第93話_タワーへ差し込む光に混じる影

「生きていたのだと思います、扱いが明らかにそうでした。あの子の手足には拘束具が装着されていましたから」

 駐屯地から、タワーのWILLウィル本部へと報告するモカの声は淡々としていた。随伴の職員はそんな彼女を気遣うように視線を送ってから、同じく報告を続ける。

「こちらも追えるギリギリまで赤外線で体温を測定しましたが、下がる様子はありませんでした。イルムガルドは生存している可能性が高いです」

 レベッカ達も彼らの後ろでその報告を聞いていた。他の職員らが三人を気遣い、身体を冷やさぬようにブランケットを与えるなど動いているが、見ていられないほど三人は気を落として俯いている。通信の向こう、報告を受けている総司令デイヴィッドは、小さな嘆息を挟んだ。

『何処まで経路を追えた?』

「私の見る限り、敵陣へ下がった直後、飛行機に乗せられていました。南西へ飛ぶところまでは確認しましたが、その先は範囲外で追えていません」

 モカの報告は実際に目で追っている為、良くも悪くも間違いが無い。陸路であればそう離れないと踏んでいたが、かなり遠くへ運ばれている可能性が出て来た。

『レーダーや衛星はどうだ』

「同じく南西に飛んだ飛行機を確認しています。航路はそのまま少し西へ膨らむようにしながらも、ほぼ国境に並走して進んだようですが、此方もすぐに範囲から出ています」

 デイヴィッドは重たい沈黙を挟む。具体的にイルムガルドが何処へ連れ去られてしまったのかが分からないことには、捜索は困難になる。敵国に人質として取られ、交渉をすることになれば更に不利だ。大きな功績を残した『史上最強の奇跡の子』であり、国民から絶大な人気を誇る彼女であることを、敵国はどの程度を把握しているのだろうか。知っているのであれば極端な要求をされる可能性もある。国に対する損害が出れば、WILLウィルは責任を問われることになるだろう。イルムガルドという個人の心配だけに留まらず、組織全体の状況が最悪だった。

『あちらの兵器については』

 デイヴィッドは一度違う質問に切り替える。モカはそのことに戸惑う様子無く、淀みなく答えた。

「フラヴィの予測通り、電撃でした。砲身に似せた箇所から放出されたのを確認していますが、すみません、眩しく、直視できませんでした。ただ角度としては、おそらくですが、イルムガルドは直撃していないように見えました。避けようとしたのでしょう」

 透視という能力の穴の一つであるが、視ているのがモカの目である以上、視覚的に強い刺激のある光などが対象となると、正しく捉えることは難しい。直視することでしばらく視界が整わない場合もある。今回は咄嗟に視線を逸らして事なきを得ていたが、どうにもあの兵器は此方側と相性が悪いものだった。小さく唸った後、デイヴィッドははっきりとした声で彼女らに指示を出した。

『仔細、承知した。総員、タワーに戻れ。急ぎ対策を練る』

「……分かりました」

 後ろに控えるレベッカらも、反対する様子は無かった。もうこの戦場にイルムガルドが居ないのだという事実の中、反対することに何の意味も無いことは、誰もが理解していた。帰還の機内でも、誰一人、口を利くことは無かった。

 失意の彼女らを乗せた飛行機がタワーに帰還する頃、アシュリーの通信端末が鳴り響く。WILLウィルからの通信であることを確認し、アシュリーは応答前に少しその表示をただ見つめてから、ようやく受信のボタンを押した。

「はい」

『奥様、イルムガルドの件でお伝えしたいことがあります、至急、タワーに来て頂けますでしょうか』

「……あの子に何か、ありましたか」

 アシュリーの端的な問いに、職員は一瞬、黙り込む。けれど続けられた言葉には、申し訳なさそうな色は含まれていたものの、迷いは無かった。

『ご説明は、総司令が直接、と申しておりますので、申し訳ございません』

 次第に震えていく手を握り込み、アシュリーは静かに「直ぐに参ります」と答え、通信を切った。重大な何かが起こってしまったことは明らかだ。それでも、逃げ出す選択肢など彼女には無い。この家に住む時、持つと決めた覚悟なのだから。

 十数分でタワーの一階ロビーに辿り着くと、職員がアシュリーを出迎え、上階へと案内する。アシュリーが連れられたのは、司令室でも治療室でもない、特殊な機器が多く立ち並ぶ部屋だった。至る所にモニターが設置されていて、何が映されているのかは、よく分からない。文字ばかりが並んでいるような画面も混ざっていた。

