008「初めての撮影」
電源の入ったデジタルカメラの画面を覗く。普段は立体に見えている世界が平面に落とし込まれるのは妙な感覚だった。画質は良く、やや近眼気味の僕の目より画面に映る世界の方が鮮明で、滑らかに動いているように見えた。
僕はレンズ越しにウォータークーラーを捉えた。僕がさっきまで見ていた現実の世界とは似ているようで全然違う印象だった。
シャッターに指をあてがう。なぜか指先に緊張が走る。
少しだけ動悸が早くなる。呼吸が浅くなっていることがわかる。冷えた汗の粒が背中に浮き出るのを感じる。しかし同時に、何か自分の中で静かに湧き上がるものがあった。
手が汗で湿るのを感じる。
画面に映る二次元の景色は僕の震えに合わせて小刻みに揺れている。
このまま撮ったらぶれてしまわないだろうか。ピンボケの写真になってしまわないだろうか。上手にタイミングよく撮らないと。いや、最近のデジタルカメラなら多少のブレなら補正してくれるはずだ。それに、撮った写真が良くなかったら、最悪もう一度撮ればいい。下校時刻は迫っている。早く撮らないと二体の鍵を閉めに教員が来てしまう……。
頭の中でいろんなことがぐるぐる回った。もしかすると現実よりも鮮やかな、高解像度の景色が僕の呼吸に合わせてぶれるのを見ている。
僕は緊張しているのか?
今時、写真なんて誰でも撮れるし、そんなに気負うものじゃない。
それにこの写真を使うのは大槻だ。所詮、みんな流し見する程度の現オカ研の部誌の端っこに載るだけのどうでもいい写真だ。
じゃあ、僕は今、何に緊張しているのだろう。
僕の心は今、何に興奮しているんだろう。
「赤坂君!! はやくはやく~!!」
大槻の声にハッとし、思わずシャッターを切ってしまった。
ピピッという音の後に自動に設定されていたフラッシュが光る。
撮った画像が画面に映る。慌てて確認すると、特にぶれたりぼけたりしていなかった。さっきまで画面に映っていた映像の一瞬を切り取ったようなものだった。数秒もすると写真は保存されて画面はまた目の前の景色を写した。
撮れたことにほっとする一方で、そのあまりのあっけなさに驚いた。
終わってみれば、何にあんなに緊張していたのか分からなかった。
「撮れた? みせてみせて~」
大槻が僕からカメラを奪い取る。制止する間もなく、てきぱきと操作してさっきの写真を見た。
「まっ……」
待ってくれ。そうじゃないんだ。
それは、まだ全然……。
僕はなぜか、そう言おうとした。でも、なんでそんなことを言おうとしたのかはわからなかった。なぜか僕は、思わず撮ってしまったその写真を誰かに見られることを、ひどく恥ずかしく思った。
「うーん……。流石に心霊写真にはなってないか……」
大槻は写真を眺めながらつぶやいた。
「なあ、写真……どう……だ?」
思わず聞いてしまった。言ってから、何を聞いているんだろう、と軽く後悔した。
大槻は特に何の感慨もなく、画面を見ながら
「ん? まあ、誰が撮ってもこんな感じでしょ」
と言った。
「……そりゃそうか」
僕は、自分にだけ聞こえるようにそうつぶやいた。
「よし、早くここから出よう!!」
僕にカメラを押し付けて、大槻はすたすたと外に向かって歩き始めた。
カメラを受け取って、僕はすぐに電源を切った。
自分の写真を見たりはしなかった。なぜかしたくもなかった。
こうして、大槻との取材の一日目は終わった。
翌日。僕はカメラを持って「喫茶クロワッサン」にバイトに向かった。いくら客の少ない喫茶店だからといって、連日バイトを休むわけにはいかない。店長に迷惑はかけたくない。
大槻は学校に残って、またネタ探しを続けるそうだ。僕は一旦、ウォータークーラーの件をササキに報告することになった。
「ササキ。大槻の心霊写真の件だけど、とりあえず一件取材が終わったから見てくれるか?」
大槻がまとめたレポートをササキの座っているテーブルに置いた。今日ササキが読んでいるのは新聞だった。新聞を広げたままササキは僕を見た。
「おや、もう終わったのかい? もう少し時間がかかると思ったけど」
「いや、とりあえず一件終わっただけだ」
「ふーん。……写真は?」
「うぐっ……」
何となく、プロの写真家のササキに自分の写真を見られるのが嫌で、聞かれなければやり過ごしてしまおうかと思っていた。
が、こうなってしまっては仕方がない。僕は渋々ササキから借りていたデジタルカメラを差し出した。
ササキは読んでいた新聞をたたんで、脇に置いた。そして、テーブルの上の大槻の資料には目もくれず、僕のカメラを受け取り、慣れた手つきで僕が撮った画像を確認した。
「……うーん。まだまだだねえ」
「なにがだよ」
「シュン君の写真だよ。何を主体にして撮ってるのかわかりにくいし、シャッターを押すタイミングもおかしい。何かちょっと斜めになってるし。フラッシュも適切じゃない。動画を適当に一時停止したみたいだ。とても写真と言える代物じゃないね」
「くっ……」
言いたい放題だった。プロのササキから見れば、カメラ素人どころか、あの時初めて写真を撮った、経験ゼロの僕の写真は粗だらけだろう。
昨日、大槻の言った言葉が思い起こされる。
「誰が撮ってもこんな感じでしょ」
その言葉が喉元まで出かかる。
しかし、それは踏みとどまった。
なんだか、それを言ったら「負け」なような気がしたのだ。
「……次からは気を付けるよ」
僕は苦虫を嚙み潰すように言った。
カメラから目をあげて、ササキは僕の方を向いた。
「……で、どうだったんだい?」
「……何がだよ」
「撮影。楽しかった?」
そう問うササキの顔は、いつものにやけ面だった。
僕は、カメラを構えた時の緊張と興奮、思わずシャッターを切った瞬間の指先の感触を思い出した。
「……まあ、悪くはない……かな」
僕がそう言うと、ササキはいつもよりもう少しだけ口角を上げた。
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