第135話_子らが横断する戦場

 敵国に侵入し、軍用車で戦場を走り始めてから既に六時間が経過していた。途中で二度、自国軍の陣営で休息しているが、それぞれ一時間にも満たない休息だ。いずれも軍用車を乗り換える為だけに立ち寄っている。いつになく緊迫した状態での長時間移動に子らが体調を崩すのではないかと、付き添いの職員や医療班は細やかに健康状態をチェックしていた。

 ただし、彼女らの乗る軍用車は、戦場の只中を走っているにもかかわらず、一度も戦闘は行っていない。

 今回、子らに課せられた仕事は戦うことではない。目的の施設を破壊することだけだ。紛れ、じわじわと目的地に近付き、離脱後は敵を振り切って最速で辿り着くのが作戦となる。もしもこんなところで戦闘に巻き込まれてしまえば、その時点で作戦はほぼ失敗だ。自国軍が上手く彼女らの乗る車を隠し、戦場を攪乱かくらんしていく。

「やはり、戦場での走行中は通信が安定していませんね」

「そうね。一つの軍用車にしてもらえて良かったわ」

 自国軍と通信を取りながら紛れて進んでいるけれど、頻繁に通信が不安定となっている。モカとテレシアの二人による索敵がどれだけ機能しようとも、子らが分けて乗せられていた場合、弱い通信ではもう片方の車が無防備となる。まして二人を分断するなんて以ての外だ。彼女らは互いの欠点を補えることを理由に今回、選ばれているのだから。

 荒れた地面を走る車の中は常に激しく揺れている。モカとヴェナは時折短く話しながらも、揺れの激しさですぐに口を閉ざしていた。どれだけ揺れてもゆったりと座っているカミラやイルムガルドと違い、他三名はかなり体力と気力がすり減っていることだろう。だがこの先の彼女らに、休む暇は与えられない。

「そろそろ分岐点に入ります! 東側、敵影ありません!」

「上々。――モカ、テレシア、此処からは頼むぞ」

 カミラの言葉に、名を呼ばれた二人がそれぞれ応え、テレシアがヘッドホンを外す。自国軍が囲ってくれていた間、二人の能力は温存してあった。しかし此処からは少しの護衛が付くだけとなる為、危険度が増す。目的を達成し終えるまでは、二人には常に索敵することが求められていた。

「離脱開始!」

 職員がそう叫ぶ一拍前に、周囲には煙幕代わりの土埃が舞い上がった。彼女らの軍用車が一秒でも長く敵の目を掻い潜れるように、自国軍が離脱に合わせて上げてくれたようだ。

「もう視えていますね、本当に大きい施設です」

「なるほど、モカが居る限り目的地を見失う心配は無さそうだ」

 遠くを見つめながら呟いたモカの言葉に、カミラが上機嫌に応えた。その後、モカは車の前方へと目を向ける。土埃の中で進む車は、進行方向すらモカの目に頼っている。その間、索敵を任されていたテレシアがぴくりと震えた。

「――気付かれました! 砲撃が来ます!」

 慌てた様子で、テレシアは方角を手で示す。それに応じてモカは直ぐに目でそれを確認した。

「被弾は一つのみ、後方です!」

「マイ・ドール」

 同じく被弾の予想箇所をモカが手で示すのに応じて、カミラがヴェナを呼ぶ。ヴェナは不愉快そうに眉を顰めて返事をしなかったが、彼女の氷柱がモカの示した方向に立ち上がり、砲弾を防いでいた。

「カミラ。あなたからの指図は必要ないわ。黙っていて」

「はは、悪かったよ。ただの癖だ」

 また口論が始まるのではないかと周囲は少しひやりとしていたが、今回はこれきりだった。彼女らの連携で攻撃を免れた車は、そのまま速度を落とすことなく進んでいく。

「さっきの奴らは、破壊しとくか。テレシア、距離」

「はい、あちらに六百三十メートル。戦車が三両です」

点火イグナイト

 どうやら彼女らを狙ってきた戦車へ、カミラの火をぶつけたらしい。遠くで爆発音がした後、テレシアが「命中しました」と言い、モカも視て確認したらしく、カミラに向かって頷いた。

「何が起こったかは理解していないようです。敵軍、混乱しています」

「好都合だ。このまま振り切ろう」

 その後も彼女らの乗る軍用車は幾度も狙われていたものの、テレシアとモカが攻撃を捕捉し、ヴェナが氷でそれを阻止。安全が確認されればカミラが炎で反撃するという形で、防衛を続けた。特にカミラの反撃に対して敵軍はどんどん混乱し、陣形を乱していく。次第に自国軍だけでも充分に動きを抑え込むことが可能となり、結果、イルムガルドらの乗る軍用車は戦場から充分に離れることが出来た。煙幕代わりの土埃からも抜け、今はもうモカの目に頼らず、運転手が車を操作している。

