第15話_帰還者を迎える零番街

 No.18、レベッカは特務機関WILLウィルの一年目から所属している。つまり登録された当初、彼女は十四歳だった。

 イルムガルドほど辺境の出自ではないものの、彼女の故郷は首都から遠く離れた場所にあり、WILLウィル所属以来、家族とは会っていない。それは彼女や家族の願いとは関係なく、三番街より外へは自由に出歩けない彼女の不自由さが理由だった。会いに行くには必ず、政府に送迎の飛行機と、護衛を出してもらわなくてはならない。緊急時でもない限り、その許可が出るとは思えなかった。故にレベッカも、その願いをWILLウィルに伝えたことは一度も無い。

 彼女が自分の能力に気付いたのは十一歳の時。当時、既に噂ではそのような能力を持つ子供が稀に生まれることが広まっていた為、レベッカの家族も驚きはしたものの、忌避するようなことはなかった。しかし、彼女が十四歳となった時に特務機関WILLウィルが立ち上がり、その話が国に広がるとすぐ、近所の人々がレベッカの存在を政府に通報した。

 レベッカの家族は、彼女をWILLウィルへ引き渡すことを猛反対した。軍事利用の噂が当初から取り沙汰されていたせいもあるだろうが、そうでなくとも、愛娘が突然政府に奪われるなど、納得できるはずもない。しかし、家族を説得したのはレベッカ本人だった。『近所の人々が通報した』ことは、彼女にそれを決断させた。野放しにされている奇跡の子に対し、街の目は温かくないのだ。街に留まったとして、彼女自身も家族も、そんな目に晒されることは疑いようもない。離れたい気持ちなど少しも無かった。ただ、レベッカは心から家族のことを愛していた。『守らなければ』と思っていた。大家族の長女として生まれた彼女の、強い責任感でもあったのだろう。

「もうこんなにちゃんと字が書けるようになったんだなぁ」

 彼女宛には、毎月必ず、分厚い封筒が故郷から届く。その中にはいつも家族全員分からの手紙が入っていた。両親、祖父母、そして五人の弟妹達。一番小さかった妹は当時まだ二歳だったが、今では七歳になる。何を伝えるつもりなのか分からなかった象形文字が、きちんとした言葉を成して姉に手紙を書いている。レベッカはそれに対して嬉しそうに、そして寂しそうに笑みを浮かべていた。

 両親や祖父母は、共に移り住むことも申し出ていた。奇跡の子の家族がゼロ番街へ移り住むことを、政府は許可している。しかしそれを拒んだのもまたレベッカだった。長く故郷で生きてきた両親と祖父母にその場所を捨てさせたくない思いもあり、また、首都の酷い大気汚染に祖父母や小さな弟妹が苦しむかもしれないと不安を感じた為だ。実際に住んでしまえば、自覚症状はほとんど無い。それでも、レベッカは自分の為に家族に負担を掛けさせたくないのだ。五年が経った今でも、「辛かったら帰ってくるように」と、そして「寂しかったらいつでもそちらに住むから」と手紙に書いてあるのだけど。

「心配性だな、ほんと」

 同じ血なのだ。紛れも無く。

 心配いらないと書きながらも、寂しさは消えるわけではないだろう。一つ一つの手紙に目を細め、笑みを浮かべ、時折眉を下げながら、丁寧に一人ずつに返事を書いていた。しかし、ふと時計を見上げたレベッカは、大きく目を見開く。

「やば、もうこんな時間!」

 慌て過ぎて椅子から転げ落ちそうになりつつ、広げた手紙をそのままに部屋を飛び出した。廊下を走ることは基本咎められるが、この時のレベッカは周りの職員が驚くほどの速さで疾走していた。先日、イルムガルドの帰還を聞いて司令室に走った時と同じ速度だった為、見掛けた職員は「また司令が怒らせたのか?」と顔を見合わせていた。

