第99話_炎の消えない司令室前

 現在確認されている奇跡の子らの中でカミラは最年長であり、そして、奇跡の子として発見されたのも彼女が一人目だった。最年長である上、生まれてすぐに力を発現させてしまったことから、発見は誰よりも早かったのだ。当時、『奇跡の子』などという存在は誰も知らず、そんな優しい言葉も何も無い。その中で彼女はただ一人『異常な生き物』として確認され、『悪魔の子』と呼ばれた。世間からは勿論、家族からも。

 数年後に複数の子が特殊な力を持って生まれていることが確認されてからは、政府からの働きかけで『奇跡の子』という呼び名が広まったが、変わるのは呼び名だけだ。扱いは何も変わらない。特務機関WILLウィルに加入するまでの十七年は、彼女にとって地獄のような日々だったことだろう。

 まだ赤ん坊のころに、カミラは家を燃やした。そして幾度となく、家族や周りの人間に怪我を負わせた。

 最初に発見される能力としては、『発火』はあまりにも運が悪かったとしか言いようがない。もしも『透視』のように直接人を傷付けない種類の能力であったなら、奇異の目を向けられたとしても、多くの被害を出しはしなかったのだろうに。

 彼女自身に人を傷付ける意志がまるで無かったこともあり、カミラはWILLウィルとして戦場に出る以外で、事故であっても死者を出すことは一度も無かった。しかしそれでもカミラの力によって火傷という大きな傷を身体に残した者は数え切れない。今でこそ『奇跡の子』のスタートナンバーとして世間からも持て囃されている彼女ではあるが、昔と変わらずに彼女を悪魔と思い、憎んでいる人間は多く居ることだろう。少なくともカミラは、そう思っていた。

「……酷い汗ね。また、悪い夢でも見たの?」

 部屋の温度を下げるような声に、カミラははっと目を覚ます。ベッドに腰掛けるヴェナが、カミラを見下ろしていた。ただし、そんなカミラを心配しているような顔は少しもしていなかった。つめたい無表情のまま、彼女はカミラを眺めて瞬きを一つ。

「そういう繊細なところ、少しも似合わないわ」

「ああ、はは、そうだな」

 笑って返した声が酷く掠れていた。ヴェナの透き通るような美しい声とは似ても似つかない。重ねてカミラは苦笑を零す。

「じゃあ、私はそろそろ部屋に戻るから」

 着替えを終えたヴェナがベッドから立ち上がる。微かに流れた空気が汗ばんだカミラの身体を少しだけ冷やした。カミラはゆっくりと息を吐いてから、変わらず掠れた声でその背に「マイ・ドール」と声を掛ける。

「悪夢に魘されたあたしを、少し慰めようって気にはならないか?」

「ならないわね。充分、『慰み者』にされた後だもの」

 そう言うとヴェナは無感動な視線を一度カミラへと向けるのみで、後ろ髪を引かれる様子も全く無く、部屋から立ち去った。

 つい先程まで彼女が座っていた場所へと寝返りを打てば、もう温もりなど残っておらず、ひやりと冷たいシーツがカミラの体温を下げる。嫌な夢のせいか火照っていた身体には、むしろ都合が良いのかもしれない。しばらくカミラはその冷たさを堪能した。

 奇跡の子の多くは、奇跡の力があるせいで本来過ごしていたかった居場所を奪われている。カミラもその内の一人ではあるが、彼女にはその意識は薄い。物心付いた頃から居場所など無かった彼女にとっては、の場所が分からないのだ。

 だから彼女にとってWILLウィルは、生まれて初めて得た『居場所』であり、『家族』だった。彼女にも生まれた意味を等しく与え、彼女の力を求め、彼女を『人』として扱った。同じ立場を持つ奇跡の子らは、まるで姉のようにカミラを慕った。この場所はカミラの心の全てだ。そのカミラが敵国を深く憎むのは、WILLウィルとして生きる者全てを深く愛した反動でしかない。ようやく得た居場所、まるで家族のように愛した子らを、ただ奪われていく、深い悲しみ。憎む以外にはもう、彼女はこの感情にやり場が見い出せないでいた。


