第118話_氷へ熱を注ぐベッドの上

 研究施設の一角で、ヴェナは机に並ぶ三つのモニターを見比べ、手元のキーボードで絶えず何かを入力し続けていた。同様に複数のモニターと睨めっこを続けている研究員らが数名周りに居るが、部屋にはほとんど会話が無く、皆、何かに集中して作業をしている。

 そんな静かな空間で不意に、机の上に放置していたヴェナの通信端末が短い音を発した。メッセージが届いたらしい。ヴェナは軽く眉を寄せてから音源へと手を伸ばす。そして内容を確認すると、溜息を零した。一度、背凭れへと体重を預け、モニターの一つ一つにゆっくりと視線を向けてから、諦めた様子でそれらを片付けようと動き始める。モニターに表示されている内容を丁寧に確認してから電源を落とし、手元に少し広げていた書類もひと纏めに整えて所定の場所へと片付けた。

「今日はもう休むわ。あなた達も根を詰め過ぎないで、適度に休んでね」

「ふふ、はい。ヴェナさんから言われるのは新鮮ですね」

「もう、茶化さないで」

 弾んだ声を返した研究員に眉を下げて笑ってから、ヴェナはその部屋を後にする。事実、根を詰め過ぎて研究員達から「そろそろ休まれては」とヴェナに声が掛かるのがこの部屋の常だった。

 そのままタワーの自室に戻ったヴェナは、持ち帰った資料や、普段から持ち歩いている大判の端末を備え付けの机に置くと、素早くシャワーを浴びて着替え、再び部屋を出る。

 自室の部屋を出て左に進めばエレベーターホールだが、ヴェナは廊下に人の気配が無いことを確認してから、静かに右へと進む。そして無人の部屋を挟んだ二つ隣の部屋の呼び鈴を押した。十数秒で扉は開かれ、穏やかな笑みでカミラが彼女を出迎える。ヴェナが中へと入ることを確信している様子で、カミラは何も言わずにそのまま身を引いた。ヴェナも何も言わず、小さな溜息だけを廊下に残して部屋へと入り込む。

「今、施設から戻ってきたのか。遅くまでご苦労なことだ。ちゃんと休んでるのか?」

「お陰様で。今夜はその『休む』時間を今あなたに取られているけれどね」

 先程、ヴェナへとメッセージを送り、此処へ呼び出したのはカミラだった。ヴェナの言葉に、カミラは軽く肩を竦める。まるで心外だと告げる振る舞いに、言葉を待たずにヴェナは不快そうに眉を寄せた。

「バカ言うんじゃない、あたしは」

「『研究施設に籠りがちな私をこうして呼び戻している』って? あなたはいつもそうね」

「じゃなきゃ中々部屋に帰らないだろう。愛しいマイ・ドールが心配なんだよ」

 長い両腕がヴェナの身体に纏わり付き、高い背丈で華奢な彼女を囲い込む。出会った頃と比べれば身長差は縮まったけれど、男性と変わらないほど背の高いカミラに、ヴェナが追い付くことは無かった。気遣うような言葉を扱いながらも、その手は本人の許可を取らないままで勝手に身体に触れ、柔らかな感触を己の嗜好で楽しんでいるようでしかない。

「特別なことのように言うのね。昨日のお相手は?」

 不機嫌に問うヴェナの言葉に、カミラは可笑しそうに肩を震わせた。耳元に唇を寄せていた彼女の表情は見えないが、笑った拍子に吐息が掛かり、ヴェナはくすぐったさに少し肩を竦める。

「この部屋に誘うのはお前だけだよ、な」

「それはどうも。……だけど一般人にまで手を出しているでしょう。何度も言うけれど、他の子らに飛び火するようなスキャンダルは止してね」

「分かっているさ」

 ヴェナは強めに注意をしているつもりなのだろうけれど、カミラは笑うばかりで悪びれない。手を止めることも無く、無遠慮にヴェナの服を脱がしに掛かり、強引にベッドへと連れていく。部屋に来た時点で、ヴェナも了承はしているのだろう。渋々という顔を浮かべながらも、抵抗せずに従った。

 沈められたベッドの中央で、ヴェナは一度視線をシーツへと落とす。今日のカミラの部屋、そしてシーツから、煙草の臭いはしなかった。ヴェナを招く前に何かしら対応をしたのだろう。そのような誠実さ――と呼ぶべきかどうかヴェナには分からないが、それをもっと、別の方へ向けるべきだと呆れ、小さく溜息を零す。小言が放たれる気配でも感じたのか、カミラは軽く笑って、言葉を押し止めるようにキスで口を塞いだ。

 二人の行為は酷く静かだ。ほとんどの場合、どちらも言葉を発することが無い。この日も例に違わず、近況の報告をすることも無いままに、時間が過ぎていく。

 ヴェナの手は、他の人のそれよりも少し冷たい。それでも生きていると知らせるだけの体温は宿しているし、このような行為の中では温度も上がる。だが、行為に伴いカミラの体温も上がってしまう為、ヴェナの手にカミラの身体はいつも熱く、そしてカミラにとってヴェナの手はいつも冷たかった。その手が腕や背中を滑る度、どこか可笑しそうにカミラが笑う。気付いてヴェナが手を離せば、名残惜しいと言わんばかりにその指先にカミラは必ず口付けを落とす。そんなやり取りが毎回一度はあるせいで、またやってしまったとヴェナは微かに眉を寄せて顔を背け、手を伸ばさないようにとシーツを握る。カミラはその動作を余計に楽しそうに笑っていた。言葉をどれだけ飲み込んでも、行為以外の全てを削ぎ落すことも、出来そうにない。

