第143話_煙を見上げたベランダ

 カミラがタワーの地下へ勾留されてから三日目の午後。デイヴィッドとウーシンが、彼女への面会に訪れた。

「よう。お揃いで」

 面会室に入ったカミラは、二人を見ると口角を上げて陽気にそう告げる。二人が良く知るカミラそのままの調子ではあったが、互いの間にあるガラスに向かってデイヴィッドが少し顔を寄せ、目を凝らすような仕草をする。

「顔色が悪いな。環境が合わないか?」

「ふはは!」

 心配そうに問い掛けたその言葉に、カミラは噴き出すようにして笑った。少し深く体重を預けたパイプ椅子の背凭れが、ぎしりと悲鳴を上げる。

「快適だったら問題だろ。こっちは罪人だぞ?」

「まだ刑は確定していない。罰を受けるべきは、その後だ。今ではない」

 難しい顔でそう告げるデイヴィッドに、カミラは眉を下げて少し笑い、肩を竦めた。

「堅いやつだな。……まあ、今日は夢見が悪かっただけだ。酷い扱いは受けちゃいない」

「そうか」

 彼女の言葉に何処か安堵した様子のデイヴィッドを見つめ、またカミラが困った様子で笑みを浮かべる。罪を犯した子に対しても、変わらず彼は甘いままであるらしい。

「司令。まずは俺から話してもいいか」

「ああ」

 言葉が途切れたのを見計らって、ウーシンが口を挟む。カミラは彼の顔を、ばつが悪そうな表情で見ていた。今、ウーシンが思い出している彼女の言葉は一つだ。カミラも、その言葉に関する話だろうと、既に理解していた。

「カミラ。俺には生きろと言ったな」

「……ああ」

「何があっても生き残れと。それが守るということだと。その考えは、今も変わらないのか」

 一年振りにカミラがタワーへと帰った数日後のことだ。ウーシンがレベッカとフラヴィの二人を庇い、命を落とそうとした戦場の経緯を聞き、カミラは彼をそう叱責した。今のこの場所とは真逆に明るい、タワーの廊下でのことだ。眩しさを思い出したかのように、カミラは目を細める。

 問い掛けているウーシンの声は、普通の人間よりは大きいものだったろうが、いつもの彼を思えばかなり抑えた声量であった。それが、彼の怒りだということも、カミラはよく理解している。

「ああ、変わっていない」

「ならばお前は、それを放棄するのか」

 間髪入れずに重ねられた問いに、短く、カミラは沈黙し、そしてゆらりと首を振った。

「放棄……しようとしたんだ。だが、今はよく分からない。生き残ってしまった」

「まだ手放していないなら!」

 付き添いの看守が腰を抜かしてしまうのではないかと懸念するほどの大声だった。隣に居たデイヴィッドも、堪えたつもりなのだろうけれど、少しだけウーシンとは逆方向へと身体を傾けている。

「今度こそ貫け! これからもずっと、俺と共に弱き者を守れ!」

 叫ぶと同時にウーシンが立ち上がる。だがカミラは俯いたまま、彼を見上げなかった。組んでいた両手にぐっと力を籠める。歯も食いしばったのだろうか。吸い込む呼吸は微かに震えているようだった。

「……あたしの力は、いずれ消える」

「今は使えているんだろう!」

 ウーシンの声量は上がり続け、間にあるガラスからビリビリと振動音が聞こえた。看守が忙しなく視線を彷徨わせている。あまり長引くようであれば、注意を受けるかもしれない。それでもデイヴィッドは二人の会話を邪魔させたくなかった。注意深く、看守の動きを観察していた。

「最後の最後まで足掻き、守り続けろ! お前が俺にそれを教えたんだ!!」

 その言葉を叫ぶと、ウーシンは一度沈黙した。興奮した様子で、呼吸を揺らしている。握り込んだ両の拳が、やるせない想いを込めて震えていた。

「どれだけ、最強などと豪語しても……俺は誰一人、守れていない」

「ウーシン」

 デイヴィッドは思わず、彼の名を呼んだ。そうしてしまうほどに、今までに聞いたことが無い、あまりに弱い彼の声だった。

「今、俺様がどれほど、お前のような力を欲しているか、分かるか」

 このタワーで待っていた彼が、如何に悔しい思いに打ちのめされていたことか。そして、選抜された『強者』であり、長く戦友として信頼していた彼女が己の役目を放棄しようとしたと聞いた悔しさが、どれほどのものであったか。震える彼の拳が、それを語っていた。

