第54話_星を射る弾丸
吹き付けてくる風がやけに強く、ヘルメットから降ろされたシールドに当たる細かな砂音が幾つも響く。フラヴィは鬱陶しそうにシールドに付いた砂を払った。
今回の出動は再び戦場であったが、前回の救助よりも幾らか楽に終わったようにフラヴィは感じていた。あの救助は長丁場であったし、心身共に疲弊を余儀なくされていたので印象が悪いのも仕方が無い。尚、小さな身体には辛いくらいに熱かった。今日は風がうるさいとは言え、気候としては良好。規格外の数が相手でもなかったし、撤退した戦車が戻ってくる気配も無い。早く帰って休めそうだ。首都で見るより透き通った空を見上げ、小さく息を吐く。すると突然、真横にイルムガルドが着地してフラヴィは飛び上がった。
「お、お前、びっくりしただろ! もうちょっと離れたところに着地してよ!」
音速で移動するイルムガルドは、終始、何処に居るのか誰にも分からない。こうして着地した時初めてその存在を認識する。加えて今少し肩の力を抜いた瞬間だったので余計にフラヴィは驚いてしまった。相変わらず、文句を言われたイルムガルドはフラヴィに視線を向けるでもなく、反省の言葉を述べるでもなく、首を傾けている。今更もう噛み付く気にもなれず、フラヴィは大袈裟な溜息一つで苛立ちを飲み込んだ。
少し離れたところで戦っていたウーシンとレベッカはまだ戻らない。つい先程までイルムガルドも彼らと同じほど離れた場所に居たはずだが、わざわざ能力で移動してまで早く戻ってきたのは、一人で居るフラヴィに気を遣ったのだろうか。フラヴィの抱いているイルムガルドの印象では、とてもそうとは思えないけれど。
「フラヴィ」
不意に、イルムガルドが口を開く。何度か目を瞬いてから、フラヴィは振り返った。彼女から話し掛けられるというのは、ほとんどない。ただただフラヴィは戸惑っていた。
「な、なんだよ」
怪訝に眉を寄せながら返事をするが、イルムガルドの方は表情を変えない。空耳だったかと思うくらいに淡々と、フラヴィを見つめる様子も無くのんびりと遠くを見つめていた。
「
「え? あー、僕は二年前だよ。それが何?」
「……いや別に、何にも」
目を細めたイルムガルドはそれ以上答えない。何かを言おうと口を開くフラヴィだったが、レベッカが戻ってきたので口を閉ざす。
「今日はやけにあっさりだったね。ま、楽でいいけどさ。二人共、怪我してない?」
その問いにイルムガルドは軽く頷くだけで、そのまま二人から離れるように歩いて行く。レベッカは少しだけ眉を下げて微笑んだ。
「イルは、体調も大丈夫かな、めまいとかも無い?」
離れようとする背に更に投げた問いも、肩口に軽く振り返って頷くだけ。言葉は何も無く、そのまま少し離れて行った。遠くに行くようではないが、会話に参加するつもりがない意思表示なのかもしれない。フラヴィは「自ら話を振っておいて何なんだよ」という不満が拭いきれないでいたのだが、イルムガルドにそんなことを訴えても反応が無いのが分かるからか、もう何も言わなかった。
「僕は何とも。レベッカとウーシンも、大丈夫そうだね」
「もっちろん」
「ふん、俺が怪我などするか!」
同じく戻ったウーシンはまだイルムガルドよりも遠いのだが、声が大きいのと身体が大きいのとですごく近くにいるように思える。フラヴィは違和感に苦笑した。レベッカも笑いながらウーシンを振り返る。
「一回、手首捻挫してなかったっけ?」
「していない!」
「えー?」
実際、一度だけウーシンも手首の捻挫で療養させられていたが、最強を自負する彼には消してしまいたい過去のようだ。事実を知る彼女らに対してあまりに無茶な嘘に、レベッカらは楽しそうに声を上げて笑う。ウーシンは少し拗ねた顔をして、近くの岩壁に背を預けて腕を組んだ。
「で、司令、迎えまだなの?」
『――今、向かっているところだ、もう少し待っていてくれ』
「了解~」
仕方なく、レベッカとフラヴィは他愛ない雑談をしながら時間を潰す。その会話にウーシンは参加しない。まだ拗ねているらしい。イルムガルドも、少し離れた場所で相変わらず呑気に空を見上げている。ただ、邪魔になったのか、ヘルメットをもう外してしまっていた。
「イル~、ヘルメット着けてた方がいいよー、迎えに来た職員に怒られちゃうよー」
「僕は外さないからヘルメット押さえるの止めてくれないかなレベッカ」
イルムガルドに話し掛けながら、レベッカはフラヴィの頭の上に手を置いている。押さえると言うほどの強さでは無いかもしれないが、小さな頭で支えているヘルメットだ。少しの重量も煩わしく思うのかもしれない。一方、声を掛けられているイルムガルドは知らん顔をしている。振り返る様子も無い。
