第61話_敗戦を語る休憩所

 病室を出て歩くモカの足取りに、不安定さは少しも見られない。しかしその両脇を歩くレベッカとフラヴィは、重病人を補助するかのように距離を詰め、心配そうに顔色を窺っている。

「フラヴィ、レベッカ。私はただの打撲だから、大袈裟にしないで」

 当の本人は苦笑しながらそう言うけれど、二人の態度は変わる様子が無い。

「それでも怪我人! あんまりうろうろしないで部屋に居るんだよ」

「……はいはい」

 ついこの間はモカが同じようにレベッカを過保護にしていたが、今は見事に立場が逆転している。レベッカが自分を心配する様子を嬉しいとも思うのだろうけれど、モカは眉を下げてフラヴィに視線を落とす。フラヴィも苦笑いをしていた。

「イルムガルドも、わざわざ来てくれてありがとう」

 並んで歩く三人の一歩後ろに、イルムガルドもついて歩いていた。モカが搬送された夜には駆け付けてくれたというが、モカにとっては少々意外に思う。まして、病室から出られることになった日にも、こうして付き添ってくれるだなんて。

「あなたも、心配してくれたのかしら?」

 肩口に振り返りながらモカが問うと、イルムガルドはいつもと変わらない無表情のまま、視線もモカに向けることなく首を傾けていた。

「アシュリーが心配してた」

「そう。まあいいわ、じゃあ、アシュリーさんにお礼を言っておいてね」

 そっぽを向いたままで、イルムガルドが軽く頷く。本当にそれが理由であるのかは疑問が残った。隣でフラヴィがまた複雑そうな顔を見せる。先日、訳の分からない理由を述べながら部屋まで送ってくれたことを思い出しているらしい。レベッカはこんな捉えどころのないイルムガルドを『可愛い』と言い、フラヴィは『不気味』と言う。ならばモカはどう思っているのだろうか。フラヴィが見上げた先、モカはいつもと変わらぬ微笑みをたたえ、フラヴィの視線に緩く首を傾ける。ふと、「この二人、似た者同士かも」と思ったが、フラヴィはそれを口にしなかった。

「――良かった、元気そうじゃないか、モカ」

 四人が並んで歩いていると、休憩所に座っていた人影が声を掛けてきた。振り返って一番に反応をしたのはレベッカだ。その人に向け、表情をぱっと明るく変えた。

「わー、カミラ!? すごい、久しぶり~!」

 無邪気に嬉しそうな笑みを向けるレベッカに、カミラも表情を和らげる。モカは一瞬目を丸めてから、同じく親しみを込めて微笑んだ。

「おかえりなさい、カミラさん。お戻りだったんですね」

 モカの言葉に、カミラは何処か居心地悪そうに首を捻って苦笑を零す。ゆっくりと彼女が立ち上がれば、その顔を全員が見上げる形になる。カミラはレベッカとモカよりも更に身長が高い女性だった。

「ああ。……全く此処の連中は、『ただいま』を言わせるのが好きだね」

「此処はみんなの家だからねー」

「そうかい」

 当たり前のようにレベッカはそう返すが、首を傾けたままのカミラにはどうしても馴染みが無い感覚であるらしい。とは言え、その点を議論する気も彼女には無く、軽く躱してフラヴィへと視線を落とす。

「お? なんだフラヴィ、見ない間に少し背が伸びているじゃないか」

「そりゃ、一年も会わなかったらね、僕は成長期なんだから」

「ハハハ! そうかそうか」

 何が楽しいのかカミラが声を上げて笑い、フラヴィの頭を撫でる。彼女の抵抗もレベッカにそうされるよりは幾らか緩い。ただ、口では「子供扱いしないでよ」と文句を垂れていた。またカミラが楽しそうに笑う。

 フラヴィの言う通り、カミラが彼女らと会うのは一年振りだった。離れていた間の積もる話は幾らもあるだろうが、カミラはそれよりも直近の話題を優先させる。

「で、お前らと一緒に居るってことは、この子かい、史上最強No.103は」

「イルって、離れてるメンバーにも伝わってるんだね~」

「ああ、かなり話題になっていたよ。まあ、この言葉だけだがな」

 水を向けられたイルムガルドはつい先程まで廊下の向こうをぼんやりと見ていたが、カミラの声に応じた様子で彼女を見上げ、その顔をじっと見つめた。

「イル、この人はNo.9のカミラ。奇跡の子らの中では最年長の、二十二歳なんだよ」

「ああ、すまん、自己紹介が抜けていた。そう、あたしはカミラだ。宜しくな」

 そう言いながらカミラが握手を求めて手を出すと、イルムガルドは珍しくそれに応じて、手を握り返した。

「……No.103、イルムガルド」

 番号と名前だけを告げる自己紹介はあまりにも愛想が無い。しかし、それがイルムガルドとなると「今日はちょっと愛想がいいな」と思わせる。レベッカに至ってはひどく嬉しそうに目尻を下げて彼女を眺めていた。カミラはどの程度イルムガルドのことを知っているのだろう。珍しくじっとカミラの顔を見つめていることを『珍しい』ということは知っているのだろうか。カミラは彼女の視線に応えて軽く眉を上げ、首を傾けた。