「……悪かった」

 勾留されてから初めて口にした、カミラの謝罪の言葉だった。

 刑に対する抵抗を一度も見せなかったカミラだけれど、謝罪や反省を一度も述べていなかった。彼女は自らの選択も、犯した罪も、何一つ後悔をしていなかったのだ。しかし、その為に負ったウーシンの傷を見て、初めて、彼女は謝罪した。

 ウーシンは椅子に座り直すと、腕を組み、沈黙する。彼の話はそれで終わりであるらしい。少しの沈黙の後、デイヴィッドがカミラを見つめる。カミラはまだ視線を落とし、俯いている。項垂れているようにも見えた。

「カミラ。復帰の意志はあるか? 当然、刑にもよるが、それが許されるとするならば」

 デイヴィッドの問いに、数秒間の沈黙が落ちる。そしてカミラは顔を上げないままで、「ああ」と弱く答えた。

「ならば俺もそのつもりでいよう。お前の能力の低下については、いずれ詳しいことを聞く。まだ消えると決まったわけではない。WILLウィルでも詳しい研究が必要だ」

 奇跡の子の中で、カミラは最年長だ。年齢や、能力を使用した期間によって衰えが出るのであれば、他の子らにもいずれ同じことが起こるのかもしれない。その可能性は、見過ごせるものではない。万が一にも戦場でそのようなことが起こってしまえば、生死に関わってくる。

 その後、二人が立ち去っていくまで、カミラが顔を上げることは無かった。


 謹慎処分中の三名は、謹慎とは言われながらもかなり自由に出歩いていた。ゼロ番街からは出られないが、つまりはタワーやゼロ番街の中であれば制限などほとんど無い。件のカミラに面会することすら、お伺いの一つも立てることなく、イルムガルドとヴェナはそれを実行している。カミラとの接触に関してはおそらく彼女が拘置施設に居る為、神経質になるほどの脅威があるとは見られていないのだろう。面会時の会話は全て記録が残るのだから。

 何にせよ、イルムガルドにとって苦痛であることは何も無い。アシュリーが買い物へと出ている間にいつもの定期健診を終え、少しだけ外を歩いた後は、帰宅してベランダのカウチに深く腰を掛けて過ごす。慣れた様子でのんびりと煙を吐き出しているが、それは甘い香りなど一切無い、正真正銘の煙だった。

「……あらあら」

 開け放ったままだったベランダの窓から、アシュリーが顔を出す。いつの間にか買い物を終えて帰宅していたらしい。イルムガルドは煙の出処を隠そうとせずに、柔らかく彼女に微笑む。

「おかえり、アシュリー」

「ただいま」

 アシュリーが返したのは苦笑だった。鼻の利く彼女のことだ。ベランダから顔を出した時、もしくは出す前から、この煙がいつものものと違うことなど、とうに気付いていたのだろう。

「今度こそ、何処で手に入れちゃったのかしら」

 隣に座りながらアシュリーが手を伸ばすのに応じて、イルムガルドは素直に煙草の箱を彼女に手渡す。アシュリーにも見覚えのある銘柄だった。表を見ても裏を見ても底を見ても、今度はWILLウィルのロゴなど見つからない。イルムガルドはまたたっぷりと吸い込んだそれを、大きく空へと吐き出した。

「カミラがくれた」

「……報酬があったのね」

 即座に返った指摘に、イルムガルドは口元をふっと緩めて笑った。その横顔を見つめたアシュリーは、眉を下げてイルムガルドの頬を指先で突く。

「もう。悪い子の顔してるわ」

「あはは」

 イルムガルドに協力を依頼したカミラは、報酬として煙草を提案していた。未成年の彼女へと煙草を渡すことは免れようのない犯罪だ。だからこそ、死のうとしていたカミラにしか叶えられない。

