第55話_約束の戦場

 最初がいつだったのか、ウーシンは覚えていない。最初からだったように、彼は記憶していた。多くの戦場を共に乗り越えたNo.5、レイモンドは、口癖のようにウーシンへ語る言葉があった。

「なあ、レベッカとフラヴィは、俺らが守るんだぜ、ウーシン」

 フラヴィが加入するまでの間はずっと、「レベッカは」と言っていた。この言葉を、レベッカやフラヴィは知らない。彼はいつも二人が居ない場所で、ウーシンにだけ、そう話した。

「当然だ、自分より弱い者は守らなければならない、何故なら俺様は最強だからな!」

 ウーシンはいつもそう答えるばかりで、レイモンド側の理由を問うことは一度も無かった。レイモンドが亡くなった今、もう理由を知る術は無い。彼には、もっと違う意味があったのかもしれないと、今更ウーシンは考えることがある。

 しかし理由を知らなくとも、それが二人の間で交わされた誓いであったことは揺るがない。

 レイモンドは、最期の戦場で、その誓いを果たした。

 瞬間を見たわけではなかったが、ウーシンはそれを確信していた。戦車と相打ちとなったレイモンドは、相打ちとなる必要など無かったはずだ。好戦的な性格をしていたが、無謀な彼ではなかった。そうせざるを得なかったのは、戦車がレベッカまたはフラヴィを狙っていたからだったのだろう。二人が何も知らないでいるということは、レイモンドが、命を賭して誓いを果たした証に違いなかった。

「……特別なことは、何も無かった」

 職員の問いに、ウーシンはそう答えた。特別なことではなかった。それは二人にとっては当然の、ずっと貫き続けた誓いだったのだから。


* * *


 血で汚れた大地を踏み付ける足。同時に、二つに切り分けられた銃が地面に転がった。

『――イルムガルド! よくやった!』

 雑音交じりにそんな声が各々身に着けている通信機から漏れる。レベッカは顔を上げて、顔色の変わらないウーシンと目を合わせた。そして背後を振り返る。

「イルは何処?」

「……どういうことだ」

 彼らが振り返った先、――つい数秒前に頭部に銃弾を受けて倒れていたはずのイルムガルドの身体が無い。レベッカ達を抱いたままウーシンが首だけで背後を振り返れば、目を凝らしてようやく見える距離に、両手に剣を持ったイルムガルドが立っていた。足元に、何かの影がある。おそらくはあれが狙撃手だったのだろう。彼女は三発目が発砲される時にはもうあの場所に到達していたのだろうか。発砲された弾が何処へ向かったかは分からないが、少なくともウーシン達へは届かなかった。

 レベッカらと離れた場所で一人、イルムガルドは銃と同じく二つに割れた狙撃手の血が濡らした大地を無感動に踏みながら数歩進み、辺りを見回す。

「……何もいない」

 此処に伏兵が居たのであれば、それを送り込んだ車くらいは置いてあると考えていたのか、不思議そうにイルムガルドが首を傾ける。そんな彼女に、微かなノイズと共に通信が入る。

『イルムガルド! 東だ! あ、ええと君から見て』

「わかる、大丈夫」

 指示と同時にイルムガルドは跳躍し、東側の大きな岩を飛び越える。その先に、大きな軍用車が一つ、そしてその傍に立っていた兵士が一人。イルムガルドと目が合うと兵士は慌てふためき、車へと乗り込む。一秒と待たずに車が発進した。

「車が居た。壊す?」

『頼む!』

 返事も無くイルムガルドが地面を強く蹴り、三秒後には車は割れて炎上していた。

『他はこちらから確認できない。イルムガルドからは何か見えるかい?』

 炎と爆風を避けて素早く退避していたイルムガルドは、高い岩の上で再び辺りを見回す。モカのように特別目が良いわけではないにせよ、一般人よりは優れた視力をしている。その目で確かに何も無いことを確認し、誰からも見えないことを知りながらイルムガルドは軽く頷いた。

「何も無い」

『じゃあもう大丈夫だ、三人のところへ戻ってくれ』

 再び声無く頷くが、通信先の職員は何となくそれを察しているのだろう。返事が無いことを気にする様子も無い。

『そうだ、その前に、狙撃手の銃が回収できるかい?』

「……斬っちゃったと思うけど」

『それは構わないよ。でも、出来る限り全体を持って戻ってほしい』

「わかった」

 遺体の場所に再び戻り、イルムガルドは銃を拾い上げる。幸い、二等分になっていただけだった為、簡単に回収することが出来た。他に部品などが落ちていないかを確認し、その場を立ち去る。