 一階へと降り、ロビーへ走ったレベッカは、ちょうど入口からタワーへ入り込んできた一人の姿に、顔を綻ばせた。

「――モカ!」

 その声に応じて、呼ばれた少女が振り返れば、濃褐色の長い髪がふわりと揺れる。

「あら、レベッカ。お迎え来てくれたの? ありがとう」

「当たり前でしょ。今回の遠征が長くてずっと心配してたんだよ、元気そうで良かった。おかえり」

「ふふ、ただいま」

 レベッカの言葉に嬉しそうに微笑むその子は、淑やかな少女だ。今しがた遠征から帰還したのに、目立った汚れや乱れは無く、髪は梳いたばかりのような艶やかさを見せる。

「司令、No.17、モカが先に戻りました。残りは次の便で……はい、承知しました」

 モカの番号はレベッカの持つNo.18の一つ前。つまり二人は、WILLウィルに登録された当初からの友人だ。職員は総司令デイヴィッドとの通信を終えると、レベッカと話しているモカを振り返り、申し訳なさそうに微笑んだ。

「邪魔をしてごめんな、モカ、まず司令室に報告に行って、それから精密検査だ」

「ええ、分かっています」

 職員の言葉におっとりと答えてから、モカは再びレベッカに向き直る。

「レベッカ、検査が終わったら連絡するから、私の部屋でお茶しましょう」

「うん、待ってる。フラヴィも呼んどくよ」

 微笑みながら一つ頷いて、モカは職員に連れられて正面のエレベーターに向かって行く。レベッカは彼女の姿が扉の向こうに見えなくなるまで、ずっと見送っていた。

 モカからレベッカへと連絡が入ったのは、その一時間後のこと。レベッカはフラヴィを連れ、彼女の部屋を訪れる。

「随分長かったよね、大丈夫だったの?」

 レベッカの問いに、コーヒーやカフェオレを淹れながら、モカが軽く頷いた。

「私はいつも通り後方だから心配ないわ、……私はね」

 モカはテーブルにカップを並べて座ると、そう言って少し眉を下げる。

「チームに犠牲は出ていないけれど、軍では何人も犠牲者が出たと聞いているわ。順調だったとは言えないわね」

 WILLウィルの方に大事が無かったことを気安く「幸い」と言ってしまえない。犠牲は犠牲だ。戦争なのだから人が死ぬのは致し方ないとしても、それを『当たり前』のものとして慣れてしまうには彼らは幼すぎる。一瞬の沈黙の後、フラヴィは二人の顔を見比べてから、少し大袈裟に声を出した。

「僕らも、『負傷者なし』は正直たまたまだからね。この間なんてもうダメかと思った」

「あれは本当に酷かった!」

 条件反射のようにレベッカが眉を顰める。フラヴィが指す「この間」がどの遠征であるのかを問う必要も無い。二人がモカに伝えたい「酷かった」遠征は、ただ一つだけだ。

「二人がそんなに言うなんて、一体何があったの?」

 目を丸めたモカが問えば、レベッカとフラヴィは競うようにあの日のことを語った。三十四機という異常な数の戦闘機の前に、たった四人で放り込まれたことを。当然、モカは驚愕してしばらく言葉が無かった。しかし目の前の二人は五体満足で、当時のことを管を巻くように愚痴れるほど元気であるようだし、ウーシンも無傷だったと言う。二人の気が済むまでその話を聞いた後、モカは何度か頷いた。

「そう、新しい子が入ったのね。私も会いたいわ。今日は居ないの?」

「声掛けようと思ったんだけど部屋に居なくてさ」

 レベッカも、イルムガルドのことはモカに紹介したいと考えていた。部屋に居ないのを確認した後に電話も掛けてみたが、イルムガルドは応答しなかった。

「あいつあんまりタワーに居ないよ。何が楽しいんだか知らないけど、下町をちょろちょろしてるらしいね。どうせ今日も出てるんだろ」

 そう言うとフラヴィは呆れた様子で首を振る。少し棘のある言い方に、モカは苦笑した。

「フラヴィはあまり仲良しではないのかしら」

「いやいや、フラヴィはアタシがイルに甘いって妬いてんの」

「妬いてないって言ったよね!?」

 二人のやり取りにモカが楽しそうに笑う。このような掛け合いはいつものことらしい。帰ってきた実感を得る一つの材料にでもなるのだろう。フラヴィからすれば、不服なことかもしれないが。

