼女の足音も、呼び掛けてくる声も知りながら、グラシアは歩みを止めない。呆れたような顔で、ジルダはそのまま彼女の後ろをついて歩く。

「戻ってきて早々、冷や冷やさせないでよ。もう少し言い方があるでしょ。それから奇跡の子、そのままナンバーで呼ばないでよ?」

「分かってるわ」

 奇跡の子らに話し掛ける時は必ず名前を呼ぶことが、職員らの中では規則となっていた。だがタワー外で働く職員はその機会があまり無い為、ナンバー呼びが癖になることがある。グラシアはしばらく外部に居た為にそれが出てしまっているらしい。

「だけど私が司令に優しくしても仕方がないでしょう。司令もそんなことを望んでいるなら、私を傍には置かないわ」

「……そうだけど」

 グラシアは司令室の側近として配属するから、デイヴィッドに対してあまり良い態度を取らない職員だった。配属直後にはもっと激しい衝突をしたこともある。だがそれでもデイヴィッドは彼女を側近とし、今も変わらず傍に置いている。その意味をジルダも分からないとは言わないが。冷や冷やさせられる側としては、文句の一つも言いたくなるのだろう。

「とにかく、おかえりなさい。また一緒に働けて嬉しいわ」

 色々を飲み込んで最後にジルダがそう言うと。グラシアはようやく足を止め、彼女を振り返る。そして目尻を下げて柔らかな笑みを向けた。

「ありがとう、私もよ」

 数秒間、笑みを交わし合った後。二人は別々の廊下へと急ぎ足で向かっていく。総司令官デイヴィッドの側近は忙しい。旧友との長話も儘ならないのだと――最も忙しいであろう総司令官へ、不平を述べることも難しいのだった。

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