第121話_煙の部屋で伸ばした手
イルムガルド達の家からタワーの自室へ真っ直ぐ帰ったレベッカは、新しい問題を前に小一時間ほど頭を抱えていた。それは一人で答えを出せる話ではないのだが、自らの中にある記憶を必死で掘り起こして、その答えの一端でも見付けることが出来ないかと試みているのだろう。
だが、元より彼女はじっと同じ場所に留まって頭を悩ませるということがあまり得意ではない。結局、考え込むことをそこそこにして自室を出て、モカの部屋へと向かった。
それでもいざ目的地に辿り着いてから、再びレベッカは頭を悩ませる。言いたいことすら、まとまってはいなかったようだ。呼び鈴を鳴らそうと手を伸ばし、やはり迷ってそのまま下ろす。そのまましばらく百面相をした後、額を押さえ、ううんと唸った。
「……どうしたの?」
「うわ!?」
このケースは何度か経験しているが、レベッカは学習しないらしい。顔を上げれば、不思議そうな顔で彼女を覗き込むモカの姿があった。こんなにも悩んでいたのに、モカは部屋の中に居なかったのだ。
「あ、あー……そっか、今日、健診?」
「ええ」
全く心の準備が出来ていなかったレベッカは、会おうとしていたはずのモカを前に視線をあちこちへと泳がせる。モカは首を傾げながら、落ち着きない彼女の様子を見守った。
「あのさ、モカ、えっと……あのー、ええと」
何度もレベッカは話そうとしているのだけど、まともに意味を成す言葉が発せられることは無い。見兼ねたモカの方が口を開く。
「とりあえず、部屋に入りましょう」
少し戸惑いながら、レベッカもその提案に頷いた。そもそも、彼女がしようとしている話は、こんな場所でするべきではないのだから。しかし二人が部屋に入る直前、少し離れた場所から彼女らを呼ぶ声が入り込む。
「おーい! 何してんの? 急げよー!」
声の主はフラヴィだった。二人は同時に振り返るけれど、言われたことがよく分からずに揃って首を傾ける。フラヴィは微かに眉を寄せて急ぎ足で二人の元へと近付いた。
「メッセージ見てないの? 司令が呼んでるよ!」
「え」
「あら」
二人は自らのポケットから通信端末を取り出して確認する。フラヴィの言う通り、端末は一つの未読メッセージを通知しており、その内容は緊急招集だった。五分前のことだ。その頃レベッカはモカの部屋の前で百面相をしていたし、モカは移動中の為、気付いていなかったらしい。二人は顔を見合わせて少し笑ってから、先に歩き出したフラヴィの背を追うように、エレベーターホールへと向かう。
「全くさぁ、イチャイチャするのは別に良いけど、司令からのメッセージはちゃんと見なよ」
呆れたようにフラヴィがそう零す。その背を見つめて、二人はきょとんと目を丸めた。
「どうしたのフラヴィ、妬いてんの?」
「妬いてないよ! っていうか恋人同士になった二人の間に誰が入りたいと思うんだよ」
「ちょっと待ってフラヴィ今何て?」
彼女の言葉を聞いた瞬間、モカは途端に早口になり、レベッカは目を大きく丸めて足を止めた。フラヴィはモカの問いに答える様子を見せずに、黙々と足を進める。返らない反応に焦ったのか、レベッカは彼女を追うように再び歩き出し、慌てて問いを重ねる。
「だっ、だ、誰から、そん……!」
「動揺し過ぎだろ」
引っくり返ったレベッカの声に思わずフラヴィは笑って軽く彼女を振り返る。しかし、それは答えを返したわけではない。再び背を向け、前を歩くフラヴィに、レベッカの焦りは増すばかりだ。
「イルから、何か聞いたの?」
緊急招集を受けている為、此処でフラヴィに足を止めさせようというつもりは無いのだろう。いつもより早い歩調で進みつつ、レベッカとモカは小さな背中の返す言葉を待っていた。フラヴィも急いでいる意識がある為か、エレベーターホールに辿り着いてボタンを押すまで、足を止めず、何も言わなかった。
「イルムガルドは、二人が付き合ってるって知ってるの?」
しかし、ようやく振り返ったフラヴィからは答えではなく逆に質問が向けられた。自らの問いに対する回答が得られなかったレベッカは少し困った顔をしたものの、素直に頷いた。
「それは、うん、そうなんだけど、フラヴィは」
「あ! 待っ――、……ああ、もう」
レベッカの回答から一瞬遅れてモカはハッとした顔をして、しかしもう遅いと知って項垂れた。その反応に、レベッカが訳も分からずに二人を見比べる。フラヴィは二人に向けて少し意地悪に笑った。
「誰にも聞いてない。今、二人から聞いたよ」
「げ!」
事態に気付いたレベッカが更に遅れてぐったりと項垂れる。モカもその隣で改めて溜息を零した。
付き合った報告を正式に受けた後も、イルムガルドはフラヴィへ特に報告しておらず、フラヴィもイルムガルドを問い質してはいない。つまり今フラヴィは、二人の口から確かな言葉を引き出す為に、かまを掛けただけだった。