 とは言え、あの戦場で死んでしまうはずだったカミラが作戦後にそれを渡す手段は無い。その為カミラは日時を指定してイルムガルドに手紙を送付し、その中に、荷物を一定期間預かってくれる施設の鍵が入っていた。イルムガルドは健診の帰りにそれを使って煙草を取り出してきただけとなる。カウチの下にまで転がっているそれを覗き込んで、アシュリーが溜息を一つ。十カートンほどありそうだ。

「沢山もらったわね。検査は平気なの?」

「一日一本か二本なら、検査には出ないって、カミラが言ってた」

「為になる情報ねぇ」

 アシュリーは呆れていた。カミラも吸い始めた頃はその程度の本数であり、職員らが長くカミラの喫煙に気付かなかった経験から、そのように語ったのだろう。

「まあいいわ、一日二本まで、約束ね」

「うん」

「とりあえず部屋に仕舞いましょう。折角こんなに頂いたのに、此処じゃ湿気てしまうわよ」

 結局アシュリーはイルムガルドを強く叱ることをせず、止めることもせず。煙草の置き場所を変えてあげるらしい。一緒に置かれていた紙袋へ改めてカートンを詰めると、そのまま部屋へと運んでいく。イルムガルドが一本を吸い終えるより早く、アシュリーは全てを部屋に片付け、また戻ってきた。

「ねえ、アシュリー」

「うん?」

 吸い終えた一本を足元に転がしたイルムガルドが、新しいものを咥える。早速、今日の上限を吸ってしまうらしい。本当に一日二本で足りるのかしらと、アシュリーはその手元を見ながら苦笑した。

「死んだら、死んだ人に会えるの?」

 唐突な問いに、アシュリーはすぐに言葉が返せなかった。二人の間に短い沈黙が落ちる。

 今、きっとイルムガルドはカミラのことを考えていたのだろう。多くの仲間、彼女からすれば弟妹を見送り、それを嘆いていた人。もしかしたらカミラは作戦協力を依頼する時に、彼らに会いたいとでも言ったのかもしれない。アシュリーも事情は聞いていた。だからカミラのことだろうとは思いながらも、それを問い掛けはしなかった。

「どうかしらね。死んだことが無いから、分からないわ」

「あはは、それもそうだね」

 可笑しそうにイルムガルドが笑うと、吐き出される煙も大きく形を変える。イルムガルドの横顔はいつもと変わらず穏やかであり、死について話しているというほどに深刻な表情は少しも見せていない。アシュリーも努めていつも通り、柔らかな口調で話した。

「誰も本当のことは知らないと思うわ。会えるかもしれないし、会えないかもしれない。同じ場所に行くとも限らないわね。そういう説もあるのよ」

「天国とか地獄ってやつ?」

「ええ」

 最近読んだ童話にでも出てきて知っているのかもしれないとアシュリーは思ったけれど、天国や地獄という言葉については故郷でも何度か聞いていたようだ。どういう折に聞いたのかという点は、嫌な予感がしたのでアシュリーは問わなかった。

「だからその為に死ぬのは、もうギャンブルみたいなものよね」

「ギャンブルかぁ。死んで外すの、やだなぁ」

 煙をまた一口吸い込むイルムガルドの口元は緩んでいる。彼女に纏わり付く白い煙を掻き分けて、アシュリーはイルムガルドの真っ黒な髪を指先で梳く。視線をアシュリーに向けたイルムガルドが、嬉しそうに目尻を下げた。

「もし会えなかったら、大損よね。命を落としてでも会いたいと願った人を、想う自分まで消えてしまうんだもの」

「そんなの寂しいね」

 彼女の相槌にアシュリーは何処か安堵した様子で微笑んで、その肩に寄り添った。イルムガルドが吐き出す煙が空に昇っていく。ただの煙草。ただの嗜好品。けれどこの時だけは何故か、アシュリーは父を見送った日に見上げた煙を思い出していた。

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