006「本多先生」
僕らが通う公立高校は、「それなり」の学力を誇る進学校である。
中学入試が一般的でなかった時代においては、各中学の学校一の天才、秀才たちが鎬を削る関東屈指の学力を誇り、えげつない進学実績をたたき出していたらしい。
しかし、現在は多くの優秀な学生が中学入試で私立の中高一貫校に行ってしまうため、進学実績は最盛期とは程遠いものになっている。ゆえに、現在の僕らの高校の学力評価は「それなり」である。
公立高校の先生は、様々な高校を移動するわけだが、一応それなりの進学校である僕らの学校に来る先生は、経験を積んだベテランであることが多い。中には、どうやってかは知らないが、長老のごとく学校に居続ける変わった先生もいる。
学校の怪談を求め、僕と大槻はそんな「名物教師」を訪ねた。
放課後、その教師がいる場所はいつも決まっていた。
屋外に備え付けられた、学校の敷地内で唯一タバコが吸える場所。食堂前にあるベンチである。
その教師は今日もそのベンチに座り、巨大なパイプをふかして物思いにふけっていた。
「ほんだせんせー」
大槻は少し遠くからその教師に声をかけた。
「大槻か。なんかようか?」
本多康介は還暦を過ぎた国語担当の教師である。髪は真っ白で、落ちくぼんだ目が特徴的だ。生徒指導部に所属しているにも関わらず、あまりにも適当な性格であるため、多くの生徒から好かれている。裏では「ぽんちゃん」などと呼ばれているとかいないとか。
「先生、今日もパイプ吸ってるんですか? 健康に悪いですよ?」
「俺はパイプを吸うために健康でいるんだ。吸わなくなったら本末転倒だろうが」
本多先生の食事や運動へのモチベーションの高さは有名である。なぜか管理栄養士の資格を持っており、食事のバランスは完璧らしい。また、剣道部顧問であり、学生たちと共に日々稽古にいそしんでいるとの噂である。酒もほとんど飲まないとのこと。
しかし、それらの努力はすべてケムリを吸うためらしい。健康的なのか不健康なのかよくわからない。
「ん? 赤坂もいるのか」
「はい。先生。こんにちは」
そんな愛煙家である本多先生は「喫茶クロワッサン」にも時々足を運んでくれている。店長と共に「禁煙ファシズムと戦う会」を勝手に結成しているようだ。会、と言っても具体的な活動はほとんどしておらず、喫煙のよさと禁煙へのヘイトをぶつけあっているだけだ。
大槻が早速切り出す。
「先生って、この学校に何年ぐらいいるんですか?」
「なんだ藪から棒に……忘れちまったよそんなもん」
「そんなこと言わずに~。少なくとも十年はいるでしょ?」
「ああ、まあそのくらいはいるな」
公立高校の先生ってそんなに長く一か所にとどまれるものなのだろうか。
それはともかく、本多先生なら「学校の怪談」を知っているかもしれない。
「じゃあじゃあ、先生。この高校にまつわる伝説とか、怪談とか知ってますか?」
「怪談? あったかなそんなもの……」
本多先生はパイプをくわえ、思案顔だ。
吸い込んだケムリを上に向かって吐いた。
「……ああ。まあ、あれはそうかな」
「お!! なんですかなんですか?」
大槻が食いつく。すごい勢いだ。
本多先生は静かに話し始めた。
「俺がこの学校に赴任してすぐのころに聞いた話だ。この学校にウォータークーラーが設置されることになったんだが、どうも出てくる水が濁っていると生徒から苦情が出たらしい。水の味も妙に鉄臭いと。業者を呼んでも原因がわからなかった」
大槻はふんふんと相槌を打っている。
いつの間にか取り出したノートにメモを取っている。
「その当時、霊感が強いって言われてた女の先生がいたらしくてな。その先生がそのウォータークーラーを見ると、泣き始めたらしい。なんでも、ウォータークーラーのある所に、若い女の霊が見えたんだそうだ」
ぴくんっと大槻が反応した。
大槻のメモを取る手が止まった。
「あとから調べてみると、ウォータークーラーが配置された場所で、かつて受験を苦にして自殺した女の子がいたらしい。当時のうちの高校は今とはくらべものにならないくらいの進学校でな。競争のプレッシャーも半端じゃなかったんだ。実際、自殺まではいかないまでも、心を病む学生は結構多かったな」
かつて、すさまじい進学校だったこの学校ならではと言えるかもしれない。
確かに、リアリティはあるな……。
「ウォータークーラーから出ていた水には彼女の血液が混ざっていたために濁っていた、水の鉄臭さは彼女の血の味だったのではないか、なんて言われてたな」
何というか……都市伝説っぽいな。
「その後、女の先生の指摘でそのウォータークーラーをお祓いしてもらったそうで、それからは特に何も起きていない……そんな話だったな。確か」
本多先生は話し終わると、またパイプに口を付けた。
大槻がしばらく沈黙していたので、僕が口を開いた。
「……そのウォータークーラーってまだこの学校にあるんですか?」
「ん?ああ、第二体育館にあるやつがそうらしい。剣道場のある所な」
「わかりました。ありがとうございます。……大槻?」
大槻はペンと例のノートを持ったまま、動かなくなっていた。
僕の呼びかけにハッとして、ぺこっと本多先生に頭を下げた。
「ありがとうございました。この話、オカ研の部誌に書いてもいいですか?」
「いいんじゃないか? 別に本当の話かどうか分かんないし」
「そうですか……。あの……本多先生?」
大槻はそこでいったん言葉を切った。
「どうした?」
「……その自殺した女の子ってホントにいたんですか?」
「知らないな。都市伝説なんてみんなそんなもんじゃないか? 出どころはよくわからなくて、話だけが残る。そんなもんだろ」
「……でも……証拠があれば別、ですよね」
大槻は小さな声で言った。本多先生には聞こえなかったらしい。
「ん? なんか言ったか?」
「いえ、なんでもないです!! ありがとうございました!!」
いつも通り元気な声で、大槻はお礼を言った。
その声に少し無理があるように思えたのは、僕の気のせいだろうか。
「いこう! 赤坂君!! 写真撮りに!」
そういって大槻は急に歩き始めた。
僕も、慌てて本多先生に一礼し、大槻についていこうとした。
「ああ、赤坂。ちょっと待て」
去ろうとした僕の背中越しに本多先生が声をかけた。
「何ですか?」
「お前、生活に変わりはないか? 前みたいに……」
「……大丈夫です。店長のおかげで、大分楽させてもらってます」
「そうか……。また何かあったら言えよ」
「そういうなら、また店来てください。店長、待ってますよ」
そういって僕はその場を去った。
僕の人生には恩人が二人いる。一人が「喫茶クロワッサン」の店長。もう一人が本多先生だ。この二人のおかげで今の僕がある。ササキは……勘定に入れないことにしている。
高一の頃のことを少しだけ思い出し、僕は、あっさりと僕を置いていった大槻を追いかけた。
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