「今のところ、追える状態の敵は視られません」

「こちらも危険感知ありません」

 モカに続けてテレシアもそう報告し、車内は少しの安堵に包まれた。これから更なる敵が攻めてくる可能性はあるけれど、一先ずは窮地を脱したのだ。一同が少し緊張を解いて息を漏らす中、ずっと大人しかったイルムガルドが、ゆっくりと瞬きをして口を開いた。

「……やることない」

 呑気な彼女の言葉に、皆が一瞬きょとんとする。そして一拍を置いて、カミラが大きな声で笑った。

「別にいいだろ、普段は大活躍なんだから。偶にはあたしらにも見せ場が必要なんだよ」

 楽しそうに笑っているカミラに釣られるようにして、他の者達も口元を緩める。

 ただ、今回の作戦は元よりこのような移動を想定されていた為、イルムガルドの出番は少ない、または無いことは予想済みだった。彼女は言わば保険だ。自国軍の陽動が失敗してこの少数での移動時に狙われてしまった場合に、これまで何度も多数に無勢を乗り越えて子らを生還させたイルムガルドの力を頼りたいというのが、WILLウィルが彼女を編成した思惑だった。

 しかし幸運なことに、イルムガルドという切り札を出す必要も発生しないまま、一時間後、彼女らは目的地のすぐ傍へと辿り着いた。敵国からの襲撃もまるで無かった。

「追っ手は?」

「陽動は成功し、現在も軍が押し留めているとのことです。敵国の戦闘機も、かなり遠い位置まで引き付けたようで、すぐに此方へ向かうことは不可能でしょう」

 最も懸念していたのは、車より遥かに速度を出せる戦闘機だったが、この国ゼッタロニカが持つ戦闘機が全て出払ってしまうまで激しく各地で戦火を上げたことで、此方には回って来られないらしい。そもそも連合国軍を編成した直後に、この国も含め敵国らは多くの戦闘機をイルムガルドに落とされている。結果、どの国もあまり数を保有していない。この国が新型兵器を次々に投入する背景には、戦闘機が少ない状態を補う意図があると、軍やWILLウィルは考えていた。

「あっ、あの!」

「停めて下さい、地雷原です!」

「あ……」

 モカとテレシアが同時に声を上げたが、テレシアの方が少し遅かった。軍用車は勢いよく急停車する。後続車は少し距離を取って付いてきているが、それでも同じく慌ててブレーキを踏んでいた。振動が止むと、言葉を重ねてしまったことを詫びるように、モカは苦笑しながらテレシアの方へと手を挙げる。それに応えてテレシアも小さく会釈していた。

「流石にすんなりとは侵入させてくれないか。通れそうか?」

「間隔は広いので、通ることは問題ないように思います。一番の懸念は、地雷原をすり抜けている最中に狙われることですね」

「確かに……下手にハンドルを切れない上、敵の攻撃が地雷を作動させる可能性もあるからな」

 カミラは考えるように腕を組むと、意見を求めているのか、視線をヴェナに向けた。しかしヴェナはそれを知りながら無視するように、モカの方へと顔を向ける。

「可能な限り早く通り抜けてしまうしかないわ。万が一の場合は、私の氷で車を覆いましょう。モカ、運転は?」

「そうなりますよね……はい、問題ありません」

 頷きながらも、モカは小さく肩を竦めて苦笑していた。十八歳を超えている奇跡の子らは皆、軍用車のような特殊な車両や大型車を含め、車の運転訓練を受けさせられている。あまり頻繁に必要となる技術ではないだけに、問題ないとは答えたものの、モカは少し不安そうだ。何にせよ、視えない者にモカが指示を出すよりも彼女自身が擦り抜けていく方が安全であり、速いだろうという考えは尤もだ。モカも抵抗するつもりは無かった。

「進行方向が危ないと思ったら教えてくれるかしら。見落としているかもしれないから」

「は、はい、すぐに」

「ありがとう」

 運転席へと入り込み、体勢を整えたモカは一度テレシアを振り返ってそう告げる。テレシアは彼女の言葉に頷くと、職員に座席を交替してもらって、運転席に一番近い場所へと移動していた。

 モカは小さく息を吐いてからエンジンを掛けると、大きな車を細腕で慎重にコントロールして地雷原の中を進んでいく。先程と比べれば速度は落ちるが、迷う様子は無い。テレシアは視線を落とした姿勢でじっとして、音に集中しているようだった。

