第57話_廊下の角、静かに痛む傷

 ただただ『見慣れぬ美少女』のようであったフィリップがタワーの廊下を駆ける姿も、何度か見れば耐性が生まれるものだ。一部の職員はその姿に困ったように眉を下げ、「走ると危ないぞ」と柔らかく声を掛けている。しかし彼がそれを聞き入れる様子は無い。向かう先が訓練室や司令室ならばともかくとして、理由が『彼女』である限り、彼は他の全てを置き去りにする。

「イルムガルド!!」

 その姿を見付けたフィリップは破顔した。彼女は治療室から最も近い休憩所のテーブルで通信端末を弄っていた。声に応じて顔を上げると、いつも通り表情は無いままで軽く首を傾ける。

「おはよう、フィー」

「呼んでくれて嬉しかったよ~! 今日は私と沢山お話してくれる?」

「うん」

 この場所へフィリップを呼び寄せたのは、イルムガルドであったらしい。走った勢いそのままに、座っているイルムガルドへと飛び付いている。傾いた椅子から見るにその衝撃は激しそうだが、イルムガルドが気にする様子は無い。二人の間ではいつものことなのだろう。イルムガルドの同意にもフィリップは一層嬉しそうに頬を緩める。だが、勢いよく身体を起こして振り返ると緩んでいた表情を一変させ、背後の存在を睨み付けた。

「――で、何でお前らまで居るの?」

 同じテーブルには、レベッカ、モカ、そしてフラヴィが座っていたのだ。睨み付けてくるその態度を、予定調和とでも言いたげに全員がにっこりと笑う。

「やっほーフィリップ」

「フィリップ君、おはよう」

「何だよフィリップ。まだ僕らの名前覚えてないの?」

「気安く呼ばないでよ! 覚えないって言ったでしょ!」

 三人は三様でありながらもフィリップの名をわざとらしく口にしている。呼ぶなと言ったのは愛称「フィー」だったはずだが、何にせよイルムガルドとの時間を邪魔されたと思うフィリップにとっては不愉快でしかないようだ。しかしその反応に三人は楽しそうに笑うばかりで、はたからは逆効果にしか見えない。それに気付いていないのか、それとも気付いているから尚更なのか、フィリップは今にも三人へ噛み付きそうな顔をしている。見兼ねたイルムガルドがその小さな背をぽんと柔らかく叩いた。

「フィー、今日はみんなも一緒」

「えー! 私はイルムガルドだけがいいよ!」

 レベッカ達に向けていたより僅かに高い声を聞かせつつも、そこには不満の色が滲む。だが、無情にもイルムガルドを含め誰一人その抗議を聞いてやるような様子は無く、それぞれ立ち上がった。

「じゃあ、早速私の部屋に移動しましょう、美味しいコーヒーを淹れるわ。あ、イルムガルドは紅茶の方が良かったかしら、奥様に教えて頂いたから、それなりには淹れられるはずだけれど」

「コーヒーでいい、紅茶は家で飲む」

「ちょっと!!」

 まるで彼を無視するように仕切ったモカへと怒りの声を向けるフィリップは、イルムガルドが「フィー」と無感動に名を呼んでしまえば途端に口を噤んで彼女を振り返る。その従順な反応に、傍に控える三人は笑みを浮かべていた。

「こいつすっごい単純」

「いや~、これは素直って言うんだよー」

 笑うフラヴィをレベッカがそう言って宥める横で、口を尖らせたままのフィリップを見つめたイルムガルドはのんびりと首を傾ける。

「わたしはいつも一緒に居られないよ、全員を好きになれって言わない、でも全員と仲が悪かったら、困ることもあるよ。特にフィーは『限り』もあるし」

「う、そ、それは」

 イルムガルドの知る彼の『限り』は、出てしまうと他人のフォローが必要のようだ。返す言葉に困るフィリップを慰めるように、イルムガルドがその頭を撫でた。

「嫌いなら嫌いで仕方が無いから、せめて話してから。自分が困らない程度にね」

「……分かったよ。イルムガルドが、そう言うなら」

 渋々、という感情を全身から漂わせているものの、レベッカから言わせれば『素直』にフィリップが応じる。しかし望んだ方向に話が進んでいるはずであるのに、フラヴィは軽く眉を顰めてみせた。