「――今、最も鈍間なのがあたしらWILLウィルだね」

「の、鈍間、ですか」

 テレシアは両手で缶ジュースを弄びながら、正面に座るカミラを見つめる。カミラはテレシアへ視線を向けることなく、新聞を読んでいた。

「軍が先に限界を迎えるのは分かるさ、手伝いに時々入るようなあたしらと違って、常に国境でぴりぴりやってんだからね。面白いのは民衆の動きだ」

 そう言うと、カミラはテレシアに新聞を向け、一つの記事を指し示す。そこには戦争により被害のあった地域やその詳細がいくつも記載されており、最後には「敵国に攻め入るべきだ」「我が国が他国を支配すべきだ」と考える民衆の抗議運動が活発化していると書かれていた。

「この国は確かに強い。敵国は連合軍まで作って必死だが、それでもまだまだ侵入されること無く凌いでいる。が、被害はゼロじゃあない。着実に国は削られているよ。そして敵国は年々、軍事力を強化してきている」

 戦争は激化の一途を辿っている。そんなことに気付かない民衆ではない。軍も、奇跡の子も、国境の村や町も、被害は一向に無くならない。

「遅かれ早かれこういう動きにはなるんだ。あたしはただ、追い詰められてしまってからじゃ遅いって話を、デイヴィッドにしてやってるだけでね」

 カミラが得た情報によれば、軍はもう我慢の限界を迎えている。他国進軍についての計画を入念に練り上げた後は、民意を味方につけて必ず政府の首を縦に振らせるだろう。そしてWILLウィルは間違いなくその計画に盛り込まれる。

「問題は、うちのお人好しな司令官様さ」

 奇跡の子らを愛する気持ちは、デイヴィッドもカミラも同じものだ。その中に自分自身が含まれていないと言う点までも、あまりに酷似している。だが二人は立場が違う。そのせいで、求めるものが違う。

「おいでテレシア。そろそろ時間だ」

「はい」

 新聞を休憩所の端にあるマガジンラックへと雑に戻したカミラを見ると、テレシアはそれをさり気なく整えてから、慌ててカミラの後を追う。

 カミラはレベッカらを上回る程の長身だ。気遣いなく歩かれてしまえば、イルムガルドよりも更に小柄なテレシアでは半ば走るような状態でなければ付いていけない。しかしテレシアはその速度に文句一つ零すことなく、懸命に付いて行く。

「ん? ああ、悪い。そうか、早いな」

「あ、いえ……」

 一つの角を曲がった辺りでカミラはテレシアを振り返り、歩調を緩める。今までテレシアほど背丈の小さな子を仕事中に連れ歩くことがカミラには無かった。チームメイトは男の子が多かったせいだ。けれど気遣いを知らない彼女でもない。テレシアを心配するように眉尻を下げて、追い付いた彼女の頭を優しく撫でる。

「すまん、次からは気を付けるが、今回は我慢してくれ、計算に入れていなかった」

「はい、私は大丈夫です」

 テレシアはカミラの優しさに笑みを浮かべてそう答える。カミラは再び歩き始めるが、宣言通り、ペースは先程と同じだ。彼女らには目的地があり、移動のタイミングも計っていた為、のんびり向かうわけにはいかなかった。

 そうして二人が向かったのは司令室。ただ、目的はその中へと入ることではない。最後の角で足を止めたカミラがテレシアを振り返る。視線を受けたテレシアは一つ頷いた後で、丁寧にヘッドホンを外した。