「で、離脱前に壊すべき設備はどれだけあるんだった?」

「……あなた、本当に会議を聞いていないのね。対空設備が十二機の見込み。到着時には改めてモカとテレシアが確認よ」

 後輩らが真剣に仕事をしている横で、カミラは呑気な顔でヴェナにそんなことを問い掛ける。特にテレシアは『音』に集中していると言うのに、この無遠慮さには流石のヴェナも怒りの前に一瞬驚いてテレシアの様子を窺うほどだった。幸い、集中が乱された様子は無かった。単にチームメイトとしてカミラの行動に慣れているだけかもしれないけれど。何にせよ、どう考えても今は慎むべき行為だ。職員らが手振りで静かにするようにと求めれば、カミラは笑いながら肩を竦めて、従っていた。

 現在、彼女らが乗る軍用車の後続車は、移動途中から合流した離脱用の小型飛行機を複数牽引している。対空設備がある為、飛んだ状態では接近できない。よって離脱時には飛行が可能となるように、対空設備は完全破壊が求められる。

「――地雷原、あと百メートルで抜けます。テレシア?」

「はい、以降は地雷の音ありません」

 宣言通りそのまま百メートルほど走行した後、モカは一度、車を停める。施設までは目と鼻の先ではあるが、施設に近付く程、何があるかは分からない。運転技術の高い者と交替しておく方が良いだろうという判断だった。

「休憩が欲しいところですが、私達の仕事は此処からが本番ですね」

 元の座席に戻りながら、モカはそう言って苦笑を漏らす。ヴェナが労いを込めて、彼女の背をゆったりと撫でた。

 そうして改めて車を発進させ、施設の東門付近まで接近。元々資料でもあった通り、どうやら対空設備は空のみを範囲としており、地上への攻撃機能は無いらしい。何の攻撃もされないまま、彼女らの車は目的地へと辿り着いた。

「予想通り、無人ですね」

 大砲を何十と打ち込んでも破れないと思えるほど頑丈そうな門が隙間なく閉じられており、周囲に人影はない。モカの目でも、それらしいものは確認できなかった。テレシアが同じく危険の感知無しと告げると、全員が軍用車を降りる。今回使った軍用車は此処で乗り捨てることになる。施設の爆破後は、瓦礫の一つとなるだろう。勿体ないことだが、背に腹は代えられない。

 門の傍にはモニター付きの機械が置いてあり、それを操作して門を開閉すると思われるが、システムのことは視たところでモカに分かるものではない。何にせよ、侵入は今回の任務ではない。目的の化学物質が保管されている建物は既にこの場所から、十キロメートル以内にあるのだから。

「発火で壊せる設備から順にやってくか。モカ、把握していない設備の確認を頼む。テレシアは把握分の位置を」

 カミラの指示に、モカとテレシアが頷く。一方、ヴェナは口こそ挟まなかったものの、眉を顰めていた。このようにきちんと仕事が出来るのなら作戦会議の時から気を張っていれば良かったのに、という不満だったのかもしれない。そうして彼女らが連携して着実に設備を発火で壊していく中、イルムガルドとヴェナは周囲を警戒し、職員らは離脱用の小型飛行機を準備していた。

 対空設備は想定より少し多かったが、全てがカミラの発火により破壊が完了。小型飛行機の最終点検も完了。敵軍が此方へと向かってくる様子も無い。全てが滞りなく、不備なく進んでいた。

「機体の準備が完了したわ。モカ、テレシア、カミラ、右の機体に乗って頂戴。あなた達が乗り込んだら、私とイルムガルドが左の機体に乗るわ」

 最初に乗り込んだ操縦士が、既に機体のエンジンを掛けている。この計画を崩す可能性のある要因は一つも見付けられない。――からは、何も無かった。崩すのは、内側だ。

「離陸したら、合図と同時にカミラは点火、機体は全て最速で離脱。いいわね?」

 最後の確認のようにそう声を張ったヴェナに対して、指示通りに機体へと足を向けたのは、

「悪いが、マイ・ドール。その作戦は忘れてくれ」

「……何ですって?」

 渇いた大地に、飄々とした声が響いて、ヴェナが眉を寄せる。彼女の隣まで歩いて来ていたモカが、他の誰も動かないその違和感に振り返った。視線の先で、カミラはそのまま彼女らとは逆の方向へと歩き出し、テレシアがその後ろを小走りで付いて行く。驚愕に目を見張ったヴェナが、喉を震わせた。

「ちょっと! 勝手な真似は――」

「きゃあ!?」

 呼び止めようとしたヴェナの声に被さるように、すぐ隣からモカの悲鳴が響く。しかし、反射的に振り返ったはずなのにそこにはもう、モカの姿が無かった。今まで彼女が立っていたことを知らせる、土埃だけがふわりと舞い上がる。

「な、何を、イルムガルド」

 次にモカの声が聞こえたのは、離れたはずのカミラの傍から。彼女はイルムガルドに担がれた状態であちら側へと移動していた。両脇にテレシアとイルムガルドを控えさせたカミラが悠然と足を止め、ヴェナを振り返る。

「さよならだ、マイ・ドール」

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