第46話_片腕の人、零番街

 機嫌良く鼻歌交じりにタワー内を歩く男は、指先でコインを弄んでいた。しかしそれは、人間の指先で弄ばれているとは思えない金属音を絶えず聞かせている。彼の左腕は、二の腕の中ほどから指先まで全てが特殊な金属で出来ていた。自前のものは戦場で失い、それを義手で補っている。作り物とはいえ指先までを細かく自由に動かすことが出来るそれは、この国の高度な技術力によってなされているが、一部の動作は彼が持つ『奇跡の力』により成り立っていた。

「お!」

 突然、弾んだ声でそう言うと、彼は一度コインを強く上に弾いて音を鳴らし、更に再び義手で受け止めてまた高い音を響かせる。音に応じて振り返ったのは、彼の視線の先に居た四名。普段通り一緒に行動していたレベッカ、モカ、フラヴィの三人と、治療室に行った帰りに三人に捕まったイルムガルドだった。

「最っ高に幸運だな! 帰還早々、WILLウィルの誇る二大美女に会えるなんて!」

 彼の視線は明らかに、レベッカとモカの両名に注がれている。演技がかったそんな言葉に笑うモカの隣で、レベッカは鼻白んだ様子で目を細めた。

「相変わらずだねアラン。早速だけど、失せろ」

「レベッカ……」

 普段のレベッカからは考えられないほどに低い声で唸る様子に、モカが笑う。それは司令に対して怒り心頭である時にも決して聞けないような声だった。だが、向けられた本人、アランはむしろ嬉しそうに笑顔を輝かせる。

「レベッカこそ相変わらずじゃないか、俺にしか向けてこないその特別な愛情。うーん、帰ってきた実感が湧くよ。熱烈な歓迎ありがとうな」

「はあ? 死ね」

 暖簾に腕押しを地で行くような彼は、やはりレベッカの言葉に楽しそうに笑うだけで堪える様子は全く無い。そして次は視線を少し下げ、フラヴィに微笑みかける。

「フラヴィも美少女っぷりが増しているね、今日の装いも可憐だよ。君の成長が待ち遠しいな」

「はは、そりゃどうも」

 慣れた様子で苦笑しているフラヴィだが、レベッカは彼の視線を邪魔するようにフラヴィとの間に立つ。フラヴィはどちらの様子にも、やはり参った様子で笑っていた。

「ところで見かけない美少女が居るが、彼女らと並んでいるということは――君が例の『史上最強』No.103かな?」

 声を掛けられたイルムガルドは、彼の言葉に何の反応も見せない。じっとアランを見上げているものの、頷く様子も無かった。見兼ねたモカが代わりに頷く。

「そうよ、この子がNo.103のイルムガルド」

「なるほど、こんなにレベルの高い美少女だったとは驚きだ。俺はNo.33のアラン。宜しくな」

 義手でない方の右手を差し出し、アランは握手を求めた。しかしそれでもイルムガルドは動かない。差し出された手を見つめるばかりで、手を出す様子は無かった。

「イルに触るな」

「おっと」

 無反応を見ても手を引かなかったアランだったけれど、レベッカが割って入ると仕方なく手を引き、降参を示すように両腕を肩の位置まで上げる。

「この子もレベッカのお気に入りか。困ったな、可愛い子はみーんなレベッカに守られてる!」

 距離を取るように数歩下がるものの、アランはイルムガルドから目を逸らそうとはしない。イルムガルドもまた、その視線を何処かへ逃がすような様子も無く、彼を見つめ返していた。

「まあいいさ、俺の力は『浮遊』。攻撃的には聞こえないかもしれないが、それも使い様ってやつでね、結構、戦場でも活躍してるんだぜ。お陰で国民のアイドルだ」

「誰の話?」

「勿論、俺だよ? 街に出れば女の子にモテてしょうがない!」

 大袈裟に腕を広げてアピールをする様子に対して、指摘するのも面倒と言うようにレベッカが眉を顰める。後ろで、何故かイルムガルドはちらりとフラヴィを見下ろした。視線に気付いて、フラヴィが首を傾ける。

「何で僕見るの?」

「……別に」

 ともあれ、アランの能力は『浮遊』とは呼ばれているが、実際は『念力』の類で、浮かせる対象を選ぶことが出来るものだった。自分が浮かぶことは勿論、仲間を浮かせて守ったり、敵を浮かせて無力化したり、また、浮かした上で落としてしまえば攻撃にもなる。多様で、融通の利く能力として評価も高い。義手の動作もその力で一部を補助している。

