第80話_緊張と脱力を繰り返す機内

 遠征を明日に控えていても、レベッカは普段と何も様子が変わらない。少なくとも、廊下をのんびりと歩くその背を見つめているモカはそう思う。彼女は気負わない。もし気負っていたとしても、それを周囲に見せることなく普段通りに笑っていられる。それがレベッカであり、だからこそ、フラヴィ加入時に彼女の精神的なサポート役としてチームメイトに選ばれたのだろう。

 突然の大役を任された今のフラヴィにとっても、このようなレベッカは今後救いになるに違いない。今回はモカもサポート役として選ばれているが、あくまでもそれは仕事面での話で、精神面でのサポートはやはりレベッカになりそうだ。

「今日は、フラヴィに添い寝しなくて良かったの?」

 背に声を掛けると、振り返ったレベッカが目尻を下げて笑う。

「うん、遠征の前後はさ、いつも嫌がるから」

「常時あの子は添い寝を嫌がっていたと思うけれど、違いがあるのね」

「全然違うんだよ~」

 度々フラヴィはレベッカに押し掛けられ、添い寝を強要されているが、ただの一度も歓迎された話は聞かない。少なくともフラヴィ本人からは、添い寝の件についてよくモカは愚痴を聞いていた。そしていつも最後には「もっとモカ姉が引き取ってよ」と訴えるのだ。一体何の押し付け合いなのやら、とモカは笑うが、フラヴィには他意がある。二人はそんなことに少しも気付いていない。

 ただ、そうして常に嫌がっている彼女の中にも、本当に嫌な時と、嫌とは言いつつも受け入れられる時という違いがあるらしい。あくまでもレベッカの所感であり、フラヴィは全力で否定するだろうけれど。

「それでも今回はまた特別でしょう?」

「まあねー。でも何となく、いつも通りの方がいいんじゃないかなってさ。とりあえず明日の朝、顔見て考えるよ」

「そう」

 結局レベッカは通常運転だ。過度に心配する顔をしないのは、フラヴィに対する信頼でもあり、何かあれば自分がフォローするという意識の表れでもある。ゆったり構えているレベッカを見て、モカも少し肩の力を抜いた。

 部屋の前に到着すると、モカは鍵となるIDカードを扉にかざす。静かな電子音が開錠を知らせるのを聞きながら、傍で足を止めて待ってくれているレベッカを振り返った。

「それじゃあ、お休み」

「んー」

 妙な返事にモカは首を傾ける。いつもならレベッカも「おやすみ」と返してくれて、部屋に帰っていくのに。レベッカは何かを考えるように、視線を少し上に向けていた。

「ちょっと中に入って、モカ」

「一緒に寝るの? なら先に」

「ううん、いいから」

 一緒に寝るなら先に寝支度を済ませるべく互いに部屋に戻ってから、などと、いつもの段取りを頭の中に浮かべていたが、レベッカは言葉半ばで首を振り、「いいから」と繰り返してモカの背を押した。よく分からないまま、モカはレベッカと共に部屋に入る。

 モカはお嬢様育ちで、そしてWILLウィル加入後もずっと非戦闘員であり、ろくに身体を動かしていない。極端に運動神経が悪いわけではなくとも、戦闘員としての奇跡の子らと比較して勝る部分はほとんど無かった。特にレベッカのような前線で活躍し続けるトップチームの子には、敵うわけが無い。

 つまりどういうことかと言えば、突然レベッカに距離を詰められた時、モカは咄嗟に抵抗して距離を取ろうとするような身体であるにもかかわらず、レベッカから見れば無抵抗に等しい。扉が閉じると同時に腰を引き寄せられたモカは、レベッカの肩に手を当てることも間に合わないまま、彼女に口付けられた。

