第16話_零番街で得られない温もり
小さな少女がたった一人で送られるには、首都は孤独だったことだろう。ぬいぐるみを両腕にしっかりと抱き、身体を丸めている少女へと職員は上手い言葉が掛けられない。その目は涙で濡れていなくても、その身体からは悲しみばかりが溢れていた。そんな少女、No.59、フラヴィが
「あっ、来た来た~。本当に小さいよ、ねえウーシン」
「小さいな! 俺は潰しそうで怖くて触れん!」
「いや、触らなくていいよ、女の子だから」
彼女を出迎えたのは、やけに賑やかな二人だった。空気を読んだのか読んでいないのか分からないが、二人の明るい雰囲気に、フラヴィを連れていた職員達は何処か安心したように顔を緩める。レベッカは女性としては背が高い方であり、フラヴィとは大きな身長差がある。目を合わせようとしてぐっと身体を横に傾ければ、長いポニーテールがフラヴィの前で揺れた。
「ほんとはもう一人居るんだけどさ、ちょっと遅れてるからまた後で紹介するよ。アタシはレベッカ。これから同じチームなんだよ、宜しくね」
何の含みも無い笑顔を見つめ、フラヴィは何を思ったのだろうか。当時のことをフラヴィは誰にも語ろうとしないし、その日、彼女はほとんど口を利かなかった。ただ、距離を考えずに構ってくるレベッカに、数日すると少しずつ嫌味や悪態を付くようになり、そんな変化を誰もが嬉しそうに笑った。レベッカでさえもだ。
それがどうしてなのか、フラヴィにも正しく伝わっていた。彼女は口ほど卑屈では無いのだろう。与えられる優しさと愛情を、真っ当に認識できている。彼女は彼女なりに、このタワーの人々には幾らかの感謝があった。ただ、その表現が素直ではないだけだ。
フラヴィの生まれは首都からそう遠くない。彼女は兄妹を持たない一人っ子で、両親と祖父母の愛情を一身に受けて育った。しかしある日、電化製品をいくつも同時に壊してしまったことが騒動となり、警察が出動。――その結果、彼女が奇跡の子であると発覚した。
今もフラヴィ宛てには家族からの手紙が届き、手作りの洋服やぬいぐるみが多く送られてきている。フラヴィが身に着けているものは全てそうだ。部屋にも、送られたぬいぐるみが所狭しと並んでいる。それを見つめるフラヴィは、家族からの愛情は損なわれていないはずだと信じている。……けれど、レベッカとは違い、彼女の家族はただの一度も「
シャワーを浴び、先日新しく送られてきたパステルブルーのネグリジェに身を包む。少しだけ丈が心許ない。身長は計る度に手紙で書いているけれど、実際に会わないままでは家族もぴんと来ないのだろうか。鏡の前でくるりと回って、フラヴィは首を傾ける。
「もう少し長くてもいいって、明日手紙に書こうかな。いやでも、部屋着だしな、まあいいか?」
ぶつぶつと独り言を零してからバスルームを出て、彼女はその考えを即座に後悔する。どうしてか、ベッドの上に我が物顔でレベッカが横たわって寛いでいたからだ。
「ここ、レベッカの部屋じゃないんだけど?」
間違いなく、此処はフラヴィの部屋だ。誰が見ても間違いようのないくらいに並ぶぬいぐるみでそれが判断できなければ、酒や他の何かによって酩酊状態に違いない。しかし、未成年のレベッカがそんな状態であるわけもなく。彼女は穏やかに笑いながら、少しだけ頭を起こしてフラヴィを見た。
「鍵かけなよ~」
悪びれる様子も無い。フラヴィは深く溜息を吐いた。それと同時に、ネグリジェの裾を少し気にしていた。人に見せるつもりは無い姿だったのに。
「たまたま忘れたんだ。開けようとしなければ気付かないだろ」
「あははは。それより丈短くない? パンツ見えるよ」
「ぉおっわ!?」
ベッド傍へ歩いてきたフラヴィのネグリジェの裾を、レベッカは躊躇なく引っ張った。咄嗟に出てきたフラヴィの奇声には同情の余地がある。白い肌が真っ赤に染まり、それが怒りと羞恥どちらのせいかは知らないが、レベッカを睨み付ける。
「引っ張らなきゃ見えないんだよ! っていうか寝間着に見えるも何も無いだろ、レベッカさえ侵入して来なかったらね!」
「はは、そりゃそうだね。まあ風邪引かないんならいいよ~」
のんびりと寝返りを打っているレベッカの態度からして、フラヴィの怒りはあまりに『暖簾に腕押し』だ。長い溜息を零した後、フラヴィは改めてネグリジェの裾を整える。下着が見えるほどではないのだ、本当に。
「それで何か用なわけ?」
「いやぁ、そろそろフラヴィが添い寝を欲しがる時期かと思ってさ」
「誰がだよ。欲しがったこと一度も無いだろ」
ただし一緒に寝たことが無いとはフラヴィも言わない。事実、それは何度かある。遠征先が寒くて眠れない場合には、身体を寄せ合うようなことはむしろ必要だ。一人でも暑苦しいウーシンには不要だろうけれど。
「いいじゃん、今日は一緒に寝よ」
