第47話_炎が渦巻く辺境の施設

 首都の夕暮れとはまた違う異様な色の赤い空を、子供達は見上げていた。

「すっごい炎……モカ、フラヴィ、ちゃんとアタシの後ろに居てね」

 水の操作という奇跡の力を持つレベッカにとって、この現場は誰よりも適している。薄い水のヴェールを纏うように張り、火の粉から仲間を守っていた。

 辺境にある大型研究施設で爆発が起こり、大規模な火災が発生。その救助と鎮火の為に彼女らは駆り出されていた。チームは二組。イルムガルドらのチームと、そして、モカのチームだ。今回はあまりにも規模が大きく、救助に急を要することもあって、レベッカ同様、モカの透視も必須との判断だった。

「イル、もうちゃんと被ってな、危ないよ」

 不意に背後を振り返ったレベッカは、イルムガルドを見つめてそう呟く。一人だけ、支給されている戦闘用のヘルメットを身に着けずに手に持っていたからだった。このヘルメットは戦場でも装備を義務付けられている。透明のシールドを下ろせば鼻先までカバーしてくれる仕組みで、このような現場では火の粉を防ぐのにも大いに役立つ。しかし、イルムガルドはどうやらこれがあまり好きではないらしい。どの現場でも、誰よりも後に装着し、誰よりも早く外している。とは言え、変わらず従順な彼女だ。特に返事は無かったものの、指摘されると大人しくそれを装着した。

『水は余りあるほどに用意してある。赤いコンテナに溜められたものは存分に使って構わない』

「了解~」

 総司令デイヴィッドからの通信が届く。のんびりと返事をしたレベッカは、指定のコンテナから直径二メートルほどの大きな水の塊を四つ、空中に浮かべた。

『作戦は事前に話した通りだ。モカ、フラヴィ』

「はい、始めます。フラヴィ少し待ってね」

「うん」

 フラヴィの奇跡の力は範囲が広くない。このような大型施設の全てを確認して人の位置を探るには、フラヴィでは時間がいくらあっても足りない。その為、今回はまずモカが全体を確認し、探るべき位置を限定的にすることで、フラヴィもモカと変わらぬレーダー役が出来るという作戦だった。そうすれば二手に分かれて救助と捜索が出来る。――はずだったが、周囲を『視』たモカは数秒で息を呑んだ。

「司令、作戦を変更して下さい」

『どうした』

「指示の許可を私に下さい。一刻を争う人々が居ます」

『許可する、総員、モカの指示に従え』

 即座にデイヴィッドはそう返し、モカに全権を委ねた。指示内容を考える為だったのか、モカが奇跡の子らに視線を滑らせる。彼らは全員モカを見つめていた。誰一人として異議を唱える様子も無く、彼女の指示を待っている。

「レベッカ、あの黒い二本柱の方に全部の水の塊を移動させて」

「オッケー!」

 最初の指示は当然自分に来るものだと思っていたようで、返事と同時にレベッカは迷いなく水の塊を所定の場所運ぶ。そこから、細かな指示を受けて炎の只中ただなかへと水を下ろした。その場所には人々が避難して集まっているが、逃げ場の無い形で火の手が迫っているとのことだ。幸い、天井が崩れていた為に煙は上空へと逃げて大きな脅威となっていない。おそらくそれが理由で人々はあの場所に集まったのだろう。火の勢いさえ防げばまずは安全が確保できる。レベッカの水を壁とするように留めさせると、モカは次にイルムガルドを振り返った。

「イルムガルド、水を運んだ場所まで行けるかしら、要救助者の傍に待機してほしいの」

「もう行って良いの?」

 モカが頷くと同時に、イルムガルドが音もなく消え、微かな風の流れだけが彼女らの傍に残る。向かったようだ。到着地点の天井は壊れているので上空から向かえば難なく辿り着けるだろう。『難なく』とは言え火災現場だ。火を避けて遠回りをする必要はあるが、彼女の速度であれば誤差の範囲になる。それでも危険な経路にはなっているに違いないけれど、走るイルムガルドはモカの目にも映らない。その姿を探すことはせず、モカは再びレベッカへと向き直った。