モカがそのことに気付いたのは、『もしフラヴィに伝えるとしたらイルムガルドしか居ない』と思った為だ。他にレベッカ達の関係を知るのはアシュリーとアランの二人だけ。どちらも不用意に、ましてフラヴィに漏らすとは思えない上、元よりあまりフラヴィとの接点が多くない。だからイルムガルドから聞いていないのだとすれば、『誰からも聞いていない可能性』が最も高かったのだ。
タイミングよく到着したエレベーターに、三人は無言で乗り込んでそのまま口を閉ざした。奇跡の子らが住まう居住域はタワーの最上階に位置している。けれど目的の階に至るまでに止まった幾つかの階で職員らが乗り降りしていた為、三人だけにはならなかった。司令室のあるフロアで三人の周囲に人の気配が無くなってから、ようやく先程の会話を継続した。
「僕に言わないのは分かるんだけど、でも正直、言ってほしかったよ。ずっと二人を見てて、やきもきしてたからさぁ」
先頭を歩くフラヴィは、振り向かないままで背後の二人にそう話す。モカはその小さな背を見つめながら、眉を寄せた。
「……あなた、いつから気付いていたの? というか、一体『何』を気付いていたの」
軽く振り返ったフラヴィは、モカの難しい顔を一瞥して、また前へ向き直る。
「モカ姉がレベッカのことを好きなのは知ってたよ。うーん、いつから……タワーに来て半年くらいしたらもう環境に慣れて落ち着いてた気がするし、その頃には知ってたと思うけど」
言葉通りとするならば、当時十歳のフラヴィが、出会って幾らも立たない内にそんなことを見抜き、以来、当事者二人に全く気付かれぬまま『やきもき』していたと言うのだ。最初にショックを露にしたのはレベッカだった。
「十歳でも気付くのにアタシは……」
「はは! 本当にね。僕ずっと呆れてたよ!」
子供扱いを嫌うフラヴィだから普段ならば憤る言葉だったけれど、この時ばかりは楽しそうに笑った。
「……私って、そんなに分かりやすいのかしら」
隣でモカは、同じくショックを隠しもしない。フラヴィは目的地の入口前に立って足を止めると、そんなモカをまた一瞬だけ見つめた。
「まあ、モカ姉に僕が嫌われる前に、まとまってくれて良かったよ」
「モカに?」
よく分からないと言いたげに首を傾けるレベッカとは対照的に、モカは大きく目を見開く。
「フラヴィ」
「冗談だって」
そう言ってフラヴィは首を振った。彼女はそれだけで話を終えようとしたのだろうが、モカにとっては流してしまえる話題ではない。言葉を続けようと口を開いたけれど――、フラヴィが足早に司令室の扉を開いて中に入ってしまった為、飲み込むしかなかった。
中には既にウーシンが到着しており、背筋を伸ばしてソファに座っている。イルムガルドはまだ到着していないようだ。彼女が最も遠い場所に住んでいる為、このような突然の呼び出しに遅れてしまうのは致し方ない。レベッカ達がソファに座った十数分後に彼女が来たのは、むしろ早かったと言えた。
「すまない、スケジュール調整が上手く行かなくてな。呼び出しが急になってしまった」
全員が揃ってもまだ何かの対応に追われている様子だったデイヴィッドは、イルムガルド到着から五分後にようやくソファの方へと来て、そう言った。
「忙しいのは仕方ないけど、やっぱり事前に連絡くれた方が良いよ。レベッカとモカ姉なんて、メッセージに気付いてなくて欠席寸前だったからね」
「俺様もトレーニングに入る直前だったから危なかった!」
あっさり告げ口されてしまったレベッカとモカだったが、続いて豪快に笑ったウーシンのお陰か、特に睨まれることは無かった。いや、彼の言葉が無くとも睨まれたとは思えないが、メッセージに気付かなかったことは事実の為、二人は静かに肩を竦めていた。けれどデイヴィッドは怒るどころか柔らかく笑い、もう一度「すまん」と重ねて謝罪した。
「さて。今回呼んだのは他でもない、新しい装備の
司令がそう告げると同時に、職員らが紙の資料を子らに配った。フラヴィ、モカ、ウーシンが表紙を捲って中を確認する一方で、レベッカとイルムガルドはそのままの状態でそれをテーブルに置く。フラヴィが一瞬呆れたような視線を送るけれど、二人はいつも通り何処吹く風だ。
「まず、当初伝えていた内容から、一点、変更がある。新しい装備を扱うのはイルムガルドとウーシンの二人と言っていたが、レベッカ、お前にも扱ってもらうつもりだ」
「んぐ。は、はーい了解」
「始まって早々コーヒー飲むなよ」
「へへ」
話を聞くだけと思っていたらしいレベッカは、呑気にコーヒーを傾けていたところで名を呼ばれてしまい、少し慌ててコーヒーを飲み込んで返事をした。フラヴィの冷静な指摘に楽しそうに笑っている。零さなくて幸いだ。レベッカなりに懲りたようで、大人しくカップをテーブルに置いた。
