003「枢木の依頼」
「あなたに、祖母の遺影を撮って欲しいの」
仕事の依頼らしい。
僕が口を開こうとした瞬間、枢木はナイフを傾けた。午後の日差しがナイフに反射してギラリと光る。
「口答えは結構。あなたの選択肢は二つだけ。イエスと言って依頼を受けるか、ノーと言って今日のことをすべて忘れるか、よ」
イエスはともかく、ノーの方は不可能に思えた。今日の出来事は一生忘れられそうにない。
「忘れるのが難しいようなら、手伝ってあげるわ。これで海場を焼き切れば大丈 夫」
枢木はおもむろにスタンガンを取り出して僕に向けた。
さっきの痛みが思い起こされる。
「ひっ」と情けない声が出そうになるところを頑張って耐えた。
ナイフを右手、スタンガンを左手、顔は無表情。
そのいで立ちはクラスで佇むご令嬢ではなく、冷酷無比なキリングマシーンである。
「イエス!!イエスだ!!」
「そう。ありがとう」
枢木は両手を下した。
その目に少し安堵が見えたのは気のせいだろうか。
「だけど、先に言っておかなきゃならないことがある」
「何よ」
「まて、そいつらを構えるな、びびってしゃべれなくなるだろ!!」
途中まで上げかけた両手を制して言った。
「写真を撮るのは僕じゃない。撮るのはササキという男だ。僕はあくまで案内人だよ」
「あら、そうだったの」
「そう。だから枢木、お前の依頼はササキに伝えておく。だけど、依頼を受けるかどうか決めるのは最終的にササキ本人だ。あいつが拒否したら、僕にはどうしようもない」
「なるほど」
「ああ。こればっかりは、僕を刺そうが海馬を焼こうが変わらない。申し訳ないけど」
枢木は少し思案顔になった。
枢木は顔だけ見れば相当の美人だ。色白で目鼻立ちが整っている。「かわいい」というよりは古文でいう「うるわしい」という印象だ。表情がないので愛嬌は皆無だが、それも彼女の芸術的な美しさを引き立てている。
が、両手の武器がすべてをぶち壊している。彼女の顔よりそっちが気になって仕方がない。
「決めたわ」
しばらく考えた後、枢木は言った。
「何を?」
「ササキという男のもとに案内しなさい。直接私が交渉します」
「うえぇ?!」
「あなたが伝えない可能性があるでしょう?私、あなたをまだ信用しているわけじゃないの」
枢木は冷静なようだ。その目には迷いも揺らぎも見えず、僕が何を言っても届かないことを感じさせた。
「わかった。連れていくよ。いつ頃がいい?」
「今日連れて行きなさい」
「今日?!」
「もう一度あなたを呼び出したり日程調整したりするの、面倒じゃない」
「ええ……」
「それに、私には時間がないの」
彼女の声に、少しだけ感情がこもっていた。そういえば枢木の依頼は「祖母の遺影」だった。という事は、枢木のお婆さんの体調は思わしくないという事なのかもしれない。
遺影は死んでからとることはできない。時間制限付きの依頼なのか。
僕は腕時計を見た。午後四時少し前。多分あそこにササキはいるだろう
「……わかった。連れていくよ」
「そう。ありがとう」
枢木は全くありがたくなさそうな顔で言った。
僕は財布に入れている名刺サイズのチラシを渡した。
「喫茶クロワッサン?」
「僕のバイト先だ。大体ササキはここにいる」
「おいしそうな名前ね」
「この住所の喫茶店に来てくれ。閉店時間までに来てくれれば僕も、多分ササキもここにいる」
「あら、連れて行ってくれないの?」
「一緒に向かうと変な噂が立ちそうだからな。別々に行った方がいいだろ」
クラスでほとんどしゃべらない僕と、クラスで全くしゃべらない枢木が一緒に下校するところなんて見られたら、クラスの連中においしい話題を提供するだけだ。それはお互いにうれしくない。
それに、かわいい女子高生と一緒に下校なら青春の一ページだが、キリングマシーンとの追いかけっこではハリウッド映画だ。色っぽさのかけらもない。
「なんだか失礼な事を思われている気配がするわ」
「気のせいだ。人の心を読むな」
「じゃあ、また後で。言うまでもないけれど、このことは他言無用よ」
「わかってるよ……」
「さもないと、あなたは身体中の動脈と静脈の位置を実地で学ぶことになるわ」
「わかってるってば!!」
「動脈から出る血はきれいなのよ?見たくない?」
「見たくない!!」
なんだその脅し文句。見たことあるのか?動脈からの出血。
急に冷たいシャワーを浴びたように首筋がぞわぞわした。
僕はとりあえず屋上を後にして、急いでバイト先に向かった。枢木とかかわっていると命がいくつあっても足らない気がする。早くササキに会ってお願いしなければ。
枢木のおばあさんの遺影より、僕の遺影を先に撮ってもらう必要があるかもしれない。
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