第142話_拘置施設、役目の無いハンカチ

 氷塊が解凍された時、真っ直ぐにタワーの治療室へ運び込まれたイルムガルドと違い、カミラは、タワーの地下にある拘置施設内の治療室へと運ばれた。

 そして目を覚ました後は、半日ほどの経過観察を経てそのまま施設内の一人部屋に入れられている。彼女の能力を思えば声が出せないようにしておくべきという意見もあったものの、結局はそのような措置も無く、ただ留置されているだけだった。カミラに一切の抵抗の意志が見られなかったのも理由の一つなのだろう。

 そんな彼女の元へ最初に面会を申し入れたのは、ヴェナだった。看守に連れられて面会室へと通されたカミラは、分厚い強化ガラス越しに涼しい顔で座っているヴェナを見つめて、疲れた様子で息を吐く。

「イルムガルドまで寄越してあたしを生かして、どうしたかったんだ。楽にしてくれるんじゃなかったのか?」

「あの場から離れる為に言っただけよ。そんなつもり、私には初めから無かったわ」

「……そうかい」

 どうしたかったか、という問いについて、ヴェナは答えようとしなかった。聡明な彼女が一つを答えてもう一つを失念したわけではないだろう。そんなことはカミラにも分かる。重ねて問う様子は無かった。

 二人の間には沈黙が流れる。カミラはずっと視線を落として俯いており、そんな彼女からヴェナは一度も目を逸らさない。

「望む形で死なせてあげる気は無いわ。あなた程度の頭で、どんなに策をろうしたとしてもね。それで、次はどうするのかしら?」

 カミラへと語り掛けるヴェナの口調は普段と何も変わらない。喧嘩口調で、挑戦的で、やや棘を含む。それが可笑しかったのか、嬉しかったのか。カミラは微かに口元に笑みを浮かべていた。

「……さあな」

 カミラはあの場所で最期を迎えるはずだった。遺体など見つかりようもない形で、終わらせてしまうつもりだった。五体満足な形でタワーに居る自分の未来など、何も見えるはずがない。

 これと定めていた目的は果たした。しかしそれでも彼女の憎しみはまだ憎しみのまま、身体の内に存在する。終わらないのだ。敵国は一つではないし、例え全ての国を降伏させたとしても、その国の何処かで弟妹を殺した誰かが生きている。カミラはきっとそれを許せない。……終わりの無い感情だと知っていた。だから、カミラはもう終わらせてしまいたかったのだ。彼女の零した長い溜息には、多くの感情が込められていた。

「楽にはならない、炎は消えない。だが、……少し肩透かしを食らった。今は疲れてる。しばらく休む」

「そう。まあ、出たいと言っても当分は無理でしょうしね」

「全くだ」

 カミラは命令違反および私怨で奇跡の力を使った結果、同行の職員や奇跡の子らを危険に晒したこと、更に年下の子らを命令違反に加担させた主犯としても罪に問われている。どれだけの刑罰が下るかはまだ分からないが、当面、彼女の勾留は確定していた。

 それだけの会話を終えるとヴェナは用が済んだと言わんばかりに、挨拶もせず立ち上がり、背を向ける。そのまま数歩離れたところで、その背中にカミラが「マイ・ドール」と声を掛けた。ヴェナが足を止める。

「それは私の名前ではないわ。何度も言わせないで」

 背中を向けたまま、振り返りもせずにヴェナはそう言い放った。少し笑うようにカミラが息を震わせた後で、一拍の沈黙。それから、微かに息を吸う音がした。

「ヴィェンツェスラヴァ」

 マイ・ドールと呼ぶようになって以来、ヴェナの苦言にカミラが応えたのは初めてのことだった。ヴェナは少しだけ目を細めて、ゆっくりと振り返る。カミラは頭を上げておらず、目は合わなかった。