「奥様が到着されました」

 職員に促されるまま、更に奥にある部屋へと通される。その中にはイルムガルドのチームメイト四名、そして総司令デイヴィッドが居た。全員が一斉に彼女を振り返る。

「アシュリー、ごめん、アタシ」

「待て、レベッカ」

 すぐに立ち上がり、泣きそうな顔でアシュリーに駆け寄ったレベッカを、言葉半ばでデイヴィッドが制止する。

「すまん、先に俺から話をさせてくれ」

 隣にいたモカが控えめにレベッカの腕を引くと、レベッカは小さく頷いて、数歩下がった。

「まずはお呼び立てして申し訳ございません」

 デイヴィッドはそう言いながら、真っ直ぐアシュリーの正面に立った。そして彼は躊躇わずに、事実を彼女に告げる。

「イルムガルドが、敵軍に攫われました」

 アシュリーは身体の正面で軽く重ねていた両手を、ぎゅっと強く握った。

「そう、……ですか」

 返した言葉はそれだけだ。彼女は俯いた。涙を流してはいない。座り込むでもふら付くでもなく、そこに立っている。けれど、明らかに身体は震えていた。懸命に、気丈であろうと耐えているだけだ。

「勿論、私共はまだ諦めるつもりは全くありません。取り返すべく全力を尽くす所存です。しかし、まず、……本当に申し訳ございません、私の責任です」

 悔しさを滲ませながらそう言うと、デイヴィッドはアシュリーに向かって深く頭を下げた。それを受け止めて、アシュリーはゆっくりと息を吸い込む。

「諦めないと、仰るなら」

 言葉を発すると、アシュリーの喉が震えた。顔を上げた彼女の両目からは確かに涙が伝っている。なのにその瞳は、今此処に居る誰のものよりも強かった。

「謝罪をなさるのは、あの子が本当に帰れなくなった時にして下さい!」

 その声は今までにアシュリーが聞かせていたのんびりと優しい色ではない。これは彼女からの、WILLウィルへの叱咤なのだ。涙を堪えるほどの強さはアシュリーには無かった。けれどアシュリーは、彼らと同じ覚悟が持ちたいのだ。伴侶だからと支えられるだけではなく、ただ謝罪されるのではなく、せめて何も出来ないのだから共に受け止め、痛み、それでも此処に立つ者でありたい。それは彼女がイルムガルドを選んだ日に、持ちたいと願った覚悟だった。

 彼女の言葉に微かに息を呑んだデイヴィッドは更に深く頭を下げた。

「承知致しました。必ず、取り返します」

 その傍でレベッカも謝罪を飲み込んで、「絶対、取り返すから」と告げ、アシュリーではなく正面の大きなモニターに向き直る。そこには先程までレベッカらが立っていた戦場の地図と共に、敵国の地図が表示されていた。イルムガルドを取り返すべく、彼らは今まさに取れる手段を話し合っていたのだ。

「奥様、今回の遠征で何が起こったのか、詳細をお伝え出来ます。辛い内容になるとは思いますが、お聞きになりますか」

 彼女を連れてきた職員が静かに囁く。アシュリーは、見ても分からないモニターを一度見上げてから、しっかりと頷いた。

「……聞かせて下さい」

 その返事を聞くと、職員は再びアシュリーを連れ、会議の邪魔にならぬよう一旦別室に移動し、今回の遠征について起こった内容全てをアシュリーへ説明した。内容を聞いたアシュリーが元の部屋に戻ると、デイヴィッドが振り返る。

「まだ軍と協議の必要がある為、明確な日時は分かりませんが、私共としては一刻も早く動きたいと思っています。奥様には至急、イルムガルドに食べさせるものを何かご用意いただけますか、日持ちするものを」

 イルムガルドの『限り』を考えると、取り返してすぐにでも何か食べさせてやらなければならない。取り返すことが出来るのがいつになるかは、正直のところ全く分からない為、アシュリーには定期的にWILLウィルへそれを提供し、いつ戻っても即座に食べさせてやれるようにしておきたいとデイヴィッドは説明する。アシュリーには、戦えなくとも出来ることがある。アシュリーは力強く頷いた。

「承知いたしました、二時間もあれば先日と同じものが――」

 その時、何の前触れもなく事態は急変した。

「――司令!!」

「どうした」

 別の部屋に居た職員が駆け込んできて、扉の一番近くに立っていたアシュリーは軽く飛び上がる。職員は一瞬、その反応に申し訳なさそうに頭を下げてから、司令へと向き直った。

「No.103、イルムガルドが自力で脱出、帰還したと別の駐屯地から連絡が入りました!」

 全員が一様に、目を見開いて職員を凝視した。

「間違いないのか!?」

「はい。No.33、アランの居る駐屯地です、彼が保護し、イルムガルドに間違いないと報告しているそうです」

 大きなモニターに表示されていた地図の一部を職員が指し示す。そこは、イルムガルドが攫われた場所より更に南にあり、同じ敵国との国境に位置する中では最南端の駐屯地だ。攫われた方角を思えば、自力で脱出し、戻ったという説明にも合致する。何より、彼女と面識のあるアラン本人が「間違いない」と言うならば、本人に間違いないのだろう。

「今、詳細な内容を聞いているところですが」

「此方で聞こう、回線を切り替えてくれ」

「分かりました」

 安堵と喜びの色に湧き立つ部屋。しかしこの時、アランがWILLウィルに背く事態を、誰一人として予想していなかった。

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