「さて、レベッカの激しい愛をまだまだ受け止めていたいけど、他のお姫様がお困りだから仕方ない、退散しようかな」

「二度と近付いてくんな」

「ははは。じゃあ、ガードが堅い新しいお姫様はまた後日、ゆっくり俺とお話ししようぜ。またな」

 息をするようにレベッカから投げ付けられる言葉も何のその、にこやかなままでアランはイルムガルドに手を振り、そして他三名にも手を振って背を向けた。レベッカはそれでも不快感が収まらないのか、追い払うようにしっしと手を振っている。誰も彼を呼び止める理由など無かったのに、イルムガルドはその足を止めさせた。

「――アラン」

 声に応じて、彼は足を止めて振り返る。イルムガルドの傍に立つ三名は一様に驚いていた。彼女らは全員、イルムガルドから初めて名を呼ばれるまでに、かなりの時間を要している。モカに至っては未だに一度も呼ばれていない。ただ呼ばれた当人はそんなことを少しも知らない。柔らかく笑みを浮かべて首を傾けた。

「何だい?」

「血の匂いがする、怪我してるなら、隠してないで早く治療受けた方がいい」

 イルムガルドの言葉に全員が大きく目を見開く。集まった視線に、目を瞬いた後で、アランが肩を竦めた。

「君達の前だからやせ我慢しただけさ。アイドルが苦悶の表情を浮かべるわけにいかないだろ? 司令には報告してる。これから治療室だよ」

「アラン君、大丈夫なの?」

 瞬間、レベッカは口を噤んだ。彼の言葉に対して悪態を付ける要素など幾らでもあったのだろうけれど、続いたモカの言葉が、本当に心配そうな色をしていたせいだ。アランは一瞬そのレベッカに視線を向けたものの、心配そうに自分を見つめるモカを真っ直ぐに見つめ返して頷く。

「ああ、大した傷じゃない。こうして歩いているだろ。まあ完治までほんの少し休養にはなるけどね」

 ほっとした表情を見せるモカにもう一つ頷くと、イルムガルドにも気遣いに礼を言い、改めてアランは立ち去った。その足取りは安定していて、確かに、重症である様子は少しも無い。モカは彼が見えなくなると、イルムガルドを振り返る。イルムガルドの方は、モカの視線には応えない。

「あなたは人の怪我や不調に敏感ね」

 そんな言葉にも、何の反応も示さなかった。レベッカは一つ息を吐く。もう見えないアランの行方を確かめるように視線を向けてから、改めて眉を顰めた。

「腕が飛んだって聞いた時はもう絶対戻ってこないって思ったからさ、ああやって義手になっても戦場に立ってるのはすごいなって思うけど。……それはそれ」

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべているレベッカに、困った様子でモカが笑う。アランに対するレベッカの様子をモカとフラヴィは見慣れているけれど、イルムガルドは初めてだ。不機嫌なレベッカを物珍しそうに見上げている。視線を受けて、レベッカは一瞬だけ不器用に微笑んだ。

「アランはモカの元カレなんだよ。別れてるくせにいつまでも馴れ馴れしくモカに話し掛けるし、目に入った女全部に声掛けるしって不実なばかでアタシの敵」

 後半はもう吐き捨てるような言い方だった。怒らない限りは誰に対してもにこやかで友好的な彼女を思えば本当に珍しい。むしろ愛されていると言い放つアランの気持ちも分からなくはないと思うほどの特別さだが、この様子でその線は薄いだろう。イルムガルドが珍しそうにその様子を眺めたのは少しの間で、すぐに視線をアランの立ち去った方に向け、レベッカに対する興味は失っていた。

「わたし、もう行く」

「ああ、うん、呼び止めてごめんねイル。アシュリーにもよろしくね」

 軽く頷くと、イルムガルドも立ち去っていく。レベッカとモカにはこの後も予定は無いが、フラヴィは時計を気にして端末を確認した。

「少し早いけど、僕ももう行こうかな」

「そう? じゃあアタシとモカは先にお茶の準備してようか。フラヴィ一人で寂しくない?」

「寂しいわけがないだろ」

 前回同様、彼女には装備調整の続きが入っていた。フラヴィのようにまだ成長期の子供はこのような作業が入りやすい。成長を見越して大きめに作ってしまうと逆に身体に対する負担となり、怪我に繋がってしまう可能性もある為、結局は何度も作り直しているのだ。終わり次第モカの部屋に合流することを約束して、彼女も立ち去る。

