第137話_炎の隣へ落ちる星
「――カミラ!」
小型飛行機からいち早く降りてきたヴェナに、カミラはまるで緊張感も無く、挨拶をするように軽く手を上げて応えた。
「流石はマイ・ドール。お早いお着きだったな」
「ふざけないで。これ以上、勝手をさせるつもりは無いわよ」
そう言うと、ヴェナの氷がカミラ達の背後にあったエレベーターを凍結させていく。カミラの炎は長く燃焼させる能力ではない為、これを溶かすような真似は出来ないし、そもそも生成し続けられてしまえば溶かしても意味は無い。これでもうこのエレベーターを使うことは出来ないだろう。だが、カミラには元々そんなつもりもない。氷漬けになったエレベーターを横目に、笑うだけだった。
「ふざけちゃいないさ。まさかあたしが、知らないと思ってたのか?」
カミラは戦闘着の肩部分をぽんぽんと叩く。ヴェナが表情だけで微かに反応を見せた。
「両肩。そしてヘルメット。発信機が付いているだろ? 追ってくると思ってたよ」
「あなた……」
彼女の指摘通り、子らの戦闘着には万が一に備えて発信機が付いている。思惑通りに動かされたことが気に障ったのか、ヴェナは目を吊り上げていた。そんな彼女の反応に可笑しそうに目を細めたのも束の間、会話を長く楽しむ様子なく、カミラはモカを振り返る。つい先程まで地面にへたり込んでいた彼女は既に立ち上がっていたが、まだ、視線は足元へと落としたままだった。
「……モカ、お疲れさん。巻き込んで悪かったな。行け」
囁く声は何処までも優しく、モカは唇を噛み締めた。そして、カミラに促されるまま、ヴェナの方へと足を向ける。
しかし、数歩進んだところで突然、イルムガルドが鞘に納められたままの二本の剣をモカの前に突き出したので驚いて立ち止まった。引き止められたのかと思いきや、イルムガルドはぐっとその剣をモカに押し付けた。
「ついでに、これ持って行って」
「……あ」
つまり、イルムガルドも武器を放棄し、降伏する意志を見せているのだ。モカは頷き、彼女から剣を受け取った。それはモカの手には少し重い。こんなものをいつもあの小さな身体で振るっているのだと、今、考えるべきではないことを思う。モカの思考はもうあまり働いていなかった。戻ってきたモカを職員らが保護し、両腕で抱えられた剣を受け取る。その様子を、カミラは僅かに目を細めて見つめていた。
「今からテレシア、イルムガルドも降伏させる! 武器を構えていても構わないが、抵抗の意志は無い。無駄に怪我をさせてくれるなよ!」
そうしてカミラが次に促したのは、テレシアだった。彼女らの間では事前に話がしてあったのか、テレシアはそれに従順に頷いて歩き出す。けれど、彼女は途中で立ち止まった。カミラが小さく首を傾けた様子を見れば、それはテレシアの独断だったのだろう。一度はカミラへと背を向けたはずのテレシアは、もう一度振り返るとカミラへ駆け寄って、その身体に抱き付いた。カミラが刹那、無防備な驚きを見せた。
「……テレシア」
震える肩に手を添えたカミラが、ゆっくりと眉を下げる。
「私、は、カミラさんの所に、配属されて、幸せでした」
彼女の声は、震えていた。だが、いつものような怯えではなかった。カミラは不器用な笑みを浮かべ、肩に添えていた手を小さな後頭部へと回した。
「感謝を述べたいのはあたしの方だよ。お前が居なければ、あたしは永遠に願いを叶えられないところだった。……来てくれて本当にありがとう」
カミラに抱き付いたままで何度も頷いているテレシアを、カミラは宥めるように撫で、そして改めて、ヴェナ達の方へ行くようにと促す。カミラを見上げたテレシアの目には涙が浮かんでいた。その目尻を軽く拭ってやってから、カミラは彼女を見送る。
恐る恐る戻って来たテレシアを、職員らはそのまま迎え入れた。命令違反は彼女も同じだが、主犯がカミラであることは明らかであり、また、テレシア個人には戦う力が無い為だろう。
そして彼女があちらに保護されるまでの間に、カミラは小さな声でイルムガルドと会話をしていた。
「……重ねてすまないが、テレシアを頼む」
