第79話_炎が揺らめく司令室

 暗い部屋の中、白い腕が手探りで服を探していた。一つずつ拾い上げては身に着け、起き上がった女性は白いシャツでその身体を覆う。シャツと彼女の持つ肌の色に違いを見付けることも、この光量の中では難しい。女性がシャツのボタンを丁寧に一つずつ留めていれば、まるでそれを邪魔でもするかのように背後から伸びてきた腕が腰に絡み付く。その腕は三分の一ほどが、火傷痕に覆われ、皮膚が引き攣っていた。

「何だよ、もう行くのか、私のお人形マイ・ドール。朝までゆっくりしていればいいだろ」

「誰がドールよ、いい加減、ちゃんと名前を呼んだらどうなの。何年同じことを言わせるつもり?」

 心底うんざりしたような声色による抗議にも堪えた様子無く、カミラは笑うだけだ。女性の名を呼び直そうともしない。呆れた様子で、女性は溜息を零した。

「この部屋に長居すると、抱き枕にされて寝苦しいの」

「久しぶりにこうして過ごせる時間があるってのに冷たいな。そろそろあたしの求愛を受けてくれる気は無いのかい」

 カミラは身体を起こし、ベッドに腰掛けている女性に寄り添うが、女性の表情は何処までも煩わしそうだった。

「冗談じゃないわ、何人に声を掛けているのかも分からない人なんて」

 抱き寄せようとするカミラの腕から逃れ、そう返す女性だったが、カミラはただただ楽しそうに笑う。そしてその腰を強引に抱き寄せると、再びシーツの中へと引き込んで組み敷いた。

「ちょっと」

 女性からの文句など構うことなく、カミラは身勝手に額や頬へ唇を落とす。その傍若無人に対し、頬を張るほどの抵抗までは見せないものの、女性は顔を逸らして眉を寄せた。それでもカミラは晒されたその白い頬を撫で、愛おしそうに目を細める。

「こんな醜い顔と身体を持つあたしの相手なんて、お前しかしてくれないよ、マイ・ドール」

 女性の持つ灰色の艶やかな髪を指先で掬い上げ、唇を寄せる気障な仕草を見ても、女性は不快感を露わにするばかりだ。カミラを見上げ、睨み付けるように女性が目を細めた。

「あなたが醜いのは外見じゃなくて心だわ」

 辛辣な言葉に傷付く気配も見せず、カミラは一層楽しそうに肩を震わせて笑う。

「ああ、……そうかもしれないな」

 カミラがまた深く覆い被さると、女性はもう抵抗を諦めたのか、白い腕をシーツの上へ静かに落とした。


 翌朝、昼に至るより少し前、カミラは欠伸を噛み殺しながらのんびりとタワーの廊下を歩く。目的を持たないかのような穏やかさだが、彼女の向かう場所は決まっている。司令室の扉をゆったりと潜れば、既に集まっていた子らと、そしてデイヴィッドからの視線が彼女へ注がれた。

「カミラが遅刻って珍しいね~」

「何かあったか?」

 笑って出迎えるレベッカの傍らで、デイヴィッドは気遣わしげに眉を寄せてカミラの顔色を窺っている。集合するよう指定された時間からは既に五分が経過していた。たった五分とは言え、普段遅れることの無いカミラだというだけで、大きな問題であるように見えるのだろう。カミラは肩を竦めた。

「いや、寝坊だよ、少し夜更かしをした。悪いな」

 軽く手を振ってそう言うと、カミラは二人掛けのソファの端に大人しく座っているイルムガルドの隣へ腰掛ける。そして程なくして、全員に紙の資料が配られた。

「では改めて。今回集まってもらったのは、次の遠征についてだ。モカを含め、新生のチームでの遠征が二日後に決まった」

「え、もしかして、さっそく僕の指揮……?」

 フラヴィはちらりとカミラを見てから、デイヴィッドを見つめて不安げにそう呟く。カミラがこの場に同席しているということは、現場指揮を立てるという運用に関わると察したのだろう。カミラはただ軽く口角を引き上げて笑い、デイヴィッドは何処か申し訳なさそうに眉を下げた。

「ああ、そうなる。だが、モカが付いている、心配するな」

「いや心配はするよ……」

 軽く言ってくれるものだ、とフラヴィは溜息を零す。しかし、彼女も今更、一度了承したことに異を唱えようと言うつもりはないらしい。

「別に、文句があるわけじゃないよ、ちょっと急で、驚いただけ」

 少し口を尖らせてそう言ったフラヴィの背を、レベッカは慰めるように撫でた。

 現場指揮がフラヴィとは言っても、基本、作戦は事前に職員らの方で数パターンを組まれており、フラヴィ含む全員に共有される。今、渡された資料がそれにあたる。その上で、どの作戦を使用するかという決定と、有事の際、臨機応変に個々へ変更を出すのがフラヴィの役割になる