「っていうかお前もろくに僕らと話さないんだけど」

「そんなことないよねぇ、イル」

 しかし実際、年上らしくフィリップに助言したイルムガルド本人が、人当たりが良いとは言えない態度の代表例だ。特にフラヴィは話し掛けてもよく無反応を貫かれているので、彼女なりに不満があるのだろう。相変わらずイルムガルドに甘いレベッカがフォローをしているが、どちらの言葉にも結局イルムガルドは首を傾けるだけで何も応えない。

「そんなことない、かしらねぇ。私はまだ一度もあなたから、名前すら呼ばれていないわ?」

 テーブルから離れて歩こうとしていたイルムガルドの顔を、少し身体を屈めたモカが覗き込んで笑う。イルムガルドは立ち止まり、つまらなそうに視線を外してまた首を傾けた。するとそんな二人の間に割って入るように、フィリップが慌てて身体を滑り込ませる。

「お前! イルムガルドに近いって――」

「こらフィー、すぐ怒らない」

「うぐ、ぐ……」

 そしてまた、イルムガルドに宥められて口を閉じる。彼にとってイルムガルドは『絶対』であるらしい。何処までも『素直』な反応に、レベッカ達はまた笑った。

「じゃ、歩きがてら自己紹介しよっかぁ、アタシはねえ、No.18のレベッカ」

 いつまでも休憩所に留まっていても仕方が無い。レベッカはフィリップに柔らかな笑みを向けながら、皆を促して歩き始める。今回はイルムガルドに見せたような水の操作の実演をせずに、自身の能力を口頭で軽く説明した。

「フィリップは『植物操作』なんでしょ? 系統が一緒だね~」

「ふうん、でも、私の場合は植物だから、しかも生きてる状態じゃないとダメだし、持ち運びが出来ないの。水って便利だね。いいなぁ」

 するとフィリップからは、思ったよりも素直な反応が返る。根はそんなに好戦的な性格ではないのかもしれない。モカとフラヴィが続けて自己紹介をする間も、イルムガルドの腕に絡み付きながらではあったが、割と大人しく聞き、頷いていた。これではイルムガルドの方が余程態度が悪いというものだ。彼女は話を振られていないのを良いことに、誰の話も一切聞いている様子が無い。モカはそれを横目に苦笑しつつ、指摘はしなかった。

「ところでフィリップ君は、『ビアス』と名乗ったかしら。この街の出身なの?」

「……いや。私は少し西にある街の出身。お父様は元々首都の二番街出身だって言ってたからね、ラストネームはそこからだと思うよ」

「そうなのね」

 答えながらモカは目を細める。二番街の出身者が地方に移動するのは、ほとんどの場合が役人としての『異動』だ。おそらく、その街では代表に近い地位に居たことだろう。モカがラストネームを捨てた経緯からも分かるように、外聞を気にするような大きな家から、素直にWILLウィルに所属できる子は少ない。この子にも、大なり小なりあったのだろう。少し声のトーンを落としてしまったフィリップを見て、モカはそれ以上触れることを止めた。

 話を聞いていないように見えたイルムガルドは、そこで生じたほんの少しの隙間で、ちらりとモカに視線を向ける。気付いたモカは微笑みを返した。相変わらず、人の痛みには敏感だ。モカが、自分の家を思い出したことに気付いたのだろう。視線だけでやり取りをした二人を運悪く見付けてしまったフィリップが、見比べるように忙しなく視線を二人に向け、不安げにイルムガルドを振り返る。

「な、なんか仲良いの? イルムガルド……」

「ふふ、名前も呼ばれていない話をしたと思うけれど?」

「あ、そ、そうだったね、いや、でも」

 尚も心配そうにイルムガルドを窺うが、彼女は知らん顔をしていて何も応えない。まるで自分の話題ではないと思っているかのようだ。そんなイルムガルドとフィリップの顔を見つめたフラヴィが、呆れたように軽く鼻を鳴らした。

