021「吐露」

 屋上の扉を開けると、予想通り蓮見はすみがいた。

 蓮見はすみは柵に寄りかかって座っている。金色のウィッグが風になびいて揺れていた。

 

 膝の上には本多先生が作ったと思われる弁当が置いてある。しかし、蓮見はすみはそれを食べる気配はなく、ただ虚ろな目で彩り豊かな弁当の中身を見つめているだけだった。


蓮見はすみ……?」


「……あ、赤坂君。どうしたの? こんなところに」


 僕が話しかけると、蓮見はすみは妙に緩慢な動きで僕の方を見て首を傾げた。


 近くで見ると蓮見はすみの顔色は無茶な摂生をしていた時よりずっと良くなっている。まさしく紅顔の美青年といった風貌だ。


 ただ、やはりもう女子として見るには隠し切れない違和感があった。


「教室にいなかったからさ、ちょっと心配して探しに来たんだ」


「……そうなんだ。よくわかったね」


「あー。ここは基本的に誰も来ないからな。身を隠したり、人には言えない話をしたりするには最適だ」


 あと、ナイフとかスタンガンを使った恐喝とかな。と、言いそうになったが、話が逸れそうなのでやめた。


「そうだね。誰もいないから居心地はいいよ」


 蓮見はすみは不自然な笑顔を作った。

 かつて、蓮見はすみが見せていた「完璧な角度」「見られることを意識したポーズ」は見る影もない。不器用で、内心笑ってないことが見え見えの表情だ。


「……体調、どうだ?」


「うん。すごいね。本多先生の言う通りにご飯食べたら、本当に夜ちゃんと眠れるようになって、授業中もあんまり眠くなくなったよ」


「そうか……」


「なんか、ちゃんと身体に力が入る感じがして、ああ、これが本来あるべき姿だったんだなって理解できてる。本多先生には感謝してもしきれないよ。大げさでもなんでもなく命の恩人だよ」


 蓮見はすみは、分かりやすく明るい声を出していた。作り笑顔と同じくらい不自然な明るさだった。


「僕も食べてるから分かるよ。最近は人生で一番健康な日々を過ごしているかもしれない」


「あはは。そうかも。ベクトルは違うけど、私達お互いにひどい食生活してたもんね」


「全くだ。今では本多先生の弁当の栄養素無しで生きていく自信がない。完全にカロリー依存症だ」


「……私が言うのもあれだけど、普通の人間はカロリーないと生きていけないよ?」


「……本当にお前が言うのもあれだな」


 あはは、とまた蓮見はすみは笑った。さっきよりは少し自然な笑いだった。


「ご飯も栄養も、大事だよ。身をもって実感してる」


 でも、と蓮見はすみは一度言葉を切った。そして、絞り出すように続けた。


「でもね。このお弁当を一口食べたら、一口分今までの自分じゃなくなっていくのが分かるの」


「……」


「教室でのみんなの視線が変わっていくことが分かるの。仲が良かったはずの友達の態度が変わっていくのが分かるの。今まで積み上げてきたいろんなものが壊れていくのが分かるの」


「……そう、か」


 重い言葉だった。

 蓮見はすみ飛鳥あすかという人間が、その人生の大半をかけて作り上げた「かわいい自分像」を自らの手で少しずつ終わらせていく。そんなイメージが蓮見はすみの中に広がっているのが分かった。


「やっぱり、変わるのって、怖いね。一歩ずつ、戻れなくなってるような気がするの。こんなに美味しいお弁当なのに、すごく食べるのに時間がかかるの。捨てちゃいたいって思うことも何度もあった。わざと地面に落として食べられなくしたことも何回かあった。でも、それをやっちゃうとものすごく後悔するの。私を助けようとしてくれてる人がいるのに、申し訳ないって、思ってるのに……」


 声は徐々にかすれ、蓮見はすみの目からはポロポロと涙がこぼれ始めた。


 僕は、黙って聞いていることしかできなかった。


「教室でお弁当を食べてるとね、笑い声が聞こえてくるような気がするの。『かわいい』を諦めていく自分を誰かが嘲っているような気がするの。今までさんざん自分の『かわいい』を拠り所にしてきたのに、結局自分からそれを捨てるんじゃないかって、ね。だから教室では食べられなくなっちゃったんだ」


 リコとマキとか言うクラスメイトの言葉は、蓮見はすみの想像がある種の事実であることの裏付けていた。


「家に帰るとね、今まで集めたアクセサリーとか、もう着れなくなっちゃった服とか、好きだった雑誌とかがね、恨めしそうにこっちを見てくるの。もう着ないの? って。もう辞めちゃうの? って。苦しいだけなんだから、全部捨てちゃえばいいって思うのに、どうしても捨てられないの」


「……」


「制服もね、男子用をもう持ってるの。でも、どうしても着れないの。これを着て学校に行ったら、全部終わっちゃうような気がして。でも、昨日よりも今日の方が、今日より明日の方が似合わなくなるって分かっちゃうから、鏡が見れなくなっちゃった。私、今ひどい顔してるでしょ?」


「そんなことない……って言っても意味ないんだろうな」


「……そうだね。私が私に納得してないからね。新しい自分の拠り所を見つけなきゃいけないって分かってる。分かってるんだけど、怖いの。どうしようもなく怖いの。今までの『かわいい』じゃない私を、見つけなきゃいけないのに、ずっとずっと『かわいい』が捨てられないの」


「……」


「ねえ、赤坂君」


 そう言って僕を見た蓮見はすみの表情は忘れられない。

 ササキに写真を撮れないと言われた日。クロワッサンで、倒れる直前に見せた顔と完全に同じだった。


『私……、もう、『かわいく』、なれないのかな……?』


 あの時、蓮見はすみはすがるような目でそう言った。


 僕はその時、何も答えられずに目を逸らした。


 逸らした瞬間、身体中から罪悪感が噴き出たのを覚えている。

 あの瞬間の後ろめたさは、色褪せずに僕の記憶に刻みつけられている。


「どうやったら、新しい自分になれるかな? どうやったら、今までの『かわいい』を捨てられるかな?」


 だから、今日の蓮見はすみの言葉には、ちゃんと応えようと思った。


 僕が心から思っていることを、ちゃんと伝えようと思った。


「……いいんじゃないか。捨てなくて」


 はっきりとした言葉で、目をそらさずに。

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