イルムガルドは視線だけをカミラに向け、口は閉ざしたままだ。カミラも軽く視線を向けるのみで、イルムガルドに身体や顔を向けようとはしない。会話をしていることを、
「お前が此方に付いてくれたおかげで、誰も傷付けずに済んだ。感謝している」
その言葉にも、イルムガルドは小さく首を傾けただけ。カミラはそんな素っ気ない動作に、何故か嬉しそうに目尻を緩めていた。
テレシアを保護した職員らの動きを見守った後、カミラはイルムガルドにも降伏するよう手振りで促す。イルムガルドはテレシアと違い、戦うことが出来る子だ。両手を上げ、テレシアの場合よりも慎重にヴェナ達の方へと歩み寄っていく。しばらく緊張の面持ちでそれを見守っていたヴェナは、彼女が互いの中間地点まで歩いたところで、手をかざしてその歩みを止めさせた。イルムガルドも予想していたのか、戸惑う様子無く大人しく足を止める。
「あなたは武器が無くとも脅威だわ。両手を揃えて、前に出しなさい。足も揃えて」
言われるままの姿勢を取ると、イルムガルドの両腕と両脚が、ヴェナの氷によって拘束された。肘から先、そして膝から先という広範囲を強く封じてしまえば、幾らイルムガルドであっても容易く解くことは出来ない。イルムガルドを封じる手段の一つとして、既に研究施設でヴェナが検証済みの内容だった。
当然、その状態ではこれ以上イルムガルドが進むことは出来ない為、身動きの取れなくなった彼女を職員が担架で機内へと運び込んでいた。
最後に残されたのは、主犯のカミラ。しかし彼女には、動く様子は無い。彼女は職員らが携えている銃を一瞥し、嘲るように笑い、首を振った。
「銃なんて、意味が無いよなぁ、丈夫な戦闘着を作ってくれているんだからさ」
何処へ弾を撃ち込んだとしても、痛みはあるだろうが、カミラの意識を奪うような衝撃にはならない。カミラの意志が伴わない限りはもう止められないのだ。この場に居る全員に、カミラが続けるだろう言葉が分かっていた。
「あたしは残る、とっとと行け。此処だけは爆破しなきゃ、進軍が無駄になるだろ」
それでも職員やヴェナはまだ動かなかった。此処まで迎えに来たのは、既に保護をした三名を取り戻す為ではない。『四名全員』を迎えに行けという命令に従って来たのだ。
『――無事に戻れと命じたはずだ!』
「あぁ……なるほど、デイヴィッドか」
微かなノイズを纏いながら響く声。此処には居ない、遠くタワーからの声に、カミラはやや参った様子で眉を下げ、肩を竦めた。思い返せば出発前、タワーと通信できるように準備しておくと伝えられていた。
「命令だったか? 祈られただけだと思っていたが」
『茶化すんじゃない。こんなことの為に、お前を派遣したわけではないんだぞ!』
彼が張り上げる大きな声に、短いハウリングが起こる。カミラは眉を顰めた。音が不快だったわけではない。彼女にはデイヴィッドの言葉を聞き流すようなことが出来なかった。
「こんなこと? 馬鹿を言うな。此処を破壊し、この国を降伏させる。これがあたしらに課せられた任務だ。あたしにしか出来ない。……だが、離脱可能な距離から行うのは、あたしにももう出来ない」
この施設の門の外から点火し、最速で離脱する作戦だった。今彼女らが立っているような位置からでは、最速で離脱しても確実に巻き込まれる。特に今回使用するような小さな機体が爆風に煽られてしまったら、待っているのは墜落だけだ。カミラを置いて行く以外の措置では作戦が実現不可能であると、もう全員が理解していた。
『いつから……落ちていたんだ』
問いを重ねる彼ももう分かっているのだろうに、諦めることが出来ないその甘さが滲み出ている。
カミラが最大で十キロ先まで点火することが出来るというのは、
「さあな。気付いた頃には届かなかったよ。そして年々、届く距離は縮まっている。あたしはいずれこの力を、失くすのかもしれない」
「そうなってしまえば、もうどれだけ機会を貰っても、此処を潰すことは出来ない。……この手で復讐をするには、今しかないんだ、デイヴィッド」