「イル!!」

 皆の近くへとイルムガルドが戻ったところで、レベッカは彼女に駆け寄ろうとした。しかし、イルムガルドは首を振りながら、手の平を向けて彼女を制止する。

「待って、壊れた銃持ってるから危ない、離れて」

「そんなのイルだって危ないでしょ!?」

「わたしは平気、いいから待って」

 彼女にしてはやけに強い語気に、レベッカは納得できない顔をしながらも黙って下がる。イルムガルドは三人から少し離れた岩壁の傍へと、銃口が間違っても彼女らへと向かないように丁寧に置いた。壊れているとはいえ、いや、壊れているからこそ、何かの拍子に暴発しないとも限らない。数秒間、様子を見て、ゆっくりとイルムガルドもその銃から離れた。あとは回収に来る職員に任せてしまえばいいだろう。

「お前、頭に銃弾を受けなかったのか?」

 三人の傍へと戻ったイルムガルドへ、開口一番、ウーシンが確認する。三人は間違いなくイルムガルドが頭部に衝撃を受けて転がった瞬間を見ていた。しかしどんなに目を凝らしても、イルムガルドはぴんぴんしている。疑問を向けられても、当の本人はのんびりと首を傾けていた。

「当たったよ。痛かった」

「い……いや? お前がむちゃくちゃなのはどうなってんの?」

「わたしに言われても」

 フラヴィが何度も角度を変えてイルムガルドの頭部を確認していると、三人の通信に再びノイズが入る。

『先程はすまなかった、対応が遅れた。……レベッカ、痛みはどうだ』

 聞こえてきたのは、デイヴィッドの声だ。そういえば、イルムガルドが撃たれた瞬間から、通信機に彼の声は現れていなかった。向こうでも何かあったのかもしれない。

「アタシは大丈夫、でも、イルが」

『……イルムガルドを傷付けられる者は居ない、と言っただろう。この子の強靭な肉体は多少の衝撃で傷など付かない』

「多少の度合いが違うよ。っていうかもう少し具体的に先に言ってよ」

 通信機に向かってフラヴィが入れた指摘に反応してくれる者は誰も居なかった。レベッカは一歩イルムガルドへと歩み寄り、心配そうな表情を隠しもせず、彼女の顔を覗き込む。

「見せて、どこ?」

 指先が優しくイルムガルドの前髪を払う。イルムガルドは抵抗をする様子無く、レベッカを見上げるようにして上を向いた。見せてくれようとしているらしい。イルムガルドなりに、心配をしているレベッカに応じているのだろうか。

「ああ、ここか、それでも赤くなってるよ、これは痣になるかなぁ」

「傷付いてんじゃん。ちょっと、司令?」

『む、いや、それは何というか、傷と言ったのは……』

 通信機の向こうで何か司令が言い訳を述べていたが、レベッカはそれを無視してイルムガルドに柔らかく微笑む。

「痛かったのに戦ってくれてありがとう、イル」

「……いや」

 けれどイルムガルドは、レベッカから視線を逸らすように俯いて、何処か、ばつの悪そうな顔をしていた。

「二人が、フラヴィ守ってくれて良かった、それは間に合わなかったから、ごめん」

 彼女の言葉に、三人は意外そうに目を丸める。こんな風に話すイルムガルドは酷く珍しい。思えば、仕事中は何を咎められてもイルムガルドが謝るようなことは、一度も無かったかもしれない。だけど、今回について彼女に落ち度があるとは、誰も思えなかった。レベッカは眉を下げ、イルムガルドの頭を撫でる。

「謝ることないよ、全員が無事で、ホントに良かった」

 その後すぐに到着した迎えに回収され、イルムガルド達は近くの駐屯所を経由し、無事にタワーへと帰還した。

 ただ一つ、いつもと違ったのは、移動の飛行機の中で、普段は目を閉じて黙り込んでいるイルムガルドが、司令への通信を求めたことだ。デイヴィッドは今、別の飛行機で同じく移動をしている。職員は戸惑いながらもそれに応じた。

『――どうした、イルムガルド』

「今日は、アシュリーを迎えに来させないで」

「え? どうしたの、イル」

 隣に座っていたレベッカが驚いているが、イルムガルドはその言葉には反応をしない。続けて口を開くものの、レベッカではなくデイヴィッドに対してだった。

「タワーに着いたら連絡するし、検査終わったら真っ直ぐ帰るからって伝えておいて」

『分かった、お前が望むようにしよう』

 深く問うことはなく、デイヴィッドは彼女の要望に応じる。通信を終えて職員に通信機を返すと、イルムガルドは座席に座り直して目を閉じる。

「イル、大丈夫? どうかした?」

「べつに、何も」

 答えが返ることは無いだろうと予想していた為か、レベッカは心配そうな顔を見せつつも、追及を諦めて言葉を飲み込む。その後、タワーに着くまでにイルムガルドが目を開けることは一度も無かった。