「まだ正式なものではないが、……カミラの情報は確かだったな。軍は本格的に、進軍の準備を進めている」

 司令室の中では、全ての報告を受け取ったデイヴィッドがそう言って項垂れていた。側近らも難しい顔をしながら、彼の様子を窺っている。

「しかし政府の意向としては、まだ」

「ああ、前向きではない。進軍となると当然、予算は大きく変わる。そう簡単に了承はしないだろう」

 緊急であると言えるほどの理由は、軍の方も揃えていない。「早急に動くべき」という考えは伝えるつもりだろうし、その判断の材料となるデータも多く集めているだろうが、政府が今すぐ特例を通してまで推し進めようと考えるほどの強いものは何も無い。少なくとも今のところはその状態だった。

「だが、否定材料も豊富ではないのが問題だ」

 国が貧窮する前に何か対策はしなければならない。対策をするならば早い方が良い。子供でも分かるような単純な話だ。少なくともその点においては国も理解を示すだろう。それが「進軍」であるという結論になるかは分からないが、それも手段の一つであり、現状、「守る」だけでは何一つ改善しておらず、国の被害は年々酷くなる一方だ。敵国がこれ以上、我が国を脅かすような軍事力を付けてしまうより先に此方から攻撃をするというのは、短絡的ではあるが、肯定する者が居てもおかしくない。

「これが通ってしまえば、我々も逃れることは出来ない。だが」

 デイヴィッドは先程、カミラが見ていたのと同じ新聞記事に目を落とす。この記事の中、進軍に肯定的な者の意見には必ずと言っていいほど『奇跡の子』の存在がある。奇跡の子さえ居れば進軍も必ず成功するはずだという考えが、そこかしこに入り込んでいた。

「あの子達は兵器ではない、そんなことを、させてたまるか!」

 悔しげにそう呟くも、それを民衆に、軍に、政府に、納得させる手立てが、今の彼には何も無かった。


「……との、ことです」

 司令室近くの廊下の角で、テレシアは内部の会話を忠実にカミラに伝えていた。最後のデイヴィッドの言葉に、カミラは呆れた様子で目を細めている。

「なら、何だって言うんだかね、あの甘ちゃんは」

 カミラも心から奇跡の子らを愛している。弟妹と呼ぶほど愛おしい子達を、兵器と呼びたい気持ちなど彼女もきっと持っていない。ただカミラ自身に限って言えば、肯定的に思っているのかもしれない。あまりにも人を傷付け続けてしまった力。奇跡の子らの中でも、特に強い『破壊力』を誇る能力。それを兵器としてしまえば、子らを守ることが出来るかもしれない。そう思うからこそ、彼女は少なくとも自分の能力については、もはや『兵器』として

「情報が伝わったことだけが分かれば、もういい。行くよテレシア」

「はい」

 もう彼らに興味は無いと言わんばかりに無感動に、カミラは司令室に背を向けて歩き出す。テレシアは従順に頷きながらも、足を進める前に一瞬だけ、カミラが歩いた方と真逆の方向を振り返った。だが立ち止まっていればまた置いて行かれてしまう。テレシアはすぐにカミラの方を向き、小走りでその後を追う。今度は先程のような速度ではなく、テレシアに合わせたのんびりとした歩調になっていた。

 カミラとテレシアの足音が消えると、静かになった廊下に、もう一つの足音が入り込む。武骨なブーツの鈍い音は、二人の足音よりもさらにゆったりと響いた。司令室の目の前で立ち止まったのは、イルムガルド。彼女が近くに居たことに、特別な感知能力を持たないカミラは気付いていなかったが、テレシアは気付いていた。音が聞こえたからだ。イルムガルド独特の、異常なほどに、静かな音。

 イルムガルドは二日前、ようやく治療室から解放されて自宅に戻っている。まだ全快とは言い難く、今まで通り、タワーの治療室へと毎日通う措置も継続されているが、今日、このように司令室のある階にまで上がってくる用事については、少なくともWILLウィルからは命じられていない。今彼女が此処に居るのは、彼女自身の意志だ。

「……何か大変そうだな。いいか、今度で」

 やや疲れたような声色でそう呟くと、イルムガルドは結局その部屋を訪れることなく、再びゆったりとした音を響かせながら、その廊下から姿を消した。

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