この言葉を扱う時だけ、彼女は押し殺していた感情の端を見せた。言葉尻が微かに震えて、それを誤魔化すように、カミラは大きく息を吐く。
「もう時間も無いぞ。お前らが行かないなら、もろとも爆破する。どうする?」
この作戦は時間との勝負だった。今はまだ、自国軍が敵軍を抑えてくれている。だが、それもいつまで保つか分からない。最悪の場合、敵軍が此処へと押し寄せ、彼女らはこんな少数で囲まれてしまうだろう。言葉を失くしてしまった職員と、総司令に、ヴェナが諦めたように溜息を吐いた。
「行きましょう。彼女は聞きません。彼女の炎はもう消えないんです、司令」
何か言おうとしたのかデイヴィッドが息を吸い込んだ音が入り込んだのに、彼が言葉を発することは無かった。全員が沈黙し、施設の駆動音と、強まってきた風の音だけが辺りに響いていた。その中でも、ヴェナの声は静かであっても全員の耳に、遮られることなく届いた。
「……私は、もうカミラを楽にしてあげたい」
その言葉を零す時、もうヴェナはカミラを見ていなかった。視線を僅かに逸らし、目を合わせようとはしなかった。カミラもまた、ヴェナを見なかった。腕を組み、彼らの答えを待つようにじっと地面を見つめていた。
『カミラ』
ようやく発した司令の声は、酷く震えていた。総司令という立場を忘れてしまったかのように感情的で、縋るような声だった。
『本当にもう、どうすることも、出来ないのか』
「……ああ」
彼女の返答に、デイヴィッドは嗚咽を漏らした。続けなければならない言葉は理解していても、それでも彼は何か策を見出そうと沈黙した。……しかし何も無かった。デイヴィッドは何度も喉を震わせながら、カミラを置いて全員その場を離脱するように命じた。カミラはその声を聞き、眉を下げて微笑む。
「甘ちゃんなのは、変わらなかったなぁ。親不孝を許せよ、ダディ。……じゃあな」
その言葉を最後に、彼女らの対話は終了した。
ヴェナはもう一度だけカミラと目を合わせると、何も言わず、無感動に彼女へと背を向ける。テレシアとモカの両名は一つの機体に、そしてイルムガルドをもう一つの機体へと乗せ、彼女自身は自らの氷で拘束中のイルムガルドと同じ飛行機に乗った。
小型飛行機は、カミラただ一人を残し、真っ直ぐ上空へと離れていく。この機体は真上に上昇し、加速レバーを引くことで前進する機能を持つ。操縦士が、加速のカウントダウンを十から開始した。飛行機がこの場を離れれば、カミラは目的に点火し、この施設を爆破するだろう。イルムガルドは窓から見えるカミラの小さな姿を見下ろした。もう片方の飛行機から、テレシアとモカもきっと彼女を見つめている。
ただヴェナだけは、カミラの姿を見ようともせずに目を閉じていた。カウントが、五を切る。イルムガルドが姿勢を変えて隣に座るヴェナへと視線を向けた。同時にヴェナも目を開けて、その視線に応えた。
そしてカウントが二から一へと変わった瞬間。イルムガルドらを乗せた機体に轟音が響いた。直後、操縦席に響くエラー音。機内へと吹き付けてくる強い風。
「な――」
イルムガルドが機体の扉を破壊して外に飛び出して行った瞬間を見た職員は、息を呑んだ。
機体が大きくバランスを崩していくのを、操縦士はハンドルを握り締めて必死に凌いでいた。扉を解放したままでは加速は出来ない。そもそもそのような状態で飛行する作りではないのだ。どうするべきかと誰もが考え巡らせたのは、数秒程度のこと。ヴェナの氷がすぐさま破壊された入り口を覆い、ものの数秒で、機体は再び安定した。
「ヴェナ、君は」
職員が眉を寄せる。彼女だけはただ一人、涼しい顔をしていた。イルムガルドが動き出す時、ヴェナの氷は彼女を全く拘束していなかった。
「早く離れませんと、間に合いませんよ」
「……っ、離脱します!」
イルムガルドの回収は不可能と判断し、操縦士が、小型飛行機の加速のレバーを最大に引いた。二機の小型飛行機が施設を離れてから間もなく。遥か後方で施設一帯が赤く染まり、巨大な黒煙を空に上げた。
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