「意味が分からないから帰ってくれないかな」
また、こうしてレベッカが押し掛けてきて、添い寝を押し通される場合だ。抵抗せずに受け入れたことは無いはずだけれど、レベッカは普段穏やかで優しい癖に、言い出したらまず聞かない。幾らかの押し問答の末、結局は今日もフラヴィが折れた。
「どっちが恋しいんだか。ばーか」
消灯し、フラヴィはその腕に潜り込む。レベッカは彼女の言葉に笑みを浮かべるだけで、何も言わない。指摘は、レベッカがフラヴィを恋しいと思っている、という意味ではない。レベッカが欲しがる温もりは、本当は故郷にあるのだろう。懐郷のあまりこうして添い寝をしたがるのではないかと、フラヴィはそれを指摘していた。ただ、それに対して返答を求めるほどにフラヴィも酷ではない。彼女に身体を寄せ、話は終わりとでも言うように、その胸に収まった。レベッカの手が、小さなフラヴィの背を優しく撫でる。
「おやすみ。アタシがずっと傍に居るからね」
言いたい相手にはもう言えない言葉を、彼女はフラヴィに囁く。フラヴィがもう貰えないだろう言葉を、彼女はこうして寄り添って眠る度に、囁いていた。レベッカの胸元で少し喉を震わせた後、フラヴィは小さく溜息を零す。
「ご執心なイルムガルドのところには、それを言いに行かなくていいのかな」
彼女らしい返しに、レベッカは声を上げて笑った。そう返す前に、彼女が緩くレベッカの服を握ったことも知っているのだろうに、レベッカがそれを指摘する様子は無い。ネグリジェの裾を引っ張るようなレベッカだけれど、そういう時には正しく空気を読むのだ。……そう考えれば、先程のネグリジェも、分かった上だった可能性が浮上するのだけど。
「イルは甘えたがらないんだよねぇ」
「僕も甘えたがってないよね」
怒りを籠めた声が返ったが、レベッカはそれを流した。やはり、彼女は拾う場合と流す場合に、気分以外の理由があるのだろう。宥めるように背をとんとんと優しく叩き、薄っすらと目を開ける。
「甘えたいって気持ちがあるなら、いくらでも添い寝してあげるんだけど。逆に疲れさせちゃいそうだな、イルは」
「……どうだか。案外甘えん坊かもよ?」
その時、六番街ではイルムガルドが小さなくしゃみをしていた。
「ん、ごめ」
「いいえ、大丈夫?」
「平気」
鼻先を何度か擦った後、イルムガルドは背けた顔を戻す。改めて、彼女はアシュリーの谷間に顔を埋め、ふかふかとその柔らかさを楽しんでいる。先程からずっとそうして戯れており、いつものように先に進もうとしない。アシュリーは彼女の後頭部を優しく撫でていた。
「甘えたい気分なの?」
「うーん? アシュリーの胸柔らかくて気持ちいい」
イルムガルドが胸に頬ずりをすれば、振動でアシュリーの胸が揺れる。鼻筋を埋めては、軽く口付けて、やわやわと手の平で感触を確かめる。同じようなことを何度繰り返していても、イルムガルドには飽きる気配が無い。
「隠さなくなってきたわねえ」
「んー、元々隠してないよ」
「そうだったわね」
目が合うとイルムガルドは微笑みながら軽く口付けてくるけれど、すぐにまた胸に戻って行く。その様子を見つめていたアシュリーは、イルムガルドが何度か目を瞬いたのを見付けた。後頭部を撫でていた手を少し下ろして、イルムガルドの目尻に触れる。
「少し眠いのかしら、このまま此処で寝る?」
此処、と言ってアシュリーは自分の胸をするりと撫でる。イルムガルドは一瞬だけ目を丸め、そして次の瞬間にはいつになく嬉しそうに頬を緩めた。
「それは気持ち良さそうだけど、うーん、アシュリーのことも構いたい」
「ふふ。なら、起きたら構ってくれたらいいわ。それに、可愛いイルの寝顔を見ていれば、きっと退屈しないから」
仰向けだった身体を横に向け、アシュリーはイルムガルドを隣に呼ぶ。イルムガルドは従順にベッドに身体を横たえて、再びアシュリーの胸へと顔を寄せる。感触を確かめるように何度か頬を押し付けてから、身体の力を抜いた。
「かわいいのは、アシュリーでしょ」
アシュリーはそれに対して、答えを返さなかった。イルムガルドはおそらくその事に気付いてさえいない。声がもうほとんど眠っていたから、アシュリーは彼女を刺激したくなかったのだ。先程までと同じ柔らかさで、リズムで、イルムガルドの後頭部を撫で続ける。彼女の身体からすっかりと力が抜けて、眠り付いたのを確認してから、アシュリーは額に触れるだけのキスをした。
「『可愛い』以外に、あなたを何て言えば良いのか、分からないわね」
愛おしそうに、アシュリーは谷間の隙間からその寝顔を見つめる。
結局、イルムガルドは朝になるまで目を覚ますことは無く、何もせずに一晩を過ごした初めての夜となった。
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