「レベッカ、まだ水は増やせる?」

「あと三倍は行けるよ」

「じゃあ、まずは今のと同じ量をこちら側に準備しておいて」

 同意を示すようにレベッカが頷き、水を操り始めたのを確認すると、今度はウーシンとチームメイトに対して、付近の人々の避難誘導を指示した。合わせて、彼ら自身も一時的に避難するようにと。一瞬、ウーシンは眉を顰めたけれど、モカの指示は今、総司令の指示に等しい。何も言わずに従い、モカ達の傍を離れて行く。水を溜める巨大なコンテナがレベッカの為に複数設置されていたことは幸いで、人々はそう長い距離を移動することなく、その後ろ側で安全を確保していた。

「流石。もう着いているわね、イルムガルド」

 避難完了を見守って炎を振り返り、モカが呟く。彼女の目には、要救助者の傍に立つイルムガルドが見えていた。

「レベッカは……ごめんね、少し危ないけれどこのまま此処に居て。あなたの水が必要だから」

「当たり前」

「フラヴィ、私とレベッカの後ろに居てね」

「うん……二人共、気を付けて」

 不安そうな声を出すフラヴィには柔らかく微笑んだものの、改めて炎を見つめたモカの表情は険しい。視線を忙しなく動かしている彼女が見ている要救助者は、レベッカの水とイルムガルドが今守っている人々だけではない。焦る気持ちを押し込めて、モカは努めて冷静に口を開く。

「司令、イルムガルドへの通信を下さい」

『切り替える』

 すぐさま、モカの通信機から微かなノイズ音が響き、そして複数人の声が聞こえた。イルムガルドの傍に居る人々が、何か話しているのだろう。

「イルムガルド」

『……うん?』

 呼び掛けに応じる声は、直接対峙して聞くよりも何処か甘く響く。そんな感想を振り払おうとしたのか、それとも耳に残った甘さを誤魔化したのか、モカが軽く首を振る。

「もう少し右を向いて、あと十五センチくらい、そう。今あなたから見える真正面の壁を破壊して、そこから真っ直ぐ外まで道を作ってほしいの。破壊するのは最初の壁を除けば扉になるはずよ」

『わかった』

 どうしてもモカは返る声に違和感を覚えるらしい。また首を傾けてしまえば、レベッカが不思議そうな顔で覗き込んでくる。何でもないと首を振った。

「外の人は避難させてあるから、いつでもいいわよ」

『ここの人達は?』

「道が出来たらすぐ救出に行くわ」

『ふうん』

 興味があるようには思えない返事だったが、イルムガルドは傍の人々に『道を作ったら外から迎えが来るからもう少し待ってて』と伝えている。モカは思わず目元を緩めた。何に対しても興味などないと示すような態度を一貫して取っている子だけれど、いくら抑揚を減らした声で伝えていても、要救助者を思いやる気持ちが隠し切れていない。

『じゃあ行く』

「ええ、お願い」

 答えてから三秒。けたたましい破壊音と共にイルムガルドが外へと飛び出てきた。一緒に、彼女に破壊された扉や瓦礫が辺りに飛び散る。あの速度で飛ぶ瓦礫を人の身に受けてしまえば容易く大穴が開くだろう。避難した人々はその光景を確認して、モカの真意をようやく理解した。

