第133話_駐屯地は平時を装う
イルムガルドらがタワーを離れ、二日目の朝。彼女らはまだ敵国に入り込むことなく、国境の駐屯地にて待機をしていた。
「私達は一つの軍用車に全員が乗ることも、二手に分かれることも可能とのことですが」
モカは資料を確認しながらそう言うと、ヴェナとカミラの方へ視線を送る。この特別な五名編成をするにあたって、指揮役を誰にするか、
「常に安定して通信が取れるなら分かれても良いけれど、出来れば一つが良いわね」
ヴェナも同じく資料を熟読するように見つめながら淀みなく答える。モカは一瞬カミラにも視線を向けたが、彼女が口を開く様子は無い。
「そうですね、以前に妨害電波を使われたことがありますし、その可能性は見ておいた方が良さそうです。一つにしてもらえるように、伝えておきましょう」
今回の作戦概要は決まっているけれど、細かな部分は
それでも素知らぬ顔を続けていたカミラが、徐に、隣に座るイルムガルドの肩を引き寄せた。
「いや良い眺めだな、そう思わないか? 賢そうな美人が並ぶだけで見ていて楽しい。なあ、イルムガルド」
何を言うかと思えば、まるで作戦に関わりの無い雑談だった。会議には沈黙が落ちる。イルムガルドは名を呼ばれ、肩を抱かれているにも拘らず無抵抗であり、無反応だ。しかしカミラはそれを気にすることも無く楽しそうに笑っている。大人しいカミラをずっと無視していたヴェナは、溜息と共に眉を寄せ、不快そうな顔で彼女を睨み付けた。
「何を他人事みたいに踏ん反り返っているの? チームでは指揮役なのだから、もう少し動いたらどうなの」
「マイ・ドールとモカが揃っていれば、他に頭脳は必要ないだろう。楽が出来る上に目の保養ってのは最高だな」
悪びれる様子無くそう言い放つカミラに対し、更に気を悪くした様子で、ヴェナは目を細めた。
「呆れた人。モカ、あれは扱き使いましょう」
ヴェナの隣に座るモカは苦笑をするだけで、何も言わない。呆れていると言うよりは困った顔をしていた。二人がどちらも年上であるだけに、彼女は何とも答えられないのだろう。
この二人、カミラとヴェナは、奇跡の子の中でも年長で、子らは勿論のこと、職員らからも頼りにされるほどの存在だ。しかし、大きな欠点が一つだけあった。二人を
いつものことではあるものの、モカと職員らは口論を始めてしまった二人を余所に、やや疲れた顔で作戦会議を継続している。一方、イルムガルドとテレシアは傍に居るが、やはり聞いているばかりで特に意見を述べることは無い。口論をしている年長者達と、静かに会議を続けるモカと職員らを二人でぼんやりと眺めていた。
駐屯地の中は、まだまだ平和なままだ。とは言え、既に敵国に入り込んで戦いを始めている自国軍が居ることもあって、あまり呑気な顔をしていては不謹慎になる。そのせいか、普段より兵士らも静かで、一番うるさいのが口論をするカミラとヴェナであることが多い。その度に
その傍ら、イルムガルドとテレシアは時折、こそこそと何かを二人で話している。口元を隠してテレシアが小さく笑うこともある。傍目に、二人は微笑ましいほど仲が良い。不和を起こしてしまうまで、訓練所でもきっとこんな様子であったのだろうと、モカはその様子を盗み見る度に思っていた。
「――思った以上に、疎外感だわ」
口論をする二人を引き離す口実のように、カミラとテレシアが何かの話し合いの為に職員らから呼ばれ、イルムガルドの傍を離れていた時、不意にモカはそう言ってイルムガルドの隣に座った。ヴェナも別の職員と話し込んでおり、傍には居ない。イルムガルドはモカをちらりと見ただけで、いつも通り、何も返事をしなかった。
「偶には私にも構ってくれる気は無いのかしら。これでも私がチームメイトなのよ?」