「それだけ。おやすみ」

「お、……お休み」

 レベッカはモカに額を押し付けて笑うと、あっさりと腰を解放する。そしてひらひらと手を振って部屋を出て行った。

 彼女の足音がのんびりと遠ざかっていくのを聞きながら、モカは扉の傍でずるずると座り込む。

「……何なの」

 一人きりの部屋、相手も無く、彼女はそう呟くことしか出来なかった。


 翌日、各自戦闘服へと着替えた状態で指定の場所に集合する。職員の最終チェックを受け、装備や服に不備が無いことを確認された順から、続々と飛行機に乗り込む。そんな緊張感漂う出発の空気の中で、フラヴィはイルムガルドが何か袋を抱いていることが気になっていた。

「お前その荷物、何?」

「マフィン。あげない」

「要らないよ、ってか声デカイな」

 問い掛ければイルムガルドにしてはかなり素早く、そして聞いたことが無いほど大きな声が返ったのでフラヴィは目を丸めた。戸惑いながら彼女に続いて飛行機に乗り込めば、中では職員が柔らかい笑みでイルムガルドを振り返る。

「イルムガルド、此処に入れると良いよ、適温に保ってくれるんだ。転がったり、潰れたりもしないだろ」

 飛行機内に、どうやらそのマフィンを入れる為の専用ボックスを設置していたらしい。イルムガルドは言われた通り、丁寧に袋を入れている。彼女の顔はやけに真剣だが、扱っているのがマフィンであることが愛らしい。傍で見ていたレベッカはにこにこと楽しそうに笑っていた。

 イルムガルドはアシュリーが作った料理しかほとんど吸収できない為、遠征中はどれだけ食事を与えてみても日に日に体重が落ち、血糖値なども下がっていく。本人はそれでも平気そうな顔をしているのだが、職員や医療班はいつ倒れてしまうかとハラハラしていた。そこで、お弁当代わりにこうして日持ちする焼き菓子をアシュリーに作ってもらい、遠征先での補給として食べさせることで少し改善できないものかを検証する運びになったようだ。WILLウィルからの正式な依頼を受け、アシュリーが今回はマフィンを沢山焼いてくれたらしい。

「行楽かよ。何か力抜けるなぁ……」

 職員の説明により納得はしたが、イルムガルドの様子を見ているとどうもそう言いたくなるらしい。フラヴィは苦笑いを零した。そんな彼女の後ろで、レベッカとモカは顔を見合わせる。偶然ではあるが、イルムガルドの行動が少し、フラヴィの肩の力を抜いてくれたようだ。今のところは大丈夫そうだと少し笑っていた。

 これから彼女らが向かうのは首都から真西に位置する国境の駐屯地。そこから少し南下した場所にある森で軍が敵国と交戦中らしい。現状、劣勢ではないものの、その森は岩場を多く含み、地形が複雑な為に一か所から突然ひっくり返される可能性もある。何とか早い段階で片を付け、戦線を荒野の方に移動させたいというが軍の意向であると伝えられていた。

 それを実現する為の作戦が六種類、WILLウィルによって作成されている。資料を何度も読み返しているフラヴィを座席の隙間から振り返り、レベッカが目尻を下げた。

「根詰め過ぎないようにねー、フラヴィ。到着までまだまだあるんだから」

「分かってる。っていうかレベッカ、作戦覚えてるんだろうな?」

「いや全然」

「僕を助ける気が全く無いよなお前は!」

 レベッカの座席を資料の紙で叩く音が響き、レベッカは声を上げて笑っている。呑気なものだ。ウーシンは真面目なので、聞けば資料の内容程度は頭に入れてくれているらしいが、レベッカはこの状態。注意を受けても資料を確認しようという様子も無い。なお、イルムガルドに至っては問い掛けても無視された。やはりフラヴィがきちん覚えた状態で、この不真面目な二人に細かく指示をしなければならない。当初考えていたのとは別の重荷を感じながら、フラヴィは深く溜息を吐いた。

