第27話_守る為に東の森
「いや。お前どこに座ってるんだよ、イルムガルド」
司令室に入ったフラヴィは、入るなり挨拶も忘れてそう呟く。イルムガルドは扉から真正面にある、司令の椅子に座って背もたれにすっかり身体を預け、すやすやと眠っていた。本来そこへと座っているはずのデイヴィッドは、笑いながら隣に立っている。まるで猫に椅子を取られた飼い主のようだ。
「はは、座っていいぞと俺が言ったんだよ。そうしたら眠ってしまってな。居心地が良かったようで何よりだ」
「『何より』じゃないでしょ。威厳とか無いのかな司令には……大体、もうすぐ集まるんだからさっさと起こしなよ。珍しく最初に着いてると思ったらこれだもんな」
呆れた様子で首を振ったフラヴィがソファへと移動すれば、ちょうどレベッカが入室してきて、フラヴィ同様に目を丸めている。結局、イルムガルドは司令ではなくレベッカが、以前のように揺り起こした。可愛いなぁと笑うレベッカを見て、呆れた様子でフラヴィは首を左右に振る。
「何でどいつもこいつもイルムガルドに甘いんだか」
今日は普段のチームミーティングとは少し違い、二つのチームがこの部屋に集まる予定となっていた。もし自チームだけだったならフラヴィも『集まる前に』起こせとは言わなかったかもしれない。どの道、呆れた反応は見せたのだろうけれど。数分後に入室したのはモカで、続けて彼女のチームメイトらが入室。最後に来たのがウーシンだった。
「よし揃ったな、では始めようか」
「え? モカのチームまだ一人、居ない……」
部屋に居る奇跡の子は七名。チームはどちらも四名編成である為、全員が揃えば八名であるはずだ。総司令デイヴィッドがそれを間違えるはずがなく、レベッカは指摘を口にしつつも尻すぼみになり、ちらりとモカへと視線を向ける。モカは眉を下げて微笑んだ。
「一人はしばらく療養だ」
その言葉は欠席者が戦えない状態であるらしいことを伝えている。詳しい状態を問う者はおらず、少しの沈黙が落ちた。その後デイヴィッドからその理由が語られることも無いまま、この集まりに対する説明が始まった。
「次の遠征が決まったが、送るチームを検討中でな、確定していない。ただ、お前達、どちらかのチームを送る予定になっている」
よってどちらに決定しても問題が無いよう、準備だけは両チーム同時に進めるらしい。これから遠征先についての詳細説明を行い、終われば順に装備調整の為に身体検査が行われる。チームが未決定である理由は、モカのチームに欠員が居ることが最大の理由であるらしい。
「できればモカに行ってほしい内容なんですが、モカは非戦闘員ですからね、チームの負担が心配で」
「それなら、両方のチームが出ればいいんじゃないの?」
職員の説明にレベッカはそう言うけれど、職員とデイヴィッドは困った顔を見せた。
「それも検討したが、今タワーに残っているチームが少なくてな、どちらかは待機させておきたいんだ。勿論、送ったチームの戦況が危うければ支援として送るよ。両チームで準備を進めるのは、その為でもある」
イルムガルドの単独遠征でレベッカに厳しく指摘されたことはデイヴィッドとしても心から反省しているらしい。今後も、遠征が決まれば予備チームの準備を必ず並行して行うように指示を出していると言う。
「……どうしたの? イルムガルド」
不意に、のんびりとしたモカの声が響き、レベッカとデイヴィッドが振り返る。視線の先で、モカとイルムガルドが目を合わせていた。今のモカの言葉からして、おそらくイルムガルドの方からモカへ視線が向けられ、気付いたモカが応えたのだろう。イルムガルドは数秒間そのままモカを見つめた後、デイヴィッドの方へと視線を移す。
「何だ、イルムガルド」
彼とも数秒目を合わせてから、ようやくイルムガルドは口を開いた。
「戦力が欠けてるのが不安なら、わたしを入れたらいいだけじゃないの」
「イル」
レベッカは即座に眉を顰め、彼女を止めるように名前を呼ぶ。デイヴィッドは一度レベッカを見てから、再びイルムガルドを真っ直ぐに見つめ返した。
「お前達を単独で出さないと約束したばかりだ」
「一時的に別チームに入るだけでしょ。単独じゃない」