「無い」
「……あなた、私に冷たくない?」
即答に眉を寄せるモカだが、イルムガルドはまた無言を貫いた。しかし続く小言に珍しく溜息を零すと、呆れたような顔で渋々と口を開く。
「レベッカが居ないからって、甘えてこないで」
「別にあの子がどうというわけではないわよ。確かにレベッカが居れば構ってくれていたでしょうけれど」
冷たくあしらってみても離れて行かないモカに、イルムガルドが少し首を傾けた。諦めたようにも見えたけれど、続けられた言葉はそのような色ではなかった。
「あんまり応えてくれないって嘆いてたけど、モカの方が構ってあげてないんじゃないの」
瞬間、モカの表情が強張り、そして周囲を窺った。誰も近くにおらず、二人を窺っていないことを確認した上で、モカは声を落として問い掛ける。
「……何を知っているの」
「何でセックスしないの?」
「イルムガルド」
完全に、モカは彼女からの逆襲を受けていた。ただほんの少し、構ってくれることを求めただけだったのに。軽く項垂れている様子から見れば、既にそんなことを求めてしまった自分を、後悔しているかもしれない。
「嫌だとか、そういうつもりではないわ、もう少し、ゆっくり進みたいだけで」
何故こんな話をイルムガルドにしなければならないのかという顔をしているのに、モカは律儀な性格で答えてしまう。もしくは、こんな会話であっても構わないからとにかく『雑談の相手』が欲しくて仕方なかったのだろうか。
「レベッカは『待て』苦手そうだね」
「まあ……そうね」
「わたしも得意じゃない」
「ふふ。奥様は苦労するわね」
くすりと笑いながらモカは相槌を打つ。話題はともかくとして、何だかんだ雑談に応じてくれているイルムガルドに、何処か油断していたのだろう。イルムガルドが不意に向けてきた視線に、無防備に応え、首を傾けた。
「しばらく離れるからって痕とか貰った?」
唐突に投げられた不躾な問いに、思わずモカは眉を寄せる。繰り返し、周囲の気配を辿って声を低くした。今回は周りに聞かれない為と言うより、気持ちの問題でもあるようだった。
「流石に病室に居てそんなことされないわよ」
「へぇ、個人の部屋ならあるんだ。思ったより進展してた」
言うと同時に、イルムガルドが立ち上がる。モカは先程よりも更にはっきりと項垂れて俯いた。
「……本当、あなたに構ってなんて言わなければよかったわ」
「分かってくれたらいいよ」
逆襲の気が済んだのか、イルムガルドはモカから離れようと歩き出す。当然もう、モカはそれを追う気にも引き止める気にもならない。はあ、と、あからさまな溜息を零したところで、空いたスペースにどかりと豪快に座ってきた人影に驚き、肩を強張らせた。
「浮かない顔だなぁ、どうした?」
「カミラさん」
がさつとも言える動作で隣に来たのに、モカの頭を撫でた手は極めて丁寧で、優しかった。顔を上げると、モカの傍を離れたイルムガルドの方へ、テレシアが駆け寄っている。話し合いを終えて戻ってきたらしい。その気配に足を止めて傍に来ることを許すイルムガルドの対応が、先程までのそれと明らかに違い、その差にまた溜息が零れた。
そしていつまでもモカの頭を撫でているカミラを、改めて見上げる。目が合うと、軽く首を傾けたカミラが、目尻を下げて微笑む。その温かさは今しがたチームメイトに冷たくされたばかりのモカの身体には、やけに沁み込んだ。
「何だ、怖いのか。大丈夫だよ、あたしがお前を守る。心配ない」
頭に乗っていた手がモカの頬に滑り、慰めようとでもするみたいに、優しく添えられた。彼女はいつも、奇跡の子らに優しい。軽口も多い人だけれど、不安を感じている時には必ずこうして寄り添った。奇跡の子らの多くがそれを知っている。特に一年目から彼女を知るようなモカは、何度もこうしてカミラに言葉を掛けてもらってきた。
