第130話_報告を渋った待機部屋

「どう報告するのよ。もう、最悪だわ」

 モカはそう言って溜息を吐くと、やや乱暴にゴーグルをテーブルに置いた。コーヒーカップをソーサーに置く場合にもほとんど音を出さない彼女にしては珍しいその行為は、間違いなく、彼女の強い苛立ちを示している。しばらくテーブルに向かって項垂れたモカは、ゴーグルを放置したままで部屋を出た。

「早いな、モカ。……ん? ゴーグルはどうした?」

 集合時間よりやや早めに所定の場所に入れば、そこにはデイヴィッドが来ていた。モカはそれが予想外だったようで、目を丸めた直後、ばつが悪そうに眉を寄せる。どうしたのかと不思議に思ったデイヴィッドが首を傾ければ、モカは渋々といった様子で口を開いた。

「……度が、合わなく、なったので」

 その言葉にデイヴィッドは一瞬息を呑む。また視力が下がったと思ったのだ。しかし口を大きく開け、言葉を発する直前にと気付いて、脱力した。

「あ、あぁ、そうか、……良くなったのか」

 デイヴィッドの言葉に「はい」と返すモカの表情は全く明るいものではなく、どうしてもそれを口にしたくなかったのだという思いが滲み出ていた。そんな様子に、デイヴィッドは眉を下げて微かに笑う。視力が改善したということが、イコール、彼女が喜びではない何かの感情で涙を流したという証になってしまっていた。それをわざわざ告げなければならない状況に、モカは歯噛みする。

 本来であれば「何かあったのか」と心配するところだろうが、今回に関してはレベッカの負傷に関することだろうと、誰であっても予想が付く。だからこそ、モカは余計に居心地が悪い。静かに深呼吸をした後、気を取り直したモカは本来の目的の為、近くの職員へと歩み寄る。

「すみません、そういう訳で、度が入っていないゴーグルがあればお借りしたいのですが」

「はい、ありますよ。持ってきますね」

 職員はにこやかに答えると、すぐにその場を立ち去って行った。デイヴィッドは彼女が早めに来た理由を知り、納得した様子で静かに頷く。

「それで……司令、今回は随伴されるんですか?」

「いや、そうしたいのは山々なんだが、今日も別チームのところへ行くことになっていてな。……いつも任せきりですまない」

「私は構いませんよ」

 フラヴィがどう言うかはともかくとして。ふとそんな言葉が頭を過り、モカは少しだけ口元を緩めた。イルムガルドらのチームに彼女が加わってから、デイヴィッドは彼女らのチームに随伴する機会が激減している。

 今までは、どのチームであってもほとんどの場合、デイヴィッドは子らの遠征に随伴していた。長引いてしまうと先にタワーへと戻らざるを得ないけれど、彼の性格上、極力、子らの傍に付いていたいと思っているのだろう。しかし最近は軍からの支援要請があまりに多い。結果、デイヴィッドはどのチームに付いて行くかを選ぶ必要が出てしまい、結果的に、このチームについては優先度が下がっている。WILLウィルの職員に加え、モカとフラヴィの二人が指揮役として動いている以上、デイヴィッドは付いて行っても特に仕事が無いせいだ。

 だが、それでもデイヴィッドは随伴できないチームに対して、経験豊富な職員を多めに配置するなどの処置をしており、サポートに手を抜いているとモカは思わない。むしろ付き添えない分、更に過保護に考えているとも思っていた。だから彼女は、何の不満も感じていない。先程の短い返事からそこまでは読み取れていないだろうデイヴィッドは、未だ申し訳なさそうな顔で眉を寄せる。

「今回の遠征には特に大きな危険は無い見込みだが、きちんと医療班も組み込んである。目のことも、もし違和感があったら、すぐに共有してくれ」

「大丈夫だとは思いますが……」

「念の為だよ」

 これからモカ達は、負傷中であるレベッカを除いた四名で遠征へ出ることになっている。今回は戦場ではなく、災害現場の救助と復旧の支援だ。救助だけならば一両日中には終わるだろうが、復旧の支援もするので、十日前後の見込みとなっている。

 モカからすればその期間、レベッカの傍を離れることはやや気掛かりだけれど、昨日の今日で少し顔を合わせ辛いとも感じていた為、頭を冷やすのには丁度良かったかもしれない。

 集合時間まで、あと三十分と少し。ゴーグルが間に合ってくれるかと気にして時計を確認したところで、先程の職員が戻り、度の入っていないゴーグルを幾つか見せてくれた。モカからすればデザインなど何でも良かったが、出来るだけ以前と近いものを選んで、職員へと丁寧に礼を言う。

