第134話_不安が流れ込む病室

 敵国進軍の為に駐屯地に滞在し、十三日が経過した頃。彼女らの周りは緊張感が漂っていた。各地への進軍は順調に進んでおり、奇跡の子らを進軍させる作戦が、三日以内に決行される見込みだと知らされたのだ。当然、戦況は相手の出方次第で幾らも変わる為、これも確定ではない。

「ルートの変更は今のところ知らされていない。まずは交戦中であるこの岩場を北上する予定だ」

 情報を持ってきた職員が地図を示しながらそう話すのを聞き、モカとヴェナが真剣な表情で頷く。

「東方向から襲撃の可能性は?」

「ほぼゼロだ。これも現状だけどね」

 ヴェナの問いに、職員はすかさず答えるけれど、先にも述べた通り戦況は刻一刻と変わっていく。奇跡の子らが出る頃には東にも敵軍が展開されている可能性まで消すことは出来ない。ヴェナもそれを知っているから、軽く頷くに留めた。

「小型の偵察機はどれほど用意がありますか?」

WILLウィルは七機を用意していて、明日、もう三機が届くよ。軍はもっと保持しているらしいが、僕らばかりを見てはくれないだろう」

 続けて問い掛けたモカに答える職員は、おそらく軍の持つ小型偵察機は当てに出来ないと言っているのだろう。つまりその十機だけが使えると考えて作戦は立てた方が良い。先程ヴェナが懸念した東側の偵察は、出発時点で小型偵察機を向かわせて事前に確認することとなった。

「一番の問題はやはり此処ですね」

「そうね、戦場を離脱する時……私達だけが別行動を取る瞬間。此処で間違いなく、敵はこの進軍の目的に気付くはずよ」

 そして同時に、可能な限りの戦力で彼女らを落としに来るはずだ。その時点で陽動がどれだけ上手く機能しており、敵国の戦力が分散されてくれているか、それに今回の作戦の全てが掛かっている。

「その時はやはり、ヴェナさんとカミ――あの、カミラさん」

 モカが戸惑いの声を漏らす横で、ヴェナがぴくりとこめかみを震わせ、手に持っていたバインダーで力一杯、カミラの頭を叩いた。その瞬間、テレシアだけが怖がるみたいに肩を縮めて目を閉じていたが、叩かれた張本人は目こそ覚ましたものの、驚いた顔も一切ない。

「あー、よく寝た。おはようマイ・ドール。目覚めに美人ってのは良いな」

「作戦会議中という自覚はあるかしら?」

「終わったか?」

「真っ最中よ。もう一回殴られたいの?」

 折角、いつになく順調に会議が進んでいたのに、それはただカミラが眠っており、静かだったからであるらしい。起きれば相変わらずの軽口ばかり。彼女もヴェナが居ない場では此処まで規律を乱しはしないのだけど、とにかく二人が揃えば最早お約束となりつつある口論が始まってしまい、結局この会議は中断した。

「仲良しだね」

「な、仲良しかな……」

 のんびりと二人を眺めてそう呟くイルムガルドに、テレシアはびくびくしながら疑問を口にする。そんな全てを眺めてから、モカは溜息を吐き、一人、作戦資料の確認をしていた。

 彼女らの恒例の口論が十数分も続くと、職員が気を利かせてヴェナを別の場所に連れ出して行く。本当かどうかもよく分からない用事の為に彼女が離席すれば、ようやく、子らの集まるテーブルが静かになった。職員がそっとブラックコーヒーをカミラの前に置いている。起きてほしいと思っているのだろうけれど、当人はそんな願いなど知らない顔でのんびりとそれを傾けた。

「そういえば、カミラさんは」

「ん?」

 作戦資料から不意に視線を上げたモカが、カミラに目をやる。応じて首を傾けるカミラの目に、眠気らしいものは見付けられない。口論とコーヒー、どちらが彼女の目を覚ましたのかは分からないけれど。

「初年は右にも手袋を着けていらしたように思いますが……いつの間にか、外されたんですね」

「ああ」

 他の奇跡の子らも戦場では怪我を防ぐ為、両手に手袋を着けているが、カミラに限っては私服の場合も手袋をする。モカの知る最初のカミラは両手にしていたことを、今、コーヒーを飲む彼女の右手が素手であるのを見て、思い出したらしい。カミラも自分の右手へと視線を落としてから、小さく頷いた。

「手袋ってのは対で売ってるもんだろ。勿体ない気がして着けてたんだが、別に必要ないって気付いたから外したんだよ。思った以上に不便だったからな。それだけだ」

 カミラの左手は酷い火傷の痕が残っている――と聞いているが、少なくともモカはその中を見たことが無い。ただ、晒されている右手には見える限りそのような痕は無く、カミラは隠す必要を感じていないと言っているのだろう。

 しかし、彼女の語った理由が全てなのかは定かではない。当時の彼女は子らと接する時、今以上に気を遣っていた。握手を求める時も、頭を撫でる時も。「手袋越しだから許してくれ」とよく言っていたのだ。けれど先日、モカの頬には素手で触れており、そのような言葉は何も無かった。その為、彼女が右に手袋をしていたことと、それがいつの間にか無くなっている違和感に、モカは気付いたのだろう。軽く首を傾けていたが、ヴェナが戻り、再び小さな口論が年長者らの間に発生したことで、疑問は霧散した。