 デイヴィッドに告げていた通り、イルムガルドはタワー到着後すぐにアシュリーへと電話を掛け、普段アシュリーに聞かせている柔らかな声で話をしていた。精密検査を受ける大人しさも普段通りで、いつもとの違いはレベッカらには少しも分からない。心配そうな視線に見送られながら、検査を終えるとイルムガルドは早々にタワーを後にした。

「――アシュリー?」

『うん、どうしたの』

「今、検査終わった。帰るよ」

 タワーを離れた後、イルムガルドは歩きながらアシュリーに電話を掛ける。その報告にアシュリーも柔らかく応答していた。

「今日さ、ちょっと額ぶつけて、ガーゼ付けてるけど、検査で大丈夫だったから、びっくりしないでね」

『……そう。無事で良かったわ。それで、電話くれたの?』

「うん」

 何の説明も無く額にガーゼを付けた姿で戻れば、アシュリーが過度に心配をすると思ったらしい。迎えに来させなかった理由もそれなのだろうか。イルムガルドは己の行動を細かく説明することが無いので、周りは予想することしか出来ない。

 イルムガルドが自宅に到着して玄関扉を開けば、呼ぶまでも無く、アシュリーは既にそこに居た。待ってくれていたのだと知って、イルムガルドは嬉しそうに目尻を下げる。しかし、身を寄せようとしたアシュリーに対しては、一歩下がってやんわりと接触を拒んだ。

「うんと、ごめんね、そのまま帰ったから、シャワー浴びたい」

「私はそんなこと気にしないのに」

 無事に戻った彼女を、アシュリーはすぐにでも抱き締めたかったのだろうに。けれど六番街で共に過ごしていた頃から、彼女には時々妙な拘りがある。無理を言うことなく、アシュリーは踏み止まってイルムガルドをバスルームへと見送った。同時にふと、以前の出迎えではイルムガルドの方から抱き寄せてきたのを思い出すが、彼女にも気分があるのだろう。あまり気にしないようにしながら、アシュリーはキッチンへと戻る。イルムガルドはお腹を空かせて帰ってくるだろうからと、既に何品か作っていた。遠征中にも多めに食事を摂らせていると職員からは説明を受けているが、やはり、帰ってくるとイルムガルドは必ず体重を落としてしまっている。

「うーん、ちょっとお肉が多かったかしら」

 ついついエネルギーになるものと思って肉料理が増えてしまう。冷蔵庫にある野菜を思い出しつつ、さっぱりした味付けで食べやすい副菜を考えていると、シャワーを浴びたイルムガルドが戻ってきた。

「どうしたの、危ないわよ」

 キッチンに入り込み、背後から擦り寄ってくるイルムガルドにそう言うけれど、数日振りのイルムガルドの気配と温もりに嬉しく思うのはアシュリーも同じだ。火を止めて振り返り、玄関では我慢をした抱擁を交わす。イルムガルドの額の左端に貼られたガーゼが痛々しい。その場所に触れないよう、ぎりぎりのところへアシュリーは唇で触れた。

「痛くないの?」

「もう大丈夫だよ」

 そう答えて、イルムガルドはアシュリーの肩に顔を埋める。特に何をするでもなく、互いの存在を確認するように二人は抱き合っていた。それが、一分だったか、二分だったか、時計など見ようともしなかったアシュリーには分からない。ただ、少しイルムガルドの腕に力が籠ったと思った瞬間、肩口ですすり泣く声が聞こえた。思わず肩の方を振り向いても、隙間なく身を寄せ合った状態で、顔を確認することは出来ない。イルムガルドが泣いたのは、アシュリーの知る限り、初めてだった。

「イル、何かあったの?」

 問い掛けても、イルムガルドは何も答えなかった。時折喉を震わせて、アシュリーの肩で泣いていた。アシュリーも抱く力を強め、小さな背を何度も何度も上下に撫でる。

「私は何処にも行かないわ、此処にいるからね」

 彼女が何を悲しんで、痛んでいるのか、アシュリーには少しも分からない。ただアシュリーは、自分に出来ることはそれしかないと思っていた。その言葉は、イルムガルドにどう響いたのだろうか。縋るように身を寄せたまま、泣き止むまでイルムガルドが顔を上げることは無かった。

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