「俺はもう行かなきゃならないんだが、モカ、皆のことを宜しく頼む。……お前も気を付けてな」

「はい、ありがとうございます」

 条件反射で礼を言って頭を下げ、待機部屋を出て行った彼を見送るが、結局、随伴をしない彼はどうして此処に居たのだろうか。モカは首を傾けながら、傍に居る職員を振り返った。

「あの、司令は何故ここに?」

「ああ。君達が心配だったみたいでね、追加の指示を受けていたんだ」

「追加?」

 遠征が決まった時点で、まとまった指示は既に出ているはずだ。追加と言うなら、その後に何か新しい情報でも入ったのか、それとも他に考え得る危険でも見付かったのか。不安そうに眉を顰めたモカに対して、職員は彼女の考えを否定するように軽く首を振って、可笑しそうに目尻を下げた。

「先日の出動では大変な思いをしただろう? それぞれまだ本調子じゃないかもしれないから、気を配るように。様子がおかしいと思ったらすぐに現場から下げろってね」

「……そう簡単に下げられないでしょう」

 呆れたような気持ちでモカは苦笑する。司令の過保護は前回の結果のせいで、悪化しているらしい。彼女の反応に、職員も笑っていた。

「はは、まあ、それは僕ら大人が上手いことやるよ」

「頼もしい限りですね」

 まるで簡単なことのようにそう言って穏やかに笑われてしまうと、本当に何とかしてしまいそうだとモカは思う。司令が随伴できない現場を任せられるほどの職員らは、普段は目立つことはないけれど胆力がまるで一般人のそれではない。特に今モカと会話している職員は、初年から見覚えのある人だった。

 その後、集合時間が近くなって最初にフラヴィが来て、その直後にウーシン。そして集合時間ちょうどにイルムガルドが到着した。全員が揃ったところで、職員はそれぞれに紙の資料を手渡す。

「急な呼び出しが続いてすまないね。さあ行こうか、助けを待っている人達が居るよ」

 四人それぞれの顔を見ながら、職員は優しくそう言った。戦場でないことを敢えて強調するそんな言葉は、戦場で傷付いたばかりである子らを思い遣っている心が、よく表れていた。

 そうしてモカ達が遠征に出た少し後のこと。病室でそれを聞かされたレベッカは、目を丸めた。

「え、じゃあ、もうみんな行ったの?」

「ああ、ついさっき出発したよ」

「……ふーん」

 眉を下げてややつまらなそうに呟くレベッカに、職員が優しい笑みを向ける。

「少し寂しいだろうが、あの子らのことだ、つつがなく任務を終えてすぐに帰ってくるさ」

 慰めるような言葉に少しきょとんとした後で、「そうだね」とレベッカは笑みを見せた。

 職員は彼らの任務の内容や、遠征期間の見込みを説明してやると、すぐに部屋を出て行った。忙しい中でも、レベッカにきちんとチームメイトの現状を教えてやろうと気を遣っているのが分かる。だからレベッカが小さく溜息を零したのは、そんな職員に対する不満などではない。笑みを消したレベッカは、口をへの字に曲げる。

「メッセージの一つくらいあっても良くない? ……いじめすぎちゃったかなぁ」

 何の通知も無い自分の通信端末を見て、改めて長い溜息を吐く。イルムガルドやウーシンが送ってこないのは分かる。元々そういう子らだ。フラヴィも、置いて行くことになるレベッカを気遣うあまり、送れなかったのだろう。少し迷ったであろう彼女のことは想像に難くない。

 しかし、モカは別だ。恋人になる前でも遠征が決まったら必ず互いに顔を見に行ったし、それが叶わないような緊急時はメッセージを送った。よりによって恋人になってから無言で行ってしまうなんて、昨日のことが原因だとしか思えない。

 もうタワーを離れてしまった彼女から連絡が来ることは無いのに、長く通信端末を見つめた後で、レベッカはそれを枕元へと戻した。そして左手を宙にかざし、モカが毎日入れ替えてくれていた花瓶の水を操作して手元へと集める。それは直径三十センチほどの球体となった。

「十日くらいは遠征っての、……今はむしろ、良かったのかな」

 ぼつりとそう小さく呟くのを合図にしたかのように、真ん丸だった水の塊が彼女の手元でぐにゃりと形を変えた。


 イルムガルドらとほぼ同時刻にタワーを去っていた総司令デイヴィッドは、翌日にタワーへと帰還した。遠征中にもデイヴィッドには各チームの状況などは連絡が入っており、イルムガルドらは大きな事故も無く救助活動を完了、これから復旧支援に入るところだと把握している。その他のチームも幸い大きな問題は出ていない。

