015「向き合うということ」
それから、本多先生は
僕はしばらくベッドの横に座って、眠っている
化粧がところどころ落ち、悪夢にうなされるように眉間に皺を寄せて眠る
女の子としての「かわいい」を奪われてしまった
僕がそんなことをふわふわと考えていると、
「……ん」
「
「あ、赤坂君? 私……何して……? ここ、どこ?」
「病院だよ。お前、店で急に倒れたんだ。栄養失調だってさ。だから急いで病院に……」
「……そっか」
それだけ言うと、
気まずい沈黙が流れる。
何か話さなくては。
そう思うとなぜか声が出なかった。
蓮見はポツリと言った。
「……写真、断られちゃったね」
「……そうだな」
それから、
明らかにそれと分かるから元気だった。
「あー。残念だなー。結構頑張ったのにー」
「そう……だな。お前は頑張ってたよ」
「でしょー? でも、自分自身でも薄々気づいてたんだよねー。ちょっと無理があるなって。こんなに体重しぼってしぼって、フラフラになっても。それでも身体は男の子になってくし、声だって低くなってくし」
「……そうか」
「だから……もう無理かなってさ。いつか終わりが来ることは分かってたよ。いつまでも『かわいい』ではいられないって。だって私は結局……」
男、だから。
笑顔を作って、潔く諦めたような声でそう言った
「……
「知ってた。知ってたよ。でも……こうして事実をつきつけられると、ちょっとしんどい、かな」
笑顔はゆっくりと消えて行き、涙を必死にこらえるような顔になった。
「私、これから、どうすればいいのかな……」
「どうすればって……」
「『かわいく』なくなった私は、どうやって生きていけばいいんだろうね……」
「……」
こぼれた涙と同じくらい、こぼれた言葉は重かった。
「……ごめんね、赤坂君。こんなこと聞いて、赤坂君には関係ないもんね……」
その通りだった。
僕は、
僕に何が言えるだろう。
僕に何ができるだろう。
僕が言葉に詰まったとき……。
「そのよう。『かわいい』ってのは女じゃなきゃダメなのか?」
いつの間にか戻ってきていた本多先生が渋い声で言った。
「……え? 本多先生?!」
「おう。おはよう
「なんで先生がここに……?」
「あー。俺はあの店の常連なんだよ……たまたまお前が倒れるのが見えたからな」
「そ、そうだったんですか……」
言いながら、本多先生はベッドの横に座り、まっすぐ
「で、その『かわいい』ってのは女子じゃないとだめなのか?」
「聞こえてたんですか……」
「ああ、割と最初から。お前がどんなつもりでこんな状態になるまで自分を追い込んだのかとかも、なんとなく聞こえてた。で、どうなんだ?」
本多先生は足を組んで顎に手をやったが、
「……先生、『男の娘』って知ってますか」
「しらんな。オカマと違うのか?」
「違います! 『男の娘』っていうのは男の子が女の子の恰好をすることで、心が『女性』の人とは違うんです!」
「そうなのか……難しいな……男が好き、とかそういう話か?」
「全然違います! 男性と女性のどちらを好きになるか、みたいなセクシャリティの問題とは別です!!」
「おお……現代文の教科書に登場しそうなテーマだな……」
上手く伝わらないことに苛立つ
「先生の歳じゃ、私の苦しさは理解できませんよ。時代が違うんですから!」
「まあ、そう言うなって。この老いぼれに一つ教えてくれないか?」
「……なんですか?」
本多先生は顎に手をやって、聞いた。
「お前は『女の子』になりたいのか? それとも『かわいく』なりたいのか?」
「……!」
「もし前者なら……まあ無理とは言わんが、かなり面倒な手順を踏まないといけないだろうし、言い方は悪いかもしれないが、生まれたときから女だった人と張り合うのは相当しんどいだろうよ。」
「……」
「でも、後者なら。『かわいく』なるのは、女子にならないとダメなのか? SNSやらテレビやらで特集されている、世間の女子がやっていることだけが『かわいい』なのか? 『かわいい』って言葉はもっと懐の深い言葉だと俺は思ってたけどな」
「それは……」
本多先生の言葉には力があった。何十年も教師をして、何人もの生徒を教え導いてきた人間の、深さと温かさがあった。
「これは
だからよ。そう言ってまた本多先生はニヒルに笑った。
「現実見ろ。妥協じゃなくてな。今のお前じゃなきゃ作れない『かわいさ』を探してみろよ」
現実を見る。
それは妥協とか諦めではなくて。
今の自分にしかできない方法を探すということ。
それは、前向きで力強い言葉だ。これから生きていく力になるような。
そして、最後には、シーツを見つめながらこっくりと頷いた。
「……でも、どうしたらいいか、私には分からないです。これまで、女の子の『かわいさ』しか求めて来なかったから」
ポツリと不安げにつぶやいた
「まあ、定石は自分のポテンシャルを知ることから始めるんだな。
「え、あ、はい……」
「基本的に人間が最も美しくなるのは健康な時だ。まずは体調を整える所からだな」
「健康……ですか……」
しかし、そんな
その笑顔は先ほどまでの温かく優しいものではなく、マッドサイエンティスト的な、どこかデンジャラスな雰囲気をまとった笑みだった。
あれ、これ、なんかやばいような……
シリアスからコメディに切り替わるような……
次に本多先生が放った言葉は衝撃的なものだった。
「任せとけ。俺がお前の弁当、作ってやるよ」
「「……はい?」」
僕と
「体調管理もやってやる。まー、俺の言う事聞いとけば大丈夫だって。大船に乗った気持ちでいればいい」
胸をドンと叩いた本多先生を見て、僕と
ここに「還暦オーバーのオラオラ系おじ(い)さんがJK(男の娘)にお弁当を作る」という、世にも奇妙なラブ(?)コメディが開幕したのであった。
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