第21話_兵器の要らない山岳地帯

 戦場以外の任務で遠征に出ることはイルムガルドにとって初めてのことだ。

 しかし特務機関WILLウィルが立ち上げられた当初は、こちらの目的の方が強かった。戦争さえ激しくならなければ今もそうであったのだろうと、職員達はいつも悔しく感じている。

 出動したのは山岳地帯。掘削作業中に一部の岩が崩れ、生き埋めになってしまった人達の救出作業の為に、彼等は駆り出されていた。

「フラヴィ、君の能力の応用で、人の位置や重機の位置が分かるかい?」

「分かるよ。けどさ、こんなのはモカ姉が適任じゃないの? 僕は位置が分かっても、明確な状態までは分からないよ」

 職員からの問い掛けに、フラヴィは眉を顰めている。やりたくないと言うつもりは無くとも、自分よりも正確にその仕事をこなせる人を知っている為に自信が無いのだろう。

「モカは長い任務を終えたばかりだからな、少し休ませてやりたかったんだよ」

「あれ、司令。結局来たの?」

「そう邪険にするな、俺はいつでも出来る限り任務には随伴したいんだ。何とか仕事を調整させたよ」

 素っ気ないフラヴィの言葉に、デイヴィッドが肩を竦める。ただ、「今回は総司令が来られないかもしれない」と移動中に職員から伝達されていた彼女が意外そうにするのは仕方がない。事実、到着した際、現場に彼の姿は無かった。少し遅れてから出発し、今しがた到着したのだろう。

「ふーん。モカを休ませる為って言うなら、いつもに増して頑張ろっかなー」

 人命救助ということでいつもよりも気合いを入れていたレベッカは、モカの名前を聞くと更にしっかりと背筋を伸ばして腕を回す。

「別に、僕はいつも通りだけどね。で、何処から確認したらいいんだよ、急ぐんでしょ」

 口ではそんなことを言うフラヴィも、幾らか普段より積極的に見える。既に奥の岩場で大きな声を張っているウーシンは、モカの名前も聞こえていなければ総司令の存在にも気付いていない様子だが。

 そして、戦場では誰よりも頼りにされているイルムガルドはと言うと、所在なさ気にぼんやりと俯いている。音速移動の能力を、今回のような現場では何処に使用するべきか分からないのだろう。ただ、デイヴィッドがモカの名前を出した時にだけ、彼女は顔を上げて彼へ視線を寄越していた。

「どうした? 退屈か?」

「……別に」

 視線に気付いたデイヴィッドは、その切っ掛けを察していない。首を振ったイルムガルドも、それを説明する気は無さそうだ。

「おい、イルムガルド! お前も働け!」

「……どこで?」

「分からん! とりあえずこっちに来い!」

 むちゃくちゃなことを言っているウーシンに呆れた顔をしながらも、イルムガルドは普段と変わらず、呼ばれるまま従順に歩み寄る。

 フラヴィが超音波を応用して人を見付け、ウーシンが怪力で中央の岩を取り除く。その際にバランスを崩して落ちてくる大きな岩はイルムガルドが全て人の居ない方向へと叩き飛ばし、残りの小さな岩はレベッカが水で受け止めた。彼らは誰の指示が無くとも自然と上手く連携しており、職員達は感心の声を漏らす。

 救助活動は彼らの力でもって順調に進み、幸運にも、生き埋めとなった人々の中に一人の犠牲者も無かった。

「こういう成果は実に助かる。政府にも民衆にも、大きな声で報告してやらなければな」

「あの子達も、戦場より上手く連携しているようですね」

「心優しいあの子達は、本当はこういう仕事の方が向いているのさ」

 レベッカに後ろから両手を取られ、無理やり皆とハイタッチをさせられているイルムガルドを、デイヴィッドと職員達は微笑ましそうに見つめていた。


 遠征から帰ったイルムガルドは、当然のように六番街を訪れる。

 イルムガルドが以前指摘していた通り、遠征を終えたイルムガルドを情熱的に出迎えたアシュリーに煽られるまま、多くの会話をすることなく二人はベッドにもつれ込んで身体を重ねた。ただ普段と違ったのは、この日初めて、アシュリーはイルムガルドの仕事について問い掛けた。

「今回は、一人ではなかったの?」

「ん?」

「前、単独で戦場に行っていたでしょう?」

「ああ、うん、今回はチームで行ったよ。それに今回は戦場じゃなくって、何か、事故の救助だった」

 互いに服を着ることなく、高くなった体温をいつまでも触れ合せながらするには幾らか不自然な会話だったかもしれない。イルムガルドも、珍しい問いに首を傾けている。

「仕事のこと、聞くの珍しいね」

「……この間の単独遠征は、ちょっと心配だったから」

 その言葉に、イルムガルドは少し笑う。イルムガルド本人は結局のところ、あの単独遠征を『大したことではない』と感じていたようだ。しかし、周りの人間にとっては大きな問題であったらしいと、今更ながら少し察したのだろう。レベッカ達の騒動を聞いておいて、本当に今更なことだ。不安げに寄せられた眉を慰めるように、イルムガルドはアシュリーの眉間に唇で触れた。