呼吸一つも置かずに返る言葉を、その場に居る全員が沈黙して聞いた。今の彼女は、従順に見えない。普段の彼女は、興味があるのか無いのかも分からず、聞いているのか聞いていないのかも分からないほど静かにミーティングに参加し、言われた全てに従うだけだったのに。
「……珍しいな、何か心配か?」
静かに、そして慎重にデイヴィッドが問い掛ける。イルムガルドは目を細めた。
「わたしが死ななくても、他の人は分からない」
その言葉の意味が分かったのは、デイヴィッドと、イルムガルドの単独遠征に付き添った職員一人だけだ。彼女は以前、全く同じ言葉を口にしていた。
「ボス、何の為にわたしを入れたの?」
「……イルムガルド」
彼女は、デイヴィッドが告げたことを覚えている。『二度と失わせたくない』からレベッカ達のチームに入れた。そしてデイヴィッドが望んだそれは、チーム内だけでは意味が無いということも理解しているのだ。その為のイルムガルドだったのなら、そしてイルムガルドの役目として望むなら、使うべきだと彼女は指摘していた。デイヴィッドは一度固く目を閉じて、大きく息を吐く。
「レベッカ、……今回の遠征、イルムガルドを借りても構わないか」
二人の会話全てを理解できたわけではないのだろうけれど、レベッカは今回、憤りはしなかった。デイヴィッドの言葉を聞き、イルムガルドの真剣な表情を確認し、そして、モカを心配そうに見つめた。
「それが、モカを守る為に必要なら。……だけど、イルのことも絶対に守ってよ、司令」
「ああ、必ず俺自身も遠征に随伴し、支援チームは万全の態勢で挑む。決して無茶もさせない」
その約束に、レベッカは了承した。ウーシンとフラヴィについては、「レベッカが良いなら良い」と回答した。いずれにせよ、準備は予備チームとしてレベッカ達も進めることとなった。詳細の説明が終わり、各々が身体検査へと向かう中、モカはレベッカに寄り添って、その肩を優しく撫でる。
「レベッカ、私自身は戦えないけれど、イルムガルドのことはちゃんと見ているから。心配しないで」
「うん。……モカも、気を付けてね」
「勿論よ」
この二日後、モカのチームはイルムガルドを加えた四名で、首都から遥か東にある森へ向かった。今までの荒野とは全く違い、見通しが利かない。敵が撤退したと思ったら潜んでいた第二陣、第三陣が現れるという状態が続いており、軍が苦戦している場所だ。まだ大きな被害が出ていない内に、森の向こう側まで戦線を押し返したいらしい。その為に、確かにモカは適任だった。彼女の能力と視野ならば、どのように隠れていても全ての敵が確認できる。
移動の飛行機の中、イルムガルドはモカの隣に座らされていた。二人は特に会話も無く、イルムガルドに至っては眠っているのかと思うほどずっと目を閉じている。
「……ねえ、イルムガルド」
しかしもうすぐ到着すると告げられた直後、モカが声を掛ける。イルムガルドは静かに目蓋を上げたものの、その視線をモカの方へと向けない。
「あなた、気付いている?」
モカは『何を』とはっきり言わなかった。それを告げれば同じ機体の中に居る仲間にも聞かれてしまうせいだろう。イルムガルドは静かに目を細めるだけで、何も応えないままに目を閉じる。その反応を見つめたモカが問いを繰り返すことは無かった。むしろ答えが返らないことが、そして「何のことか」と問い返してこないことが、モカにとっては答えだった。大丈夫かを問われ、「平気」と答えたあの言葉が偽りであったことを、イルムガルドは知っているのだと確信していた。
この遠征でのイルムガルドの役割は二つだった。まずは非戦闘員であるモカの護衛。そして次に、モカが安全圏に居る場合は前衛二人の支援。いずれの場合もイルムガルドにとっては容易い仕事であり、彼女が加わったことでこのチームは危なげ無く戦果を上げ、五日で全員無傷のまま遠征から帰還した。当然、軍が所望した通りに戦線も押し返した。
「――ご苦労だった。再びゆっくり、タワーで身体を休めてくれ。勿論、イルムガルドもな」
タワーへ戻った彼らは通例に従い司令室で報告を行い、各自、精密検査の為にその場で解散した。
しかしイルムガルドが検査を終えて廊下へ出れば、検査室の前にモカが立っている。目が合うとモカが柔らかく微笑むが、イルムガルドは無視するような形で視線を外して、自室の方へと歩みを進める。