「ただ、持ち運びはウーシンが担当する為、レベッカが可能な操作は限定的なものになる。……詳しいことは、また試運転の際に説明する」
内容の詳細は資料にも記載されているようだったが、「読んでおけ」等とデイヴィッドは言わなかった。レベッカに限って読むとは思わない為かもしれないし、資料よりも実物を見た方が早いと思ったのかもしれない。何にせよ、資料を数ページ飛ばすことを告げてから、説明を続けていく。
ウーシンは既にこの装備を開発段階で何度か扱っている。ただ、最新のものはまた少し動作に違いがあるらしく、彼もまた新しい気持ちで訓練に挑む必要があった。そのような説明を述べた後、またページを幾つか飛ばして、一番後ろのページに至る。その時ばかりはレベッカとイルムガルドにも「資料を見てくれ」とデイヴィッドが指示をした。二人は素直にテーブルに放置していたそれに手を伸ばす。
「今回集まってもらう必要があったのは、スケジュールを確定させる為なんだ」
全員が開いた資料には、仮の訓練スケジュールが記載されていた。
「装備の試運転には、出来る限り、フラヴィとモカの両名も立ち会ってくれ。動作を把握してもらいたい」
「勿論でしょ。作戦に関わるからね」
二人がその装備を扱うことが無いとしても、指示を出す立場である以上、把握は必須となる。彼らの訓練に付き合う形で立ち会えば、別途二人に対して説明の時間を取る必要も無いので、時間短縮の案なのだろう。そして試運転が終われば実際の戦闘を想定し、フラヴィ、モカの両名も共に訓練に入る予定だと説明した。
「一応、イルムガルドとモカの定期健診や、イルムガルドが現在協力してくれているヴェナの研究の参加スケジュールを加味しているつもりだが、認識違いがあれば指摘してほしい」
名指しを受けたイルムガルドとモカは自身の通信端末を取り出し、スケジュールを確認する。一分足らずで二人が問題無いことを告げれば、他の三名もこのスケジュールでいいと了承した。
「ありがとう。ではこの予定で進めよう。ただ、装備にもし何か致命的な問題が発生した場合には予定が変わることもある。その時はまた相談させてもらう。そのつもりで頼む」
司令の言葉に重ねて全員が頷いたところで、解散となった。そのままゆっくりコーヒーを飲んでいっても構わないと司令は笑っていたが、忙しそうな彼の横で談笑している気にもなれず、ウーシンから少し装備の話を聞いた程度で、全員が退室した。
「何か、バタバタしてたね」
「司令ねー。ちゃんと休んでるといいけどねー」
フラヴィとレベッカがそう話す一歩後ろで、モカは目を細める。以前も妙に忙しそうにしている様子があった。彼は何でも無いと言っていたけれど、やはり実際は何かあるのかもしれない。
「イルはもう帰るんだよね? アシュリーによろしく。また訓練でねー」
奇跡の子らの居住域は最上階にある、つまり司令室はそれよりも階下に位置する為、レベッカ達が乗るのは上に向かうエレベーターだ。ウーシンがこれから向かおうとしているトレーニングルームも此処より上階の為、彼女らと同じく上に向かう。今から帰宅するイルムガルドのみが、下へと向かうエレベーターに乗り込んだ。
しかしイルムガルドは、一階のボタンを押さなかった。
エレベーターが止まり、彼女が下りたのは、すっかりと歩き慣れた治療室のフロア。まるで散歩をするようなゆっくりとした歩調で廊下を進み、治療室に至るより少し手前で鉄製の扉を開く。その奥には静かで無機質な非常階段がある。彼女がこの階段を使用するのはまだ二度目となるが、慣れた様子で戸惑い無く、イルムガルドが階段を下りて行く。この空間に響く足音は彼女一人分だけだ。
「――よう。イルムガルド」
そうして辿り着いた一階下の喫煙室には、以前と同様に、カミラが居た。入り込んできたイルムガルドに微笑み、煙をたっぷりと吐き出している。他には誰も居ない。
「どうした? 入って来ないのか?」
扉のすぐ傍で立ち止まり、じっと見つめてくるだけのイルムガルドに、カミラが笑いながら問い掛ける。イルムガルドはすぐには応えず、視線を何も無い壁へと向けた。そしてそのまま視線をカミラへ戻すことなく、静かに呟く。
「一本、ちょうだい」
二人きりの部屋、微かな換気扇の音だけが低く響いているその室内で、それは聞き落としようもない。許されるはずのないその言葉に、カミラはただ口元を緩めた。
「……ああ、勿論」
懐から取り出した、代替品でも何でもない正真正銘の煙草の箱をカミラが差し出せば、歩み寄ったイルムガルドはその箱から伸びている一本を躊躇わずに引き抜いた。
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