「もう単独遠征はさせないってボスが約束してたから、次は無いよ」

「そうなの?」

 あの日、同じチームの人間と上司が揉めて、最終的にはそういう約束を取り付けたという話をイルムガルドらしい簡潔さで告げれば、アシュリーは少しだけ安堵の表情を浮かべる。

「ちゃんとあなたを想ってくれる仲間が居るのね」

「んー、まあ、ちょっと心配性な人が居るね」

 この場にレベッカが居れば、裸で二人が抱き合っている状態を考えれば居るわけもないが、とにかくこの会話を知っていれば、寂しそうにするかもしれない。イルムガルドには、彼女の想いはあまり届いていないようだ。

「女の人?」

「うん」

「……胸、大きい?」

「えー、あー、うーん、まあ、そうだね」

 この問いには流石のイルムガルドも居心地悪そうに笑い、困り果てた様子で頷く。ちらりとアシュリーの胸へと視線を落とし、記憶のレベッカと大きさをつい比べてしまったことも、彼女が困った顔をした要因の一つだろうか。視線の行方も知った上で、アシュリーは楽しそうに笑う。

「なんてね。『レベッカ』でしょう? 有名な子だから知っているわ。この間、一緒に映っていたもの」

「えー、もう、アシュリー意地悪だなぁ」

「ふふ、ごめんなさい」

 イルムガルドと同じチームの三人は、この街でも特に有名な奇跡の子だ。長くWILLウィルに在籍していることも理由の一つだが、彼等は他のチームと比べて戦果を上げる頻度が高く、よくモニターに映し出される。また、レベッカは見た目が華やかであることもあり、彼女の顔を知らない人を探す方がずっと困難だろう。当然、イルムガルドがそんなことを知るはずもない。見事に揶揄からかわれて、項垂れていた。

「でもやっぱり、お仕事の話はあまり聞かないことにするわ。此処に居る間は、私のことだけを考えてほしいもの」

 耳元に吐息を吹きかけるようにアシュリーが囁く。おそらく真意ではない。彼女はただ、No.103としてのイルムガルドに触れることを躊躇っている。彼女の知る甘く優しいばかりのイルムガルドを、失ってしまうことをただ恐れているのだ。そんなことに気付く様子も無く、イルムガルドはいつも通りに甘く微笑み、甘い軽口を返しながら、まだまだ温いままのその身体を抱き寄せて、何度も口付けを落とした。


 翌日の夕方、いつも通りに六番街へと向かうべくイルムガルドが自室を出ると、その姿を見付けて微笑む者が居た。

「――イルムガルド」

 呼び止める声。振り返った視線の先には、モカが穏やかに笑みを浮かべている。

「これからお出掛け?」

「うん」

「そう、気を付けて行ってらっしゃいね」

 声を掛けたのはただの挨拶だったようだ。無言で頷いたイルムガルドもそんなことはすぐに分かっただろうに、足を止めてじっとモカを見つめた。すぐに踵を返してしまうだろうと予測していたモカは、不思議そうに首を傾ける。

「なあに?」

 柔らかな笑みも、小首を傾げている優雅な動作も、そこには何の憂いも無い。しかしイルムガルドは何かを探すように、目を細めた。

「……大丈夫?」

「え?」

 この問いは、イルムガルドが放つにしてはあまりに珍しい。まだイルムガルドとの接点は少ないながらも、彼女の噂を何処からでも聞いていたモカにも、それはよく分かった。

「沢山、検査してる気がする」

「……よく見ているのね」

 事実、モカはこれからまた新しい検査を受ける為、その場所へと向かうところだった。一瞬、表情を強張らせたモカだったが、のんびりと首を振る頃には、いつもの柔らかな表情へと戻る。

「平気よ。私の能力は目に関するものだから、慎重になって下さっているだけ。……レベッカ達には内緒にしてね」

「大丈夫なら、いい。言わないよ」

「ありがとう」

 会話は無感動なままそこで終わり、イルムガルドは特に別れの言葉も告げる様子無く、彼女に背を向けて立ち去って行く。モカはまだ足を進めない。イルムガルドの背が見えなくなるまでを見送ってから、誰にも聞こえぬように、口元を押さえた手の中に長い溜息を零した。

「……周りに興味が無いと聞いていたけれど、少し、違うのかしら」

 しかしこの違和感を彼女は誰にも話すことは無いだろう。告げるなら、自分の置かれた状況も合わせて語らなければならないのだから。レベッカの部屋の方をちらりと見た後、モカも足早にその場を立ち去った。

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