 そんな騒がしくも平穏な彼女らへ出撃指示が出たのは、二日後のことだった。

 きちんと戦闘着を装着し、職員らによる最終チェックを終えた者から、軍用車へと乗り込んでいく。駐屯地は先日までの静けさとは打って変わって騒がしく、慌ただしく、不安や緊張を後押しするような雰囲気で覆われていた。それでも、いつもと何も変わらない表情でのんびりと佇むイルムガルドへと、モカは視線を落とす。

「……あなたは、怖くなることが無いの?」

 問いに、イルムガルドは小さく首を傾けただけで、やはり何も答えない。そしてそのまま、次のチェックに呼ばれて傍を離れて行った。イルムガルドを挟んだ向こう側に居たテレシアが、何処か慌てた様子でモカとイルムガルドを見比べる。その様子に、モカは苦笑を零した。

「この程度のつれない態度はいつものことだから、気にしないで。あなたやフィリップ君には特別甘いだけなのよ、あの子」

 直後、モカもチェックに呼ばれ、憂いを含む溜息を落としてから彼女も歩みを進める。タワーを発った瞬間からこの時が来ることをちゃんと理解していたはずなのに、いつもの遠征とはまるで違う緊張感に、どうしてもモカは落ち着くことが出来ないようだった。


 その同時刻。首都のタワーの中では、フラヴィが急ぎ足でレベッカの病室へと向かっていた。軽く肩を上下させながら到着した姿に、レベッカは笑みを見せつつも心配そうに首を傾ける。

「そんなに急いで、どうしたの、フラヴィ」

「モカ姉達、そろそろ、進軍するんだって」

「……そっか」

 本来、タワーを発った遠征組の子らの状況を聞くことは難しい。以前、モカが長くタワーを離れていた時も、無事であることだけしかレベッカは教えてもらえなかった。あまり広く伝えてしまえば何処かから情報が漏れることも考えられるせいだろう。特に今回などは敵国に悟られずに目的地まで辿り着きたい計画を立てているだけに、今まで以上に情報管理は徹底しなければならなかった。

 だがそれでも今回、デイヴィッドはチームメイトだけには、細かな進捗を知る権利を残した。今、此処まで駆けてきたフラヴィも、レベッカとウーシンならば伝えて問題ないという許可だけを得ている。他は例え家族であっても教えてはいけない。

「あー。待ってるだけって落ち着かないね。ウーシン、どうしてる?」

 わざわざ名指しで彼だけの様子を聞いてくるレベッカに、フラヴィは苦笑を零した。

「……鋭いな」

「そりゃ、最初からずっとチームメイトだからね」

 今の彼が平常通りではなく、様子を聞かなければならないような状態であることを、レベッカは半ば確信した口調だった。

「初日だけ結構荒れてたって聞いたけど、今は黙々とトレーニングしてる。でもちょっとまだ、苛付いてる感じはあったよ」

「そっか」

 ウーシンは最強を自負していただけに、今回、参加できなかったことが悔しかったのだ。しかし、選ばれないことを理解できない彼ではない。此処のところ、彼には悔しい結果が続いている。彼も今は苦しい時期なのだろう。似た立場であるだけに、レベッカにもそれがよく分かる。笑みを消して、少し目を細めていた。

「作戦を聞く限り、時間との勝負みたいだから。進軍が始まったら多分、結果はすぐだ。一日か二日だと思う。……何か分かったら、また知らせに来るよ」

「ありがと。でも夜はちゃんと休んだ方がいいよ、フラヴィ」

 その言葉に、ばつが悪そうにフラヴィは顔を逸らした。寝不足であることが顔色に出てしまっていたのだと、気付いたせいだ。

「落ち着かないんだ。どうやって寝たらいいか、分からない」

 フラヴィが言うにしては随分と素直な弱音だった。それだけもう彼女の心も身体も疲れているのだろう。だからこそレベッカは努めて普段通りの彼女のまま、声を掛けてやった。

「こんな身体じゃなかったら添い寝してあげたんだけどなぁ、ごめんねー」

「逆効果だよ。レベッカの添い寝でよく眠れたことなんか一回も無いからな。お前は安静にしてろ!」

 返った言葉は少しだけいつものフラヴィになっていて、レベッカは何処か嬉しそうに笑う。そしてフラヴィは彼女らしい少しの文句を付け足した後、あからさまな溜息を零すと足早にレベッカの傍を離れた。

「でもまあ、休むように気を付ける。ありがとう」

 振り向かなかったのも、やけに早口だったのも。きっと照れ臭かったのだろう。そのまま部屋を出て行った。残されたレベッカも、天井に向けてゆっくりと息を吐く。

「身体が動いても動かなくても……残されてる以上、もどかしいね」

 こんな呟きも、悔しいのは自分だけではないのだと、言い聞かせたかっただけなのかもしれない。

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