「イルムガルドが開けた道から、救出に向かって下さい! 三十名程が居ます!」

 大きく叫んだ声に応じて、ウーシンがまず飛び出して建物の方へと走る。追うようにモカのチームメイト、そして通常の救助隊員が続く。

「レベッカ、あなたは水で皆の支援を」

「うん、でも直接行くよ、ごめん、二人共。下がってて」

「待って、レベッカ」

 傍を離れようと一歩踏み出したレベッカをモカが慌てて呼び止める。レベッカは素直に足を止めて振り返るけれど、眉を下げて困ったように笑った。

「モカ、指示役がえこひいきはダメだよ」

「……気を付けて」

「行ってきます!」

 モカの目を通してではなく、レベッカ自身が見て水を操作する方が確実であるのは間違いない。それでもモカは、レベッカには中に入ってほしくなかった。しかしそれは必要な措置であるからではない。ただ、モカにとってレベッカが他に代え難いほどに大切だからだ。今、持ち出すべき感情でないのは、指摘されるまでもなく知っていたのだろうに。飲み込みながら、モカは救助隊員に続いて中へと入るレベッカを見送った。

 残されたモカとフラヴィの傍へ、イルムガルドがのんびりと歩み寄ってくる。派手に飛び出てきた時には両手に持っていた刃は、もう腰に収められていた。

「休憩」

「お前な……」

「良いわ、此処で待機していて。またお願いするかもしれないし」

 緊迫した現場で一人呑気なことを口にしているイルムガルドにフラヴィが呆れた顔を見せたが、モカは笑った。イルムガルドの真意がどうであれ、モカとフラヴィが此処に二人で取り残されているよりは、イルムガルドが付いている方が安全だ。機械と人を相手にすれば超音波で戦えるフラヴィも、炎と瓦礫が相手となるとモカ同様、後方に回らざるを得ない。

 モカは背筋を伸ばし、改めて炎上している施設を見渡す。まだ、中に入った救助隊が出てくる様子は無い。視界の端では、一時的に避難させていた消防隊が放水を再開している。

「百人、少し超えるわね」

「いつも予測より数が多いんだよなぁ……」

 中に入ったウーシン達が戻るのを待つ間、モカは救助隊とフラヴィに逃げ遅れている人々の位置など、視た情報を共有し、救助の段取りを相談した。

「まずは救助を急ぐ人が優先で、次に、レベッカに火の勢いが強い場所の消火をさせましょう、要救助者の半数は防火扉が下りた先に居るようです。少しは保つはずですから、状況が変わらなければ消火が進んだ後に」

 段取りを決めた頃、三十余名の救出を終えた救助隊と奇跡の子らが戻る。間髪入れず、『救助を急ぐ人』について位置を共有し、先程と同じ段取りで救助を行った。最初の三十余名の団体が最も多く、他は十名に満たない場合がほとんどで、順調に助け出していく。

「……モカ姉、大丈夫?」

 急を要する人の救助が終わった頃、フラヴィが気遣わし気にモカを見上げる。一つ呼吸を置いてから、モカは普段と変わらぬ様子でフラヴィに笑みを向けた。

「大丈夫。ありがとう。あともう少し頑張りましょう」

 その後、指示は当初の予定通り司令に切り替わった。レベッカは消火に集中し、フラヴィは救助隊を要救助者の所へ案内する役となり、その護衛にイルムガルドとウーシンが付いた。モカのチームメイトも、モカの指示に従って救助隊の護衛や誘導を担っている。全体を見渡して救助や消火の指示を続けているモカは、傍から人が居なくなると、何度か疲れた様子で空を見上げたり、俯いて頭を振ったりしていた。


「――モカ、お疲れ様」

 奇跡の子らが到着してから六時間。ほとんどの炎は鎮火され、取り残された人々の救助も完了した。後は少し残る消火と、火種が隠れていないかを確認する作業だ。どれも、奇跡の子らの仕事ではない。通常の消防隊や救助隊が動いていた。

「ええ、レベッカも。流石、消火に大活躍だったわね」

 戻ってきた彼女にモカは微笑みを向ける。ただ、額に浮かぶ汗は、モカの疲労を示していた。レベッカはそれを指摘しようとはしない。

「これで働けなきゃ何なのって能力でしょ?」

 レベッカの能力が消火に対して強いというのはただ水を狙い通りに当てられることではない。その場にことだ。火そのものを大量の水で沈めてしまえる。こちらにある水全てが火に負けて蒸発でもしない限り、必ず消火できる能力だった。

