007「二体のウォータークーラー」

 件のウォータークーラーのある武道場への道中、小さいくせに案外歩くのが早い大槻の後を追いかけながら、僕は背中越しに話しかけた。


「大槻は、二体よく行くのか?」

「うん。授業で使うからね~」


 大槻に追いつき、隣を歩きながら話を進める。


「女子の体育の授業って何やってるんだ?」

「おや~? 赤坂君は女子の授業が気になると?」

「まあ、気になるかな」

「女の子の秘密が気になると?」

「いや、そうは言ってない」

「女の花園をのぞき込みたいと!!」

「誤解を生むような表現に変換するな!」


 油断も隙もない。大槻はノリが良すぎる。

 そんな談笑をしているうちに武道場に到着した。


 僕らの高校にはバスケットボールのコートがある第一体育館とは別に、第二体育館、通称「二体」がある。二体は二階建てとなっており、一階には剣道場と柔道場が併設されている。剣道場は主に剣道部と卓球部が使用し、柔道場はダンス部が使用している。ちなみにわが校の柔道部はずいぶん前に廃部になっている。


 二階には更衣室がある。更衣室の前には少しスペースがあり、地面にはダンベルが転がっている。ダンベルは筋トレというよりは生徒が小指をぶつけて悶絶するためだけに存在すると言っても過言ではない。

 また、ポツンと自転車型の運動器具が設置されている。しかし、コンセントが近くにないために電源が入らないため、単なる間取りするインテリアである。

 このスペースが学校の公式サイトやパンフレットでは「トレーニングエリア」と名付けられていることは、いっそ清々しいほどの詐称と言えるだろう。この学校は公立高校らしく、ともかく設備にお金をかけていない。



 そんな二体の扉を、「たのもー!!」 と声を上げて大槻は開いた。

 

 今日は卓球部とダンス部が使っているらしい。一階のフロアには卓球部の汗の臭いとダンス部の制汗スプレーの匂いと、置きっぱなしになっている剣道部の防具の匂いが混ざっており、とても密度の濃い(精一杯の好意的表現だ)空間になっていた。

 

 僕が若干のあとずさりを見せる一方で、大槻はずんずんと中に入っていった。


「本多先生はここにあるって言ってたな。例のウォータークーラー」

「そうだね。多分あれじゃない?」


 件のウォータークーラーらしきものはすぐに見つけることができた。というか、入り口の正面つきあたりにあった。


 二人で近くまで寄って観察してみる。

 かなり年季の入ったものであることは間違いない。白色の機体はくすんでおり、銀色の飲み口には錆びた部分も見られる。十数年ここに置いてあることは間違いなさそうだ。


「赤坂君! 水の出るボタン、押してみて!」

「え、だってコレ呪われてるかもしれないんだろ? ちょっと抵抗あるよ」

「大丈夫! そんなの迷信だよ!!」

 

 オカ研の部長とは思えない発言だった。ていうか、迷信なら取材する意味もないんだけど……


「そんなに言うなら大槻、お前がやれよ」

「え、やだよ。呪われるかもしれないじゃん」

「迷信じゃなかったのかよ……」


 都合のいいオカ研の部長だった。


「さあ、赤坂いけにえ君! はりきってどうぞ!!」

「お前、絶対いつかバチが当たるぞ!!」


 その後、ウォータークーラーの前でひと悶着あったが、結局僕がボタンを押すことになった。

 


 白いボタンを押すと、ブーンと大き目の音が鳴り始めて、機体が小刻みに揺れ始め、ちょろちょろと飲み口から水が出てき始めた。機体は震えながらどんどんと熱を帯びていくような感じがした。

 

 水に触ってみると、少し生暖かかった。


「これ、なんか水がぬるいんだけど……」

「え、死んだ女の子の体温じゃない?!」

「違う。これ、ウォータークーラー自体も熱くなってる。多分中の冷却機能が壊れてるんだ」

「え、じゃあ血の味は?!」

「多分、これ長らくメンテナンスしてないから、めっちゃ中の水汚いっぽいな。飲んだら呪いじゃなくて普通にお腹壊すと思うぞ」

「えー、そっかー……」


 当時がどうだったかは知らないが、今このウォータークーラーが霊的な何かを背負っているとは思えない。


 強いていうなら、冷たい水が出せないウォータークーラーは、もうクーラーじゃない。ウォーターだ。すなわち蛇口である。


「なんか、特に問題なさそうだぞ」

「そうかな……ちょっといろいろ話聞いてみようよ!」


 大槻は剣道場の前に立っている、卓球部のマネージャーらしき女子に話しかけた。


「こんにちは! マネージャーさんですか?」

「え? あ、はい。そうですが……」


 マネージャー女子は手にストップウォッチを持っている。眼鏡をかけ、髪型はクラシックスタイルの二つ分け三つ編みだった。

 板張りの剣道場からは、ピンポン玉を打ち合う音と、踏み込みの音が絶え間なく聞こえてくる。


「伺いたことがありまして! ちょっとお時間よろしいですか?!」

「え、ええ少しなら……」

「ありがとうございます!!」


 大槻のネゴシエーションは勢いがあるうえに直球だった。


「あそこにあるウォータークーラーなんですが、あれにまつわる噂、知ってますか?」

「いえ、全然……。一年なもので……」

「では、あのウォータークーラーを使っている人に何か起きた、とかそんな話聞いてませんか?!」

「いいえ……少なくとも私は聞いたことないです……。先輩達も自分で飲み物買ってるのでほとんど使ってる所見たことないです……」

「そうですか……。了解です! 後で、別の部員の方にお話しうかがってもいいですか?」

「ええ。練習に差し支えなければ大丈夫だと思います」

「わっかりました! ありがとうございます!!」


 その後、何人かの卓球部、ダンス部の部員に聞き込みを行い、大槻はノートにメモを取っていった。しかし、皆最初のマネージャーの女子と同じような反応だった。




「うーん……。やっぱり、もう昔の話だから伝わってないのかな?」


 ひとしきり聞き込みを終えて、大槻は少し残念そうにそう言った。


「そうだろうな。本多先生がこの学校に赴任する前だから、十数年前だろ?」

「そうだよねー。でもでも、私の記事で思い出してもらえるかも!」


 大槻は、ふんっと鼻から強めの息を出し、小さな握りこぶしを作った。気合十分なようだ。どこからそのやる気が出てくるのだろうか。


 いつの間にか部活も終わり、最終下校時間に近づいていた。


「じゃあ、赤坂君! 最後にウォータークーラーの写真、撮ってみてよ!!」

「うえ?!」

 

 急に言われて面食らってしまった。


「何その反応」

「すまん。急だったから」

「早くしないと最終下校時刻に間に合わないよ~。ダッシュダッシュ!!」

「わ、悪い。そうだよな」


 僕はササキから預かったデジタルカメラを取り出した。電源ボタンを押すと、数秒間「準備中」の文字が出た後、画面に目の前の景色が映った。


 そして、これは、よく考えると、僕の初めての「撮影」だった。

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