「っていうかモカ姉とか僕らを警戒しても仕方ないでしょ、そもそも奥さん居るんだぞ、こいつ」

「やめてよ! そのダメージまだ受け止め切れてないんだから!」

 瞬間、廊下に大きな笑い声が響く。まるで弾けるようにレベッカ達が笑ったのだ。あれからどう整理を付けたのだろうかと思っていたら、向き合うことすら出来ず問題を横に避けていただなんて。そのあまりの愛らしさに、真っ先に悪戯心を抱いたのはモカだった。

「あらあら、そんな状態で大丈夫なのかしら? 聞いたところによるとイルムガルドは人前でも……」

 大袈裟とも思える仕草で肩を竦め、やけに抑揚を強めた口調。そして思わせ振りに言葉を区切ったところで、レベッカが続いた。

「あっ、モカ、それ言っちゃうの? だめだよー、フィリップ死んじゃうよー」

「え! 何!?」

 やはりフィリップはあまりにも素直だった。揶揄からかわれていることに気付く様子無く怯えた顔でレベッカらを見つめている。心做こころなしか、イルムガルドの袖を握る手の力も強まっているようだ。

「いやいや、何も見なくっても、奥さんを前にしたこいつ見せるだけで十分死ぬでしょ。レベッカだって泣いたんだから」

「泣いてないし、アタシの話は今しなくていい」

 突然、揶揄からかわれる側に回されたレベッカが眉を顰める。どうしてもこの話題となるとフラヴィはレベッカを突きたくなるようだ。だがフィリップはその点には気付いておらず、フラヴィの告げた前半部分で更に不安を募らせ、「ど、どういうこと!?」と狼狽うろたえている。イルムガルドの話となると過度に反応が素直な彼は、彼女らに完全に遊ばれていた。

 その間も、話題の中心であるはずのイルムガルドは無反応のまま。直接的に話を振られた場合にだけ、短く答えるか、ただ首を傾ける程度で返していた。フラヴィはそんな彼女の様子にやれやれと溜息を零す。

「フィリップって、何でそんなにこいつに懐いてんの? ろくに返事もしないのに」

「え?」

 フラヴィの指摘に、フィリップは目を丸める。その反応は、彼女らには少し意外だった。イルムガルドを悪く言われたと怒るか、そういうところが良いのだと怒るかのどちらかだと予想していた。ところがこの時フィリップが見せた反応は、まるで『何を言われているのか分からない』とでも言うようだ。困惑の色を強めたフィリップが口を動かすと同時に、思考を切り替えたモカはいつも通りの笑みを浮かべながら、彼の言葉尻に自らの言葉をわざと重ねた。

「確かにあんまり自分からは話さないけど、返事しないなんてことは――」

「まあいいじゃない、今のイルムガルドが一番可愛いわよね、

「アタシ!?」

 急に水を向けられたレベッカが素っ頓狂な声を上げる。モカの狙った通りに、関心はそちらへと向き、フィリップが言い掛けた言葉は廊下の半ばに転がって消えた。

「えっ、レベッカもイルムガルドが好きなの!?」

「また話がややこしくなった! ちょっと、モカ!?」

「ふふ」

 フィリップが知る『訓練所でのイルムガルド』と、『今のイルムガルド』の間にあったものを知るモカは、それが浮上してしまうことを丁寧に回避した。これはおそらく彼女でしか出来なかったことで、もしこの場にデイヴィッドが居れば、事前に彼女へ話しておいて良かったと思ったことだろう。

 しかし、重なった不運が、イルムガルドに『回避』を許さなかった。

 廊下の角に差し掛かり、先頭を歩いていたレベッカが、曲がった拍子に見覚えのない少女とぶつかりそうになって急停止する。少女の背丈はイルムガルドとフラヴィの間くらいだろうが、何にせよ高身長のレベッカから見れば大きく見下ろすことになる位置で、柔らかそうな赤毛が揺れた。