「それにしても、最近は本当に、どんどん戦いが激しくなるわね。私より、前線が多いあなた達が心配だわ」

 しばらく仲良くじゃれていたレベッカとフラヴィは、モカのその言葉に顔を見合わせる。

「モカだって、楽な仕事じゃないでしょ。狙われたら一溜まりもないし。モカは戦えないんだからさ」

「それはそうなのだけど」

 モカの能力は、透視。見えるはずのないものを見通す力。暗闇の中でも、何かの影に隠れても人が捕捉できるし、隠し持っている武器なども間違いなく見付けられる。見える範囲も千里眼のように広く、タワーからなら七番街に立つ人が何を持っているか全て確認できるだろう。

 とてつもない能力ではあるが、それでも彼女は見えるだけだ。直接的には戦う力にならない。その為、彼女は常に後方支援を任されている。戦いの場に出るのは、戦いに使用できる能力を持つ者達ばかり。モカは、戦いの場で隠れたままの自分自身に、時折酷く心を痛めている。

「まあ、この前みたいなのはやばいけどさ、それでもアタシらは恵まれてるよ。ウーシンとイルが居てくれるからね」

 少し俯いてしまったモカを見て、レベッカは殊更明るい声でそう言った。レベッカやフラヴィも十分に強い能力を持っており、奇跡の子らの中でも特に評価が高い。しかし、イルムガルドはフラヴィ曰く『むちゃくちゃ』だし、そのイルムガルドを別枠にしてしまえばウーシンは誰よりも強い。そんな二人が居て共に戦っている無茶な任務もあるかもしれないが、結局のところ、二人の無傷で済んでいるという印象が、二人には強いのかもしれない。

「ウーシン君は元気にしているの? 私は避けられがちなのよね、どうしてかしら」

「そりゃウーシンをウーシン『君』なんて呼んでるのモカ姉だけだからね! ウーシンも居心地悪いんじゃないかな!」

 フラヴィは何度もその呼び方を聞いているのだろうけれど、何度聞いても可笑しいらしい。けらけらと声を上げて笑っていた。隣のレベッカも笑みを浮かべているが、モカだけは不思議そうに首を傾ける。彼女は、歳下の男の子は全て「君」を付けて呼ぶのだ。

「でも、あの子だけを呼び捨てにするわけにもいかないわ?」

「まずそれ、『あの子』って感じじゃないんだよなぁ」

 そう言いながらフラヴィは顔をくしゃくしゃにして笑っていた。どうしても彼女にはこの話題が面白いようだ。しかし指摘通り、ウーシンは普段、モカ以外からそのような扱いを受けてはいないのだろうし、もし本当に彼がモカを避けているのであれば、そのような対応全てが理由かもしれない。

 勝手にウーシンの話題で盛り上がっていた三人だったが、不意に、レベッカの通信端末からコール音が響く。先程イルムガルドに電話をしていた為、折り返しかと期待したのだろう。レベッカは表示を見て明らかに落胆していた。

「司令かぁ。ちょっとごめん」

 その場で電話を取り会話をするレベッカに、二人は何も言わずにカップを傾ける。話にばかり気を取られ、すっかり冷めてしまっていたが、二人がそれを気にする様子は無い。おそらくいつものことなのだろう。そして応対しているレベッカの声から、電話が呼び出しであることが窺えた。

「はぁ~なんかアタシ、皆と比べて呼ばれるの多い気がするんだけど」

 電話を切ったレベッカも、内容が二人に伝わっていると理解した上でそう零す。モカは手を伸ばして、慰めるようにレベッカの肩を撫でた。

「気のせいじゃなくて、多いわよ。頼りにされているわね」

「どうだか、レベッカ、良いように使われてるんじゃないかな」

「こらフラヴィ」

 モカが窘めるとフラヴィは肩を竦めて黙るけれど、レベッカが笑ってしまっているので窘めた甲斐も無い。モカは苦笑した。

「まあとりあえず行ってくるよ。すぐ戻るから」

「ええ、廊下は走らないでね、レベッカ」

「アハハ、はぁい」

 楽しそうに笑ってから、レベッカが部屋を出て行く。廊下の足音が大人しいのを確認して、ようやくモカは扉から視線を外した。ただ同時に自分を出迎える為に走ってきたレベッカを思い出したのだろう。少しだけ口元を緩めていた。