「ああ、こんな綺麗どころに囲まれてちゃあ、あたしの顔なんてのは醜くて見苦しいだろ。すまんが、まあゆっくり見慣れてくれよ」

 カミラはそう言うと自身の右頬を手の平で撫でる。彼女の顔の右側には、額から頬の中ほどまで、火傷の痕が残っていた。本人は言うほど気に留めていないのか、髪形などで隠そうともしていない。

「あたしの能力は『発火』でね、自分の力が制御できない小さい頃にやっちまったのさ。身体のあちこち、火傷ばっかりでねぇ」

 黒い手袋の中に隠し込んでいる左手にも、酷い火傷痕がある。身体にもあるのだろうが、そんなことを彼女は事細かに説明しない。そうなのだろうと思うだけで、レベッカらも追及したことは無かった。何かフォローを入れるべきかと一瞬レベッカは視線をカミラとイルムガルドの間に彷徨さまよわせたけれど、言葉を発したのはイルムガルドが先だった。

「……普通に、美人だと思うけど」

 目を細め、首を傾けながらぽつり。一瞬、全員がしん、と静まり返った。カミラは面食らったような顔で静止した後で、噴き出すようにして豪快に笑う。

「アッハッハッハ! おい何だこいつは、アランみたいなことを言うんだな!」

 乱暴とも思う手付きでカミラがイルムガルドの頭を撫でる。いつもさらさらと大人しく流れているイルムガルドの髪は、カミラが手を離す頃には所々が逆立っていた。

「口の上手いやつだ。ああ、姉さん女房を捕まえたって話も納得だよ」

 その言葉にレベッカらが笑う。そんなことは、伝わっているらしい。まさか戦場にまで広まっているとは思えないので、おそらくは帰還後に聞いたのだろう。

「いやしかし、あたしは元々、モカに用があって来たんだが」

「はい?」

「此処で会ってしまったからな、イルムガルド、先にきちんと話しておこう」

 一瞬モカに視線を向けたカミラは、改めてイルムガルドに向き直ると、何故か姿勢を正し、表情を真剣なものに変えた。

「あたしは、No.100、テレシアを受け入れたチームの人間だ」

 イルムガルドの表情は変わらなかったが、ぴくりと小さく身体が震えたことに全員が気付いた。傍に立つ三人も、僅かに表情を緊張させる。

「あの子が失礼を働いたことは報告を受けている。本来であれば本人に直接頭を下げさせるべきだが、至らなくてすまない。まずは教育係として謝罪させてほしい。本当に、申し訳なかった」

 カミラはイルムガルドに向かって低く頭を下げた。イルムガルドは眉を寄せ、彼女から視線を逸らすようにして顔を背ける。

「……わたしは、気にしてないから、気にしないで、いい」

 酷く居心地の悪そうな声だった。日頃の口調を思えば感情的にも聞こえる。そのイルムガルドと、まだ頭を上げようとしないカミラを見比べたレベッカが、心配そうに眉を下げてカミラの肩に手を置いた。

「まあまあ、イルが困っちゃうよ、カミラ、顔上げよ?」

「ああ、そうか、悪い」

 顔を上げて改めてイルムガルドを見れば、変わらずそっぽを向いている。少しカミラが眉を下げたのを見ると、フラヴィは顔を顰めて焦ったように「あー」と言った。

「こいつ普段からこういう奴だからさ、カミラ、気にしないで良いよ本当に」

 普段のフラヴィよりも少し張った声に、カミラはじっとフラヴィを見下ろしてから、口元を微かに緩めて顎を擦った。

「相変わらずフラヴィは気遣い屋だなぁ、良い女になるよお前は」

「別にそういうんじゃなくて! 僕はただ事実を言ってるだけだろ!」

 フラヴィはカミラの言葉に耳まで真っ赤にしている。レベッカやモカへ助けを求めるかのように視線を送ったフラヴィだったが、二人は何も言わずににこにこと嬉しそうに笑っていた。

