022「きれいごと」
「……いいんじゃないか。捨てなくて」
僕の言葉に、
そしてその後、怒りの混ざった恐ろしい目つきになった。
「……ねえ、赤坂君。私の話、聞いてなかったの?」
「聞いていたよ」
「だったらなんでそんなこと言うの?!」
怒気のこもった
いつもの、ハスキーで細い声じゃない。若い男の、力強い声だ。
「君には分からないんだよ!服が入らなくなる怖さとか! 男にしか見えないくやしさとか! 無理して女の真似してるようにしか見えない、鏡の中の自分のみじめさとか!」
声に涙が混ざる。鼻をすすったり、しゃくりあげたりする音がした。
研究しつくされたかわいい角度やポーズをかなぐり捨てて、必死に叫ぶ
「私が今日まで生きてこれたのは自分が『かわいい』っていう自信があったからなの。『かわいい』に向かって進んでる自分が生きがいだったの。だから妥協みたいな『かわいい』じゃ自分を保てない。でも……」
もう自分が自分の理想になれないことを理解している。
むしろ徐々に理想から遠ざかる運命であることを痛感している。
「……だから、『かわいい』を捨てて、それ以外の拠り所を見つけなきゃいけないの」
「……」
「それでも赤坂君は捨てなくていいって言うの? まだ『かわいい』に、 届かないって分かってる理想に縋り付けって言うの?」
僕は、
真っ暗になる目の前に、直前まで見えていた
そんなこと考える場面ではないと分かっている。
でも、涙が光る
「半分あってる。でも、半分違う」
僕は目をあけて、
「……わけわかんないよ」
僕は、同じように腰を落として、ちゃんと
「……なあ、
「……しらない」
そっけない声が返ってきた。僕は構わずに続ける。
「その人はな。僕の好きなプロの写真家なんだ。ササキの先輩らしいんだけど」
「だから、なに? 関係ないでしょ、今」
確かに、脈絡のない話だ。
でも、今の
「その人、天海さんは、耳が聞こえないんだ」
「……」
聾者の写真家、
耳が聞こえない彼女の世界には音がない。
つまり、彼女には会話がない。
より正確に言うなら、音によるコミュニケーションがない。
そんな彼女にとって、「表情」は最大のコミュニケーションの道具になる。
天海さんに初めて会った時、表情の豊かさに驚いた。
「嬉しい」「悲しい」「面白い」「むかつく」……
彼女の表情から、感情がはっきりと伝わった。
それは、一朝一夕のものではなくて、長い時間と経験を持って培われた「表現」の力を感じさせた。
小説家が「言葉」で、音楽家が「旋律」でやってきたことを、彼女は「表情」で行ってきたのだろう。
だからこそ、彼女の最初の作品集「FACE」は衝撃的だった。
彼女の撮った写真は、笑顔も、泣き顔も、無表情でさえも感情に満ち溢れていた。
被写体の笑顔を見るだけで、僕も笑顔になれたし、泣き顔を見たら僕まで泣きたくなった。
言葉や音楽と同様に、もしくはそれ以上に、「表情」には人を動かす力があるとはっきり理解させてくれる写真ばかりだった。
そしてそれは、
常に人の表情を見て、自分の表情を意識している天海さんだからこそ撮れた写真だ。
高い撮影の技術と、彼女の人生が丸ごと結びついて生まれた、彼女だけの表現。
その一つ一つが僕の心を全力で揺さぶった。
そしてそれは同時に、僕に可能性を感じさせた。
自分の経験が、誰かの心を動かす可能性。
欠陥だと思っていた部分が、誰かを救う可能性。
自分の人生すべてが、誰かを奮わせる可能性。
もし、そんなものが信じられたなら。
もし、そんなものが本当にあるのなら。
正面切って、僕はこういうことができる。
「どんな人生だって素晴らしい」
そんな途方もない「きれいごと」を、心の底から言うことができる。
そんなもの、「生きる希望」という他ない。
「天海さんの写真ってさ。もう、天海さんにしか撮れないってはっきり分かるんだ。今まで聾者として生きて来た自分の人生を、聞こえないからこそ見えている自分の世界を、そのすべてを写真っていう方法で表現してるんだ」
「……」
「自分の人生の全部を、欠点にも思える部分も全部ひっくるめて、表現しようとしている人がいる。そしてその写真が多くの人の心を揺さぶってる。これって本当にすごいことだと思うんだ」
「……それが、なんだっていうの?」
自分には関係ないとでも言いたげな声色だ。
関係なくなんてない。
僕は、そんな
「
「……?」
僕もまっすぐ
そして、天海さんほど達者じゃないけれど、できるだけ柔らかい笑顔を作って言った。
「
「……」
「今まで男の娘として『かわいい』を求め続けて、でもそれに挫折して、これから男としての自分の身体と向き合わなければならなくなった、そんな人生を全部活かして、お前にしか出せない魅力を追求するんだ」
きっとそれは、お前が今まで求めてきた『かわいい』に負けないくらい、確かな生きがいになるんじゃないか?
それって、何よりも心強い「生きる希望」になるんじゃないか?
こんなふうに僕は、支離滅裂になりながら、感情に任せて、
伝わったかどうかは分からないけれど、今回は目を逸らさずに言うことができた。
「……」
僕の言葉が途絶えると、しばらく
僕と
そしてたっぷり1分ほどの間をおいてから、
「……よくわかんない。やっぱり赤坂君の言ってること、よくわからないよ」
「……そうか?」
「そうだよ。急に知らない写真家さんの話始めるし、結局具体的にどうすればいいかはっきりしないし。いい感じの話で煙に巻かれたって感じだよ」
「そ、そうか」
「急に早口になるし、熱っぽい口調になるし、めっちゃ唾とぶし、好きなアイドルの話してる時の話聞かないタイプのオタクみたいだったよ?」
「……そ、そうか」
とても的確かつ辛辣なディスだった。
……僕、そんな感じだったのか……今後気をつけよう。
その時、大きな音でチャイムが鳴った。
昼休みがあと十分で終わる。
「……教室、戻らないとね」
その立ち姿はどこか力強くて、頼りがいすらあった。
「ああ……」
「まあ、うまくやるよ。……ねえ赤坂君」
「なんだ?」
「やっぱり君の言いたいこと、よくわからなかったからさ」
そこで一度、
「その
ちょっとだけ照れ臭そうにそう言った。
その顔を見ていたら、僕まで少し口元が緩んでしまった。
「……もちろん」
僕がそう言うと、
やっぱりこいつはきれいだな、と思わずにはいられない笑顔だった。
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