「『ありがとう』は言わない」

「要らないわ」

「だけど、……愛しているよ」

 その言葉の余韻が静かな密閉空間に響いて、消えていく。ヴェナは眉を顰めて、溜息を一つ。

「それこそ、要らないわね」

 呆れたようにそう零すと、それ以上は何も言わずヴェナは背を向けた。立ち去る彼女のヒールが床を叩く音と、カミラがくつくつと笑う声だけが、その空間に残された。

 拘置施設から出たヴェナは、エレベーターホールに向かう道中でイルムガルドと遭遇した。

「あら、身体はもう平気?」

 イルムガルドはヴェナをじっと見上げてはいるけれど、言葉を返さない。しかし手元をゴソゴソと動かして、ポケットから取り出したハンカチをヴェナへと差し出した。それを見たヴェナは少し笑って、首を振る。

「ありがとう、大丈夫よ」

 目から涙はまだ零れていなかった。ヴェナは目尻に溜まっていたそれを指先で拭うと、自分のポケットから取り出したハンカチで拭う。イルムガルドはやはり何も言わないままで、自分のハンカチを再びポケットへと仕舞い込んだ。

「まだ全快じゃないでしょうから、あなたも大事にしてね」

 優しい笑みを向けてそう言い、ヴェナはそのまま、エレベーターホールへと歩いて行った。彼女の背を静かに見送った後、イルムガルドはヴェナと逆方向へと歩く。既にカミラに面会する手続きは済んでいた。立て続けの面会の為、カミラはヴェナと別れたままの状態で、面会室の椅子に座り、俯いている。

 係の案内に従って部屋に入り込んだイルムガルドは、そのまま黙ってガラス越し正面の椅子に腰掛けた。そして目の前で俯いている彼女を眺め、少し首を傾ける。

「……ハンカチいる?」

 二人の間には分厚い強化ガラスがあるけれど、手紙程度ならば渡せるくらいの小さく薄い隙間があるのだ。ハンカチならば通るのではないかと、再びポケットから取り出したそれを手に、更に首を傾けてイルムガルドが隙間を覗いている。俯いていてもそれが分かったのか、カミラがふっと短く息を吐いて笑った。

「いや、いい。あたしには、似合わない。適当に拭くさ」

 そう言っても、カミラが頬に伝う涙を拭う様子は無く、雫は彼女のシャツに吸い込まれていく。イルムガルドはまた、行き場を失くしたハンカチをポケットに仕舞った。


 その頃、タワーの上階にある入院施設の部屋の一つでは、レベッカがのんびりと欠伸をしていた。平時であれば両腕を上げて伸びの一つでもするところだろうけれど、今の彼女の身体ではしばらくの間は許されない。むにゃむにゃと口元を動かしていると、訪問を知らせるノックが二つ。

「あ、モカ。おはよー」

「おはよう」

 帰還直後だった昨日は半ば脅されるようにして病室を訪れていたモカだったけれど、一夜明けた今日は新しく花を持ち、改めて見舞いとして訪れた。彼女の腕に抱かれている花の存在に、レベッカは目尻を緩める。きっと新しい花が嬉しいのではなく、明日も花を世話すると言ってモカが来てくれると思うからなのだろう。

「ねー、モカ」

「ん?」

「ゴーグル貸してー」

 花瓶へ花を生けている背に掛かった声に、モカは苦笑する。今日は特に泣いた直後でもない。レベッカもそんなことは分かっているだろう。だから彼女がそれを求めるのは別の理由だ。ちゃんと理解した上で、モカは抵抗する様子無くゴーグルを外し、レベッカへと手渡した。

「もう、度は入っていないわよ。災害支援の遠征前に、また少し良くなったの」

 だからモカは、彼女に指摘される前にきちんと真実を告げた。まるで、機会を逃していただけで隠すつもりは無かった――と言わんばかりだが、告げるつもりがあったかと言われればそれも違う。

「あー、アタシが泣かしたやつ」

「言わなくていいから」

 こうして改めてあの日のことを蒸し返されたくはなかったのだ。

 確認するようにそれを掛けている様子を見ながら、モカがベッド脇の椅子に座る。気が済んだのか、レベッカはすぐにゴーグルをモカへと返した。

「イルとかって、どうなったの?」

「結局、カミラさん以外は軽い謹慎処分だったわ」

 モカの言葉に、レベッカは少し安堵した表情を見せる。

 イルムガルドとテレシアの二人についてはまだ幾つか事情聴取が予定されているとのことだが、それは彼女ら自身の罪を問うものではなく、基本的にはカミラについての内容になるようだ。ヴェナに至っては、研究内容の一部について報告を偽った点が処分対象であり、戦場での行動は作戦妨害では無かったとしてその部分はお咎めなしとなっている。