 行為が終わればヴェナはいつも少し微睡んだ。完全に眠ってしまうこともあるが、多くの場合、カミラが何か動いた拍子に目を覚ますくらいの浅い眠りだ。

 ベッドが小さく揺れ、温もりが傍を離れる。動きに伴う微かな空気の流れが肌に触れ、ヴェナは目蓋の向こうに小さな光が明滅したのを感じて、ゆるりと目を開ける。同時に煙の臭いが漂って、「あ」とカミラの声が聞こえた。慌てて振り返ったカミラと、ヴェナの視線がかち合う。

「すまん、つい。すぐ消す」

 苦笑を漏らしてそう言うと、宣言通り、カミラが近くの灰皿へとそれを押し付け、ちらちらと動いていた火の色は消え去った。立ち上がったカミラは換気扇のボタンを押してから、ヴェナの傍へと戻る。

「悪い、もう癖だな」

「……早めに直して」

「ああ、そうするよ」

 ベッドに座り直すカミラを横目に、ヴェナは身体を起こす。まだ余韻が残っていたせいか、少しふら付いた。咄嗟にカミラが腕を回し、倒れ込まぬようにと支える。ヴェナはそれに礼を言うでもなく、振り払うでもなく、そのまま少しカミラの方へと身体を寄せた。

「どうした?」

 彼女の方から近付いてくることは酷く稀だ。首を傾けて問い掛けるが、ヴェナは何も答えないまま更に身を寄せ、カミラに軽く口付けた。当然、カミラはそれを振り払わない。けれど幾らか驚いた様子で何度か目を瞬く。

「……別に、煙草の味はしないのね」

 短い触れ合いの後、唇を離したヴェナは自らのそれを舌先で舐めてそう言った。数拍の間、沈黙したカミラは、堪らず肩を震わせて笑う。

「ふ、ははは! 骨の髄まで研究者だな、お前は」

 ヴェナを腕に抱いたままでしばらく笑ってから、カミラはヴェナの額と唇に軽いキスを返した。

「お前の好奇心を満たす一助になれたなら幸いだね」

 未だ口元は笑みの形に緩んでいる。余程彼女にとっては面白い行動であったらしい。そしてカミラが改めて細い腰を引き寄せれば、ヴェナの身体は微かに意味を持って震え、吐息が漏れた。それを見止めたカミラは、軽く眉を上げる。

「今日は随分と素直に反応するんだな。生理前か?」

 当然その言葉に、ヴェナは不愉快そうに目を細めて彼女を睨み付けた。

「デリカシーの無い人」

 返る言葉にカミラは笑みを深めている。そう言われることを分かっていて言ったのだろう。そんな反応に、ヴェナはこの部屋に来て何度目と知れない呆れた溜息を零した。その隙にカミラは再びヴェナをベッドへと組み敷く。一瞬だけヴェナは不満気にカミラを押し返したけれど、その細腕は容易く取り払われ、シーツへと縫い止められた。

 二人はどちらも前線に出るタイプの奇跡の子だが、ヴェナはタワーに居る間は時間の許す限り研究をしている為、あまりトレーニングはしていない。一方、カミラはウーシンほどではなくとも適度に鍛えている子であるし、元より体格が良い為、こうして対峙してしまえばヴェナが彼女に敵う要素はまるで無かった。

 加えて、カミラは興が乗ってしまえば、口で言って引く人でもない。それを良く知っているヴェナは無遠慮に触れてくる手や唇を、改めて振り払うことはしなかった。ただ、いつになく『素直に』零れそうな声を、手の平で留めるようにして強く押さえ込む。カミラは笑って、彼女の口を覆い隠している手の甲へキスを落とした。

「お前の声、好きなんだけどな。抑えちまったら勿体ないだろ」

 囁くカミラの声は普段では聞けないほどに甘いのに、ヴェナは、嘲るように笑った。

お人形ドールに声が欲しいの? 変わった趣味ね」

 ずっと飄々と笑っていたカミラがその時、珍しくも無防備に目を丸めた。しかしそれもほんの一瞬のことで、ふっと柔らかく笑った後は、いつもの表情に戻っていた。

「そんなつもりじゃないさ。お前は自然に生まれたものと思えないほど美しい、芸術品のようだってことだ」

 つまりカミラは、お人形のように動かず、答えず、ただ愛されるだけのような形をヴェナに求めているわけではないと、そう言っているのだろうが、その言葉にヴェナは表情を和らげようとはしなかった。

「それでも私は、その呼び方が、好きではない、わ」

 止まらないカミラの手のせいで、声が乱れて震えたから、それはまるで泣いているように聞こえた。それが悔しかったのか、ヴェナは唇を噛み締める。その言葉にカミラは何も応えないまま、ヴェナのこめかみに口付けを落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る