第94話_敵の手から逃れる星

 戦場で電撃砲を食らい、気絶した後に攫われたイルムガルドは、両手足を頑丈な金属で拘束されていた。そしてモカが報告した通り、飛行機に乗せられ、敵国の何処かへと運ばれていく。

 布一つ敷かれぬ床に転がされたイルムガルドが居る部屋は、おそらく元は何か荷物を積んでいたのだろう、端の方にはいくつかの箱が置かれていた。入り口には二人、男性が銃を持って立ち、イルムガルドを見張っている。

 両手足に付けられた拘束具以外、檻などの用意が無いところを見る限り、彼らは本来イルムガルドを捕獲する予定は無かったに違いない。だが死亡の確認に近付けば彼女にはまだ息があり、そして意識が無い。これ幸いと、他国にとってはただ正体不明でしかなかった『奇跡の子』を捕らえることに成功してしまったのだ。

 しかし本国の思惑とは裏腹に、彼女を見張る男二人は、想定していなかった事態に戸惑いと緊張の面持ちをしていた。

「ただの子供にしか見えないが」

「本当に殺さなくていいのかよ」

 男らはそのように小さく会話を交わす。本部からの命令は『生かしたまま連れ帰れ』とのことだが、彼らにとって奇跡の子というのはただ破壊すべき脅威であり、そして、不明な点が多過ぎるのだ。そもそも直撃ではなかったにせよあの電撃を生身の身体に受け、生存している事態が、その目で見ても信じられていない。本当にを国に入れていいのかという、不安な思いしか抱いていなかった。

 その時、不意にイルムガルドの目蓋が持ち上がる。何度か瞬きを繰り返すが、傍に立つ男は気付いてない。しかしイルムガルドが身体を捩ると、慌てた様子で同時に銃を構えた。

「お、おい、起きたぞ!?」

「そんなまさか……何なんだよ、こいつは!」

 生きているだけでも信じられない。なのにあの電撃を受けてからまだ半日も経っておらず、すんなりと目を覚ますことなど、彼らが知る範囲の『人間』であればあり得なかった。あの国の者のようにそれを『奇跡』などという言葉で片付けることは、彼らには出来ない。

「と、とにかく大人しくしていろ、動くなよ」

 男達はイルムガルドに銃を突き付け、そう凄む。彼女に銃が効かないことは戦場を知っていれば分かることだったろうし、彼らも情報としては知っていたはずだ。おそらくは動転していて咄嗟に失念したのだろう。不幸なことだった。イルムガルドは彼らを見上げ、のんびりと瞬きをした。

 イルムガルドを収容していた部屋の外では、部屋から響いた大きな物音に、機内の者が一斉に振り返る。機内は、イルムガルドを入れている部屋以外には操縦席と連結した大きな一部屋しかなく、残る全ての乗員はそこに集まっていた。最もその部屋から近い座席に居た一人が様子を確認しようと扉を開けた瞬間、機内に響き渡るような悲鳴。他の者は慌てて武器を携え、それを構えながら中を覗き込む。

 そこには、二人の男が完全にこと切れて散らばっていた。繋ぎ合わせれば人になることが辛うじて分かる程度に、彼らは潰れている。その前にぼんやりと立つイルムガルドの拘束具は、足だけがひしゃげて外れていた。

 イルムガルドの『音速』という奇跡の力は、彼女の持つ異常な『脚力』によってされている。その為、この程度の拘束具には何の意味も無く、彼女がその脚力でもって遠慮なく人を蹴れば、武器など無くとも人の身体は容易に壊してしまえた。

 彼女に銃口を向けている者へ、イルムガルドはのんびりと視線を移動させ、銃口を眺めるようにしてから一つの瞬き。そして、イルムガルドは両手の拘束具を見せ付けるようにゆっくりと持ち上げた。

「……これ外してくれる? 手が動かなくても戦えるけど、邪魔」

 目の前の惨事と、それをもたらした者からの要求。彼らが戸惑って何の回答も出来ずに固まっていれば、イルムガルドが扉に近付くように動き始める。反射的に武器を構え直したところで、彼女は一度そこで足を止めた。

「攻撃しなければ攻撃しない、外して」

 今彼女に銃を向けている者は、銃が効かない事実を思い出せたのだろう。引き金を引くことなく、状況を整理している。どれだけ考えても彼女に対抗する手段がこの狭い機内には無いことを把握して、イルムガルドがゆっくりと首を傾けると同時に、銃を下ろした。

