第136話_巨大施設で終わりを望む

 イルムガルドに下ろされたモカは身じろぎをする暇も無く、そのままカミラに押さえ込まれ、首元にナイフが突き付けられた。随伴の職員らとヴェナはその光景に息を呑み、身体を固める。カミラは彼らの表情を見ながら、くつりと笑った。

「賢い奴らばっかりで助かるよ、そのまま動かないでくれ。あたしも可愛い妹に傷は付けたくないんだ」

「……何のつもり、カミラ」

 怒りに近い感情で微かに声を震わせ、そして強く睨み付けてくるヴェナの視線を受けても、カミラの表情は変わらない。いつも通りの笑みを浮かべていた。それがヴェナの神経を、逆撫でしていく。

 その間、イルムガルドとテレシアは、施設の門の方へと移動していた。テレシアはヘッドホンを外した状態で、門の傍にある機械に触れている。イルムガルドは彼女から一歩離れ、睨み合いをしているカミラ達を無表情のまま観察していた。おそらくはテレシアを守っているのだろう。ずっと、剣の柄に手を添えていた。

 しかしその膠着状態が続いたのは、十数秒間だけのことだった。

「開錠できました、カミラさん」

「よくやった。すぐに移動する。先に入れ」

「はい」

 カミラの指示にテレシアが返事をすると同時に、大きな門の方ではなく、彼女の隣にある筒状の設備の扉が開いた。どうやら地下へと続くエレベーターだ。

「何……どういうこと?」

 ヴェナが困惑の表情を浮かべる。職員らも同じだ。何故そのようなことを、テレシアが出来るのかまるで理解できないという表情だった。カミラは何処か楽しそうに笑っていた。

「テレシアの能力はな、こうやって使うんだよ。あの子は『機械の声』も良く聞こえる。全てが意のままだ」

 そう言い、カミラはモカを連れたままで後退し、テレシアが既に入り込んでいる扉の方へと向かう。

「マイ・ドール。あたしの炎はもう、十キロも届かないんだ。この作戦は最初からな、無理だった」

「……あなた」

「だが千載一遇のチャンスだ。逃したくもない。だから、悪いがこいつらには協力してもらう。じゃあな」

 意味するものを理解したヴェナは目を見開いた。そしてカミラではなく、元より彼女に協力する形で動いていた二人に向かって声を張る。

「あなた達は何を考えているの!? カミラは死のうとしている! あなた達も巻き添えになるのよ!」

 その言葉に、テレシアが何かを言おうと口を開いた。しかしそれをイルムガルドが手で制した。同時にカミラがモカを盾にしながら、扉の奥へと入り込む。咄嗟に職員らが武器を構えたけれど、イルムガルドが剣を抜いて前に出れば全員が怯んだ。

「攻撃しなければ攻撃しない。動かないで」

 静かな忠告に、誰かが生唾を飲み込んだ音が聞こえた。彼女には銃が利かない。今、彼らが持つどんな武器でも、彼女には対抗できない。手段があるとすればヴェナの氷だが、生成を始めると同時にイルムガルドが走って彼女を斬ってしまう方が格段に速いだろう。それを理解しているだろうヴェナは、動かなかった。

「イルムガルドちゃん……どうして?」

 ヴェナの問いに答えることなく、イルムガルドはただじっと彼女を見つめ返す。そして、何も語らないまま、カミラが背後から呼ぶ声に応じて彼女も、そのまま後退して扉の向こうへと消えた。

 残されたヴェナと職員は、低く響くエンジン音を背に、呆然と立ち尽くすしかなかった。


 その後、地下へと降りたカミラ達から、モカは直ぐに解放され、カミラはあっさりとナイフを専用のシースへと仕舞い込んだ。もうそれをモカへ向ける意志は無いということだろう。

「お前がこのメンツに抗っても意味は無い、分かるよな。付いて来い」

 短くそう言うと、事情などを説明する様子も無く、カミラはテレシアを隣に歩かせながら進んでいく。モカは足を止めたままで、その背に向かって震える声を発した。

「カミラさん、これは立派な命令違反です」

 その声を聞いたカミラは、数歩で歩みを止めて彼女を振り返った。それは、今まで彼女がモカへと見せてくれていた優しさのように思えたのに、呆れた様子で首を傾ける彼女からそのような温かさは感じられない。

「知っているさ」

「私は、ご協力できません」

 モカは泣き出しそうな顔をしていた。カミラはモカにとって、姉も同然だった。心から尊敬し、信頼していた。どうしてこのような行動に走るのか、まるで理解できない。

 彼女の先程の言い分を聞いても、理解できないのだ。どうしてもこの施設を破壊したいとして、だけど彼女の能力が既に衰え、それが作戦通りでは不可能であったとしても。奇跡の子らを「弟」や「妹」と呼んで愛していた彼女が、子らを巻き添えにするような選択をすることが、どうしても信じられなかった。