「おっとー、ごめんね~……ん? 見ない子だ、もしかして」

「――お前っ」

 何かを言い掛けたレベッカの声を遮ったのは、数歩後ろに居たフィリップだった。先程までよりも少し低い声。応じて彼へ視線を向けた少女は、その隣に立つ姿に気付いた瞬間、大きく目を見開いて、はっきりと後退あとずさる。

「あ……」

 漏れた声は震えていた。明らかにイルムガルドを捉えている視線、その瞳には怯えが浮かび上がる。モカが眉を顰めた。状況を把握したのだろうが、ことを理解して口を噤む。

「あ、あ、あの、ご、ごめんなさい!!」

 続いた声は大きかったが、やはり酷く震えていた。視線はもう誰を捉えることもなく廊下を見つめたままで、彼女らを大きく迂回するように避け、少女はそのまま廊下を駆け抜けて行く。

「はあ!? お前ふざけんなよ!」

 その背に投げ付けるように叫んだのは、またしてもフィリップだ。しかし掠れるほどに荒立てられた声が、彼のものであると認識するのにはいくらか時間を要した。

「ごめんより先にイルムガルドに言うことがあんじゃねえのかよ!! 命救ってもらっといて随分な態度だなァ!!」

 一瞬前までのフィリップは、誰もが『少女』と間違うような容姿と言葉遣いだった。それが唐突に一変し、レベッカ達は一瞬、呆気に取られていた。一方、少女は声に立ち止まることも振り返ることも無く、そのまま逃げるように去って行く。

「オイ待てよ!! 聞こえてんだろうがテレシア!!」

 更にフィリップは声を荒らげたが、少女は止まらない。そのままの速度で走り、廊下の奥へと消えていった。

「クソッ!!」

 収まらない怒りを発散しようとするように、フィリップが強く右足を踏み締める。その様子に、レベッカとモカは目を合わせて、肩を竦めた。

「びっくりしたぁ~、フィリップって、怒ったら豹変するんだねぇ」

「まるでレベッカみたいだったわね」

「やめて」

 普段は誰に対しても穏やかで、のんびりと優しく話すレベッカも、怒ると様子は一変する。司令などに激昂している時のレベッカは今の彼女とはまるで別人だ。指摘にレベッカは整った眉の間にきゅっと一筋の皺を作った。その反応に笑っているモカやフラヴィに釣られたのか、フィリップも彼女を振り返ると、緩く笑みを浮かべた。

「……あれ、イル、どうかした?」

 しかしその中でも、イルムガルドは動かなかった。廊下に差し掛かり、少女に遭遇した瞬間から、彼女は微動だにしていない。視線は下に落ちて、沈黙している。レベッカの言葉にも応答せず、元気を失くしてしまったように見えた。レベッカが心配そうにその表情を窺うと、ようやくゆっくりと瞬きをして、軽く首を振る。

「別に、何も」

 短くそれだけ呟き、何事も無かったかのようにイルムガルドが歩き出す。皆もそれに続いたが、数歩だけ追った後、フィリップは立ち止まった。

「イルムガルド、私は」

 背に掛けられる声にも、イルムガルドが歩調を緩める様子は無い。少しずつ開いていく距離に、フィリップが焦ったように声を張る。

「例えイルムガルドの頼みであっても、あいつとだけは仲良くしないから!」

 その言葉に一瞬だけ足を止めたイルムガルドは、「そう」と小さく答えたように聞こえたが、あまりの小ささに、本当にそうであったかは分からない。レベッカとフラヴィは顔を見合わせて首を傾けているけれど、モカは、小さな背中を難しい顔で見つめていた。

