015「向き合うということ」

 それから、本多先生は蓮見はすみのご両親に電話で病状を報告するために病室から出ていった。


 僕はしばらくベッドの横に座って、眠っている蓮見はすみの顔を見ていた。


 化粧がところどころ落ち、悪夢にうなされるように眉間に皺を寄せて眠る蓮見はすみの顔は、「かわいさ」から程遠く、必死に若作りしている中年女性のような疲労感を感じさせた。


 蓮見はすみは……これからどうするのだろう。


 女の子としての「かわいい」を奪われてしまった蓮見はすみにどんな言葉がかけられるだろう。


 僕がそんなことをふわふわと考えていると、


「……ん」


 蓮見はすみがゆっくりと目をあけた。


蓮見はすみ……目、覚ましたのか」

「あ、赤坂君? 私……何して……? ここ、どこ?」

「病院だよ。お前、店で急に倒れたんだ。栄養失調だってさ。だから急いで病院に……」

「……そっか」


 それだけ言うと、蓮見はすみは黙ってしまった。

 気まずい沈黙が流れる。


 何か話さなくては。

 そう思うとなぜか声が出なかった。

 

 蓮見はポツリと言った。


「……写真、断られちゃったね」

「……そうだな」


 それから、蓮見はすみは明るい声を出した。

 明らかにそれと分かるから元気だった。


「あー。残念だなー。結構頑張ったのにー」

「そう……だな。お前は頑張ってたよ」

「でしょー? でも、自分自身でも薄々気づいてたんだよねー。ちょっと無理があるなって。こんなに体重しぼってしぼって、フラフラになっても。それでも身体は男の子になってくし、声だって低くなってくし」