「待って、イルムガルド」
だがそれはモカから逃げようとしたわけでも、イルムガルドが特別に急いでいたわけでもない。その証拠に、苦笑と共にモカが呼び止めればイルムガルドは足を止め、軽く首を傾ける。モカが自分を待っていたのだと思わなかったから、応えなかっただけのようだ。
「今回は本当にありがとう。前の遠征はとても長丁場で苦戦していたものだから、こんなにスムーズに終わるとは思わなかったわ。あなたのお陰よ」
実際、モカのチームがあっさりと勝利を収めたのはイルムガルドの功績が大きかった。モカは実際に前線に立てないけれど、その『目』で確かに彼女の活躍を見つめていた。イルムガルドはそんな言葉にきちんと耳を傾けてはいるのだろう。足も止めてはいる。けれどイルムガルドがモカに目を向けていたのは話し始めくらいのもので、後半は視線も顔も逸らして意味も無く廊下の向こうをぼんやりと見ていた。
「どうしていつも、つまらなそうにしているの?」
丁寧なお礼の後に、優しい声でモカはそう続けた。イルムガルドがそれに答えを返す様子は無く、今は少し俯いている。表情はモカから少しも見えない。ただ、モカの穏やかな表情もまた何も変わらなかった。彼女はこれで引き下がるような性分をしていない。そっと手を伸ばし、イルムガルドの頬に触れる。
「ねえ、顔を上げて、私を見て」
直球で向けられたその訴えには、イルムガルドは素直に応じて顔を上げた。視線も確かに求められた通りモカを捉えているが、表情は無いままだ。モカはゴーグルを外し、改めてイルムガルドを見つめる。
「あなた、興味のない振りをしているでしょう。どうして?」
「……関係ある?」
その答えに、モカが笑みを深めた。イルムガルドは、モカにとってはあまりに正直な子供だったのだ。
「無いけれど。興味があるわ」
彼女が目尻を下げる様子をイルムガルドは見守ってから、何かを言おうと微かに唇を動かす。――瞬間、廊下の向こうから二人を呼ぶ声が響いた。
「あら、レベッカ」
「二人共、おかえり!」
モカはイルムガルドの頬に添えていた手を下ろし、そのまま彼女の肩へと置く。しかしイルムガルドは緩く手でそれを払って、モカに背を向けて歩き去って行った。
「……逃げられてしまったわね」
「どうしたの?」
駆け寄ってきたレベッカを振り返ることも無く、イルムガルドはそのまま二人から離れていく。残念そうに息を吐いたモカだったが、その後を追うほどの様子は見せない。レベッカが来た為かもしれないが。
「あの子の傷は、まだ生々しいわね」
「傷?」
「かさぶたも何も無い、まるで今傷付いたばかりのようよ。……それで、あの反応なのかしら」
モカが呟く言葉に、レベッカはイルムガルドが歩き去ってしまった方向を見つめたが、もうその背は見えない。再びモカを振り返って、首を傾ける。『傷』という言葉に一瞬レベッカは心配したのだろうが、全員が無傷で戻ったと職員からも連絡を受けていた。つまりモカが指しているものは、今回の遠征とは何も関係が無く、そして抽象的なものだ。モカのことをよく知るレベッカは何となくそれを察して、静かに耳を傾けた。
「でも、それならどうして自分から関わるようなこと? 避ける方が傷に障る場合がある、もしくは……」
続いた言葉は伝えるつもりも無い様子で酷く小さい。咄嗟に耳を寄せるように身体を傾けたレベッカは、すぐに諦めて背筋を伸ばした。考え込んでいるモカの横顔を見て、軽く息を吐く。
「珍しいね、モカ。イルに興味があるの?」
モカはその問い掛けに振り返ると、難しい顔を一瞬で取り払って楽しそうな笑みを浮かべた。
「ええ、そうね、あるわ、とても」
「……そう」
「だってレベッカが『ご執心』なんでしょう? よぅく見張っておかなくちゃ、私達のレベッカが取られてしまうかもしれないもの」
その言葉にレベッカは目を大きく見開いて、何度も瞬きを繰り返す。モカがくすくすと笑っていた。
「いや、それさあ、言ってるのフラヴィだけだってば。大体、取られるって何?」
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