 その為デイヴィッドは側近らに「問題の起こっていない内にお休みください」と言われてしまい、随伴したチームの状況を引き継いだ後、部屋に帰るべく、司令室を出た。

 デイヴィッドの実家は一番街にあり、彼の部屋もまだ残っている。しかし帰るのは一年の間に二、三度で、いずれも短い時間立ち寄る程度。普段の彼はタワー内に確保した手狭な部屋で寝泊りをしている。奇跡の子らに用意されている部屋の方がまだ広いくらいの、簡素な部屋だったが、寝る為だけに利用している彼に不満は無い。むしろ司令室の方が何でも出てきて美味しいコーヒーも飲めるとあって、彼は中々部屋に帰って休まないのかもしれない。

 だが結局、その久しぶりの部屋にも彼は真っ直ぐに戻ることなく、不意に別の場所へと足を向けた。妙な位置できびすを返したところを見る限りは、今ふと思い立ったようだ。行き先は、一人タワーに残されてしまったレベッカの病室だった。

 しっかりしたノックの音に、少しの間があってから、「はぁい」と何処か戸惑った返事が聞こえる。そんな声に違和感を覚えながらも、待機を求めるような声が続かなかった為、デイヴィッドはスライド式の扉を静かに開く。そして病室に入ろうとして、一歩目で彼は足を止めた。

「レベッカ……床が水浸しじゃないか」

「あれ、司令? 帰ってたんだ。モカ達は?」

「あの子達はまだ遠征中だ。俺は別のチームの随伴に出ていてな、さっき帰還した」

「そうだったんだ。あー、ごめん、待ってね」

 短く謝罪した後、レベッカは床を濡らしている水を操作して回収し、部屋の端にある手洗い場の方へと移動させた。先程の妙な返事は、この状態の部屋を見られることに対する戸惑いだったか、もしくは操作中に驚いて水を床に落としてしまったのか。何にせよ足元の水溜まりは消えたので、ようやくデイヴィッドが部屋の中へと入り込む。

「……なるほどな、花瓶か」

 彼の言葉に、レベッカは黙って眉を軽く上げる。そして手洗い場に移動させた水をそのまま流してしまうのではなく、水をうまく操って蛇口を捻ると、新しい綺麗な水を花瓶の方へと戻した。最後に蛇口を閉めたのもレベッカが操作する水だ。花瓶がある限り、彼女は寝たきりでも色んな事が出来るらしい。おそらくモカはそんなことを考えもしなかったのだろうけれど。

「モカが置いてくれたやつだから、そのままにしといてね」

「ずるい言い分だな。まあ、無理をしないなら構わない。だが一体、何をしていたんだ?」

 問い掛けに、レベッカは少し沈黙した。そして彼の方を見ないままで、目を細める。

「まだ上手く、制御できないだけ。でもこれが使えるようになったら、また強くなれる」

 レベッカの言葉は正しくデイヴィッドの質問に答えていない。首を傾けるが、やはりレベッカは彼を見なかった。まだ碌に起こすことの出来ない身体をベッドに力無く横たえているのに、燃えるような瞳で天井を睨み付けていた。

「アタシはまだ、戦える」

 全身から立ち上るような闘争心は、静かなものだったが、かつて戦場に戻せと暴れたアランを思い起こさせた。戦場での負傷を経験した彼女にまだ奇跡の子として戦う意志があることは、WILLウィルの総司令官としては喜ばしいことだ。それでも、デイヴィッドは何処か寂しげに眉を下げる。

「……分かっている」

 返したその声も、喜びを含んではいなかった。しかし少しの沈黙を挟んでから、デイヴィッドは気を取り直すように息を吸い、背筋を伸ばす。皆のと、弱々しかった気配を消した。

「お前の復帰は皆が望むところだ。焦って長引くような真似だけは気を付けてくれ。あと、……自分自身は勿論、部屋も傷付けるなよ、能力使用を禁止しなくてはいけなくなる」

「アハハ、それは困るなぁ。うん、気を付けるよ。ありがと、司令」

 本来ならばこの時点で止めるべきなのだろうけれど、彼はそれをしなかった。レベッカの中に何か実現したい能力の形があるなら、望むだけ試させてやりたかった。むしろ水操作は身体に直接の負担が無い為、先日モカに鉄アレイを求めたような思考よりはずっといい。

 デイヴィッドはお見舞いとして持ってきたジュースだけを手渡すと、早々と退室し、今度こそ寄り道せずに自室へと戻って行く。

 彼が久しぶりにゆっくりと休息を取ることが出来たのも、嵐の前の静けさ、だったのかもしれない。

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