「……そうか」

「だから……もう無理かなってさ。いつか終わりが来ることは分かってたよ。いつまでも『かわいい』ではいられないって。だって私は結局……」


 男、だから。


 笑顔を作って、潔く諦めたような声でそう言った蓮見はすみだったが、無理しているのは見え見えだった。


「……蓮見はすみ、そんなこと……」

「知ってた。知ってたよ。でも……こうして事実をつきつけられると、ちょっとしんどい、かな」


 笑顔はゆっくりと消えて行き、涙を必死にこらえるような顔になった。


「私、これから、どうすればいいのかな……」

「どうすればって……」

「『かわいく』なくなった私は、どうやって生きていけばいいんだろうね……」

「……」


 蓮見はすみの目からはとうとう涙がこぼれた。

 こぼれた涙と同じくらい、こぼれた言葉は重かった。

 蓮見はすみは涙に気づいて、手の甲でぬぐった。そして先ほどよりもはっきりと無理していることが分かる声で言った。


「……ごめんね、赤坂君。こんなこと聞いて、赤坂君には関係ないもんね……」


 その通りだった。


 僕は、蓮見はすみとは何の関係もない。単なる依頼人と仲介人、もしくは同じ学校の生徒というだけだ。


 僕に何が言えるだろう。

 僕に何ができるだろう。


 僕が言葉に詰まったとき……。




「そのよう。『かわいい』ってのは女じゃなきゃダメなのか?」




 いつの間にか戻ってきていた本多先生が渋い声で言った。


「……え? 本多先生?!」

「おう。おはよう蓮見はすみ


 蓮見はすみは先生の方を向き、驚いて目を見開いた。それに対して、本多先生はササキとは違う、人を安心させるようなニヒルな笑みを見せた。


「なんで先生がここに……?」

「あー。俺はあの店の常連なんだよ……たまたまお前が倒れるのが見えたからな」

「そ、そうだったんですか……」


 言いながら、本多先生はベッドの横に座り、まっすぐ蓮見はすみの目を見て聞き返した。


「で、その『かわいい』ってのは女子じゃないとだめなのか?」

「聞こえてたんですか……」

「ああ、割と最初から。お前がどんなつもりでこんな状態になるまで自分を追い込んだのかとかも、なんとなく聞こえてた。で、どうなんだ?」


 本多先生は足を組んで顎に手をやったが、蓮見はすみはセリフを選びながら話し始めた。


「……先生、『男の娘』って知ってますか」

「しらんな。オカマと違うのか?」


 蓮見はすみはちょっとむっとして、少し語気を荒げていった。感情的になると、やはり声はやや男っぽくなった。


「違います! 『男の娘』っていうのは男の子が女の子の恰好をすることで、心が『女性』の人とは違うんです!」

「そうなのか……難しいな……男が好き、とかそういう話か?」

「全然違います! 男性と女性のどちらを好きになるか、みたいなセクシャリティの問題とは別です!!」

「おお……現代文の教科書に登場しそうなテーマだな……」


 上手く伝わらないことに苛立つ蓮見はすみに、妙に感心したような顔をする本多先生。


「先生の歳じゃ、私の苦しさは理解できませんよ。時代が違うんですから!」

「まあ、そう言うなって。この老いぼれに一つ教えてくれないか?」

「……なんですか?」


 本多先生は顎に手をやって、聞いた。


「お前は『女の子』になりたいのか? それとも『かわいく』なりたいのか?」

「……!」


 蓮見はすみは息をのんだ。その様子をチラリと見て、本多先生は続ける。


「もし前者なら……まあ無理とは言わんが、かなり面倒な手順を踏まないといけないだろうし、言い方は悪いかもしれないが、生まれたときから女だった人と張り合うのは相当しんどいだろうよ。」

「……」

「でも、後者なら。『かわいく』なるのは、女子にならないとダメなのか? SNSやらテレビやらで特集されている、世間の女子がやっていることだけが『かわいい』なのか? 『かわいい』って言葉はもっと懐の深い言葉だと俺は思ってたけどな」

「それは……」


 蓮見はすみが言葉に詰まる。


 本多先生の言葉には力があった。何十年も教師をして、何人もの生徒を教え導いてきた人間の、深さと温かさがあった。


「これは老婆心ろうばしんで言っとくけどよ。理想を持つ事は大事だ。若いお前らは特にな。だけど、届かない理想を追い求めて自分をすり減らせるのはやめとけ。理想とのギャップに苦しみ続けるだけだ」


 だからよ。そう言ってまた本多先生はニヒルに笑った。


「現実見ろ。妥協じゃなくてな。今のお前じゃなきゃ作れない『かわいさ』を探してみろよ」


 蓮見はすみに向けられたはずのその言葉は、僕の心にもストンと落ちてきた。


 現実を見る。

 それは妥協とか諦めではなくて。

 今の自分にしかできない方法を探すということ。


 それは、前向きで力強い言葉だ。これから生きていく力になるような。


 蓮見はすみは、しばらく沈黙した。色々なことを、栄養不足の頭で考えているのだろう。


 そして、最後には、シーツを見つめながらこっくりと頷いた。


「……でも、どうしたらいいか、私には分からないです。これまで、女の子の『かわいさ』しか求めて来なかったから」


 ポツリと不安げにつぶやいた蓮見はすみ。だが、本多先生は年長者らしい余裕の表情を見せる。


「まあ、定石は自分のポテンシャルを知ることから始めるんだな。蓮見はすみ、お前ちゃんと飯食ってないだろ」

「え、あ、はい……」

「基本的に人間が最も美しくなるのは健康な時だ。まずは体調を整える所からだな」

「健康……ですか……」


 蓮見はすみは自信なさげだ。今までずっと健康よりも体型を意識して生きてきたのだから、健康的な生活なんていきなり言われてもハードルが高いだろう。


 しかし、そんな蓮見はすみの様子を見て、本多先生はニヤッと笑った。

 その笑顔は先ほどまでの温かく優しいものではなく、マッドサイエンティスト的な、どこかデンジャラスな雰囲気をまとった笑みだった。


 あれ、これ、なんかやばいような……

 シリアスからコメディに切り替わるような……


 次に本多先生が放った言葉は衝撃的なものだった。


「任せとけ。俺がお前の弁当、作ってやるよ」

「「……はい?」」


 僕と蓮見はすみがシンクロした。


「体調管理もやってやる。まー、俺の言う事聞いとけば大丈夫だって。大船に乗った気持ちでいればいい」


 胸をドンと叩いた本多先生を見て、僕と蓮見はすみは目を見合わせた。蓮見はすみは唖然としている。多分僕も同じ表情をしていることだろう。


 ここに「還暦オーバーのオラオラ系おじ(い)さんがJK(男の娘)にお弁当を作る」という、世にも奇妙なラブ(?)コメディが開幕したのであった。

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