「で、あれ誰? フィリップの友達?」

「友達なわけないでしょ。フラヴィ、私の話聞いてた?」

 結局イルムガルドを先頭にしたまま廊下を歩く中、フラヴィに掛けられた言葉にフィリップはきつく眉を寄せた。未だ収まらない苛立ちを持て余した様子で、不快そうに唸る。

「あいつはNo.100のテレシア。私が大っっ嫌いなやつ」

「あー、やっぱりNo.100の子なんだ。まあ、知らない奇跡の子だと、もうそれしかないよねぇ、あ、まだ訓練所に居る子らは流石に分からないけどさ~」

 イルムガルドのNo.103がWILLウィルに正式配属されている最大の番号となっているが、先の番号も既に使用されている。No.104以降の番号を持つ子供はまだ訓練期間中で、どのような子であるのか、名前も含めレベッカ達は少しも知らない。配属が予定されているチームのメンバーであれば早めに情報が入ることもあるが、それ以外は一般人と同じタイミングで知ることが多かった。そしてその時に運悪く遠征中であった場合には、こうして実際に遭遇するまで知る機会はほとんど無い。

「あいつ何か変なの耳に着けてたけど、能力って耳に関連すんの?」

 少女は耳にヘッドホンのようなものを装着していた。それへ繋がるコードの類は見られず、単体で何かの機能があるのだろう。いずれにせよWILLウィルのロゴがペイントされていたことから、機関からの支給品であることは間違いない。だからフラヴィはそう予想した。フィリップが軽く頷く。

「そう、テレシアの能力は『集音』。普段はああやって遮断してないと聞こえ過ぎるんだって。能力についてそれ以上は詳しく知らないけど、なんか特殊だとか言ってたかな。結構ちやほやされてたよ」

「へー、系統はモカと似てるねえ」

 レベッカがモカを振り返ってそう言うと、モカは柔らかく笑みを浮かべるだけで応えた。興味が無かったのではなく、おそらく思考を別のところに取られていて反応が遅れてしまったのだろう。ぎりぎり平静を保ったお陰でレベッカが違和感を拾うことは無かった。視線が再びフィリップに戻る。

「じゃあ、後方の子なんだねぇ」

「そうだよ、だから巻き込まれた時、イルムガルドが誰より先に守ってやったっていうのに……」

「巻き込まれたって?」

 苛立ちを更に強めて呟いたフィリップに、レベッカが無垢に聞き返す。同時に、先頭を歩いていたイルムガルドが肩口に後ろを振り返った。

「フィー、その話はもういいよ」

「あ……うん、ごめん」

 イルムガルドから名を呼ばれた瞬間、フィリップからは苛立ちの気配が幻であったかのように消え失せる。廊下に落ちた一瞬の沈黙。レベッカはフィリップを見下ろし、そしてイルムガルドの背を一瞥してから、ふるりとポニーテールを揺らした。

「そっか。あ、ねえモカ、今日なんか美味しいおやつ手に入ったって言ってなかったっけ?」

 明るい声で話題を変えたレベッカの、少しも裏の無い優しさに、モカが目尻を下げる。彼女も何か言葉を選んでいたのだろうけれど、何も知らないはずのレベッカの方が早くに対応を見せたことが、モカには何処か嬉しかったようだ。

「ええ。最近、一番街で話題のレモンケーキ。ちゃんと人数分あるから」

 ちなみにその『話題』の情報源がアランであったことを、モカは語らない。どのタイミングであっても、レベッカが複雑な顔をするのは目に見えているし、最悪の場合は食べないと言い出すだろうから。

「イルムガルドは別で少し持ち帰ってくれるかしら。前回の紅茶のお礼に奥様に」

「ん、うん、分かった」

 丁度モカの部屋の前へと辿り着き、振り返りながら応じたイルムガルドの表情からも、先程までの憂いは消えていた。イルムガルドなりにお茶会の開始前に切り替えようとしたのか、それともモカの言葉でアシュリーを思い出したせいであるのかは定かではない。ただ、瞬きをするまでの短い隙間、最愛の彼女を想ったかのように瞳にほんの少しの優しさを宿したのが見えた。

「モカって律儀だね」

「そうかしら。……ところでこのタイミングで初めて私の名前を呼ぶのね?」

 部屋の扉を開きながら苦笑を零したモカに、レベッカ達が楽しそうに笑い声を上げた。

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