「……はい」
カミラの言葉だけで全ての不安を払拭など出来ないだろうけれど、幾らか力を抜いた様子でモカが微笑めば、カミラも嬉しそうに笑みを深めていた。
「そのあなたから、私はモカを守らなきゃいけないのよね」
瞬間、冷たい声が入り込み、モカの頬に触れていたカミラの手が叩き落とされる。叩かれた本人よりもそれを目の前で見てしまったモカの方が驚いていた。
「ちょっと目を離した隙に……モカに触らないでくれる?」
ヴェナはカミラからモカを引き離そうとでもするように、腕を回してモカを背後から囲っている。
「何だよ、別にお前のじゃないだろ、モカは」
「ええ。けれどレベッカのものだから。あなたのように軽薄な人には触ってほしくないわ」
「いえ、あの、私は別にレベッカのものでは……」
慌てて訂正の声を入れるが、モカを囲ったままで表情を覗き込んできたヴェナは、何やら意外そうな顔で目を丸めていた。
「でも恋人なんでしょう?」
「え」
モカは全力で思考を巡らせる。しかし、此処で彼女に助けの手が入る可能性はゼロだった。もしもこうして問い掛けてくる相手がカミラであったなら、ヴェナが助けてくれそうだけれど、今この問いをモカに向け、じっと目を見つめて答えを待っているのがそのヴェナなのだから。数秒の間を空けて、苦し紛れに漏らした言葉は悪手にしかならなかった。
「ど、……どうして、そんな話に」
「あら、否定しなかったわね」
満足そうに目を細めて笑うヴェナの顔を見て、モカは敗北を悟る。視界の端ではカミラが両腕を組んで感慨深そうに大きく頷いていた。
「はー、そうかそうか、とうとう」
「待ってください」
必死に二人の空気を押し留めようと声を張ると、ヴェナがモカの前髪を掻き上げ、改めて顔を覗いてくる。彼女は存外、スキンシップが無遠慮な人だった。
「違うの?」
「……ち、違いませんが、その、何故そのようなことをご存じなのかと」
二人にこうして面と向かって問われてしまえば嘘を吐くことも、モカには出来ない。大人しく白状をしつつも、出処だけは明確にしようと食い下がるモカに、カミラとヴェナは軽く目を合わせてから、再びモカを見つめる。こんな時だけ息を揃えるのは止めてほしいとモカは心の内で唸っていた。
「知らなかったわよ。最近のあなた達の様子を見ていて、何となくそう思っただけ。でも良かったわね、モカ。ずっと好きだったでしょう」
「あの」
どんどん弱くなっていくモカの声に、少し離れた場所でテレシアと二人で待機していたイルムガルドがちらりと視線を向ける。けれどモカはその視線にも、もう気付くことは出来なかった。
「私は、そんなに分かりやすい、でしょうか」
その問いに、カミラとヴェナは可笑しそうに笑うだけで何も答えてはくれない。それが何を意味するのか、モカはもう考えたくなかった。
恋愛感情があることを示していたつもりは無いのだろうが、彼女があからさまに、レベッカを誰より特別な人として扱っていたのは事実だ。切っ掛けがあれば気付く人は気付くのだろう。
「で、何処まで行ったんだ?」
「妹に下品な質問は止して頂戴。こういう時に聞くなら、まず――」
二人が、モカとレベッカの関係について問うべき内容を論争し始めたことそれ自体が、モカには堪らなく居心地が悪く、恥ずかしくて仕方がなかった。少し離れた場所のイルムガルドが口元を押さえ、軽く顔を背けた様子は自分を笑っている気がして、八つ当たりと知りながらもモカは彼女をじとりと睨み付けた。
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