014「代償と後悔」
救急車が到着し、すぐに
「付き添いの方、いらっしゃいますか?」
隊員のよく通る声が店内に響く。すぐさま本多先生が反応する。
「とりあえず俺が行こう。俺の生徒だしな。あとは……」
本多先生の視線が僕を捉える。心臓がはねるのを感じた。
「赤坂、お前も乗れ」
「え……どうして……」
「こいつの事情、一番知ってるのはお前だろ。それに……」
ここで来ないと後悔するぞ。
本多先生ははっきりとそう言った。
さっきのすがるような表情の
そしてそんな
先生の言う通りだ。
ここでまた
「……わかりました。行きます」
「では、お早く!!」
救急隊員に急かされるままに、僕らは救急車に向かう。
そして車に乗り込む直前、先生は振り返ってササキの方を向いた。
「おい、ササキ。あんたは確かに正しいかもしれねぇ。でもやりすぎだ。こいつの時もそうだったけどよ」
先生は僕の肩をつかんでそう言った。
「こいつらはまだまだ子供なんだ。正しいだけじゃダメなんだよ。大人なんだからちゃんと考えろ」
それだけ言うと、先生は僕をつかんだまま救急車の中に引っ込んだ。
僕はされるがままに車内に引きずり込まれ、椅子に座らされた。
「出発します!」
隊員の合図とともに、救急車は喫茶クロワッサンを後にした。
最寄りの病院につくまで、僕も本多先生も一言も喋らなかった。救急車に揺られながら、僕はいろいろな、答えの出ない問いをぐるぐると考え続けていた。
「栄養失調ですね。今日点滴を打って、一日休めば問題ないでしょう」
医者はベッドの横に立ったまま、カルテを横目にそう言った。医者は恰幅がよく、短く刈り込んだ髪に黒縁の眼鏡をかけていた。身体のわりに声は小さいが、自信の無さは感じられない。風格ある医者だった。
病院のベッドの横の小さな丸椅子に僕らは座り、一人の看護師が
「そうですか……それは良かった」
本多先生も少し安心したらしい。声に安堵の色がうかがえた。
「ただ……」
白衣の襟を触りながら、医者は疲れたようにため息をついた。そのため息には湿り気があり、彼の疲労が色濃く反映されているようで、これから話すことが深刻であることがうかがえた。
「表面的には、点滴で体調は良くなるでしょう。しかし、彼女、いや彼の場合。それでは問題は解決しないように思います」
「……と、いいますと?」
本多先生が聞き返すと、医者は息を吐いた。まるで煙草の煙でも吐き出すように細く長く。そうすることで心を落ち着けようとしているかのように。
「彼、
「!! ……そんなに?!」
その数字が異常であることは、さすがに僕でもわかった。
軽い。
あまりにも軽すぎる。
生きていくために必要な内臓や骨や筋肉を限界まで削らなければそんな数字が出ないことは、容易に想像できる。
そして、そこまでやってなお、
それは、あまりにも、あまりにも残酷な現実だった。
僕らの反応をチラリと見て、医者は話をつづけた。
「飽食日本において、こんな体重になるのは必ず理由があるはずです。親からの虐待か、あるいは、過剰なスタイルを求めた結果の拒食症……おそらく、
医者は、また細く長く息を吐いた。黒縁の眼鏡は、油なのか汗なのか分からない液体が反射しており、少し汚らしかったが、その奥の目は心底疲れ切っていた。
まるで、
そして、その患者たちが結果どうなったかを思い出しているように。
「……わかりました。
苦々し気に本多先生はそう答えた。医者はその言葉を聞くと、軽く会釈して去っていった。無言で作業をしていた看護師も、仕事を終えた後、僕らに一礼してそそくさと去っていった。
他の患者はおらず、僕と本多先生だけが病室に取り残された。
室内は妙に静まり返り、点滴の装置の音や病室の外を行き来する看護師や医師の足音ばかりが響いた。
「……赤坂、ちょっと聞いていいか?」
たっぷり五分は黙りこんだだろうか。本多先生が重々しく、しかしとてもやさし気な声で僕に声をかけてくれた。
「……はい。なんでしょうか」
「ちょっと
本多先生は面倒くさそうに言った。その形式的な問い方には僕を責めるようなニュアンスはなくて、ただ単純に事実を知りたがっているような口調だった。
ここで僕は理性的に、事態を説明する必要があった。
順序良く、筋道立てて、事の経緯を本多先生に話すべきだった。
冷静に、正確に、起こった事実を……
「僕の……僕のせいなんです」
そんな思いとは裏腹に、僕の口は勝手に動き始めていた。
クロワッサンにいたとき、救急車の中、医者の話を聞いている時、ずっとずっと僕の頭の中でぐるぐる回っていた様々な気持ちが、形にならないまま吐瀉物のように口から溢れ出た。
「僕が、僕が気づいていれば、いや、気づいてたんです。
「お、おい。落ち着け赤坂……」
本多先生は驚いたように目を見開き、僕をなだめようとした。
でも、僕は、決壊したダムのように言葉を止めることなく吐き出し続けた。
いつの間にか、目からは涙がこぼれていた。
「さっきも、ササキがああいう性格だってことは僕が一番分かってた。
ぐるぐると、何度も同じ話をしている。堂々巡りで、何一つ前に進めていない。
これじゃだめだ。
何も伝わっていない。
でもちゃんと伝えようとすればするほど、空回りする思考や言葉に困惑する。
どんどん早口になり、思考に言葉が追い付かなくなり、最後はパクパクと口を動かすだけになってしまっている。目から垂れる涙が妙に生々しく触覚を刺激する。
本多先生は、そんな僕の様子をじっと見つめて……
「……わかった。よく言ってくれたな。ありがとう」
そう言ってグイっと口角を上げた。還暦を越えた本多先生の顔は皺だらけだった。幾度となく繰り返された笑顔で刻まれたそれらの皺は、本多先生の人柄や経験や積み上げてきたものが全部にじみ出てるみたいだった。
その顔を見て、僕は
本多先生のニヒルな笑顔も、まさしくそんな表情だった。
その顔を見ていると、僕は段々落ち着きを取り戻すことができた。
僕は流れる涙を袖で拭き、鼻をすすった。
「ご、ごめんなさい。もう一回、ちゃんと話します」
「いや、ほんとに大体わかった。親御さんとか学校への説明は任せとけ」
「……でも、僕が……!」
「いいから。お前がすべきことは、ちゃんとあるから安心しろ。それ以外の、ややこしくてかたっ苦しいことは大人がやっとくからよ」
「……僕がすべきこと?」
僕が問い返すと、本多先生はその問いには答えず、先ほどのニヒルな笑顔のままつぶやいた。
「ほんっと、教師って職業は退屈しねえな……もうちょっと給料高ければ言う事ねえんだけどよ」
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