016「名物教師たる所以」

 さて、ここで改めて本多先生について触れたいと思う。


 ここまで本多先生のあまりにもかっこいいシーンが続いてしまったため、今までのイメージを崩すことになるかもしれないが、それも致し方あるまい。これは本多先生の日ごろの行いが問題なのであって、語り手の僕には一切責任はないと最初に明言しておく。


 本多先生は還暦を過ぎた国語教師で、主に現代文を担当している。生徒指導部の長であり、さらには剣道部顧問でもある。どんな手を使っているかは知らないが、異動のある公立高校である僕らの学校に10年近く居座っている名物教師だ。


 彼の特徴を一言で表すなら、「極端」である。


 彼は自分の好きなことに関してはどんな努力も惜しまないが、どうでもいいと判断したことに関してはとことん適当な人間であった。


 まず、彼の惜しまぬ努力から触れて行こう。本多先生は喫煙者であり、パイプでケムリを吸う事を生業としている。


 喫煙者などこの世界にはゴマンといるが、本多先生の愛煙家っぷりは他の追随を許さない。彼はうまいケムリを吸うために常に体調を整え、規則正しい生活を心がけている。


 なぜか持っている管理栄養士の資格をフルに利用し、バランスの取れた食事をし、剣道部の顧問として運動も欠かさない。他の先生の話によると酒も飲まないらしい。


 その徹底的な摂生は、ただ一つの不摂生、つまりは喫煙のために注がれる愛情ゆえのものであった。


 そんな本多先生が、地域の喫煙者の受け皿、いや、灰皿である「喫茶クロワッサン」の常連であることは前にも語った通りである。店長と共に「禁煙ファシズムと戦う会」を立ち上げ、地域全面禁煙に恥も外聞もなく抵抗していることはあまりにも有名だ。


 その活動の必死さは見ているこちらが恥ずかしくなるほどで、「むしろあなた方がファシストでは……?」という疑問を抱かずにはいられないものであった。



 さて、一方で本多先生は興味の無い事には果てしなくやる気がない。


 彼は、生徒指導部を任されている割には、生徒の持ち物や制服にケチをつけるようなことはなく、生徒が漫画等を持ち込んでも「後で読ませろ」などと共犯関係になることもしばしばあった。


 ちなみに蓮見はすみが男子でありながら女子用の制服を着て登校しているのも、本多先生が「別にいいだろ。好きなもん着れば」という雑な見解を見せたからである。


 特筆すべきは現代文の授業である。本多先生の現代文の授業は70%の雑談と30%の猥談で構成されている。「現代文なんて壮大な無駄話」という、正しいような見当はずれのような持論のもと、教科書を読む事はほとんどなかった。話の内容は「アメリカCIAの歴史」など謎に知的好奇心をくすぐるものから、「地方のコンビニ店員はかわいい」というどうしようもなくくだらないものまで幅広い。


 ごくまれにプリントを刷ってくることもあったが、枚数があっていた試しはなかった。


「先生、プリントが一枚足りません」

「残念だったな」

「いや、だから一枚足らないんですけど」

「一枚くらいどうにかしろ」


 ……こんな調子であるから、彼の作成する定期試験は、解答欄が足りなかったり、選択肢問題なのに選択肢が無かったりと不備の見本市となっていた。極めつけは前回の期末テストの最終問題である。



「この文章を読んで、あなたが問題を作るならどんな問題を作りますか? 問題文と回答、そしてその問題を作成した理由も含めて書きなさい」


 

 本文への深い理解を問いながら、来年の試験作成まで生徒に委託するという革新的アイデア(もしくはアクロバティックな手抜き)をやってのけるあたり、本多先生はやはり只者ではなかった。


 このような男が生徒に嫌われるはずがなく、彼は学校の人気者である。一方で、親や教師に好かれるはずもなく、彼はPTAの鼻つまみものであった。



 以上が、本多先生の人となりのごく一部である。



 話を本筋に戻すことにしよう。


 蓮見はすみは倒れてから一日だけ入院し、次の日からは普通に登校してきた。


 僕は少しだけ心配で、昼休みに蓮見はすみのいる教室まで様子を見に行った。


蓮見はすみ……大丈夫か? 体調は……」

「あ、赤坂君……ごめんね、心配かけて。点滴うったら体調は良くなったよ」


 教室にいた蓮見はすみは、誰ともしゃべらずに自分の席で佇んでいた。いつも通り綺麗な金髪のウイッグをして、女子用の制服を着ている。すらりとしたスタイルも変わらないし、顔だって本当に男かどうか分からないくらいに綺麗だった。


 しかし、やはりどこか元気がない。自分がその恰好でいることに自信がないように見えた。


 そうだ。蓮見はすみは自分が理想とする「かわいい女の子」でいることを諦めなければならなかったのだ。自分の身体が突き付けた、ある種の限界に、向き合わざるを得なかったのだ。


 その決断の重さは、僕には想像もできない。


「……なあ、蓮見はすみ……」

「大丈夫だよ。心配しないで! ……すぐには自分のこと受け入れられないけど、少しずつ変わっていこうと思ってるから。新しい自分に、なりたいと思ってるから」


 そう言って、少し無理に笑う蓮見はすみは、やはり美人だった。


「そうか。ならいいんだ……。ところで、机の上のそれはなんだ?」

「う、うん。私もわかんない……」


 蓮見はすみの机の上には、今時滅多にお目にかかれない唐草模様の風呂敷に包まれた物体がある。中身は小さめの箱であろう、大体弁当箱くらいの……


「まさかとは思うが……これは……」

「昼休み前の移動教室から返ってきたら机の上にあったの……なんか直前まで冷蔵庫に入ってたみたいに冷たくて……」


 僕と蓮見はすみは不審げに風呂敷包みを眺める。しかし、中身はお互いに察しがついていた。


「……開けて、みるか」

「うん……」


 そっと包みを開けると、弁当箱と小さな手紙が入っていた。



蓮見はすみへ 絶食直後に固形物を食べると身体に悪いから、ほとんど流動食だ。ちゃんと食べるように 本多』



「え、なにこれ、青春?」


 思わずつぶやいてしまった。


 クラスのあの子の身を案じて、そっと弁当を用意し手紙を添える。この一連の流れは、なんか少女漫画とかでありそう。


 「青い春」どころかそろそろ「黒い冬」が到来しそうなおじいさんが相手でなければ、だが。


「あはは……ほんとに作ってくれたんだ……」


 蓮見はすみも驚きを隠せていない。やや引きつった笑顔である。




 もう一つだけ本多先生のことについて記しておきたい。


 前にも少しだけ触れたが、本多先生は僕の恩人だ。


 僕の時もそうだったが、彼は誰よりも生徒に向き合おうとしてくれる。少し行き過ぎなほどに。少し強引なほどに。


 でも、僕や蓮見はすみのように、にっちもさっちもいかなくなってしまった人間にとっては時にその強引さがうれしい時がある。


 自分のために本気になってくれる人がいる。

 その事実は何よりも心強い瞬間がある。


「でも今回はやりすぎかもな……」

「……かもね」



 そうしてこの後、蓮見はすみと本多先生の奇妙な関係はしばらく続くのであった。

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