「私は『視』たものの報告に徹するけれど、迷えばすぐに相談してくれていいから」

 モカが優しくそう告げれば、素直にフラヴィは頷く。本当に不安なのだろう。いつものような強がりの言葉も出てくる気配が無い。

「俺は随伴が出来ないんだが、職員は増員してある、支援は万全だ。練習と思って頑張って来てくれ」

 誰もがフラヴィの肩の力を抜こうと言葉を尽くしている。フラヴィ自身、それをきちんと感じ取って、不安を払拭しようと却ってしまっている。口数の減ったフラヴィに、何を言ってやればいいだろうかと迷っている一同を余所に、カミラは気怠げにソファの背へ身体を預けていた。

「立場が変わると、初陣のような緊張があるよな。あたしも次の出陣が不安でならないね」

「いや絶対に嘘でしょカミラ」

 カミラも確かに次回の遠征から現場指揮を担当することになり、立場が変わるという意味ではフラヴィと同じであるだろうが、長くタワーを離れて戦場に身を置いていた上、カミラのチームメイトが皆まだ若いこともあって、似たようなことは普段から行っていた。今更、彼女が気負うものなど何も無いだろう。フラヴィの指摘にカミラは楽しそうに笑うと、徐に胸ポケットを探り、取り出した煙草を一本、口に咥えた。

「こらカミラ、此処は火気厳禁だ」

「おっと、悪――」

 無意識に近い動作で咥えてしまったのだろう。デイヴィッドに注意され、カミラが煙草を指で挟んだ瞬間。カチン、と軽い金属音と共に、彼女の目の前には一つの小さな火が揺れた。全員が一様に目を丸めている。火を差し出したのは、隣に座るイルムガルドだ。彼女の手には少し大柄のオイルライターが握られていた。

「あの、イル? 火、ダメだって……」

 短い沈黙の後、レベッカがそう言うとイルムガルドははっとした顔をして、直ぐにライターの蓋を閉じて火を消した。

「ごめん、つい」

 ばつが悪い様子で眉を寄せているイルムガルドに、カミラは目を瞬いた後で、大きな声で笑う。

「ははは! 火を差し出されたのは初めてだよ、いい気分だな、また今度、吸える場所で頼むよ!」

 火の能力を持つ彼女はライターなど無くとも自分で煙草に火を点けられる。誰かに火を差し出される経験など皆無だった。そうでなくとも今ほど素早く、流れるように火を出された経験のあるものは少ないかもしれない。イルムガルドの身体には、故郷で培ってしまった『仕事』の名残が確かに残っていた。

「いや、っていうかイルなんでライター持ってるの? まさか吸ってないよね?」

 以前欲しいものを聞かれて答えた中に煙草が入っていたことを思い出したらしく、レベッカが慌てて確認する。イルムガルドは眉を寄せたまま、首を振った。

「吸ってない、ライター、持ってないと落ち着かないから、持ってるだけ」

 彼女の訴える「落ち着かない」感覚は誰にも分からないものだろうが、これが名残だ。『差し出さなければならないから、持っていなければならない』という意識が無くなっていない。しかも今回こうして行動にまで移してしまっている。将来的に無くなることがあるとしても、それはまだしばらく先のことになるのだろう。妙な空気の中、笑っているのはカミラだけだ。デイヴィッドは難しい顔で咳払いをした。

「とにかくカミラ、子供の前では喫煙自体、気を付けてくれ」

「ああ、悪かったよ、まだどうにも寝惚けてるらしいね」

 その後、遠征先についての詳細と、作戦内容の説明を受けたイルムガルド達は各々身体検査と装備調整に入る。そんな検査の合間に、イルムガルドは部屋の隅で「かきげんきん」を通信端末で調べていた。あの時、衝動的に身体が動いたのとは別に、イルムガルドにはデイヴィッドの告げた言葉の意味がそもそも分かっていなかったのだ。レベッカが偶然にも「火、ダメ」と言い換えたことで「もしかしたらそういう意味だったのかも」と察し、火を引いた。首を傾けながら端末を検索し、「火気厳禁」の単語に行き当って三十秒後、イルムガルドは小さく息を吐いてこめかみを押さえていた。

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