「っていうかお前もう食うのかよ」

 そんな憂いを抱くフラヴィの隣で、イルムガルドは徐にマフィンを食べ始める。職員は慌てた様子で彼女に「まだ全部食べちゃだめだよ、一つだけにしような」と声を掛けていた。どうにもこの問題児は、フラヴィの緊張を長続きさせてくれないようだ。

 駐屯地に彼女らが到着する頃にはもう日が暮れかけていた。本日中の出撃は予定されていない。子らは装備の再点検を受けた後、用意されていた場所で休息を取る。子らに平等に提供された食事の後でイルムガルドが嬉しそうにマフィンを頬張っていたこと以外、いつも通りの遠征の夜だった。


 そして翌朝、出撃の準備が整ったところで、モカがフラヴィを振り返る。

「フラヴィ」

「え、あ、ああ」

 目を瞬いた後、はっとした顔でフラヴィは背筋を伸ばす。ここからはもう、彼女の指示で全員が動くことになる。フラヴィは緊張した面持ちで、小さな咳払いをした。

「モカ姉と職員を専用の軍用車まで送り届けたら、僕らは別の軍用車で予定の待機場所まで移動するよ。全員、通信機は着けてるよね」

 ウーシン、レベッカ、イルムガルドがそれぞれ頷いたのを確認し、フラヴィの号令で駐屯地を出る。指示通り、モカを専用の軍用車に乗せ、出撃班は別の車に乗り込んだ。

「モカ姉、通信は聞こえてる?」

『ええ。問題ないわ』

 返事を受け、フラヴィは一度ウーシン達三名にも視線を送る。全員、問題なく通信が機能しているらしく、それぞれ頷いていた。

「了解、じゃあ着いたらまた連絡――、いや、視えてるか……」

『ふふ、そうね。でも一応声を掛けて』

「分かった」

 フラヴィらを乗せた軍用車は、後部座席が広く、向かい合う形で座席が設置されている。そわそわと落ち着かない様子のフラヴィの正面に座るのはレベッカで、彼女はいつもと何一つ変わらない顔で、両手を頭の後ろで組み、壁に凭れかかっていた。見慣れた光景ではあるが、あまりにもいつも通り過ぎて、フラヴィは幾らか不快そうに眉を寄せる。

「本当にレベッカはいつも通りだな」

「だって任務もいつも通りだし~」

 事実、レベッカの仕事はいつもと何も変わらない。指示に従って、戦場で動くだけだ。しかしフラヴィからすれば、『指示を出す人間』が変わってもそんな風に構えられるレベッカのことが少しも理解できない。

「僕の指揮になること、怖くないのかよ」

「えー、何で?」

「……もういいよ」

 緩い笑みで首を傾けているレベッカだが、本当に分からない気持ちで首を傾げているわけではないのだろう。離れて行く二人の様子を遠くから視ながら、モカは笑いを噛み殺していた。

「――モカ姉、着いたよ!」

『了解。ちゃんと姿が確認できているわ』

 到着した待機場所は、森の中で、少し開けた空間があるだけの何の変哲もない場所だ。何かのバリケードや建物が彼女らを守ることなど無く、大量の兵士が待機もしていない。居るのは奇跡の子ら四名のみ。フラヴィは木々以外に何も見えない周囲を注意深く見回す。

「えーっとモカ姉は作戦覚えてるよね、最初に確認予定だった項目を視て、報告してくれる?」

『ええ。まずはこちらの軍の位置だけれど――』

 淀みなく、冷静にモカは情報をフラヴィに伝えていく。難しい顔で真剣に聞いているのはフラヴィとウーシンだけで、レベッカは意味も無く手を伸ばして近くの枝を引っ張っているし、イルムガルドは目を閉じて近くの木に凭れている。寝ようとしている気さえする。二人に変に意識を向けぬよう、モカの説明にフラヴィは集中した。

「私から視える状況は以上よ、さあ、どうしましょうか、フラヴィ」

 全ての報告を終えたモカが、何処か楽しそうに問い掛ける。戦場を見据えたフラヴィは、静かに息を吸い込んだ。

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