第45話_新居に香る四人分の紅茶

 ゼロ番街での生活にも、アシュリーはすっかり慣れ始めていた。元より順応性は高い方なのだろう。初めて訪れた日はイルムガルドが隣を歩いてくれることでようやく平静で居られるというくらいに緊張し、不安を抱いていた彼女が、今や一人でもゼロ番街を歩き、買い物をすることが出来ている。

 今日も一人でゼロ番街のスーパーマーケット内を歩き回り、必要な食材と日用品を籠に入れていた。そしてレジに向かう前、ふと思い出したようにきびすを返して紅茶の売り場へと向かう。イルムガルドお気に入りの茶葉が切れかけていることを思い出したのだ。

「あら? お久しぶりです、アシュリーさん」

 すると不意に、優しい声が掛けられた。顔を上げればそこにはモカとレベッカが並んでいる。先に気付いたのはモカで、同じく気付いたレベッカも人懐っこい笑みを浮かべた。しかしアシュリーはというと、咄嗟に反応が出来ずに固まっていた。二人を見つめて目を瞬き、動かなくなっている。不思議そうに二人が首を傾けたところではっとして笑みを返すものの、アシュリーは落ち着かない様子で肩に流れる自分の髪を撫でた。

「ご、ごめんなさい、驚いちゃって。美人二人が並ぶと絵になるわね、見蕩れてしまうわ。早く慣れなくちゃ」

「えー? アシュリーのがよっぽど美人でしょ、やめてよー」

 ゼロ番街に慣れたとは言うが、それはこの場所で日々の生活を送る範囲でのことだ。突然現れる有名人らには、まだ慣れない。この区画は当たり前のように有名な奇跡の子が闊歩している。アシュリーは彼らを見つける度、つい目で追ってしまう傾向にあった。それがレベッカやモカのように、特に人気の高い子になれば顕著だ。アシュリーの言葉に素直に照れているレベッカの隣で、モカは楽しそうに笑っている。モカの方は容姿を褒められることにそれなりの耐性があるらしい。

「二人は背が高いわね、モニターで見ていると分からなかったけれど」

「あはは、アタシは大体ウーシンと一緒に映るもんね、特に分かんないか」

「私も一人で映ることが多いですからね」

 モニターに映されるのは大体が戦果の報告である為、レベッカは大きすぎるウーシンや、まだ子供で小さいフラヴィと共に映る。比較対象が悪いとも言えるだろう。イルムガルドを知るアシュリーにとっては二人で並んでくれればすぐに分かっただろうが、イルムガルドは単独で居ることを好むこともあり、レベッカが積極的に構っている時以外は、離れて立っている。今のところ並ぶ姿はモニターで映されていないようだ。一方、モカは後方である為、他の子らと共に映されることはまず無い。

 今まで知ることの無かった有名人の情報についはしゃいでしまったアシュリーだったが、ゼロ番街に住む者として、妙に騒ぐのは在るべきではない。アシュリーは改めて詫びて、少し上気してしまった頬を手で仰いで冷ました。

「アシュリーさん、今日はお一人ですか?」

「ええ、イルにはお留守番してもらっているわ。良い子にしているといいけど」

 小さな子供に対するような言い方に、レベッカらが少し笑った。アシュリーから見ているイルムガルドはレベッカらが知る彼女とはまるで違う。それを心寂しく思うこともあるのだろうけれど、例えば親の前でだけは子供に見えるアシュリーのように、他から見て、愛らしい違いでもあるのかもしれない。

 話しながらアシュリーは棚を確認して、少し高い位置に置かれている目当てのパッケージへと手を伸ばした。しかし、やや足りない。届かないことを知ってアシュリーは目を瞬く。

「あら……」

「あはは、アタシが取るよ」

「恥ずかしいわね、ありがとう」

 レベッカが手を伸ばせば悠に届くその高さを、アシュリーが少し羨ましそうに見つめた。以前買った時にはこんな高さに置かれていなかったのに、次からは近くに踏み台の存在を確認すべきかもしれない。イルムガルドが一緒であったとしても、彼女はアシュリーよりも少し背が低いのだから。

「紅茶がお好きなんですね」

「ええ、特にイルがこの葉を気に入っていて、減りが早いのよ」

「へー、イルって紅茶好きなんだ」

 ろくに話をしない彼女の嗜好など、タワーの者は誰も知らない。甘いものが好きで、ホイップクリームを頬に付けて頬張っていた話をすればきっと驚くのだろう。

「そういや、紅茶ってほとんど飲まないな」

「あら、苦手?」

「ううん、飲めるよー。機会が無いって言うかさ」

「多分、私がコーヒーを好むせいですね」

 モカは無類のコーヒー愛好家だ。豆は彼女の好みでブレンドしており、必ず手挽き。そして淹れ方はサイフォン式という拘りようで、二人がお茶をする場合には必ずモカの部屋で、モカが淹れたコーヒーとなる。ただ、あまりに深くコーヒーを愛しているというだけであって、紅茶を嫌うわけではない。その話を聞いて、アシュリーは楽しそうに微笑んだ。

