第138話_腕の中へ星が届けたもの

 イルムガルドはヴェナが氷を消した直後に機外へ飛び出し、後ろを振り返らなかった。自らが壊した扉も、その衝撃でバランスを崩した機体にも目もくれず、真下で目を丸めているカミラの所へと着地する。

「なんって無茶を……お前、どうやって氷を解いて来たんだ?」

 問う形を取りながら、イルムガルドが返答しないことは想定内だったのだろうか、カミラはイルムガルドではなく上空へ目をやった。一瞬前まで大きく揺れていた機体は氷で補強され、体勢を立て直している。カミラは小さく安堵の息を漏らしてから、イルムガルドへと視線を戻した。

「で、どうした? お前がまさかあたしと心中したがるとは思わなかったな」

 その言葉とほぼ同時に、上空の機体が加速して離れて行く音が響いた。突風で乱れた髪をカミラは手櫛で簡単に整える。イルムガルドの髪も跳ね上がっていたが、元々あまり癖の付かない髪質だ。酷く乱れるようなことは無く、重力に従って元通りになっていた。

「……そんなわけないよな、奥さんが居るんだろう、とっとと離れろ。爆風ならお前の身体は耐えられるのかもしれないが、爆炎となったら別だろ。あたしに妹を焼かせてくれるな」

 明確な実験や検証が行われているわけではないが、おそらく、イルムガルドの強靭な肉体でも、炎は防げない。電撃に対して損傷が無かったことから一時的な高温には耐えうる可能性はあるが、長く炎に巻かれて無事でいられる保証はまるで無かった。そもそも爆破後、この一帯は著しく酸素濃度が低下し、化学物質が周囲に飛び散る。この場に居て、イルムガルドが助かる見込みは全く無い。

 カミラはイルムガルドへと背を向けた。彼女が見据えるのはもう、目的の建物だけ。

 上空にあったエンジン音はもう聞こえない。いつ爆破を実行しても、小型飛行機が被害を受けることは無いだろう。二人だけになった空間で、カミラの背後で小さく土を踏む音が聞こえた。まだ背中を見つめてくる気配に、カミラが静かに声を掛ける。

「お前にあたしは救えないよ、イルムガルド」

 言葉は何も返らない。彼女が身じろぎする音も無い。けれどそんなことは、カミラにはもうどうでも良いことだ。

「こんなことをしたって救われないさ、誰一人。失ったものは戻らない。死んでいった弟も妹も喜びやしないだろう! 敵国を全滅させたところであたしは少しも楽にならない! そんなことは分かっているんだ!」

 奇跡の子の中で、イルムガルドが誰よりもカミラと短い縁だった。だから彼女は知らない。カミラがこんな風に声を荒らげたのは、WILLウィル配属以来、初めてのことだったのだと。カミラもこのような姿を見せることが出来たのは、そんな彼女の前だったからなのかもしれない。

「だが、殺さずにいられない。壊さずにいられない。そんなところまで来たんだよ、もう、止めることは出来ないんだ」

 続いた声からは、覇気が失われていた。

 カミラは、疲れ果てていた。己を焦がすほどの怒りと憎しみと、そして愛する者を失っていく悲しみの中、自らの力は衰えを見せ、価値を失っていく日々。もしもいつか、戦えなくなってしまったら。戦いに行く子らを、何も出来ずに見守るだけの存在になってしまったら。きっと狂ってしまう。彼女はそう思っていた。だから今でなければならなかった。これが彼女が掴み取れる唯一の救いだったのだ。

「行け、イルムガルド、じゃなきゃここで死ぬことになる。……可愛い伴侶が帰りを待ってるぞ」

 そのまま後ろを振り返ることなく、カミラは真っ直ぐに指先を建物の方へと向けた。

 イルムガルドが立ち去ったか、留まっているかはカミラには分からない。イルムガルドは一足で遠くに跳べる為、他の者がそうであるような、『駆ける音』など鳴らないのだ。一度きり土を蹴る音など、周りの建物が立てる機械音に容易く紛れてしまうだろう。

 だから彼女の無事を願うならば、振り返り、確認すべきだった。しかしカミラはそうしなかった。決心が鈍ると思うからだ。短い付き合いだったとしても、イルムガルドもカミラにとって大切な妹だ。本当は巻き込みたくなどない。幸せを掴んだと聞いているから、そのまま生きて幸せでいてほしい。だけど。カミラは今、目の前にある一つだけの救いを諦めることが出来ない。

 それでも三秒だけ、カミラはイルムガルドが去ることを祈りながら待った。

 ゆっくりと息を吸う。建物までの距離は三キロメートルも無いだろう。引火後、数秒ともなく爆風が到達し、あとはもう一帯が火の海に変わっていくだけだ。そう思うと同時に、憎しみの渦巻く彼女の心が少し和らいだ。これで、ようやく、終わるのだと。

イグナ――」

 しかし彼女がその言葉を紡ぐ寸前。立ち去っていなかったイルムガルドが、カミラの隣に立った。

 決意していたはずなのに、カミラは言葉を止めてしまう。咄嗟に、目がイルムガルドを捉えた。いつの間にか、彼女の手には拳大の丸い氷の塊が乗せられている。カミラはそれ見ると大きく目を見開き、……そして、気が抜けたように小さく笑った。

「――お前、お人好しだな」

 カミラはそう言うと、イルムガルドの身体を抱き寄せ、守るようにしてしっかりと腕の中に収める。イルムガルドは最後まで、何も言わない。無抵抗にただ、カミラの腕に留まって目を閉じていた。

点火イグナイト

 はっきりとカミラの口から紡がれたキーワード。直後、爆炎が彼女達を飲み込んだ。

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