「具体的には、イルムガルドとテレシアは一定期間の活動停止と外出制限。ヴェナさんはそれに加えて、研究施設への立ち入りも禁止になるそうよ」

「あらら……研究の虫だったのにね。ヴェナが枯れちゃわないか心配だ」

 難しい顔をしていたモカがその言葉に少し表情を緩めて笑う。確かにヴェナは首都に居る間、ほとんどの時間を研究施設で過ごしており、いつ休んでいるのだろうかと誰もが不思議に思うような人だった。一部の行動が「お咎めなし」となったのは甘い処分とも見えるが、ヴェナを知る人から見れば、かなり厳しい処分であるようにも思えなくはない。

「イルムガルドとテレシアは、かなり議論にもなったようだけど」

 彼女らはヴェナと違い、戦場での明らかな『作戦妨害』に加担しており、彼女ら自身がそれを理解している。カミラ同様、拘置施設に送られても仕方のない状況ではあった。しかし、そうはならなかった。一番の理由は、彼女らに対してカミラが明確に『指示』を出しており、二人はただ『従っていただけ』という状況であったこと。カミラさえ押さえてしまえば単独で動く可能性が低いと判断され、勾留は見送られた。

「特にテレシアは、カミラさんが直属の上司でしょう? 加入直後の彼女が、逆らえるとは思えない――というのが、WILLウィル側の見解だったみたい」

「うーん……本人は何て言ってるの?」

「あの子自身は、『自分の意志で手伝った』って言い続けているらしいわ」

 普段の気の弱い印象もあり、カミラによる『洗脳』であるとまで最初は疑われた。勿論、カミラに限って、弟妹に対してそんなことをするわけがない、とWILLウィルの職員らも思っている。だがそれとは別にして、テレシアはどうやら異常なほどに強くカミラを慕っており、「カミラさんの願いならば何でも叶えたかった」「道連れになっても構わなかった」とまで証言しているようだ。

 そのようなカミラに対する過度な忠心は、見方によれば危ういものだ。けれどそのカミラ本人から、今回の作戦以降は「WILLウィルに従うように」と言われているらしく、テレシア自身もその意向であるという。これらの発言はポリグラフによる確認の上、嘘は無いだろうと判断された結果、今回の処分に落ち着いた。

「じゃあ、イルの方は?」

「イルムガルドについては、かなり強くヴェナさんが擁護しているのも影響したみたい」

 彼女はヴェナの願いに従い、カミラを救う為に自らを危険に晒す行動まで取っている。ヴェナがそんな彼女を擁護するのは当然かもしれない。中でもヴェナが強調したのは、イルムガルドが居なければカミラを生存させることは不可能だったことや、イルムガルドは最初からカミラを救うべく動いていたのだから、彼女の目的は作戦妨害ではない、ということだった。

 一方、取り調べに素直に応じているイルムガルドの告げた行動理由は、更に簡潔だった。彼女は「カミラの願いを叶えた上で、命が守れるならその方が良いと思った」と語ったそうだ。

「なんか、テレシアもそうだけど、そういえば子供だったなーって思う理由だね」

「そうね。……そう、あの子達はまだ思考が幼い、そんな印象を持たせる内容だわ。だから罪が軽度だったんでしょう。結果、まだ幼い彼女らを巻き込んだ主犯としてのカミラさんの罪が重くなってる」

「……それがカミラの思惑だったと思うけどなぁ」

「でしょうね」

 奇跡の子らを底抜けに愛したカミラのことだ。居なくなった後を考えないはずがない。自らが死んだ後、巻き込んだ二人の処罰が少しでも軽いものであるように神経を使っていたことだろう。あの場で、職員らに見せつけるようにして二人に指示を飛ばしていたのも、おそらくはその為だった。