「イルはあれ好きじゃないんだねぇ、すぐ外しちゃうな」
「奥さんに告げ口したら直るんじゃない?」
「あはは! そっかなー、今度言ってみようか」
その会話が聞こえたのか、全く違う理由なのかはレベッカらには分からなかったが、背を向けていたイルムガルドが振り返った。だが視線はレベッカらには向けられることなく、手元のヘルメットを見つめ、何やら弄っている。着け直そうとしているのか、手持ち無沙汰で遊んでいるのかも分からない。レベッカはその様子をただ目を細めて見つめる。その視線があまりに優しい色であることを見上げ、フラヴィが笑った。
「もう脈無いんだから諦めなよ」
「だからそういうんじゃないってば。もー、フラヴィそのネタ好きだなぁ」
笑いながらそう答えるが、一度フラヴィに落ちた視線は、すぐにイルムガルドへと向かい、また柔らかな色でもって彼女を見つめていた。
「なんか、可愛いでしょイルって。何考えてんのか分からないとこが、猫っぽくてさ」
「そう? 僕は何考えてるか分かんないとこが嫌だよ」
「はは、まあまあそんなこと言わないでさ」
「ヘルメットごと僕を撫でるなって!」
上からぐりぐりと撫でられたせいで、ただでさえヘルメットによっていつもより不安定な頭部がぐらぐらと揺れ、フラヴィは思わずたたらを踏んだ。
その時ふと、イルムガルドが顔を上げて二人を見つめた。視線に応じるようにレベッカは目を合わせて、軽く首を傾ける。しかしイルムガルドはすぐにその視線を外してしまい、微かに左を向いた。いや、向こうとしたように見えた。彼女はこの時、視界の端で何かを見付けていたのかもしれない。それが何であるのかと分かるほどでもない小さな反射、光のような、何かを。
響いたのは、一つの発砲音。
もはや戦場でなくなったはずの場所で、それは確かに響いた。放たれた弾丸がイルムガルドの頭部へ被弾し、彼女の小さな身体は衝撃に一瞬浮き上がる。そして、無抵抗に地面に転がった。装着されていなかったヘルメットは本来の役目を果たせないままに、イルムガルドとは逆方向へと転がっていく。
「イ、――」
「レベッカ!!」
地面に伏したイルムガルドへと駆け寄る寸前、ウーシンが叫ぶ。瞬間、レベッカはハッとして身を翻し、傍のフラヴィを抱き締めて地面へと倒れ込んだ。フラヴィを狙っていた二発目が、レベッカの肩を掠め、彼女の着る戦闘服を引き裂いた。
「づぁ……!」
服と共に皮膚も裂かれたか、レベッカが悲鳴を上げる。彼女は目を瞬き、裂けてしまった位置を凝視していた。
「冗談、でしょ」
彼女がそう言うのも無理はない。彼女らの戦闘服は防弾だ。それを貫く威力がある銃など、技術力の劣る敵国が持つはずはないと思い込んでいたのに。だから奇跡の子らは例外なくこの服を支給され、戦場に立っているのに。
だが、疑問を解いている場合ではない。近くに隠れられる場所は無く、狙撃手と彼女らの間に遮るものは何も無い。もう倒れ込んでしまった二人はどのようにしても次の狙撃を避けるには間に合わない。三発目は、確実に彼女らの命を奪うだろう。レベッカはフラヴィを強く抱いてやることしか出来なかった。
余裕など刹那も無かったのに、ウーシンは視線だけ少し遠くを見た。戦場を、見渡した。そこに彼が懐かしむ電撃音など何も無い。それでも彼は儀式を繰り返した。そして嘗て、間に合わなかった亡骸をそうしたように、ウーシンはレベッカとフラヴィの身体を小さく抱き締め、己の身体の陰に隠す。レベッカは彼の意図を理解して、大きく目を見開いた。
「ばか何やってんの!?
「銃弾ごときが俺の筋肉を貫けるものか、決してお前らに、届かせはしない!」
強い腕に抱き締められて、レベッカやフラヴィが二人掛かりでも振り解けるわけもない。彼の能力は『怪力』だ。どうしたって抗えるわけがないのだ。フラヴィが小さな声で、震えながら二人の名を呼んだ。
確かに彼は、的としては大きいだろう。逃げようとしたところで物陰も無く、彼にだって逃げ場は無かった。しかし自由に動けた彼は、唯一、銃弾を避けられる可能性があったのだ。けれど彼は地面に両膝を付き、ぴたりとその場所を決めた。
「ウーシン!! 逃げて!!」
レベッカの悲痛な叫びを聞きながらも、ウーシンは力を少しも緩めない。代わりに小さく、誰に言うでもなく、彼に似つかわしくない優しい声で呟く。
「……お前との約束を果たす、レイモンド」
響いた三度目の発砲音と共に、乾いた大地が血に濡れた。
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