「じゃあ、今からうちに飲みに来る? 逆に紅茶しか飲めないけれど」

 提案に、二人は目を瞬いた。一度顔を見合わせてから、再びアシュリーをじっと見つめる。笑みを浮かべたままで首を傾けているアシュリーからは、二人を家に誘うことの憂いを少しも見付けられないけれど、果たしてもう一人はどうなのだろう。そう考えたレベッカとモカが至る結論は全く逆だった。

「突然行って、イルが嫌がらないかな?」

「私達に押し掛けられたイルムガルドがどんな顔をするのかは、とても興味があるわね」

「モカ……」

 レベッカが呆れた顔で振り返ったが、モカはいつもの笑顔を浮かべるだけだ。こんな意地悪を考える人間が同僚である事実を、アシュリーが心配してしまうのではと恐る恐る窺った視線の先には、楽しそうに笑うアシュリーが居た。

「そうね、ふふ、私も興味があるわ」

 悪戯っぽく笑う彼女に、モカも意外そうに目を丸める。司令室で会っただけの二人にとって、アシュリーという女性はイルムガルドに対して優しくて甘いばかりの印象を抱いていたらしい。結局二人は誘われるまま、アシュリーと連れだって家へと向かった。

 三人で玄関をくぐると、扉の開く音に反応したのか、イルムガルドはタオルで手を拭きながら洗面所から顔を出した。また何処か掃除をしていたらしい。アシュリーは何も言わずに眉を下げる。そんな表情に気付く様子も無く、訪問者二人を見たイルムガルドは軽く眉を上げたものの、嫌な顔を見せはしなかった。いつも通りの柔らかな笑みをアシュリーに向けている。

「おかえり、どうしたの? ナンパしてきたの?」

「ええ」

 すんなりと頷くアシュリーにレベッカはぎょっとしていたけれど、イルムガルドの笑みは柔らかなままだから、彼女らにとって大した会話ではないらしい。

「浮気が早いなぁ、アシュリーはわたしだけじゃ満足できないのかな」

 くつくつと肩を震わせ、可笑しそうにそう話すイルムガルドの様子は、レベッカ達にとってはまるで別人だ。

「二人が紅茶をあまり飲まないって言うから、誘ったのよ。良かった?」

「うん」

 アシュリーの言葉に、イルムガルドはあっさりと頷く。レベッカが懸念したような反応は無い。当然レベッカはほっと胸を撫で下ろしていたが、隣のモカは何も言わないながらもつまらなそうにしている。嫌がられることを本当に心から期待していたようだ。すぐに察して、呆れた顔でレベッカはその横顔を見つめた。

「……フラヴィは一緒じゃないんだね」

 不意にイルムガルドが呟き、レベッカが視線を向ける。声からはほんの少し抑揚が消えていて、それはレベッカにとっての『いつもの』イルムガルドに近かった。その為、目が合ったわけでもないのに、もしかしたらイルムガルドには問い掛けるつもりすらなかったかもしれないのに、レベッカは自分に問われたものと思い、素直に反応した。

「ん、ああ、フラヴィは装備の調整してるんだよ。少し背が伸びたから」

「ふうん」

 幾らか素っ気ない反応だが、それを向けられたレベッカを振り返ったアシュリーは、何故か心配そうな顔ではなく、とても楽しそうに笑み深めていた。二人を招き入れながら、先を歩くイルムガルドの背を追ったアシュリーの足取りが軽い。

「ねえ。イルって、フラヴィがお気に入りでしょう」

「えー、いや、うーん、だって」

 二人の後ろをのんびりと進むレベッカとモカには、この話の流れはあまりに不自然に思える。しかし、イルムガルドは唸るような声を漏らした後、小さく「かわいい」と呟く。レベッカとモカは思わず顔を見合わせた。

「イルは自分より小さい子が好きね」

「そうなのかなぁ」

 アシュリーはすんなりと会話を続けているが、後ろの二人の驚愕はその程度ではない。すぐにでも問い質したい気持ちになっていたレベッカだったけれど、アシュリーが促すままにテーブルに着いても、イルムガルドはそれに合わせて共にテーブルには来なかった。部屋の奥へと入ったり、また洗面所の方へと戻ったりと、うろうろしている。彼女がじっとしていないのはこの家の中ではいつものことだけれど、レベッカが心配そうに目で追っていた。見兼ねて、アシュリーは柔らかく笑う。

「気にしないでね、イルは普段からあまりじっとしていないの。紅茶が入ったら大人しくなると思うから」

「あ、そうなの? びっくりした~」

「私達の前では石像のようなのに、面白い子ですね」

 ミーティングの時など、話が始まってから終わるまで目を閉じたまま、一度も開けないこともある。勿論その場合は微動だにしない。けれど逆にアシュリーはそちらのイルムガルドを全く知らない。「そうなのね」と苦笑していた。

 紅茶が四人分用意されると、アシュリーの予想通り、イルムガルドはいそいそと奥から出てきて大人しく椅子に座る。並べられたのは、イルムガルドお気に入りのミルクティーだった。