「ただ『幼い』というには、イルムガルドは十六歳なのよね」

「あー、でも、イルって何かちっちゃい子みたいな感じしない?」

 その印象はモカも持っている。極端に小柄なわけではないし、戦場での判断力は加入初年とは思えないほどに正確で思慮深い。それでも彼女を、どうしてかフラヴィよりもずっと小さな子のように見てしまうことがある。その理由を考え巡らせたモカは、ふと、違和感を思い出した。

「少し気になっていたのだけど、あの子――」

 しかし丁度その時、部屋にノックの音が響き、モカはその先を飲み込んだ。そしてレベッカが「どうぞー」と返した言葉に応じて扉を静かに開いたのは、噂のイルムガルドだった。一瞬、モカが息を呑む。けれどレベッカはいつも通りの親しみを込めた笑みで、彼女を迎えた。

「イルもおかえり。体調は平気?」

 ふんわりと笑うレベッカに、モカは緊張の表情を解けないままで感心していた。だがそれはレベッカが表情を偽っているのではなく、彼女の心には少しも損なわれることのないイルムガルドに対する親愛があるからなのだろう。イルムガルドも普段と変わらず、無表情のままでレベッカの問いに小さく頷いている。

 彼女とカミラは、ヴェナの言葉通り、目を覚ましてからの不調は全く無かったそうだ。しかもイルムガルドに至っては、起きて最初に気にしたことはWILLウィルに預けていたアシュリーのごはんは何処だという点であり、カミラや他の子らの安否でも、自分の身体でもなかったらしい。職員らは勿論のこと、アシュリーすらも呆れさせていた。

 そんな話をモカが思い出していることなど露知らず、真っ直ぐレベッカのベッド傍に歩いたイルムガルドは、ベッド上に出されているテーブルの上に小さな紙袋を無言で置いた。有名な洋菓子店のロゴマークが印字されている。

「あ、アタシにお見舞いかな? ありがとー」

 見舞いの品を無言で置く者など他に居ないだろうに、そんなこともレベッカは気にしない。イルムガルドがまた頷くのを見て、早速、紙袋を覗き込んでいる。

「わー、アタシの好きなやつだ。ベッドでも食べられそうだね、後で大事に頂くね~」

 嬉しそうに笑うレベッカにまた頷くと、イルムガルドは無言のままで隣に居たモカにも同じ紙袋を押し付けた。

「え?」

 目の前に出されたそれを思わず受け取りつつも、モカは当然、怪訝な顔をする。

「どうして私に――」

 だが問おうと顔を上げた時には、既にイルムガルドは彼女らに背を向け、病室を出ようとしていた。扉に手を掛け、軽く肩口に振り返るも、彼女らに視線を向ける様子は無い。ただ小さく、短く、「叩いた」と呟いた。どうやらあの巨大施設の地下でモカを眠らせた件を言っているようだ。あれは音速で背後に回ったイルムガルドに延髄を叩かれてモカは眠らされている。そのお詫び兼、お見舞いのつもりであるらしい。

「イルムガルド」

 扉を開けている彼女を、モカは困惑しながらも呼び止める。既に身体を半分、廊下へと出した状態でイルムガルドは立ち止まり、軽く振り返った。この時は視線が確かにモカを捉え、瞳は、いつもと変わらない穏やかな色を湛えている。動揺しているのはモカだけだ。唇を一度噛み締め、静かに息を吸う。

「もう一度聞かせて。あなたは、誰の味方なの?」

 イルムガルドは視線を逸らすことなく、モカを見据えたままで目を細める。彼女の感情など少しも読み取れないけれど、呆れているようにも見えた。そしてそのまま、イルムガルドはモカに背を向ける。

「わたしは誰かの味方じゃない。わたしは、仕事をしてる」

 ただその言葉だけを残して、彼女は病室を出て行った。

「……仕事?」

 モカは更に困惑する。今回のイルムガルドの行動にWILLウィルが関わっていなかったことは間違いない。彼女の言う『仕事』が一体何を示しているのか、結局、何も分からなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る