 しかし、モカからの視線を受け止めたカミラが、表情を変えることは無かった。

「じゃあそこにいるか? 一人で死ぬだけだぞ。愛しい恋人がたった一人、施設の何処かで捨てられて死んだなんて聞いたら、レベッカは悲しむだろうなぁ」

「――あなたはっ」

「カミラ」

 噛み付くような声をモカが張り上げると同時に、イルムガルドの声が二人の間に入り込む。ただそれだけで、続けようとした言葉をモカが飲み込んだことにも理由があった。けれど振り返ったモカをじっと見つめているイルムガルドの瞳に、モカの求めたものは無かった。

「先に行って。わたしが連れて行く」

 イルムガルドの言葉にカミラは軽く頷くと、もうモカの方を見ること無く、テレシアを連れてそのまま通路の奥へと進んでいく。取り残された二人の周りでは絶えず何かの駆動音が響いているが、人の気配はまるで無い。この施設はあまり人が配置されていないのだと事前に聞いていたけれど、管理をする者が何処かに数名居るはず。設備が幾らも破壊され、こうして侵入を許しても尚、影も形も無いのはどういうことなのだろうか。モカの目からも、人の姿は彼女達以外に確認できない。

 しかしそんな疑問も、ゆったりと前に立つイルムガルドを見ればモカの中から消えてしまった。今、モカは酷く動揺し、感情的になっていた。

「イルムガルド、こんなことをして何になるの? あなたが罪人になれば、アシュリーさんはどうなるのよ」

 震える声で問い掛ける。だがイルムガルドはじっとモカを見つめ返すだけで、何も答えてはくれない。

「あなたは、一体、誰の味方なの」

 どれだけ素っ気ない態度を取ろうとも、イルムガルドはいつもモカ達を守ってくれていた。身体を張り、命を懸け、どんなに酷い痛みを受けても、奇跡の子らを守ってくれた。自らの立場を悪くしてでもモカの視力改善に協力してくれた。だからモカは、イルムガルドのことを信じていた。どうか今も味方であってほしいと願うように、問い掛けていた。

 けれど、小さく首を傾けるイルムガルドから返った言葉は、心無いものだった。

「わたしが、誰かの味方だと思ってたの?」

 瞬間、モカの視界から、イルムガルドは消えた。

 十数分後、イルムガルドはモカを連れ、カミラたちと合流する。カミラは彼女らを見て、ふっと笑った。

「何だ、寝かせちまったのか? モカも妹なんだ、あまり手荒にしないでくれよ」

「……置いて行くよりは大事にしてる」

 答えるイルムガルドの背に、モカは意識の無い状態で背負われていた。カミラは肩を竦めつつも、強くイルムガルドを責める様子は無い。

 そうして静かになってしまったモカが次に目を覚ましたのは、カミラ達が施設の地下を進み、最初とは別のエレベーターを利用して再び地上へと出た時のことだった。空気が変わったことと周りの駆動音が今まで以上に大きかったことが、刺激になったのかもしれない。彼女らは内部の移動設備を利用し、短い時間で七キロ近くを移動していた。

「う、此処は……」

「ああ、起きたか。丁度いい」

 目覚めたことに気付くと、イルムガルドは無造作にモカを地面に下ろした。勿論、落とすような真似をしたわけではなかったのだが、モカは咄嗟に力が入らなくて、へたり込んでしまった。

「モカ。東に見えるあの建物に、例の化学物質があるはずだが、見えるか?」

 反射的に能力を使用して建物の中を確認した後で、モカはゆっくりと覚醒し、指示を出すその人を見上げた。

「……カミラさん」

「心配するな、それだけ教えてくれれば、お前は無事に帰れる。ほら、迎えも来た」

 突然、モカが良く知る優しいカミラの声が掛けられた。それに戸惑うと同時に、強い風が吹き付けてきて、彼女の言葉の意味を知った。モカ達が乗るはずだった小型飛行機が、上空から降りて来ている。追ってきたらしい。カミラ達を空からずっと探していたのだろうか。

「あの建物の何処にある? モカ、教えてくれ」

 おそらくは既にテレシアにも探知させ、意見は聞いているのだろう。そしてモカの目でも確認させて、確定させたいのだ。例えモカが此処で黙り込んだところでカミラの計画は阻止できない。そもそも、阻止することは何になるのだろうか。この施設は、破壊しなければならない。その為に彼女らの国はこの大規模な作戦を実行したのだから。そしてカミラの能力を使用しなければ爆破も出来ない。

 モカの身体が震えていた。カミラの問いに答えることが何に繋がるのか、分かっていた。分かっているのに、「教えてくれ」とカミラに願われた声が、モカに他の選択をさせなかった。……カミラはモカの姉だったのだ。どうしようもなく、慕っていたのだ。

「……地上、一階の、中央です」

 答えた彼女に向けられる優しい笑みも、頭を撫でた優しい手も。これが最後なのだと理解せざるを得なかった。

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