「わ、分かった、外す」

 そう述べた彼がリーダーだったのだろうか。他の者も銃を下ろし、怯えた様子で後ろに下がった。両手の拘束具がその男の手で外されると、イルムガルドは扉に向かって歩く。

「通して」

 彼女の要求にもう、逆らう者は無い。進む道を明け渡し、彼らはイルムガルドが操縦席に向かって行くことを許した。操縦席に座る二人の内の一人が、振り返って息を呑む。操縦をしていて状況が把握できていなかった彼は、輸送しているはずの敵兵が拘束具なく歩み寄ってきている事態、そしてそれをただ呆然と見送っているだけの他の乗員に驚愕した。

「ど、どういうことだ! 君達は一体何をしてるんだ!」

 立ち尽くしている乗員の手には確かに武器が携えられているのに、それはイルムガルドに向けられていない。責めるようにそう叫ぶが、言葉を向けられた者達は、首を振った。

「……逆らうな、この中の、誰も敵わない」

 真っ青な顔でそう述べる姿に、叫んだ操縦士は黙り込む。もう一人の操縦士は前を向いて操縦を続けながらも、不自然に汗を流し、緊張の表情を深めていた。

 イルムガルドはそんな彼らの様子が見えていないかのように、歩みを止めず、無表情のままで操縦席の傍に立つ。

「今は何処に居るの。地図出せる?」

 操縦かんを握っている男は「おい、表示しろ」ともう一人に告げる。指示された方は酷く焦った様子で前の機械を操作し、モニターに地図を表示した。

「わたしは帰りたい、国境まで戻って。何処でもいい、此処から一番近い、デルカトルムの駐屯地」

 デルカトルムは、イルムガルドらが住む国の名前だ。他国では別の名で呼ばれている可能性も考えられたが、この国に関しては同じだったのだろう。すんなりと彼女の要求は伝わった。

「分かった。しかし、駐屯地までは行けないぞ、越境してしまう」

「そこに近い国境でいい。あとは自分の足で向かう」

 無謀にも聞こえることだが、彼らに選択肢はない。「分かった」と短く答え、操縦士は機体を旋回させ、来た方向に戻るように進路を取った。

 飛行機にイルムガルドを乗せて飛んだのは二時間ほど。しかしそれはイルムガルドが戦っていた場所から二時間飛んだだけであり、『最も近い国境』を目指すというだけであれば一時間も掛からない。操縦士はイルムガルドに国境の位置と、駐屯地の位置を地図上で伝え、一時間弱で着くと丁寧に伝えた。イルムガルドはそれを聞いて軽く頷くと、彼らから最も近い席に腰を下ろす。

 しかし、それから三十分ほどすると、進路を国境へ向けている機体に気付いたらしい別の飛行機が接近し、この飛行機へ通信を送ってきた。

『――何をしている?』

 機体を確認した他の者達が「戦闘機だ」と小さく会話をしているのが聞こえる。国境付近であることから考えれば、おそらく牽制の為か、または出撃の為に近くを飛んでいたのだろう。

 操縦士らはイルムガルドを窺うが、彼女は何の反応も見せない。少し迷った末、彼らは起こったこと全てをありのまま伝えた。イルムガルドはその説明中も、遮るような真似をしない。彼女の要求は『帰る』という一つだけであり、それに関わる以外のことはどうでも良かったのだろう。帰してさえくれるのであれば、彼らにとって都合の良いようにしてくれて構わなかったのだ。

 だがそれも、重なった不幸の一つだった。いや、此処で彼らが事実を偽って報告した場合の未来は分からない為、比較のしようも無い。ただ、操縦士らは自国軍がこれから下す判断を、まるで想定していなかった。

 少し待つようにと言われ、通信が途絶えた五分後、再び繋げられた通信。唐突に、戦闘機の者はこう述べた。

『諸君らの戦いを、我々は誇りに思う』

「え? どういう……」

「まさか」

 操縦士らや他の乗員が思い思いに言葉を吐く中、それらを聞く様子も無く、「すまない」と一言だけを残して通信は一方的に切れた。直後、並走していた戦闘機は機体の後方へ下がり、ミサイルが発射された。乗員もろとも、イルムガルドという脅威をデルカトルムに返すことなく始末することを選んだのだ。

