第92話_二度目の戦場、光が星を奪う
司令室は、異様な緊張感が漂っていた。イルムガルドらのチームが再び遠征に出ることになったのだが、その行き先が問題だったのだ。
「一体何があったのでしょう、前回の戦場は安定したとのご報告でしたよね」
モカが問う。司令は難しい顔で彼女の言葉に頷いた。要請が、前回と同じ戦場だったのだ。こうも短い期間で再び呼び戻されるなど、明らかにおかしいと思えた。誰もが、一抹の不安を感じていた。
「理由は分からないが、敵国はあの場所を随分と重要視しているようだ。一度は撤退したものの、今度は三倍の規模で進軍してきたらしい」
それでも、一度は我が国の軍が戦線を押し返し、そして陣形を有利に整えている。敵国が戦車や兵を増やしたところで、未だ劣勢には程遠い。その為、軍が支援を要請してきたのは戦況とはやや関係の無い理由だった。
「軍が言うには、『亀裂に気付かれた』とのことだ」
「……向こうがあの亀裂から領内に進軍しようとしてるって? 馬鹿じゃないの。兵器も持ち込めない狭い亀裂、進軍してどうすんだよ。こっちは亀裂の内側に戦車……じゃなくても、軍隊を並べて待ってたら済む話でしょ」
フラヴィの指摘は正しい。あの亀裂は戦車はおろか、軍用車も入り込めない。歩兵が一列や二列で進軍してきたところで、一体、何が出来るというのだろうか。集団自殺としか思えない行動だ。司令は深く頷いた。
「ああ、俺もそう思う。だが、敵国は妙にその亀裂に近付こうという動きを見せ続けているらしくてな」
「その方向への攻撃が集中して止まないらしく、むしろ突破させて、奇跡の子に数を減らしてほしいと軍は考えているようです」
傍らに控えていた職員の一人が、そのように補足する。軍が言うには、奇跡の子の力で五割から六割の数に減らした後、子らは撤退し、その亀裂をウーシンに破壊して塞いでほしいとのことだ。戦車や爆薬でも可能だろうが、基本、兵士らは岩を壊す為にそれらを使用しない。慣れない彼らがやるより、普段から投岩の為に岩を破壊し慣れているウーシンの方が、その目的での破壊も失敗なく済むのではと考えているらしい。
「当然だな、爆薬よりも俺様の方が上手い」
「どういう張り合いなんだよ……」
自慢げに胸を張るウーシンを呆れた顔で一瞥した後、フラヴィは司令と職員に向き直る。
「じゃあ誘い込むだけ誘い込んで、減らして、最後は進路も退路も断つって作戦なんだね」
「そのようだ」
敵国の思惑は正直のところ分からない。しかし、フラヴィが最初に指摘した通りの作戦を軍も考えているようで、岩壁の内側には数両の戦車、及び二百名程からなる中隊を待機させ、万が一侵入されたとしても対応できるように整えると言っているらしい。そこまで万全を期すと軍が言う中、
「すまないが、もう一度、対応を頼む」
それが
「――結局、負担を私達に半分担ってほしいのが本音でしょうね」
移動の機内で、モカがそう呟く。単純に敵軍を誘い込みつつ、岩壁の亀裂を壊して袋の鼠とするだけなら、軍は以前の三倍にあたる数の戦車を自分達で全て処理しなければならない。陣形がいくら整っていようと、犠牲をゼロにすることは不可能だろう。また、前回の支援要請も、戦いが長引いた結果、早くに幕を引きたいが為に依頼してきたとのことだから、軍は今の時点でも相当、疲弊している状態なのかもしれない。
「ま、仕方ないね、何にせよ今回は亀裂を壊すんだから、次は無いでしょ」
「そうね、これきりと思って、頑張りましょう」
現地に到着した翌日、前回と同じように、モカは別の軍用車、イルムガルド達は亀裂に向かう軍用車にそれぞれ乗り込む。軍の方はその連絡を受けると、亀裂に向かおうとしている敵軍戦車の一部を突破させる。まるで押し負けたような形を装うとのことだが、実際はどの程度、敵軍は騙されてくれるのだろうか。分からないが、突破後に気付いたところで、追走する軍の手前、戻ることも儘ならないだろう。
「目視で確認。来たね、あれか」
「おわ~めっちゃ居るねぇ」