「っていうか司令さ、レベッカと仲が良いモカ姉が帰ってきてすぐなんだから、一緒にお茶してることくらい予想できそうなものだよね。意地悪じゃない?」

「そんなことを言うものじゃないわ。必要な用事でしか呼ばない方よ、仕方がなかったんでしょう」

 フラヴィは納得のいかない様子で口をへの字にしているけれど、彼女もほとんどの場合、司令の指示には従うし、逆らうことは少ない。その点では一番多いのがレベッカであるほどだ。要するに、今、レベッカを取られてしまって寂しいだけなのだろう。指摘すれば彼女はそれを否定するのだろうが、少なくともモカはそう考えて微笑んでいた。

「それにしても」

「ん?」

「相変わらずレベッカは呼び捨てなのね。私のことは『モカ姉』って慕ってくれているのに」

 モカとレベッカは同い年だ。年齢的な意味で言うなら、モカとレベッカの扱いは同じである方が自然に思える。指摘は尤もだが――その言葉は穏やかながらも何処か揶揄からかう色があり、見つめてくる優しい瞳にも他意があるようで、フラヴィは口を尖らせてそっぽを向いた。

「別に、レベッカはそういう感じじゃないからでしょ」

「あら、素直じゃないわね」

「だからそういうんじゃないってば! も~そういうところばっかり、レベッカと似てるんだからなぁ」

「そう?」

 心外そうな顔をするでもなく、モカは笑っている。しかしあまり揶揄からかって機嫌を損ねてしまえば、戻ったレベッカが八つ当たりを受けるのだろう。拗ねているフラヴィの横顔を少しだけ堪能すると、モカは機嫌を取るように違う話をフラヴィに促した。


 奇跡の子らの居住区から、司令室は近くない。レベッカは長い廊下を幾つも歩き、入り組んだタワー内を歩いていかなければならない。その道中でレベッカは、自販機前のテーブルにイルムガルドの姿を見付けた。珍しいその姿に、思わず足を止める。イルムガルドがタワー内に居たこともそうだが、それよりも彼女がテーブルに突っ伏しているという状態に驚いていた。呼び出されている身であるレベッカは少し急いでいたのだが、放置できる性分でもない。すぐに踵を返し、レベッカはイルムガルドの傍に行った。

「寝てんの? イル?」

 声を掛けても反応は無く、覗き込めば彼女は目を閉じてすやすやと眠っていた。レベッカが背を撫でるようにして優しく揺さぶったところで、ようやくその目蓋が上がる。

「んん」

「イル、どうした? 具合悪いのかな」

 前髪を払ってその顔色を確認してみるけれど、眠そうに何度も目を瞬いていることしかレベッカには分からない。イルムガルドは目を擦って、周りとテーブルを見た後、レベッカを見上げる。

「……あー、レベッカ。うーん、温かい飲み物飲んだら、眠くなった」

「あはは、仔猫みたいだな、イルは」

 呑気な理由にほっとしながら、レベッカが笑う。イルムガルドは両腕を机に付いたままで、本当に猫のようにぐっと身体を伸ばした。

「そうだ、さっき、電話くれてた、ごめん」

「ああ、友達がタワーに帰ってきたから紹介したかっただけ。また今度でいいからさ、寝るなら自分の部屋にしな? 身体が休まんないだろ」

 そう促してやると、イルムガルドは頼りなく「うん」と答えて立ち上がる。小さく欠伸をする様子に、レベッカは目尻を下げた。言われた通りにイルムガルドが部屋の方へと歩いて行く背を見つめるが、どうにも頼りない。のんびり、よたよたと揺れる身体。レベッカから思わず笑みが零れる。

「眠そうだなぁ、ちゃんと戻れるかな」

 その笑みには、少しの喜びが含まれていた。レベッカは、あんな風に無防備なイルムガルドを見たのは初めてだった。彼女は少しずつ、此処での生活に慣れてきているのかもしれない。本当ならば部屋まで送り届けてやりたいのだろうが、流石にそこまで司令を待たせることも出来ない。レベッカは名残惜しそうにイルムガルドへ背を向けて、廊下を急ぎ足で進んでいった。

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