「あー、モカこっち」

「なに?」

「いいから」

 会話に普段と変わらぬ様子で笑っていたモカを、不意にレベッカが引き寄せる。少しだけ立つ位置や向きを変えて、そのままレベッカはモカを腕の中へと閉じ込めた。施設に背を向ける形になったモカだったけれど、その意図はすぐに理解できた。施設からは次々に、手遅れだった遺体が運び出されてきたのだ。救助隊員らの会話でそれを察して、モカは苦笑した。

「……私には、全部見えていたのよ?」

「だからだよ。もう見なくていいよ。モカの仕事は終わり」

 優しく背を撫でているレベッカの肩へ、モカは何も言わずに額を押し付ける。

「フラヴィも、こっちおいで」

 レベッカは同じくまだ幼いフラヴィも引き寄せ、遺体を見せないようにした。WILLウィルとして生きる子供達には今更なことだ。死を知らないままでは居られない。それでも、レベッカはこのような気遣いを続けている。身体を寄せ合っている三人の傍で、イルムガルドはつまらなそうに地面を見つめていた。

 百名以上が閉じ込められた中、犠牲者は十六名。八割以上の救出に成功したことは、数字の上で見ればこの上ない活躍であり功績だった。しかし、十六の遺体が並べられている場所に立つ子供達には、手放しで喜べる功績ではなかった。

『ご苦労だったな、疲れただろう。帰還用の飛行機はもう準備してある。家に帰ろう、子供達』

 任務完了を告げる総司令の声は、いつになく柔らかく、優しい。

 職員に誘導されるまま、奇跡の子らは飛行機へと移動する。擦れ違う現地の救助隊員が、何人も奇跡の子らに向かって頭を下げていた。飛行機が見えると、モカはゴーグルの中で目を細め、静かに息を吐く。幾らかの安堵。それは他の子も大差は無かったことだろう。誰もが少し気を抜いていた。

 ――そこへ突然、大きな金属音が足元に鳴り響く。

 実際はそこまで大きな音ではなかったのかもしれないが、油断をしていただけに、身体に響くほどの轟音のように感じられた。全員が一様に身を固め、立ち止まる。音は、鉄の足場を強く踏み締めたイルムガルドの足からだった。

「何だよ、びっくりしただろ! お前もしかして躓いたの?」

 砂や灰に少し覆われているが、彼らの足元には少しの段差がある。躓いて転びそうになった為に出た音かとフラヴィは指摘するが、否定したのはウーシンだった。

「偶々見ていたが、そんな様子は無かったぞ」

 まだ心臓がどくどくと騒がしいのを感じながら、モカは笑う。

「……私よ」

 レベッカの一歩後ろを歩いていたモカがそう言えば、振り返った皆は首を傾ける。微笑んだモカの表情は少しだけぎこちない。疲れのあまりいつもの形に整えられなかったのか、もしくはまだうるさい心臓の扱いに困っているのか。

「この段差、私が気付いていなかったから教えてくれたのね。ありがとう、イルムガルド。……でも口で言ってくれていいのよ、それ」

 指摘を受けたイルムガルドは既に歩き出しており、誰を振り返る様子も無い。また、モカの言葉に応える様子も無い。だが否定をしないことは、肯定であるように見えた。

「イルとモカって仲良いのか悪いのかよく分かんないんだけど……」

 二人を見比べながらそう呟くレベッカに微笑みを浮かべながら、モカは静かに息を吐く。やはりイルムガルドは、モカの視力のことを知っているのだ。少なくとも、能力の使用により目に異常が出ることを。その上で、彼女は誰に何を言うでもなくモカをフォローしようとしている。改めてそれを確信し、誰にも見えないように眉を寄せる。――モカには、何故イルムガルドが気付いたのか分からないということが、不安要素だった。

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