まだ豆粒ほどの大きさにしか見えないが、戦車が迫っているのが、亀裂の中から裸眼で確認できる。見る限りは、迷う様子も無く本当にこの亀裂に直進してきている。理由が分からないだけに、その盲進はやや不気味に映るが、フラヴィは迷いを振り払うように小さく頭を振った。
「じゃあレベッカ、ウーシン、イルムガルド。前回と作戦は一緒だよ、異変があったら知らせて」
「オッケー」
「よし、行くぞ!」
三人は亀裂から飛び出し、前に崩した場所とは逆の、北方向へ移動。前回ウーシンが、崩した感触から察するに、この岩壁はどうやらあまり丈夫ではないと言っていた。同じ場所を崩せば亀裂にも影響があるかもしれないと懸念し、今回は位置を大きく変えることにした。そして前回よりも少し亀裂から距離を取り、ウーシンは投岩用の岩を作成する。その音を遠くに聞きながら、フラヴィは注意深く戦車を見つめて、目を細めた。
「……待って、あれ……なに?」
彼女は一人、取り残された暗い亀裂の隙間で眉を顰める。呟いたのは通信機すら拾わぬような小さな声だ。そして数秒後、ひっと息を呑んだ。
その頃、モカも遠くから子らの状況を見守っていた。
「もうすぐウーシン君とレベッカの間合いです。時刻は予定通り。作戦も前回と同じで――」
通信を切った状態で職員と話しているモカだったが、フラヴィから通信が入る。それはまるで悲鳴のような声だった。
『モカ姉、まだ通信繋がってる!?』
その声に含まれた焦りに驚きつつも、モカは通信を繋ぐと、極めて穏やかに返事をした。彼女を落ち着かせようという意図であったが、もはやそんなささやかな気遣いに効果は無い。
『これまずい、多分通信も切られる、撤退させて!』
「フラヴィ? 一体何が――」
『あっちの武器、レイモンドと同じ気配がするんだよ! 僕らじゃ駄目だ! すぐに軍――』
大きなノイズ音が響いた後、通信は途中で切れた。何度呼び掛けても、一切の応答が無くなる。ノイズ音すら発さない。視ている限りはフラヴィに攻撃が加えられた様子では無い。となると、妨害電波だ。フラヴィは通信が切れる前に『切られる』と予想していた。彼女はモカには見えない何かを察知したのだ。モカは瞬時に事態を飲み込むと、軍への支援要請、そして
「しかし、向こうの状況が分からないようでは、撤退と言っても」
「あの子達のことは私が全て視ています! 通信が出来なくとも、私達が合わせればいいでしょう、とにかく急いで下さい!」
連絡手段は無くとも、どのように動いているかはモカが居る限り全て視える。フラヴィらの撤退が滞るようなら、または此方の望まぬ形で動くようなら、岩壁の内側に待機してくれている軍に協力してもらい、連絡に走ってもらうことも出来るだろう。
「軍には何と説明をするんだ」
「敵軍は『新型兵器』を持ち込んでいます、奇跡の子らに対応できるものではありません。戦車を装っていますが、あれは――」
誰にも見えない壁の向こうをモカは睨み付ける。細部にまで目を通し、一つ溜息を零した。
「中身を見ても私に理解できるものではありません。今はフラヴィの言葉を信じましょう。おそらくは、電撃を発射する兵器です」
彼女の言葉に職員らは一斉に表情を強張らせ、青ざめる。そして慌てた様子でモカの要請に従って動き出した。
「レイモンド君、お願い、みんなを守って……」
モカは祈るようにそう呟いた後、顔を上げ、決してフラヴィ達から目を逸らすまいと前方を見つめた。
「――ウーシン、今の聞こえた? 撤退って言ったよね?」
「ああ、一体何が」
彼女らの通信は基本ずっと繋がっている。オンとオフを切り替えられるのは、軍用車で待機しているモカだけだ。だが突然、それが途絶えた。一瞬前までフラヴィの声が聞こえていたのだが、今は何も聞こえない。二人は困惑していた。だが、戦車の影は段々と形を大きくしている。呆然としていられる猶予は幾らも無い。そこへ、イルムガルドが二人の傍に移動、着地する。
「行こう、撤退」
「え、でも」
「フラヴィが出てきた。多分知らせに来てる。早く」
イルムガルドが指を差した方向、フラヴィが亀裂から飛び出し、三人の元へ駆け寄って来ていた。
「うわ、やば、行こう!」