「それで、カミラさん、私にご用というのは?」

 すっかりフラヴィがへそを曲げてしまうまでを見守ってから、ようやく軌道修正の話題を口にする辺り、モカの性格が出ている。そして口元は尚も緩く弧を描いていた。しかしカミラの返答はモカだけではなく、全員の表情を再び凍り付かせる。

「ああ、お前には辛いことかもしれないが、今回の戦いについて詳しい話が聞きたいんだ」

「カミラ!」

 咄嗟にレベッカが止めるように名前を呼ぶ。しかしカミラはモカを鋭く見つめるだけで、言葉を撤回する様子は無い。レベッカから気遣わしげな視線を向けられたモカは少し俯き、眉を顰めている。口を引き締め、緩く左右に振られた頭。けれどそれは拒絶ではなく、彼女の中の、葛藤だったのだろう。

「いえ、お話します。私が、目を逸らすべきではありません。私は……見ることしか、出来ないので」

 カミラが目を細める。咎めるようでも、責めるようでもない。瞳の奥は優しく、彼女が今求めていることはモカに厳しいものだったかもしれないが、それでもカミラが彼女を想っていることはそこかしこに滲み出ていた。

「それは十分な力だ。だからこそ頼む。辛い内容なのは分かっている。……あたしはよく分かってるよ、仲間を失う苦しさを」

 その声にははっきりとした悲しみが宿る。カミラは、奇跡の子らの中で『誰よりも多くチームメイトを亡くした』子だった。彼女に落ち度があったわけではない。ただ、彼女の戦場が過酷だったのだ。カミラが送られる戦場は、戦況変化が激しい場所が多かった。その中で生き残り続けたカミラは、他の奇跡の子らと比べても抜きん出て生存能力が高く、戦場での立ち回りに長けている。それでも守り切れないほどに、厳しい状況が多くあった。そんな彼女の環境を知っているから、モカは神妙に頷き、レベッカとフラヴィも何も言えずに黙り込んだ。

 カミラが促すまま、全員で奥のテーブルに移動した。みんなにも一緒に居てほしいとモカが願うから、レベッカ達も傍に座った。全員が場所を落ち着ければ、もうカミラが促すのを待つことはない。問われていることは分かっている。モカは徐に口を開いた。

「私が『視』ている範囲外からの、狙撃でした」

 テーブルの何も無い一点を見つめて、モカは誰に視線を向ける様子も無い。声は静かで、業務報告をするかのように落ち着いている。彼女自身の感情を抑えようとしている反動であることは誰の目からも明らかだった。

「見通しの悪い戦場だった為、狙撃の可能性は低いと思われていたんです。それでも彼らの周り半径一キロは見ていました。狙撃は、その外からでした」

 緊急での出撃要請だったことから、今思えば敵方に誘い込まれた可能性はある。カミラは難しい顔を浮かべながら、モカが淡々と語る言葉を聞いた。

 最初に狙撃されたのは死亡したNo.73のエディだった。瞬間、エディと共に戦場に出ていたNo.41のノア、そしてモカも、動揺してしまい、対応が遅れた。エディは心臓を撃ち抜かれて即死。ノアは倒れ込んだ彼を前にその場で立ち尽くした。モカは数秒で気を取り直して慌てて狙撃手を探すが、すぐには見付からない。しかし少なくとも北東からの狙撃であったことは撃たれたエディから予測が出来た為、モカはすぐに通信を通してノアへと身を隠すように指示した。彼が立つ場所から、数メートル下がった位置にある岩場に隠れれば凌げる判断だった。しかし、ノアは動かなかった。おそらくモカの指示は彼には聞こえていなかった。

「私が狙撃手を見付けたのと、彼が撃たれたのは同時でした。幸か不幸か、ノア君はエディ君に駆け寄ろうと動いたので、急所が外れ、一命を取り留めたそうです」

「ああ、容態が安定したことはあたしも聞いたよ。命があって良かった。あいつがどう思うかは知らないが、あたしはそう思う」

 本人が『どう思うか知らない』と言うのは何も知らない者からすれば違和感のある言葉かもしれない。命があって良かった、それは当然のことのように聞こえる。けれど、戦場で仲間を亡くしていく者からすれば、残される苦しみを知っているからこそ、易く『良かった』とは言えないのだ。

