004「喫茶クロワッサン」
「喫茶クロワッサン」は僕の通う高校から電車で三十分ほど行ったところにある。
駅前の商店街から少しだけ外れた路地に入口を構え、座席はテーブル席とカウンター合わせて二十席程度だ。
が、僕が働き始めてから、この席が半分以上埋まっているのを僕は見たことが無い。
コーヒーの値段は、駅前に乱立するフランチャイズチェーン喫茶店の二倍はするが、客が居座る時間は三倍だ。WiFiや電源などはないが、そんなものを必要とするハイカラな客は一人も来ない。
逆に昨今にしては珍しく、「全席喫煙」である。このあたりのチェーン喫茶店やファミリーレストランはほとんど全面禁煙になってしまったため、「喫茶クロワッサン」は喫煙難民達の受け皿、というより文字通り灰皿の機能を果たしている。
大概の客が、どうやったらそんな色になるのかわからない年季の入った古本をめくっており、本人たちも古本に匹敵する浮世離れした相貌をしていることが多い。
隠れ家というよりは隠遁所というほうがふさわしく、穴場というよりは穴そのものと言った方が適切ともいえる。
そんなさびれた喫茶店が僕のバイト先、「喫茶クロワッサン」である。
「遅れました!すいません!」
扉を開けて中に入ると、カウンターの奥で店長がコップを磨いていた。
客は二人だけしかいなかった。手前のテーブル席には顔の六割強が髭に覆われ、見る者にいつも髭と髪の境界について哲学的な問いを投げかける、常連の男が座っていた。
その奥のテーブル席には、いつものようにササキが座っていた。ササキは読んでいた本から目を上げ、僕を見つけると
「やあ、シュン君。今日は遅かったね」
間延びした声で話かけてきた。
僕は店長に遅れたことを改めて詫び、すぐにバイト用の服に着替え、店長と揃いのエプロンをした。
そして、水を入れ替えるついでにササキに話しかける。
「ササキ、仕事だ。あのチラシを見た奴が依頼に来た。これからここに来るらしい」
「チラシ?ああ、ボクが作って校舎裏に貼ったやつね」
「そうだ。あのチラシ。勝手に僕の名前使いやがって。えらい目にあったぞ」
ササキはカマキリのように細い顔をしており、おしゃれとは無縁の大きな眼鏡をかけている。眼鏡のせいでさらに顔が細く見える。目の奥はいつもにやにやと笑っていて薄気味悪い。
「でも、シュン君?君はあのチラシで依頼者なんか来るはずないって言ったじゃないか。君の眼はやっぱり節穴なんだねぇ」
「違う!僕は冷やかしか頭のおかしい奴しか来ないって言ったんだ!」
枢木はもちろん後者だ。むしろ慧眼と言っていい。
もう少し文句を言おうとしたところで、ノックの音が聞こえた。
喫茶店に入るのにノックする奴がいるか?
いぶかしんで入口の扉を見ると、すりガラス越しに女子の制服が見えた。
「噂をすれば、だ」
扉を開けてやると、先ほどと同じく無表情の女が立っている。
予想通り、
「よく来たな。迷わなかったか?」
「ええ。迷ったわ。まさかこの店じゃないだろうと思って、何度も店の前を往復したわ」
「ああ、『クロワッサン』って感じしないもんなこの店」
黒輪さんとかの方がしっくりくる。「喫茶黒輪」。イメージ通りだ。
「きっと道行く人に私変な人だと思われてしまったわ。どうしてくれるの?」
「よかったじゃないか。本当の自分が理解してもらえて」
「なに?」
無表情ににらまれた。器用な真似をしやがる。おっかない。
「いや、なんでもない。ササキ、来てるぞ」
「そう。じゃあ早速案内してもらおうかしら」
「ああ……。っとその前に」
僕は枢木に右手を出して言った。
「スタンガンとナイフはこっちで預かる。店内で刃傷沙汰は御免だ」
「はい?」
「ササキがどうなったってかまわない。けど、店長に迷惑をかけるようなことはさせられない。店長は僕の恩人なんだ」
「………」
「それができないなら、この話はなしだ。僕はもうお前に関わらないし、お前のことについて誰にもしゃべらないと約束する」
僕は少しだけ強めに言った。枢木は語調が変わったことに驚いたように少し表情をこわばらせた。
僕に譲る気がないことを察したのか、枢木は諦め交じりに息を少し吐いた。そして制服のポケットから棒状のスタンガンとドイツ製のナイフを取り出して僕に預けた。
「どうも。他に危ないものは持ってないか?」
「ええ、あとはせいぜい防犯ブザーと催涙スプレーとカラーボールくらいよ」
「お前、防犯グッズマニアなの?!」
「別に、このくらい普通よ」
そうなの?女子高生ってみんなこんなの持ってるの?
今後、女子高生と喋るときは発言に気を付けよう……
「まあでも、それくらいならいいか……刑事事件にはならなそうだし」
「ええ、でも私の防犯ブザーは近隣の交番と直結しているから、私にいたずらするとすぐに警察が現れるわよ」
そんなのあるんだ……。もう女子高生と喋るのやめようかな……。
「しねえよそんなこと……」
「どうかしらね。赤坂君、いたずらが好きそうな顔しているもの」
「どんな顔だ!」
「
「ルビで遊ぶな!!僕はそんな男じゃない!!」
カタカナにまでルビ振りやがった。文章でしか伝わらないネタはやめろ。
「そう。警戒は解かないけれど少し安心したわ」
「警戒は解かないのか……」
少し間をおいて、枢木は少し襟もとをただし、首のリボンタイを整えた。
「じゃあ、案内して頂戴。ササキさんのところへ」
表情からはわからないが、枢木は案外緊張しているのかもしれない。
「はいよ。いらっしゃいませ。お客様」
僕は改めて扉を開けて、枢木を中に入れた。
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