レベッカとウーシンは、彼女が戦場に身体を晒してしまっている状況に焦りを見せ、全速力でフラヴィに向かって走る。イルムガルドも戦車からの砲撃を警戒しながら二人を追って移動するが、彼女らが合流するより先に、砲撃は始まった。イルムガルドが、彼女らに被弾しないようそれを着弾前に処理する。少し離れた空中で砲弾が爆発している様子に、全員の焦りが増した。
「フラヴィ!」
「て、撤退するよ! 早く逃げよう!!」
「レイモンドの気配とは何だ!? 一体何があった!」
ウーシンはフラヴィを抱き上げて走りながら問う。彼の肩で大きく息を吐くフラヴィ。彼女も小さい身体で全力疾走してきたのだ。息が整うまで、数秒が必要だった。
「何か違和感がある戦車があったから、超音波を伸ばしたんだ、それで幾つか、戦車じゃないのが混ざってるのが分かった」
彼女の超音波は機械を破壊することが出来るが、遠くに伸ばすと、威力は減退し、機能に影響は及ぼせない。ただ、反響を探り、物の位置や性質を探ることは可能だった。
「レイってことは、まさか電撃?」
「多分」
「最悪……レイの電撃、アタシ
理論上は、水を扱うレベッカがベールを張れば凌げる可能性があるが、レベッカはかつてレイモンドとの演習時にそれを試したところ、ただの一度も防げなかったのだ。あの兵器がどうであるかはともかく、レイモンドの電撃は衝撃波を伴い、水の形が崩されてしまうせいだった。本番で試みるにはリスクが大き過ぎる。
ウーシンが岩を置くことで一時的に盾とすることも出来るだろうけれど、本来の機能を持つ戦車もいる。形が似ているせいで、どちらからの攻撃であるか分からない。此処の岩は比較的、脆いのだ。砲弾に対して盾とするにはあまりに
「まだ砲弾しか来てないってことは、射程はきっと大砲より短いんだ」
砲撃音はずっと鳴り続けている。イルムガルドが正確に処理を続けてくれているお陰で彼女らには被害が無いが、刻一刻と、戦車と彼女らの距離は縮まってきていた。
「アタシの水柱で遠くから破壊できないかな?」
「それは出来ると思うけど、一台でも残したらアウトだよ。僕が全部見極めるには数が多い。今は撤退しよう」
「クソォ……」
悔しそうに唸るレベッカだったが、電撃を防げないという点、そしてその危険性についてはこの三人は誰よりも理解している。チームメイトだったレイモンドの強さを、誰より、知っているのだから。
亀裂に到着すると、フラヴィを抱くウーシンを先に入れた後、大きな声でレベッカがイルムガルドを呼ぶ。すると今回は直ぐに戻り、イルムガルドも亀裂に入り込んだ。だが、全員で退避しようと走り出したところで、イルムガルドは足を止めた。
「イル? どうしたの、早く」
気付いたレベッカ、そしてウーシンが足を止めて振り返る。亀裂の中には、ドン、ドンと、岩壁に着弾する砲弾の音が響いていた。イルムガルドが微かに眉を寄せる。
「……三人は行って。急いで、崩される」
「イル!?」
そう言うと、イルムガルドは
「あ……そうか! レベッカ、だめだ! 僕らは先に抜けよう!」
ウーシンの腕に抱かれていたフラヴィははっと息を呑むと、イルムガルドを追おうとしていたレベッカを呼び止める。
「僕らの速度じゃ、この亀裂を抜ける前に岩壁が壊される! 最悪、生き埋めになるんだよ!」
此処の岩壁は脆い。先程のような砲撃を受け続けていたら、亀裂が崩れる可能性は高かった。レベッカはフラヴィの言葉を理解すると、心配そうにイルムガルドを振り返りつつも、ウーシンと共に再び全力で走る。イルムガルドならば、砲撃が集中的に亀裂付近に注がれても、崩れる前に音速で走り抜けられるはずだ。そう信じた。
しかし、あと半分ほどの距離、というところで、砲撃とは全く違う音が亀裂内に響いた。暗かった亀裂の奥まで、その眩い光が差し込む。
「嘘」
「イルムガルド」
電撃による攻撃が始まってしまった。イルムガルドには対応できない。ウーシンとレベッカは思わず足を止め、来た道を振り返る。その後、響いたのは再び砲撃音だった。それらは明らかに岩に被弾している。イルムガルドが、処理していない。それがどういうことか、分からない者は無かった。
「イル……!」
「ばかレベッカ、ダメだ!」