「うわー、すごい、おいし~!」

「ほっとする香りですね」

「ちゃんと淹れると缶で買うのとは全然味が違うんだねー、アタシこれすごい好きだなぁ」

「二人の口に合って良かったわ」

 レベッカとモカが頬を緩めるのを見て、アシュリーも嬉しそうに目尻を下げる。隣でカップを傾けているイルムガルドはいつも通りご機嫌だ。それを確認すると、アシュリーは首を傾けてイルムガルドを見つめた。垂れ下がっている目尻は優しくも見えるが、楽しい遊びを始める前触れのようでもある。

「ところでイルは、フラヴィのどんなところが可愛いのかしら」

「えー」

 二人の前で問い掛けてくる彼女の意地悪さに、イルムガルドが苦笑する。それでも笑みを崩すわけではなかったことは、彼女に拒絶の意志が無い表れだったけれど、もしも問い掛けたのがアシュリーでなかったなら、彼女はおそらく答えを言わなかった。アシュリーはそれに気付いていたから二人よりも先にその問いを口にしたのだ。そんな思惑を知ってか知らずか、イルムガルドが困った様子で首を傾ける。

「うーん、小さいとことか、あー、声がちょっと高い、とか」

 やはりイルムガルドにとっては自分よりも『幼い』こと、そしてそれを感じさせる特徴が、可愛いと思う要因になるようだ。故郷にはたった一人しか居なかった『自分よりも小さい子』は、今では多く見ることが出来る。そして今のイルムガルドにとって最も身近な『小さい子』がフラヴィである為、イルムガルドが可愛いと感じてしまうのは当然のようにアシュリーは思う。勿論、アシュリー以外の誰も信じられないだろうけれど。

「あとは、いっぱい喋るところと」

「え、良いんだあれ」

「なんか、よく怒ってるところ?」

「あら、それも可愛いのね」

 フラヴィはとにかく矢継ぎ早に一方的に話すし、けんか腰に文句を言っていることも多い。イルムガルドが反応を示さないことも彼女は幾らか気に入らないのだろう、特にきつい言い方を選んでいる。周りははらはらとしながら見守っていたり、レベッカならばやんわりと止めに入ったりしていた。ところがイルムガルドにとってはそれが可愛いものだったと言うのだから、あまりに心配の甲斐が無い。むしろ喜んでいたのかもしれないなんて。少しでも顔に出してくれていれば、周りは無用な気を遣わずに済んだはずなのだが。

「いや~、あの反応で可愛いと思ってたとは思わなかったなぁ……」

 どう記憶を辿っても、イルムガルドがフラヴィを可愛いなどと感じている様子が見付けられない。額を押さえていつまでも記憶を探って首を捻るレベッカに、モカが笑っている。

「イル」

 まだ少し残る紅茶のカップを両手で弄んでいるイルムガルドへ、アシュリーが手を伸ばす。視線を求めるように、指先で頬に軽く触れた。そして素直に応じたイルムガルドからの視線を得ると、目を細めて優しく微笑む。

「みんなのこと、嫌いなわけじゃないんでしょう?」

 視線はアシュリー以外の誰も捉えない。けれど当然、二人の存在を忘れているわけではない。聞かせることを知っているから、アシュリーに対しては決して向けることのないような不器用な笑みをイルムガルドは浮かべた。

「……嫌いじゃないよ」

 その言葉に、モカはゆっくりと視線を落とす。手元のカップの持ち手に触れながら、次に発した言葉は彼女の領分であり、この為に、モカは司令から『他言無用』を聞き出している。

「イルムガルドにも何か事情があるのでしょうし、私達のことはお気遣いなく」

 このように言えば、どう言うのかを、モカは良く知っていた。言葉通りの意味などモカには無かった。レベッカの言葉を引き出し、それに応じてレベッカ自身にも折り合いを付けさせる為だけのものだった。

「あー、うん、そう、寂しくなることは確かにあるんだけど、ね、イルにも気を遣ってほしいわけじゃないからさ。大丈夫だよ。ていうか、今の言葉でアタシは十分だから」

 この場に居た四人が求めたものは一人一人異なっていた。明確な思惑ではなくとも、それぞれに『優先順位』がある以上は、ただのお茶会に対して、その先に、求める付加価値の一つや二つはあるものだ。その時、一瞬だけモカとイルムガルドの視線がかち合う。イルムガルドが微かに片眉を上げるのを見て、ゴーグルを外していたモカは瞳を隠すすべを持たず、苦笑する口元だけでも隠すように紅茶に口を付けた。

 その後タワーに戻ったレベッカとモカは、イルムガルドがフラヴィについて語った言葉を一言一句たがわずに本人に告げてみたものの、「揶揄からかってるだろ! 僕は絶対に信じないぞ!」と顔を真っ赤にして怒っていた。もしもイルムガルドの言葉全てが真実であるならば、こんな彼女もイルムガルドは「可愛い」と思いながら無表情に見つめたのだろうか。想像も出来ない。レベッカとモカは、ただ可笑しそうに顔を見合わせていた。

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