 残った二人はのんびりと廊下を歩きながら、モカの部屋へ向かう。その道中、不意にモカが通信端末を確認したのを横目に、レベッカは複雑な表情を見せた。

「……アラン?」

 顔を上げたモカは、レベッカの視線が端末に落ちているのを見付けて苦笑した。

「違うわよ、どうして?」

「んー、久しぶりだから、二人で話すこともあるのかなって」

「無いわ。レベッカも言っていたけど、私達はもう特別な関係ではないもの」

 モカははっきりと首を振って否定している。そこに戸惑いや迷いは少しも無い。しかし、レベッカは一層その表情を曇らせ、足を止めた。数歩先でモカも足を止めて振り返る。

「時々、モカの考えてることよく分かんない。アタシのこと一番大事だっていつも言うけど、アランともいつの間にか付き合って、いつの間にか別れてたし。イルにだって妙に構ってるけど、理由聞いても、はぐらかすしさ」

 モカは眉を下げ、目を細めて微笑んだ。いつになく幼い口調で話すレベッカが可愛らしく映ったのかもしれない。

「珍しいわね、妬いているの?」

「妬いて……うーん、そうなのかなぁ」

 ゆっくりとレベッカに歩み寄り、目の前に立つと、モカはゴーグルを外してレベッカの首に両腕を回した。額を擦り付け、頬に軽く唇で触れる。

「……何かいつもこういうので誤魔化されてる気がするんだけど?」

「あら、そう?」

 そうは言うものの、レベッカの腕は慣れた様子でモカの背に回されている。唐突に廊下の真ん中で密着している二人に、通りかかった職員らはして驚く様子も無い。少しだけ笑って、「またか」と言うような顔で通り過ぎていく。二人の仲の良さは周知であり、このようなスキンシップについては時折見られるものなのだ。当然、本人達も周りを全く気にしていない。

「レベッカ、私にとってあなたが特別であることは、出会ってから一度も揺らいだことが無いわ」

 戦いを知らない女の子の柔らかい手の平が、レベッカの後頭部を撫でる。慰めるようなその動きに、レベッカは目を細めた。

「けれど特別って、一つだけじゃないでしょう。レベッカ、あなたは私とフラヴィのどちらが大切か、選べる?」

「それは……」

 問えば彼女が言葉に詰まることを、モカは知っていた。それでも、彼女の瞳の奥には人知れず寂しさが滲む。レベッカがそれを見付けたかどうかは分からない。押し隠すようにモカは一度目を閉じる。

「私に求めるものや、私を想う気持ち。フラヴィに求めるもの、フラヴィを想う気持ちは、全然違う形をしているでしょう。どちらも特別で、比較なんて出来ない。違う?」

「……ちがわない」

 レベッカの拗ねるような声は、モカだけが聞けるものだ。思わず緩んだ頬を、レベッカにはどのように見えるのだろうか。

「私にとっても、あなた以外の特別を持つことがあるだけ。でもね」

 再び開かれた目蓋の奥、瞳の色は深みを増している。今度はレベッカに目を閉じさせようとするかのように、モカが彼女の目尻に唇を落とした。

「レベッカほど大切なものは、私には一つも無いわ。それだけは忘れないで」

 頼りなく眉を下げていたレベッカは、モカの言葉に一つ大きく息を吐くと、ぎゅっと強く彼女の身体を抱き締めて、額を肩に押し付けた。

「分かった。変なこと言って、ごめん」

「ううん、やきもち可愛いから」

「やきもちなのかなぁ?」

 ようやく二人は身体を離して歩き出すけれど、その手はしっかりと繋がれている。どちらから繋いだのかを、どちらとも分かっていない。二人がWILLウィルで出会ったのは十四歳の時だった。あれから五年。いつだって彼女達はこうして互いの絆を深めてきた。

「今日は久しぶりに一緒に寝る?」

「それは嬉しいけどー、何か揶揄からかわれてる気がするなー」

 反応に、モカが声を上げて笑うから、レベッカは口をへの字にしている。そんな表情すらも、モカには愛らしいだけなのだろう、頬ばかりが緩んでいく。

「そんなことないわ、大好きよレベッカ」

「アタシも大好きだけどさー、ほんとかなぁ」

 肩を震わせるほどに笑いながら、モカは一度外したゴーグルを片手で掛け直す。その奥で、あらゆる複雑な感情を混ぜ込んだ色を瞳に乗せていた。

「本当よ、……だから困ってしまうのよ、私は」

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