 大した意味など無いと言うのに。イルムガルドの能力の詳細を何も知らずに下した判断がもたらしたものこそ、この国に対するただの損失だった。

 返った言葉で敵の判断をすぐに察知したイルムガルドは、爆発に乗じて機体から逃れ、そのまま地面に着地した。幸い、高度は彼女の強靭な身体であれば無事に着地できる程度に低かったのだ。WILLウィルはイルムガルドを過保護に扱っている為、高く跳ぶような作戦では彼女にパラシュートを渡すのだが、実のところ、イルムガルドは自分で跳んで届く高さからなら、落ちても難なく着地が出来る。今回は爆風に煽られたこともあり、少し体勢を崩して転がったものの、イルムガルドは無傷だった。

 一方、墜落した機体は更に大きく爆発し、炎上する。奇跡の力でも持っていない限り、乗員の生き残りは無いだろう。イルムガルドは無表情のままで上空の戦闘機を見上げる。それがイルムガルドを見付けているかどうかは定かではないが、イルムガルドはその機体を相手にしようという様子無く、国境へ向かって音速で走る。目にも止まらぬ速さで走る彼女を追尾することが出来なかった為か、見付けていなかった為か。いずれにせよ彼女に対する追手は無かった。

 飛行機であと二十分ほどの距離だった国境は、イルムガルドがずっと音速で走り続ければ同じほどの時間で辿り着けたことだろう。だが追手が無いと知ったイルムガルドは何度かペースを落とし、休憩も挟んだ為、彼女が国境に辿り着いたのはそれから一時間後のことだった。

 国境に接近した人影をイルムガルドだと知るわけもない見張りの兵らは、その人影に銃を向け、戦車も照準を合わせる。しかし、その影は次の瞬間、蜃気楼であったかのように消えた。

「な、何だ?」

 スコープを覗いていた狙撃手は顔を上げる。同時に、一瞬前までスコープ越しに見つめていたはずの影が目の前に立った。

「ひ!?」

 怯えた狙撃手と、咄嗟に銃を構えた他の兵らに、イルムガルドは身に着けたままだった戦闘服に付いているWILLウィルのロゴマークを指し示す。

「No.103、イルムガルド。この駐屯地、WILLウィルは居る? 首都に帰りたい」

「あ……」

 彼女の言葉に、兵らは一斉に銃を下ろし、彼女の顔を凝視する。イルムガルドは国内で最も有名な奇跡の子だ。長く駐屯地に居れば顔を知らない者も居るだろうが、一度でも首都や、大きな街に帰っていれば嫌でも目にするのだろう。数名が口々に、「本物だ」と呟いた。

「おい、誰か! WILLウィルを呼べ!」

 イルムガルドの問いに頷いた兵士はそう叫び、彼女を少し岩陰の方へと促した。その数分後、連絡を受けたWILLウィルの職員が、アランと共に現れる。

「やあ、君は運がいいなイルムガルド」

 ぼんやりと地面に座っていたイルムガルドが、アランの声に応じて顔を上げる。その視線が何処か疲れ果てているように弱いことを見止めて、アランは優しく微笑んだ。

「俺の居る場所に帰ってくるとはね。おかえり。方角が近いせいか、此処にも一報が入っていたよ。捕らわれたって話には驚いたが、流石『史上最強』だな。自分で帰ってきたのか」

 彼が話し掛ける言葉に、イルムガルドは応えない。静かな彼女の様子にアランは憤ることは無く、ただ目尻を下げてその前に膝を付いた。

「……疲れたろ、もう心配いらないぜ、俺が守ってやるからな」

 動こうとしないイルムガルドをアランは彼の能力で浮かせると、その身体を左腕に抱いた。

「アラン、ありがとう、すまないがそのままイルムガルドを運んでくれ、すぐに手当てをしよう」

「ああ」

 見たところ怪我をしていないようだが、駐屯地に来た連絡ではイルムガルドは『敵の新型兵器から放たれた電撃を受けて倒れた』とあった。また、自ら脱出する際にも何か怪我をしているかもしれない。確認をするという意味でも、職員はそう言ったのだろう。浮遊という能力で少しも重さを感じない彼女を抱えたまま、アランはひょいと立ち上がる。

 駐屯地へと向かう中、アランの腕で大人しくしているイルムガルドが不意に、彼の袖を緩く握った。アランは立ち止まり、そんな彼女を、じっと見下ろす。

「アラン? どうした」

「……いいや、何でもない」

 しかしWILLウィルの職員に声を掛けられると何も無かったかのようにいつもの笑みを宿し、駐屯地の奥、WILLウィルが待機している区画へと歩みを進めた。

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