番外編「かわいいは……」

蓮見はすみ飛鳥あすか宅にて)


『仮面のような笑顔……なんて言葉をよく目にするけど、私にとっては笑顔も泣き顔も怒った顔でさえも仮面だった。楽しいから笑う、というよりも、楽しんでいることを伝えるための笑顔。本来感情が自然と発露する現場であるはずの顔が、私にとっては通路であり、道具だった』


『若いころはそんな自分に嫌気がさすことが、たびたびあったような気がする。作られた表情に後ろめたさを感じなくてすむ生活に憧れることは今でもある。一方で、私は人間の表情というものにすごく興味を持った。ほんの少しの変化で驚くほど感情を表すことができる。一本線が増えるだけで、劇的にニュアンスが変わってしまう。そんなダイナミックでドラマティックな場。言葉で表しつくせない「個」が凝縮した舞台。それに強く惹かれている』


『私が人の顔ばかり撮るのは、この謎多き「顔」というものの正体に少しでも近づきたいと思っているからかもしれない』


 ――――――――――――――――――――――――――――



「はあ……すごいなぁ……」


 ため息をついて、本を丁寧に閉じる。机の上の裏表紙は、なんだかすごく迫力があった。


「ASUMI」としての活動を通して、写真を撮られたり、自分で撮ったりすることは多かったし、写真というものに触れることは多かったと思う。


 でも、こんなにじっくり写真集を「読んだ」のは初めてだった。




蓮見はすみ、さっき話した写真集、持ってきたぞ」


 屋上で赤坂君と話したその日の放課後、赤坂君はすぐに作品集を持ってきてくれた。

 

「うわ、早いね。ありがとう」

「ああ、いつでも布教できるように持ち歩いているからな」

「そ、そっか。……って手に何つけてるの?」

「……? 見て分からないか? 手袋だよ」

「いや、手袋なのは分かるけど……なんでつけてるの?」

「え? 高級品触るときは普通つけるだろ? ほら、蓮見はすみの分」

「あ、うん。はい」

「見る時も付けてページめくれよ? 折り目とか付けるなよ? 指紋もできるだけ付けるなよ?」

「あはは…………冗談だよね?」

「……?」


 赤坂君の反応を見て、私の言葉が失言だったという事にはすぐ気づいた。

 私に「FACE」を差し出す赤坂君の目は、据わっている、というかキマっているというか。とても冗談を言っているような様子ではなかった。


 なんか、ページにジュースでもこぼそうものなら、冗談抜きで殺されるんじゃないかな……。


 完全に信者だ……怖い……。



 何が彼をそこまでさせるのか、家に帰ってページを開くまでは分からなかった。


 でも、こうして「FACE」を最初から最後まで、巻末のあとがきまで読み切ってみると気持ちは分からないでもなかった。


 この作品集はすごい。それだけは間違いない。


天海あまみ御言みことさん……か」


 スマホを手に取って名前を検索したら、驚くほどの美人が現れた。

 あんなにすごい写真の才能があるのに、こんなに綺麗だなんて。なんか悔しい。


 スマホの画面を消して、ベッドに軽く放り投げる。

 椅子の上で伸びをしながら考える。


 天海あまみさんの作品は、赤坂君が言う通り、彼女でなければ撮れないものばかりだった。そして、彼女の写真の被写体もまた、その人にしかできない表情を見せていた。


 「その人にしかできない」ことが、こんなにも綺麗だなんて。

 「個性」なんてありふれた言葉が、こんなにも希望に満ちていたなんて。

 こんにも憧れるものだったなんて。


 全然知らなかったな。


 赤坂君の言葉とか、本多先生の言葉とかを思い出す。きっと二人はそういうことを伝えたかったんだろう。


「私だけにしかできないこと……か」


 今の私じゃないとできないこと。

 私の、これからの人生をかけて表現したいこと。


 何があるんだろうか。


 部屋の中を見渡してみる。


 積み重なった女性用のファッション雑誌に、処分しようとして結局捨てられなかったかわいい服の数々。大好きなアクセサリー……。


 私が目指してきた「かわいい」の残骸たち……。


 私は椅子から立ち上がり、部屋着を脱いで、もう一度だけ服を着てみる。


「……はぁ」


 やっぱり、姿見に映る自分には、かつてほどの魅力はない。

 どうしても「女装した男」という違和感がぬぐえない。

「男にしてはかわいい」とは言えるかもしれないけど、それじゃ私は満足できない。


 かといって男の子らしい服には、あまり興味が持てなかった。今までさんざん「かわいい」を追い求めてきた私にとって、男の子っぽい「かっこよさ」への感度みたいなものは大分鈍ってしまっている。


 今の私は、男でも女でもない、とてもとても中途半端な存在になってしまっている。


「……どうすればいいんだろう」


 一人つぶやいて、ベッドに寝転がる。スマホを手に取って、何の考えもなく「男の娘 ファッション」で検索をかける。


 スクロールを続けていると、とあるブランドのサイトが目に留まった。


「……ユニセックス……かぁ」


 そのサイトでは「ユニセックス」、つまり男の子でも女の子でも着られる服をメインに展開していた。


 男女の区別なく着ることのできる服。これなら私にも似合うものがあるかもしれない。実際、「これいいな」と思えるデザインもいくつかあった。男とも女とも言いにくい今の自分にはぴったりかもしれない。


「……でもなぁ」


 男の人でも女の人でも似合う服、じゃ、「私にしかできないもの」にはならない。


 誰でも受け入れてくれるものじゃ、私が今まで縋ってきた「かわいい」みたいな、生きる拠り所にはなってくれないような気がする。


 女の子になりきれず、男の子としても不十分な、「私」に一番似合う姿。

「私」が最も輝く服。

「私」に最もふさわしいファッション。


 でも、そんな都合のいいもの、この世にあるわけない。

 私みたいな特殊な人間をターゲットにした商品、あるわけがない……。




「……ん?」




 そこまで考えがいたって、気づいた。


 「私」をターゲットにしたファッションがないなら。

 「私」を輝かせる方法がないなら。


「それを、創ればいいんだ……」


 気づいた瞬間、ベッドから飛び起きた。頭の中でパチパチと何かがはじけるような音がした。


 そうか、そうだよ。ないなら自分で創ればいいんだ。

 「私」に一番似合う姿は、「私」にしか作れないんだ。


「そっか。そっか……!」


 誰かが作った「かわいい」だから、追いかけるのが苦しかったんだ。

 誰かが作った「かわいい」だから、どうやってもたどり着けなかったんだ。

 誰かが作った「かわいい」だから、誰かの批判に敏感だったんだ。


 そんな当たり前のこと、どうして気づかなかったんだろう!!


 そうとわかれば……。


「研究しなきゃ。『私』のことをもっと!」


 私はすぐに手近にあったファッション雑誌を持って机に座った。

 

 開いたページに書いてある見出しを見て、思わず笑みがこぼれた。



【『かわいい』は、つくれる!!】



 ……その言葉の本当の意味が、はっきり分かったような気がした。

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