助けに戻ろうとしたレベッカを、フラヴィが言葉で、そしてウーシンが身体を張って引き止める。
「放せ! ふざけんなよ置いていくのかよ!!」
「行ってどうする!」
どうしようも無いことなどレベッカにも分かっている。けれど、置いていけない。彼女にはそんな選択を出来ない。ウーシンの腕を振り払おうと暴れる彼女を、ウーシンも絶対に放すまいと力を込める。そうしている間にも、砲弾は着実にこの岩壁を破壊しようとしていた。振動は増し、辺りから小さな石が落ちてくる。
「もう猶予が無い、ウーシン!!」
「やめろ! 放せよ!!」
暴れ続けているレベッカをフラヴィとは逆の肩に抱え上げると、ウーシンは亀裂から脱出するべく走り出す。
「何でだ、何で!!」
「俺は! お前らを守る!」
「イルだって仲間だろ!!」
ウーシンの奇跡の力は『怪力』だ。彼が大きな身体を持ち、普段から鍛え上げているのとは全く別の尺度で絶大な力を持つ。レベッカがどんなに暴れたとして、敵うはずがない。力無く彼の肩に項垂れながら、レベッカは泣いていた。
「そうだ、あいつも仲間だ!!」
ウーシンは大きな声で、イルムガルドを仲間として肯定した。今更なようだが、彼は一度もそれを言葉にしなかった。レイモンドとの約束の元、ウーシンは常にレベッカとフラヴィを最優先に守っていた。彼が守ると言う対象にイルムガルドは入っていなかったのだ。それは彼女が強いせいもあったかもしれない。しかし、『限り』により不安定であると知っても尚、ウーシンは一度も彼女を守るとは言わなかったし、その態度も見せなかった。
けれど今の彼は、彼女を置いて敗走しつつも、彼女のことをレベッカとフラヴィと同じ仲間だと叫んだ。
「守る為には、生き残らなければならない!」
以前、カミラが彼にそう言った。ウーシンはあまり頭の良い方ではない。けれどカミラが伝えようとした言葉を理解できないほどに、愚かではない。
「今の俺はあの武器に敵わん! だが必ず戻る、取り戻す! その為に生き残る! アイツは強い、必ず生き残り、待っていてくれるはずだ!!」
彼の大きな声が、歪な岩に反響していた。フラヴィは彼の腕に強くしがみつきながら、祈る様に目を閉じて頭を伏せる。そして、彼の言葉を聞いたレベッカは涙を拭った。
「ウーシン、ごめん、自分で、走る」
拘束を緩めた彼の腕からレベッカは飛び降り、共に撤退すべく、全力で走る。拭っても拭っても、レベッカの涙は止まらなかった。
亀裂を抜けてすぐに、レベッカはイルムガルドの名を呼んだ。その声はわんわんと亀裂内に響き渡ったが、小さく見える向こう側の光から、望んだ影が見えることは無いまま、後方からレベッカらを呼ぶ声が聞こえた。亀裂を抜けた先には、当初言われていた通り、多くの戦車が待機し、中央には、モカの乗っていた軍用車もあった。その車が彼女らに接近し、扉を開く。
「モカ……」
「おかえりなさい、三人共、乗って。あなた達の判断は正しかった。撤退しましょう」
「イルは、……置いて行くの?」
「乗って」
モカは眉を顰め、応えずに同じ言葉を繰り返す。レベッカはぐっと歯を食いしばり、その指示に従った。同時に、岩壁が崩れる音が響く。……もうあの亀裂を、何者も通り抜けては来られないだろう。
全員が座席に着けば、モカは彼女らの傍を離れて持ち場に戻る。
「三人に状況の共有をお願いします。私は引き続き周囲の警戒と、あちらの動向の監視を」
「ああ」
モカの仕事はまだ終わっていない。少し離れた座席に着くモカの背は、苛立った様子すら感じるほどにぴりぴりとしていた。誰もその背に、声を掛けることが出来ない。
彼女に代わり、随伴の職員がレベッカ達の傍に座ると、彼女らを乗せた軍用車は岩壁から遠ざかるように発進する。レベッカの質問の答えが肯定であることは、もう、疑いようもない。
「……イルムガルドが、敵軍に回収された。我が国の軍も、突然のことであの新型兵器に対抗できていない。
職員の報告に、誰も言葉を返さなかった。レベッカの喉が震える音だけが、車内に響いていた。
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