「ノアは、エディとは特に仲が良かったよな。指示なんてな、聞こえるはずもない。目の前で倒れてる友を前に、誰かの声なんて聞こえないことがほとんどだよ」

 それにしてもモカの話を聞く限り、状況はカミラが想像していたものよりも悪い。イルムガルドが回収した銃をWILLウィルと軍の方で詳しく確認したところ、射程は二キロ程度あるものだった。しかし、例えその機能を備えていたとしても、正確に目標を射抜くのは、一キロを超えれば無謀だと思える距離だ。少なくともカミラの持つ知識ではその認識だったが、敵はエディとノアを極めて正確に狙撃している。

「だがお前まで怪我したってのが特に気になってる。何があった?」

「あ、いいえ、私の方は少し情けない話です」

 モカは苦笑を浮かべて、言い辛そうに経緯を話した。彼女は戦えない奇跡の子である為、前線に出ることは皆無だ。常に少し下がった位置で、複数の軍用車の中の一つに身を隠している。積んであるのは通信機器ばかりで、武器の類はほとんど無い。その状態で彼女が負傷したのは、襲撃があったからだ。とは言え、直接的な攻撃に傷付いたのではなく、軍用車の緊急回避と急発進でモカを含め同乗者の数名が受け身を取れずに転倒。一名の職員が腕を骨折。モカは頭と肩を打って気絶した。

「私も少し鍛えないといけませんね。大事な時に、気を失ってしまうなんて」

 モカは指先で額を押さえて首を捻り、居た堪れない様子だが、誰も笑わなかった。むしろカミラは一層表情を強張らせているように見える。

「奇襲か。……デイヴィッドも受けたと言っていたな」

「え?」

「なんだ、知らないのか? レベッカ達の随伴の時だぞ」

 呆けた反応を見せたレベッカ含む面々に、カミラも意外そうに目を瞬く。そして続けられた言葉に、最初に息を呑んだのはフラヴィだった。

「あの時――だから司令は指示が出せなかったのか!」

 イルムガルドが狙撃された一件だ。あの時、イルムガルドが狙撃手と敵の軍用車を処理し、銃を回収してレベッカらの傍に戻るまでの間、通信は入っていたものの、別の職員の声だけが聞こえており、司令からの指示は一切無かった。違和感はあったが、あの時はレベッカらも動揺をしていたので突き詰めて考えてはいなかった。

 カミラが聞いた話では、イルムガルドが撃たれた数秒後、デイヴィッドらの乗る軍用車も襲われていた。モカ同様、緊急回避し、護衛に付いていた軍の小隊が対応して事なきを得ていたが、レベッカらのサポートに割くリソースが減ってしまったのは事実だ。

「どうやら、狙撃時にはサポート側も合わせて襲撃するやり方を取っているみたいだな。利口なやり方だが、あたしらには最悪だ。いくら戦場に慣れた子が増えていても、どうしたって『子供』なんだ。指示を失ってしまえば長くは保たない」

 もしもあの場でデイヴィッドらを失っていたら、狙撃手を処理した後であっても、果たしてレベッカらは助かっただろうか。職員からの声が無ければイルムガルドは敵の軍用車を見付けていなかったし、子供達が退路を失ったことがもしも本隊に知られていれば、二陣、三陣が攻めてきた可能性もある。そうなったとして、WILLウィルや軍からの援軍があるまで四人だけで戦い続け、生き残れたかと言えば、難しいことのように思えた。

「デイヴィッドにあーだこーだ言うだけじゃ、どうにもならないな。……あたしらにも」

「カミラ?」

 誰に言うでもなく、テーブルに語るように俯きながらカミラが呟く。最後は上手く聞き取れずに、レベッカが首を傾けた。しかし顔を上げたカミラは柔らかく彼女らに微笑んで、首を振る。

「いや、何でもない。モカ、話を聞かせてくれてありがとう。まだ疲れているだろうにすまなかった」

「いいえ」

 モカが負傷した左肩には触れずに、カミラは右肩へと手を伸ばし、優しく手を置いた。モカの瞳を真っ直ぐに見つめ、一言ずつをはっきりと、教え込むように静かに彼女に囁く。

「ゆっくりと休め。今は、何も心配しなくていい」

「……はい、ありがとうございます」

 俯いたのか頷いたのかも分からないが、モカの動作に従って艶やかな濃褐色の髪がさらりと肩から流れ落ちる。カミラが浮かべた優しい瞳も笑みも、視線を落としたモカからは見えないけれど、頭を撫でた手の温もりは伝わっていた。カミラは立ち上がると、改めてモカ達に礼を言って、足早に休憩所を後にする。彼女らに背を向けた後は、一瞬前までの優しい表情とは一変し、まるで前方に立つ見えない敵を睨むように、鋭い目をしていた。

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